あなたからの便り。







世界の記録はあなたにあるのに、あなたの記録がどこにもない。







「おとうさん、この国はどうなの?」
「どうしてこんな変なお洋服なの?」
「これは何?」
「こんなの本当に食べるの?」

 矢継ぎ早に繰り出される双子の質問に、彼はにこにこと笑いを絶やすことなく答えてくれている。まだ帰宅して半日も経っていないのだからと子供達をたしなめる愛妻に、当の本人である彼が「かまわない」と子供達の相手を買って出ているのであれば、彼女は心配にその美しく繊細な表情を曇らせつつも見守るしかできない。

 本当はもっとゆっくりと体を休めて欲しいのだけれど……。

 それでも、それは我侭かもしれない、と彼女――アレンは思いもしてしまうのだ。だって、本当は子供達ではなく、きっと自分をかまって欲しくて仕方ないのだから。
 久しぶりに彼に会えたのは彼女も子供達も同じことだ。そして、彼に会いたかった気持ちも、彼を大好きな気持ちも、その大きさに優劣をつけることなどとうていできはなしない。ならば、身を引くべきは母親の彼女である。少なくとも、アレンはそのように考えていたし、行動した。

 居間で楽しそうに話し続ける父と子を横目に、アレンは夕食の支度へと取り掛かるべく、エプロンを身に着ける。今日は夫と子供達、双方の好物を並べてあげることを決めながら――。





 世界を記録していくことが、ブックマンとしての彼の生業。一つところにとどまることをせず世界中――とりわけ時代の動くその瞬間に居合わせる彼の中には、云えることから云えないことまで様々な情報が秘められている。
 彼が子供達に披露しているのはもちろんそれら記録の数々だ。もっとも、それらは取り立てて重要なことなど何もない。誰でも知っている些細な事実の数々だ。
 いろいろな国の名前、位置、風土。文化や習慣などを、まだ幼い子供達が飽きさせることなく話して聞かせている。その楽しそうな会話を、アレンは料理の手を休めることなく聞きながら、いつも胸の奥に小さく訪れる痛みに人知れず瞳を伏せた。

 彼が知る様々な歴史。これから彼が記録していく数々の歴史。アレンは、彼がそれらの只中にいる瞬間を知らない。それらの中で何か思い、何を感じたのか。
 彼の中にすら残されぬそれを知る術は、アレンには当然ない。今までも、これからも、ずっと――。





「アーレン、どーした?」
「……」

 彼がアレンを後ろから抱きしめてくれる。アレンはその腕に手を添え、思わず呼びそうになる彼の名を唇を噛み締めることで抑えた。
 子供達はすでに夢の中の住人で、明かりの抑えられた部屋は暗く、彼の呼吸音までが聞こえるようにアレンには感じれられていた。

 いつもは一人だ。たとえ彼の残り香を感じることができたとしても、それはあくまでも彼の残り香。つまり、そこに彼はいないということ。
 双子の子供達は明るくて、どちらもとてもいい子だ。周囲の人たちも素敵な人たちばかりで、明るい声に囲まれて淋しさを感じる暇さえない。それでも、一人なのだ。
 彼が触れられるところにいる。皮肉なことだとアレンは思う。そのときこそが、自らが常は一人だということをまざまざと感じさせられてしまう瞬間などとは。

「なんでも…ありません……」

 けれどそれを彼に告げてどうするというのだろう。アレンはただ首を横に振るだけだ。
 頬に感じる彼の体温に、胸の奥が痛むのを感じた。

「ウソ」
「……本当です」
「…じゃあ、なんでこっちを見てくんないの?」
「それは……」

 言葉に詰まるアレンに、彼は出会った頃から変わらぬ笑みを作る。

「アレン。オレは、アレンの旦那さん、なんさ」
「……っ、僕は、淋しい、です」
「……うん」
「あなたがいないことが…あなたのことで、知らないことがあることが、すごく、すごく淋しいんです」

 それは今だから感じるものではない。ずっと、それこそ彼と出会った頃から感じていたものだ。醜い感情なのかもしれない。
 彼とアレンが出会ったとき、彼にはすでにたくさんの出逢いがあり、アレンは彼について知らないことの方が多かった。それを思い出すと――それはいつだってふとした瞬間、あまりにも唐突に訪れる――心に大きな空洞が開いたような気持ちにさせられる。

「アレン」
「はい」
「オレも、アレンのことで知らないことだらけさ」
「聞いてくれれば、いつだって話しますよ」

 アレンは少しだけ微笑う。彼の眼差しもやわらかくなった。
 ほんの少しだけ、二人の周囲の雰囲気がやわらかくなる。何かが溶け出すように、流れ始めていた。

「手紙でも書きますか?」
「う〜ん、別にさ、オレのことは、アレンだけが記憶しててくれればいいんさ」
「じゃあ、僕だけの秘密にします」
「じゃあ、アレンのこともオレだけの秘密さ」
「子供達にも内緒で」
「夫婦の営みを知るにはまだあいつらには早すぎるデショ」

