桜貝 







仄かな温もりに花開く 桜花(さくらばな)







 アレン手のはまだ小さくてやわらかい。成長期真っ只中の彼は、これからどんどん逞しくなり、男性らしい大きな手の平を、手に入れることになるのだろう。
 ラビは自分の手の平にすっぽりと納まってしまう彼の手を取り、それを自分の手で容易に包み込んでしまえることに、満足感とでもいうのだろうか、小さいながらも暖かな幸福を感じていた。

「ラビ?」

 アレンが僅かに首を傾げて問いかける。いつまでもアレンの手の平を見つめては満足そうな様子をみせているラビを不思議に感じているのだろう。
 それまで黙って開いていた手を僅かに閉じるように、指先を丸めた。
 裏側になって隠れていた、桜色の爪が覗く。

 普段、アレンはその左手の異様さもあり手袋を装着しているが、この時はラビの――アレンにしてみればいつもの気まぐれな――「お願い」に、手袋を外していた。

 朝、陽の光りはまだ薄く、空を薄青く染めていた。目覚めて、身支度を整えて部屋を出て行く。アレンが最後の仕上げにと両の手に手袋を着けようとしたときだ。
 ベットに腰掛けてアレンの様子を眺めていたラビが声を掛けてきた。
 左の手に手袋を着けながらアレンが振り向くと、ラビが手招きしていた。小首を傾げてとてとてとそちらへ近づいていけば、にこりとした笑顔と共に、左の手が差し出された。

 しばらく黙って、ラビの笑顔と左手の平とを見比べるも、彼は一向に答えを言葉にしてくれる気配はない。差し出された手と笑顔。定石のように、アレンは己が右の手の平を、向けられた左手の平へ重ねた。
 それは彼が望んだ正しい答えだったようで、ラビはやはり嬉しそうに微笑う。それをみればアレンもまた嬉しく感じるが、アレンには彼が何をしたいのかまではわからない。
 わからないうちに、くるりと手をひっくり返される。まるで手相でも見るかのように、ラビはアレンの手の平を、そこから伸びる手首を、腕を、見つめる続けていた。

 今、アレン手の甲からは、ラビの手の平の温もりが直接伝わり、仄かに熱を持つ。
 呼びかけ、指を僅かに動かしたのは、徐々に湧き上がってきた気恥ずかしさからの、突発的な行為でもあった。照れ隠しの反射行動とでも云えばいいのだろうか。
 別に、本気でラビの行為を疑問に思っているわけではない。だって、ラビと触れ合うことはアレンにとってもとても幸せなことだし、彼が自分の視界に入っているというだけで至福を味わうことができるから。

 ちょっと恥ずかしいけれど、胸の内側からやわらかな――まるで春にできた日向で暖められるような――ぬくもりが湧き上がり、優しい気持ちになるのだ。それはとても心地の良い感覚だった。
 だから、ラビが今目の前で幸せそうな表情をしてるのを見ると、きっと自分もそんな表情をしてるのだろうと自然と思われるし、きっとアレンが今のラビの立場だったら、時間の経つのも忘れて、ラビのことを見つめ続けるのだろう。

「ラビ」

 それでもやはり気恥ずかしさは消せなくて、アレンは再び名前を呼ぶ。自分の声がその名を紡ぐその響きを耳にすることさえ嬉しくて、その名を自分が口にすることが優しく受け入れられるその世界が愛しい。

「ん〜?」

 ラビはにこにこと嬉しそうな表情を相変わらずに、自分の左手の平に乗るアレンの右手を握ったままで、曖昧な相槌を返す。
 アレンは愛からず湧き続ける気恥ずかしさに無意識に腕を己の方へと引き寄せるも、右の手首に柔らかく掛けられたラビの指先によって阻まれる。それさえも仄かな喜びを生むできごとだ。

「僕の手なんて、見ててもおもしろくないでしょう?」

 ラビはアレンの、アレンはラビの肌の温もりを、繋がり続けるそこから優しく感じている。あまりにも優しすぎて、まるでそこから陽の光が照りだしているかのようだった。
 アレンが尋ねれば、ラビは隻眼を細めてにぱっと笑う。それは、アレンよりもずっと幼い子供のようでいて、ずっとずっと大人の笑顔で、アレンはラビのその一見無邪気そうでいて、たくさんのことを思ってくれている笑顔が大好きだった。

