欲しいもの
どうしても欲しいものがある。
絶対に手に入らないもの。
大好きな人。
弥栄蝶子。
今から8年前。私はこの名前になった。
それまではただの「ちょーこ」で…私は山に住んでいた。
私は精神獣使いという特殊な能力を持った一族で、その能力のために、子毬山で天狗と共に暮らしていたのだ。
もっとも、それを言ったところで、私が山で暮らしていたことはおろか、天狗なんてものも誰も信じはしなかったけど…。
そんな私が、今いる弥栄家に引き取られたのが8年前。
私を育ててくれた天狗のじーちゃんが、人間の私がいつまでも山でくらすことの不可能さと不憫さを考えて、子毬山とそこに住む天狗を崇めている村――弥栄家の故郷――の人々に、私を託したのだ。
実際に私を託されたのは、弥栄家の長男。弥栄京太だった。
8年前、彼は両親の故郷の信州にある村に里帰りに来た時、たいした理由もなく――しいて理由を上げれば暇つぶしというようなものだろうが――子毬山に登り、自らの精神獣と鬼ごっこをして遊んでいた私と出会ったのだった。
当時の私は、山で住んでいたため、かなりの馬鹿――よく言えば純粋――な子で、ものすごい野生児(?)だった。
京太がおやつに持ってきたリュックの中のお菓子の匂いを嗅ぎ当てて、そのお菓子を貰った。ただ、わがまま言っただけだけど…。そのお菓子のあまりのおいしさに、私はそれ依頼大のお菓子好きだ。
お菓子が欲しくて、京太と一緒にいる。といった私を見たじーちゃんは、ちょうど私もなついたことだしと、理由を話して京太に私のことを頼んだ。
もっと端的に言えば、たまたま山に登って来て私と会い、更には私の能力の事を知った京太――正確に言えば、何も考えてなかった当時の私が何も考えず精神獣を見せただけ――に、いつかは人間界に私を返さなければいけないと思っていたじーちゃんが、これ幸いと押し付けたただけなのだが…京太にしてみればいい迷惑この上なかったことだろう。
とにもかくにも、私のことを気に入ってくれた京太の両親が、天狗に頼まれたという事もあり、私を京太の従兄妹。
弥栄蝶子として、引き取ってくれたのだった。
それからの京太は大変なことこの上なかっただろう。
何しろ、私は世間知らずの非常識っ子だったから、人前で平気で精神獣――ガァ――を出そうとするし、私の様子を見るという口実を付けて、天狗が山から遊びに来るし。
私の能力や天狗の事を隠すのに、京太がどれほど神経を減らしたか、私には分からない。
しかし、そのかいもあってか、私の能力のことは、はぐれ者と呼ばれている、子毬山を出ていった精神獣使いの人と8年前に保育園で知り合った桂健という男子(←未知の冒険を夢見る子)以外には知られていない。
なんだかいろいろ迷惑をかけたことは間違い無いけれど、とりあえず、それは憶えてはいない。
子供の時のことだったし…京太も昔のことは話さないから。
時々、それがたまらなく悔しくなる。
もし憶えていたら、それは私と京太だけの思いでであったかもしれないのに。
もっとたくさんの京太のこと、憶えていられたら良かったのに。
当時の私は、本当に物覚えが悪かったので、ほとんど憶えていることはない。
私を育ててくれた天狗のことは、一応覚えてはいるけど…。
「おい、弥栄」
不意の呼ぶ声に、私は思考を中断して声のした方に顔を向けた。
そこにいたのは、私の能力の事を知る数少ない人間の一人。桂健だった。
「何か用?」
私が訊くと、桂健は思いっきり溜息をついた。
相変わらず失礼な人。
別に構わないけど…。
「お前なぁ…。この間言っただろ!次の夏休みに子毬山に行って天狗に会いたいから、京太さんに了解とってこいって!」
(ああ。そういえば…)
私は大して古くもない記憶を引っ張り出した。
それはおとといのことだった。
桂健は保育園時代から何ら変わることなく、今も冒険を夢見ている。
そんな彼にとって、精神獣を出せる私は格好の利用できる奴…もとい、仲間にしたい存在だった。
弥栄家は私を引き取ってから、毎年夏休みに子毬山のある信州へ行っていた。
それでも、子毬山に登るのは、私と京太だけ。
あとの皆は毎年宴会を開いて…その間に、私は京太と一緒に天狗にあっていた。
じーちゃんたちは、私がきちんと人間界にとけ込めるようにと考えて、私と会う気はなかったらしい。
けれど、寂しそうにしている私を見た京太が年に一度くらい会ってやれという説得によって、子毬山に遊びに来る夏だけは会う様になっていた。
それを知った桂健は、毎年私と一緒に子毬山に行きたがっては、家族と一緒に行く旅行に阻まれて断念させられていた。
