虫。







男の子と女の子の間には、時に深くて大きな隔たりがある。







「ヒッ」

 僅かの嫌悪と驚愕の含んだ、空(くう)を切るような悲鳴が掠れて消えた。仰け反る悲鳴の主は白い髪を長く伸ばしたまだ年若い女性だ。
 戦慄くのは白磁のように白く美しい肌。すらりと伸びた腕の先。左の手の甲には引き攣れたような傷痕がある。人差し指でそれを示しながら、彼女は引き攣り気味の声で漸(ようよ)う訊ねた。

「な、何なんですか、それは…」

 小刻みに震える美しい指。その先の桜色の爪の先に示されているのは、艶やかな土色の甲羅に身を包んだ昆虫たちだった。一応虫籠もある。
  それらを神聖なる我が家に連れ込んで下さったのは、オレンジ髪のブックマン。その回りでは滅多に帰らない父親からのお土産に、はしゃぐ小さな双子。

「?何ってお土産。カブトムシ」
「かぶとむし〜」

 双子の嬉しそうな声が父親の答えに追従して木霊する。子供たちと父親が作った円陣の中心には、六本の足でのそりとそれらが蠢いていた。
 若く美しい母は思う。

 ああ、昔は私も虫なんて全然平気でしたよ。でもね、今はなんかダメなんですよ。だってなんか気持ち悪いじゃないですか。動きとか大きさとか形とか色とか生命力とか色とか形とか動きとか大きさとか動きとか見た目とか虫とか虫とか虫とか……。

 なれど母は強し。子供が好きなんだから、気持ち悪いも何も云っていられない。
 子供のために、女は母になれるのだ。そして母とは最強なのである。嫌いも怖いも気持ち悪いも、すべて乗り越えて子供の健やかなる成長のために己が身を差し出すものたち。まさに献身。美しい彼女も例外ではなく。
 子供たちが喜んでいるからいいかな、などとほだされてしまう。彼女――名前をアレンと云うが――は仕方がないなと苦笑しながら、双子の子らにやわらかく言葉を掛けるのでした。
 顔で笑って心で泣いて状態だが、心で泣きながらも心の奥底から子供たちの笑顔が嬉しくて幸せだという不思議な生き物。それもまた、母なのであった。

「せっかくお父さんがくれたんですから、大切にしないとね」

 生き物を飼うにあたっての基礎中の基礎を説いて教える。生命の貴さは初めから知っているのではない。学んで覚えるものなのである。
 しかしそれに異を唱えたのは、なんとお土産と称してその虫どもを持ち帰った当の父親だった。

「何云ってんのさ、アレン」
「え?」

 びっくりといった感じで僅かに瞠目した表情を愛しい妻に向けた夫に、妻もまた驚いて夫に顔を向ける。お互いにびっくり「何云ってるの?」と向け合う表情で見つめ合う両親は意に介さず。今度は子供たちが口々に語る。
 両親の周りをぴょんぴょんと跳ねながら、口語に台詞を刻んでいく姿が実に楽しそうだ。

「たたかわせるんだよね」
「『すもう』っていうんだよね」
「じょうしきだよ〜」
「おっきなかぶとむしのほうが強いんだよ」
「そんなのわからないよ」
「でもおっきいほうが『ゆうり』なんだよね」

 角の生えた昆虫は向かい合わせて戦わせるのがおもしろいのである。
 しかしあくまでも女性の母親には、その感覚が今ひとつ理解できない。

「え?どうして戦わせたりするんですか?」

 首を傾げて夫に問えば、彼は胸を張って答えた。

「男は対峙したら戦わざるを得ない生き物なんさ」

 ああ、なんでそんなに自信満々なんだろう。心持ち顎が反り返り瞳まで閉じられている。いったいなんの演出なのか。

(また、くっさいことを…)

 胸中でそんなことを思うのは、別に珍しいことではなかったりする。彼女の愛する夫は、時に奇妙な男の美学を披露しては、彼女を半眼にさせるのだ。
 アレンは呆れと、理解できない不可解さに顔を顰める。そして響いたのは子供たちの声。

「なんさぁ」
「なのさ〜」

 父親の独特の言葉尻を真似て、双子が楽しそうに笑っている。手に握られているのは一生懸命に六本の節足を動かしてもがいている虫。所詮虫。

(まったく、もう)

 アレンはふうっと、大きく息を吐き出した。腰に手を当てて、走り回る子供たちを見やる。
 首を廻らせば、胡坐をかいて座り込んだままで、やはり走り回る子供たちを愉快そうに見やっている愛しい夫。ふとその彼と視線が合い、なんとはなしに、お互いの面(おもて)に微笑が浮かぶ。
 それは久しぶりの家族揃っての団欒。にぎやかな子供の笑い声。

「ところでさ、アレン」
「なんですか?」
「アレンにも、ちゃんとお土産があるんだけど。しかもとっておきの」
「『一番大きなカブトムシ』なら、いりませんよ」

 微笑う奥様に、旦那様はこれもやはり笑って奥様の方へとその腕を伸ばした。
 彼の手に包み込めてしまうえる彼女のやわらかな手のひらの感触に、これ以上ない愛しさが湧き上がる。
 これほどまでに胸の内から湧き上がる温かい心があるのだと。
 その事実に瞳を眇めた。

 奥様を引き寄せてその腕の中に納めてから、見せたのは、きれいにラッピングの施された箱。

「云っただろ。とっておきって」

 彼女が嬉しさに彼の胸に頬を寄せ、

「あ〜、お母さんずるい!」
「ずるい!」

 ぼくたちもお父さんにぎゅってする〜!!

 宣言通りに、子供たちがぎゅっ、と両親に抱きついた。
 その小さな生命のぬくもりに、愛しい人の胸の逞しさに、与えてくれる安心感に。
 アレンは瞳を閉じてただただ感じる。

 切ないまでに甘すぎる。
 幸せ。
 その一瞬さえも逃さぬように。
 全身で、全部で、自分のあらゆるもの、すべてで。



 あとで、買い物に行こう。
 あなたの好きなごちそうの材料。子供たちの好きなお菓子。
 そして。
 カブトムシの飼い方の本。昆虫図鑑が、私からのプレゼント。







男の子の好きなもの。強くて大きな怪獣とのりものと、そして虫。










こめんと
 ある意味、閑話休題。ヤバイ…この設定でものすごい話が浮かぶ…。早くseewt days書きたいのに。お話はもうできてるのに…。表の方のお題もお話できてて、あとは書くだけなのに…。
 気がついたら性別を決めていなかった双子どもが男の子になっていました。否、むしろ私の中では初めから男の子だった気もしますが。これてシリーズ化してますか?双子シリーズ?…ダブルリトルシリーズとかはやだなぁ…。それにしても今回のタイトルはどこまでもいい加減ですね。それはもう申し訳ないくらいに。だって「虫。」ですよ。実は「幸せ」or「clover」と迷ったり。そして「虫。」を採用…。
 虫。比較的男の子の方が好きですよね。女も子も小さい頃はけっこう平気で集めますけど。最後は怪獣よりもヒーローとかの方が適切だったのかなぁ…。ちなみにカブトムシの壁紙が見つかりませんでした。
 ご意見ご感想お待ちしております_(c)ゆうひ_2005/06/13
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