「アレンの爪、すっごくきれいさ」
「爪?――普通ですよ?」

 ラビが云うので、アレンはラビに抑えられたままの己の手の平を覗き込むように体を傾けた。あるのはラビの手に比べてずっと頼りなく、小さく見える己の手で、そこには特別に特記するこもないだろうピンク色の爪。
 ラビが何を持って賞賛を送ってくれるのかがわからなくて、アレンは小首を傾げて問いかけるようにラビを見やった。

「何も変わらないと思いますけど…?」

 アレンが云えば、ラビはおかしそうに声を立てて笑う。
 何がそんなにおかしいのかと、アレンが驚きと戸惑いを示せば、ラビは笑いを納めて笑顔を向ける。それまで片手の平に乗せていただけだったアレンの右手の平に、己の右手の平を合わせて包み込むようにすると、ぐいっと引き寄せた。
 思わず引き寄せられて、アレンは抵抗することも適わぬままに、ラビの胸の中に体を預ける形になる。きょとんと、何が起きたのかわからずにいるうちに、今度は肩にラビの腕が当たるの感じた。
 完全に抱き込まれた形になったようだ。

「アレンはちっちゃくてかわいいさ〜」

 嬉しそうに云うラビの声が、頭上から聞こえるのに、アレンは耳を薄赤色に染める。
 ぎゅっと抱きしめられて、アレンはラビの胸に頬をつけたまま身動きなどとれない。ラビに抑えられているのも幾分かあるが、どきどきとし過ぎて体が動かないためというのが大部分だ。何よりも、アレンにとってそこはあまりにも心地良い。
 右手はラビの左手に囚われたまま、やがて規則的な鼓動の音を認識できるほどにその意識が落ち着きを取り戻してきたときだった。

「んでもって、アレンの爪もかわいいんさ」

 先ほどとは打って変わった、低く、艶を含んだ声が耳元に直接囁かれ、アレンは鼓動が大きく跳ねたのを感じた。どくりと心臓の跳ね上がった音さえ聞こえたような気がして、ますます気恥ずかしさが増さり、あまりのことにいたたまれなくなる。
 どこかに隠れてしまいくて、身を縮こめる思いに体動いた。僅かに肩が竦められ、しかし体の体積そのものが変わるわけではないから、その代わりのようにラビへの密着度は増したようだった。ラビの肩下に置かれた左手――こちらは手袋に包まれたままだ――が、きゅっと衣服を引っ掻くように押さえつけた。

「ラビ」

 そっと声に出してみる。それは自分にさえ聞こえるか消えないかという小さな声で、けれどそれだけで、幸せな気持ちが胸の奥からあふれ出してくる。
 自分が呼ぶその名のすべてが愛しくて、自分がその名を呼ぶことが安らかに赦されることが幸福で。口に乗せるたびに、どきどきと心がきゅっとざわめく。

「アレン」

 そっと囁かれる声。どんなに小さな呼びかけにも、彼は答えてくれる。
 その声に名が呼ばれることが、まるで祝福を与えられたかのように。
 きゅっと身を縮めるように肩を竦めて、その代わりのように彼に密着する。手袋越しにぎゅっと左手で、彼の肌を引っ掻くように服を掴めば、触れ合う素肌の熱を伝える右手が強く握り返された。
 そっと顔を上げて、唇を合わせて。

 気がつけば、陽が高く上っていた。







初夏の陽気に花散らし、やがてあかく色つく実をつける









talk
 手を取り合っているだけでどこまでらぶらぶさせられるのか?!…に挑戦したわけでもないのですが、アレンの爪さえいとおしいラビが書きたかっただけです。今回のタイトルはインスピです。
 それにしても、ラビの口調は独特でムツカしいです…。どんなに考えても違ってる気がしてきます。
 話を途中で挿入した箇所があるので、ちょっとちぐはぐと感じる場面があるかもしれません。さて、その後二人は陽の高い時分からどうしたのでしょう。というか、どれくらいの時間見つめあっていたのでしょうね。終わりが微妙な隠語になってしまったような気がして気恥ずかしいです(本編終わり部分よりも先に最後の一文はできていたのですが…まさかこうなるとは)。
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2005/04/07_ゆうひ
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