sweet days
-夕暮れの帰途-









「そこのお姉ちゃん。どうだい、新鮮だよ」

 愛想のいい豪快な声に、アレンはふわりと髪をひるがえして振り返った。繋がれた手を引いて立ち止まると、恰幅の云い中年の男が、人好きのいい笑顔を見せていた。
 辺りには客呼びの大きな声が溢れ、男の声もそれらの一つであったが、人間とは底が不思議なところだ。自分が呼ばれると、ひどい喧騒の中にあっても、どういうわけか気を止めてしまうのだ。アレンの行動も、まさにそれだった。

「アレン?」

 繋いだ手の先には、すらりと伸びた男性の腕が続いている。アレンは面を上げ、ラビを見上げた。
 隻眼の彼は突然立ち止まった彼女――アレンを、不思議そうに見下ろしている。アレンはそんなラビの表情を見て、それから自分を呼び止めた店の男を見て――、ラビの腕を引いて店へと駆け寄った。

「何があるんですか?」

 アレンが尋ねると、店の主人は笑みをさらに深いものにして機嫌良くアレンに答える。

「おっ、お姉ちゃん、目が高いね。うちにはどんな種類の果実だって揃ってるんだ。しかも他のどこよりも新鮮だよ。そこのお兄ちゃんも。どうだい?今なら安くしとくよ」

 目が高いも何も、自分から声を掛けてきたのに…と、アレンは胸中で苦笑する。僅かに身を乗り出して商品を見やると、たしかに色とりどりに、数多の果実が所狭しと並んでいた。
 赤く熟れた果実に目をやり、僅かに思考をめぐらせる。瑞々しいそれはたしかに魅力的だが、少々重量がありそうに見えた。

「アレン、なんか欲しいものでもあった?」

 己の思考の中へと小旅行中のアレンの視界に、突然入り込んできたのは隣に佇み続けているラビの笑顔だ。多少の驚愕のために瞠目するアレンに、ラビの笑みはますます深まったようだった。アレンはラビの表情を見、それから視線を横に滑らせる。アレンと繋がっていない方のラビの腕には、先ほど買い込んだばかりの食材の入った紙袋が抱えられている。
 決して少ない量ではないが、ラビにはまったく重さを感じるものではないようだった。もちろん、アレンが持ったとしてもたいした苦にはならないだろう。彼も彼女も、体を鍛え上げていたから。
 けれど、ラビはアレンに多少の負担も掛けたくないようだった。いくらアレンが大丈夫だと云っても、「いーから、いーから」と、そんな軽い口調と、有無を言わさぬ笑顔と態度で荷物持ちを買って出る。彼の意見によると、重い荷物を持つことや、激しい運動をすることなどは特に避けて欲しいらしい。

 当のアレンとしては、そんなに神経質になる必要もないのではないかというのが正直な感想だ。もう少し時が満ちれば、多少はそういうことにも気を配る必要があるかもしれないが、今はまだ全然必要のないことのように思える。
 わざわざムキになってまで彼の気遣いに抵抗する必要など皆無であったので、アレンはそれに従っている。正直、彼がアレンのことを心配し、不必要なまでに気遣ってくることは、アレンに幸福を感じさせてもいた。

「欲しいのは、これ?」

 アレンが止める間もなくラビが手に取ったのは、アレンが買うか買うまいかをずっと考え見つめていた、赤い果実だ。自然と離れた手が、僅かに淋しく感じると拗ねて見せたら、彼はどんな反応を返してくれるだろうか。
 ぼんやりと考え、ラビの嬉しそうな笑みにアレンは我に返る。それから自然と笑みが浮かんでくるから、自分は今本当に幸せなのだろうと、心から感じるのだ。

「はい、それです。――すごいですね、ラビは、いつも何でもお見通しなんですから」
「ん〜、そうでもないっしょ」
「そうですか?」

 意外にも消極的な答えが返り、アレンは思わず振り返った。覗く左眼が上を向き、何に思いを馳せているのか。
 アレンは黙って答えを待った。アレンが彼を見つめていて、彼がアレンに振り向かないことなど、疑ってもいない。彼がアレンに答えないことなどありえない。

