駆ける山河に華のあり



 想像しまいとずっと目を背けてきた絶望が現実になったとき。
 目の前で起こったそれに、人はいとも簡単に、踏鞴を踏んでいたその堺を踏み越えることができる。
 いとも簡単に。いとも、あっさりと。








 それはずっと胎動していた。
 晴れ渡る空。向日葵の輝き。蝉の声は遠く、鳥が羽ばたいた。振り返り手を差し出してくれた君の声はもう、聞こえない――。




 母を失い。その瞳は怒りに満たされた。その怒りを、確かに自覚し。その怒りを、確かに認めた。
 母を失った嘆きは『殺された』という怒りに昇華し。父に与えられた馬鹿げた親子関係は失望でしかなかった。
 いくら幼かったとはいえ、あの父に怯んだこの身を、あの瞬間を、この人生にあっての何よりの恥であると感じている。


 この悲しみは確かに慰められ、この怒りは確かに鎮められ、この失望は確かに消えていった。
 この荒んだ心は確かに癒された。
 他ならぬ、君との交流に。君が差し出してくれた、裏のない好意に。
 君が、僕に与えてくれた優しさ、緑の碧さ。ただ見返りも何も求めぬ友情。何気ない日常。
 人が人として持つ、当然の気遣い。思いやり。


 君は故郷を、そして父を殺され。君が、いずれは君の父上と同じように『護りたいのだ』と語っていた国民は焼かれていった。
 それでも、君の瞳に怒りはなかったね。あのときの僕は、焦土と貸したあの夏の無残な姿と遣り切れなさへの憤りと、再び甦り、尚激しく猛った怒りに気づいてはいなかったけれど。
 君は悲しんでいたけれど、その瞳に怒りは宿っていなかったね。
 辛かったはずなのに。どれほどの苦難であったかなど、僕と比べようもないだろうに。
 それでも、君の瞳はあの夏の日の木々の葉と同じ。陽光に照らされる葉の煌めきと、同じ色をしていた。



 熱の篭もった空気に炙られて、頬が熱かった。遠くで人が焼かれていく。隣で誰かが死んでいったように。殺されていったように。
 日は沈み、焼け野が原に色もなく。
『僕は…。』
 君の寂しげに伏せられた――それでも僕は君が何を寂しく感じていたのかを、未だ知らない――その姿を目に映し、僕は躊躇いを捨てる。怯えも、何もかも。
 これは、そのための宣言。
『スザク。』
 自分を奮い立たせる目に、君に、その思いを伝えておくから。
『僕は、ブリタニアを、ぶっ壊す!!』
 怒りに曇った僕の決意を、どうか。君だけは、見届けていて…。





 僕の慰められていた絶望は、再び目覚め天へと昇る。猛る龍の如く。





「戻って参りました、殿下。――全てを、変える為に。」

 もう、生きる屍には戻らない。
 もう二度と、大切なものを失わぬために。彼以上に大切な存在などないと気づいているけれども。
 もう二度と、愛しい人を傷つけさせない。彼以上に愛しい存在などないと知っているけれど。
 それでも、まだ、大切で、愛しい、妹が残っているから。
 彼の身代わりになどならないけれど。彼との記憶を共有できるのは、その優しい記憶を思い出させてくれるのは。もう、彼女しかいないから。

『嬉しいよ、ルルーシュ。日本占領のときに死んだと聞いてたから。いやぁ、良かった、生きていて』

 僕も、つい先ほど、同じ思いを味わいました。
 あなたとは違い、本心からの。極上の。
 そして、それに対を成す、絶望も。

『私じゃない! 私じゃないぞ!! ―――ほ、本当に、私じゃない! やってない! やらせてもいない!!』

 なんて耳障りな声なんだろう。彼はもう少しだけ、自分の置かれている立場に考慮した精神を構築しておくべきだった。
 僕は笑った。まるで宥めるように。
 微笑っていると自覚したときに、自分はとうとう狂ったのだと感じた。狂っている自覚があるうちは、まだ狂っていないのだろうか。
 そうじゃない。狂いながら、ゆっくりと燃え尽きているだけだ。破裂してしまったのではなく、零れ落ちていくように、壊れていく。