 アレンがくすくすと笑い出し、それはやがて大きくなる。彼はそれの微笑ごと、彼女を抱きしめた。このまま、互いの体をもっと寄せ合うか否か。
 それが、ほんの少しむずかしいタイミング。夜は、これからさらに更けるのだから。





 二人の体が溶けて交じり合うほどになれば、溺れた彼女はその名を呼ぶ。我知らず。
 そうして彼は悦びと切なさに眉を寄せる。自分の生の証しが、彼女の中にある。そのことに。





 双子は互いの顔を見合わせた。キッチンへと続く部屋の扉の前。壁の影に隠れるように立ち、そっと顔を出して伺い見やった母の後姿に、首を傾げていたのだ。
 いつも優しい母の機嫌が、どういうわけか今日はよりいっそうよろしいらしい。双子はどちらも優しくて暖かな母親が大好きだったから、彼女が嬉しそうにしているのはむしろ大歓迎だ。
 けれど、なぜ機嫌がいいのかが分からない。だから双子は顔を見合わせ、揃って首を傾げた。

 ぱちぱちと瞬きをするタイミングまでまったく一緒。これが俗に云う双子の奇跡なのかどうかは、実は当の本人達にしてみればまったくわけのわからぬことである。
 別に示し合わせてやっているわけでもないし、狙っているわけでもない。当たり前のこと。あるいは偶然からだが二つに分かれて生まれてしまったようなものだから、自分の考えと異なる仕草をされたりすれば、どうにも腑に落ちないものを感じるだろう。自分の思った通りに――自分の意志の通りに、体が動かないのだから。

 しばらく考えて、双子はやはり同じタイミングで同じ笑顔を作った。考えることを放棄したのだ。
 理由はどうであれ、大好きな母が嬉しそうにしているのは、自分達にとっても嬉しいことだし、まして家族の幸せだ。家族の幸せは家中に伝染する。双子達は喜びに心弾む衝動のままに駆け出した。
 小さな足が向かうその先は、当然母の元だ。揃って母の背中に体当たりすれば、母親は突然の衝撃に僅かに驚いたように瞠目するも、すぐにその原因に気づき笑みをみせる。
 振り返った彼女の瞳はやわらかく、銀灰色のそれに写るのは愛しき我が子らだ。一生懸命に母に瞳を向けてくる二対の瞳が、きらきらと喜びに輝いてるのを眼にして、アレンは小さな笑みを零した。

「ねぇねぇ、おかあさん。いったいなにがそんなにうれしいの?」
「おしえて。ねぇ、おしえて」

 期待に胸を膨らませている子供達に、彼女は口元に人差し指を立てて云った。

「ふふ。これは内緒よ」

 彼女の白く細い指が、赤く容(かたち)の良い唇の前に置かれている様を見れば、世の男なら誰もが見惚れずにおられないだろう。けれど今は年端の行かぬ子供達に向けれられているのみだ。
 子供達は僅かに頬を膨らませて母を責める。

「えぇー。なんで、どうして?」
「おかあさんだけ、ずるいよ」
「ずるいよー」

 そこに不穏な空気は一切ない。子供達の好奇心は、母の手の中にちらりと見える紙片を見つけた。けれど、母の服を掴む小さな手がそれに伸ばされることはない。
 母の纏う雰囲気はいつになく――それこそ父が帰ってきていてさえ感じられぬほど温かく心地良いものであるので、ただそこにいるだけで幸せに心が満たされる。

「だーめ。これは、お母さんだけの秘密」
「「えぇー」」

 子供達の声が響き、蒼い空は高く澄み切っていた。
 母の幸福に満ちた微笑みが、世界を優しさに包まれているのだと感じさせていた。
 その小さな紙片がやがて灰となり空に昇るのを、彼女は瞳を眇めて見送り、眩しく輝く陽光に、それは溶けて消えていくだけ―――。







あなたの辿ったも何もかも、私のこころにあればいいのに。










こめんと
 ひっさしぶりすぎる更新ですみません。いろいろと考えた結果、原作をさくっと無視することにしました、アレンの左腕がないなんて今さら…どうしろと?
 実は随分前…それこそ7月には話が浮かんでいたのですが、形にするまでに一ヶ月以上掛かってしまいしました。ただの不精です。すみません。ちなみに一ヶ月経って書き出した瞬間から話が元々考えていたものと変わりました。元のタイトルは「あなたからの恋文」で、ラビからアレンへ手紙が来て、アレンが照れながらも喜ぶという…。いや、最後の方にそれも入ってるんですが。それにしても双子達が幾つなのか決めてないので、いつも台詞の変換に困ってます。
 ああ、それにしても今回は(いつもか?)場面が上手く繋げられなくてぶつ切りだよ…(凹)。
 ご意見ご感想お待ちしております_(c)ゆうひ_2005/08/26〜29
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