「だって、気づかないことも多いしさ」

 ラビはちょっとだけ眉根を寄せていた。少し困ったその表情は――これは彼には絶対にナイショだけれど――、かわいらしくて、アレンは好きだった。彼はアレンよりも年上で、いつもアレンを子ども扱いしている。けれど、時々見せるラビのそんな表情は、彼がアレンよりも年下に見えて、より正確に云えばこどもに見えて、なんだか心がほんわかと暖かくなるのだ。

「気づかないこと、ですか?」
「そ。いろいろとさ」

 ラビが何を指して云ってるのか、アレンはなんとなく想像がついた。ついたけれど、あえて言葉にしようとは思わなかった。
 だって、なんだか照れくさかったから。

「おっちゃん、これちょーだい」

 そうこうしているうちに、ラビは例の赤い果実を購入する。店の男は「はいよ」と、満面の笑顔と元気のいい声で答え、嬉々として果実を袋に詰めていく。ガサガサと紙袋が音を立てる。
 代金を支払い紙袋を受け取る彼に、アレンは黙って両手を差し出した。自分が持つとの意思表示だ。ラビはそれに気づき、アレンの予想の通りに、否を返す。

「いいって。俺が持つからさ」
「でも、それだと両手が塞がっちゃうじゃないですか」
「?」
「だって、せっかく、さっきまで手を繋いでいられたのに…」

 暖かい手のぬくもりは、それだけで、安心感を与えてくれる。一緒に歩いている喜びに包まれることができる。決して離れないその安心感は、置いていかれるかもしれないという恐怖を拭い去ってくれる。
 アレンの言葉に、ラビはぱちぱちと瞬き、それから嬉しそうに笑った。

「んじゃ、アレンはこっち持って」

 差し出されたは、彼が持つものの中でもっとも軽いもの。
 アレンは微笑んで手を差し上げた。

「はい」

 アレンが答え、荷物を二人で分け合って負担する。これからも、きっと、二人はあらゆるものを一緒に背負って生きていく。
 手を繋いで歩く帰り道は、いつの間にか沈み始めた陽の光に照らされて、朱く染め上げられていた。きっと、この夕暮れの日のように、一緒に支え合って、一緒に歩んでいく。

 ラビとアレンは顔を見合わせた。どちらの面にも幸福による微笑が腰を据えていて、互いの手は温かかった。





 石畳の上を歩く。
 夕暮れ色の街。
 子供たちの声が慌ただしく帰途を促している。
 絡めらた指。
 見つめ合わせた瞳は微笑み、
 鮮やかな朱い陽光に伸びる影は並び合う。
 少し涼しい風に吹かれて、並んで歩く夕暮れの景色。

 こんな日常が、永遠に続けばいい。
 そして、それが現実になればいい。
 今はもう遠い日の戦いは、今日のこの、夕暮れを見るために、きっと―――。






----+ こめんと +----------------------------------------------------

 タイトルのみ「帰途」と書いて「かえりみち」と読みたい勢いでお願いします。3ヶ月も書いてなかったのか〜…。ネタ自体は4月にはもうできたんだけどな〜…。ちょっと次回作のエッセンスが散りばめてあったりします。でもそのこと自体を私が忘れて次回作を書く可能性は大きいです。
 双子の方ではラビの名前が消滅している設定で書いているので、当初ごっちゃになって、ラビの名前を極力出さないように書いていました。ラビの表記に「彼」が多いのはその名残です。はじめは全部「彼」と表記していて、後から所々「ラビ」に直しました。
 たったこれだけ書くのに5,6時間も掛かってます…。本当に遅筆(下書きもしてないのに/泣)。
 ご意見ご感想お待ちしております_(c)ゆうひ_2005/07/11

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