「わかったよ。しかし――。」

 でも、スザクを殺したのはおまえだ。おまえらの選民意識が、おまえの統治への意識が、おまえの愚かな失敗が。俺たちを庇おうとしたスザクを殺した。殺させた。
 もう、僕はこんな風にしか哂えない。君を失って、他の誰も、あの日の君のように、僕の笑顔を、そうする心を取り戻させることの出来るものなどいないはずだから。

『や、やめろ! 腹違いとはいえ、実の兄だぞ。』

 そうだ。だからこそ、憎しみもこんなに増すのだろう。赤の他人ではないからこそ、決して許せないのだ。
 本来なら絶対に裏切ることはないと信じられるはずの相手からの手酷い仕打ちと。そんなものの血を自分も引いていること――自分が最も憎い者達と同類であることへの嫌悪。そして、その事実の決して覆すことの出来ぬ憤りの為に。

 そして血の繋がりが、時に無条件の愛を約束させるのと同じように。愛があるかないかは、血が繋がっているかいないかなんてこととは、全然関係ないはずだろう? そもそも家族であれるかどうかでさえ、血の繋がりのあるかないかだなんて、そんなに重要なことではないのに。

 確かに、それはとても大切な美徳だとは思うけれど。
 だからといって、それが遵守されるべき絶対のものというわけでもあるまいし。どんなに信じたって。どれほど求めたとしたって。そんなものは、どこにだって存在しないのに。

 いつだって、世界はそんな優しさを投げ捨てて、時代を動かしてきたから。
 彼を失う絶望を持って、運命は、僕を動かしたのだから。

「奇麗事で、世界は変えられないから…。」

 あなたがもう少しだけ、ブリタニア人に与える慈愛を占領国民に――日本人にも与えてくれていたなら。
 あなたがもう少しだけ有能であり、せめてあなたの下にいるものたちのしていることを、正確に把握していることができていたならば。
 彼は、死ななくてすんだかもしれなかったのと、同じように。
 もしかしたらだなんて奇麗事では、何も、慰められない。それで終わってしまったら、何も変わらない。
 前へ、進まない。




 駆けたあの日の山野が戻らぬのと同じように、もっとも大切な何かが、確かに失われた。




 それが、復讐を遂げるということ。
 それが、人が人を殺めるということ。

 けれど構わないと思う。
 人を殺めれば殺めるほど、僕の心は曇っていくのだろう。鈍くなっていくのだろう。
 けれどもう、別に構わない。構わないのだ。
 だって、僕がきれいな心でありたいと願う、そう在り続けようと思わせてくれた人は。
 そういう自分であって向き合いたいと願う君は、永遠に失われ。
 それはつまり、もう、その必要がないということで。そんな自分は、必要ないということだから。




 君はあの日、なんと声を掛け。僕はあの日、なんと返しただろうか。
 二人の心は変わらずあるのに、互いの進むと決めた道は随分と遠く離れてしまったように感じられて仕方がない。
 あの日、僕等の駆けた山河の緑は消え失せ。けれど、緑は再び芽吹く。
 君の瞳の新緑が変わらぬように、陽の光が小さなそれらを輝かせるだろう。









 そうして、僕は今もまだ、その現実から目を背け続ける。
 愛していた。今も変わらず、愛している。
 その視に、君の永遠に失われたことに。全ての躊躇いを捨て去るほどに――。





















 何もかもに、まだ希望が残されていた。
 駆け抜けた山河に小さな花が咲いていたとして。あの頃の僕等は、足元のそれに目を留(と)めぬまま。
 煌めく世界で、目の前にあるただそれだけに。




















     初・コードギアス、スザルル小説。ご意見ご感想お待ちしております(オンマウスで駄文)。_(c)2007/01/02〜03_ゆうひ

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