「今年こそは行きたいけどさぁ…やっぱり全然関係のない俺が急にまじるとなったら、京太さん仲介にしてもらうのが一番いいからな。お前のだちっていったて、所詮男と女じゃ怪しまれるしな」
一人納得しながら頷いている彼を見ながら、私はぼんやりと窓の外に眼をやった。
「で、どうだった?」
彼の声に、私が了解を得たことの意を答えると、彼は思いっきりはしゃいで自分のクラスへと戻っていった。
そんな彼の背中を見送りながら、私は京太にそれを言ったときのことを思い出していた。
京太は、別に何を考えるまでもなく、あっさりと了解を出した。
桂健は京太にとっても顔なじみで、私の秘密を知っている上での常識人ではあったのだ。
年齢的には京太にとってはただの子供で、もう少し前だったら心配の種にしかならなかっただろうが、今では当時の京太の年齢とそうそう大きく変わらないし、桂健はそう言う意味では常識的な了見はわきまえていたから。
それを切り出した時、私はなんとも複雑な気分だった。
私と二人水入らずで毎年子毬山に行くことを、京太が特別に思っていてくれていることを望みながら、その一方では、桂健が一緒に来ることで、天狗との話しを無視して、より京太と二人でいられるんじゃないかという計算高い期待が入り混じった…。
断って欲しい気持ちと承諾して欲しい気持ちの、相反する二つの気持ちが交じり合っていたのだった。
「蝶子ちゃん」
自分を呼ぶ声に、私の思考は再び途切れた。
だが、今回私を呼んだのは桂健ではない。
私の目の前に立っていたのは、このクラスになってからの女の子の友達だった。
名前は倉敷麻耶。
私とは正反対の、おとなしく、おっとりとした子だった。
「何?麻耶ちゃん」
私が笑って尋ねると、倉敷麻耶は恥ずかしそうに目を泳がせてから、意を決したように口を開いた。
幾分顔が朱くなっているのを見て、何となくその先の質問が予想できた。
「あのね…蝶子ちゃん。その…蝶子ちゃんって、桂君と付き合ってるのかなって…」
(やっぱり…)
倉敷麻耶から出た予想通りの言葉に、私は胸中でこっそりと溜息をついた。
この質問はこれがはじめてではない。
もう何度も訊かれている。
はじめの頃は意味がよくわからなかったが、今はとてもよく分かる。
同じような気持ちを…持っているから。
不安そうに私の答えを待ちつづける倉敷麻耶に、私はいつも通りの笑顔で答えてみせる。
「違うよぉ。私と健は保育園の時からの幼馴染なだけだよ。さっきのは、健が私のお兄ちゃんに訊きたいことがあっただけだよ」
私はいつもと同じ答えを返す。
人前では、敬太のことはお兄ちゃんと呼ぶようになっていた。
倉敷麻耶はその言葉を聞くと、明らかにほっとしたというように体の力をぬいた。
「そっかぁ。蝶子ちゃんてお兄ちゃんがいたんだよね。桂君、蝶子ちゃんのお兄ちゃんと仲良いんだぁ。いいなぁ、蝶子ちゃん。羨ましいなぁ…」
「なんで?」
分かりきってることを、私はわざと訊ねた。
倉敷麻耶の頬が朱く染まる。
言おうか言うまいか暫く悩んでいた倉敷麻耶は、そっと私のほうに顔を近づけてくると、
「あのね、これ、誰にも秘密にしてね」
そう、念押ししてから、
「私…桂君が好きなの…だから…」
消え入りそうな小声で言った。
「そうなんだぁ」
「うん…。本当に秘密にしてね、蝶子ちゃん」
「大丈夫だよ。麻耶ちゃん」
「うん…あっ、ねぇ。蝶子ちゃんの好きな子は?」
これもお決まり。
かならず訊かれることだった。
私はいつもと同じ答えを言う。
「私が好きなのはね…お兄ちゃんだよ」
京太だよ。
京太が好きなんだよ。
大好きなんだよ。
「もうっ。蝶子ちゃんったら、私が訊いてるのはそういう好きじゃないのよ」
倉敷麻耶は僅かに頬を膨らませてふざけたように言ってくる。
「わかってるよ。でも、私はお兄ちゃんが好きなんだもん」
私も、それに軽い調子で笑いながら答える。
いつものことだった。
だから平気だよ。
なんともないの。
形式上は従兄妹のお兄ちゃん。
実情は実の兄妹。
実際は…赤の他人。
だけど、京太にとって私は手のかかる妹。
それだけでしかないの。
言えないよ。
本当の気持ちなんて。
欲しいよ。
何よりも欲しいよ。
あなたの心が欲しいよ。
だけど、きっと絶対に手に入らない。
伝えたいよ。
本当の気持ち。
つらいよ。
痛いよ。
苦しいよぉ…。
京太。
気づいて。
私の気持ちに。
End
アハハ。
ず〜っと書きたくて書けずにいた蝶子→京太話です。
本当は蝶子と京太がもっと絡む予定だったのですが、なんか話がうまくまとまらずこのような事に…。
納得できないので、いつかまた書くと思われます。
このようなものを読んでくださった方がいましたら、ありがとうございます。
そしてすみません。
もっと、精進します。