七五三
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「ただいまさ〜」 どこか疲れた声を響かせて二ヶ月ぶりの帰宅をした夫の様子をいぶかしく思いながらも、久しぶりの――いつものことだが今回も突然の――帰宅に弾む心がないはずもなく、アレンは玄関へと急いだ。足元には小さな双子の兄弟がまとわりつくように、久方ぶりの父親を母親と一緒に迎えようと足を懸命に動かしている。 それら双子を蹴飛ばさないようにと注意しながら玄関に辿りつくと、そこには隻眼の瞳にも疲れの色を滲ませた愛しい男の姿があった。いつもならばどんな強行軍をとって帰ってきても、嬉しさを体全体から放ちながら癒えの扉を開けるというのに。 「おかえりなさい。…――いったい、どうしたんですか?」 ―――っ。帰宅を喜ぶ言葉の後に続けそうになって、声にならなかった言葉を飲み込み、アレンは軽く首を傾げた。白銀に煌めく長い髪がさらりと揺れた。 「――っ」 「おとうさん、おかえりなさい!!」 「おかえりなさい!!」 アレンが常とは異なる夫の様子に手を伸ばそうと口を開きかけたときだった。ようやく追いついた元気な声が二つ、バタバタと騒がしい足音と共に玄関には駆け込んでくる。 声をかけるタイミングを失して、アレンは唖然とした後に苦笑した。おみやげを強請り父親の周りをぴょこぴょこと跳ね回る二人の我が子が相手なのだ。怒りが湧こうはずもない。 「ほら、二人とも。お父さんは帰ってきたばかりで疲れてるんだから。お土産は後でね。リビングに行ってから」 「え〜。おとうさん、つかれてないもん」 「そうだよ、あかあさん。おとうさん、いつもつかれてないって、いってるもん」 「はいはい。でも玄関だと狭いから。――あなたも早く上がってくださいね。すぐに食事の準備にしますから」 「サンキュ、アレン」 妻の優しげな微笑に、男も笑顔を見せる。いまだ疲れた表情が消え去ったわけではなかったけれど、それが深刻なものではない証だ。 そのことにほっとしながら、アレンはラビが持ち帰ったいくつかの荷物を手分けして家の中と運び入れるために腕を伸ばす。細く白い腕は見た目に反してかなりの重労働もこなすが、それでもその折れてしまいそうにか弱く写る腕に負担が掛からぬようにと、男はさっさと重いもの、大きなものを自分の腕で持ち上げてしまった。 持ちやすい、たいして体積のない荷物が一つだけ残される。まるで当たり前のように行われるさり気ない配慮に、アレンは胸中で苦笑した。 まったく。いつまでたっても、彼の優しさ、そしてアレンを甘やかす態度は変わらない。いつだってこの男はアレンアレンを甘やかな湖に浸らせて起きられなくさせるのだ。 リビングに入れば先行してた双子が、それぞれ好き勝手に荷物を漁り出していた。そこにラビも混じって大賑わいを見せるのに苦笑してから、アレンはそれらの中から旅で汚れた衣服や道具を拾い集めていく。きれいに洗って、またいつでも男が気持ちよく出発できるように用意しておかなければならない。 「おとうさん、これなぁに?」 「へんなの。ぬの?」 「ぬのだよ。おおきいね」 「でもおふとんよりはちいさいよ」 「へんなかたち」 「おかあさんのおようふくみたいだね」 「あ、ほんとだ!」 「でもちいさいね」 「ちいさい〜」 子供たちが何か珍しいものを見つけたらしい。首を傾げている様子はいつものことだが、今度はいったい何を見つけたのかとアレンもそちらへ視線をやった。 「どうしたの?」 「あ、おかあさん」 「これ、おかあさんのおようふく?」 「おようふく?」 「え?」 子供たちが両手に掲げて見せてきたものは、紺色のスカートのような台形をした布だった。手にとって見ればやはり衣服のような形状で、けれどあまりにも小さい。アレンが穿けばかつてのリナリーが身に着けていたかのような男の憧れ『ミニスカート』どころではなくなるのではないだろうか。 「お、それもう見つけたんか」 「なんなんですか、これ」 ひょいとばかりに覗き込んできた男に、アレンは訊ねる。男は軽い調子で答えた。 「ああ、袴さ」 「hakama?」 「そ、ユウに貰ったんさ」 「ユウ…って、もしかして、神田のことですか?」 「そうそう。ユウの故郷の民族衣装だってさ」 なんでも日本へ行ってふざけ半分訊ねたらしい。年齢が近いこともありアレンと出会う前から親交のあった二人。互いの性格を知り尽くしたかのような交流に、幾度となく嫉妬させられたのは、胸の中にひっそりと今も燻ぶっている。 明かせば黒髪の友人は常の参割り増しの勢いで眉間に皺を寄せた嫌な顔をし、肝心の夫の方は楽しくて仕方がないといった、何かたくらんでいそうな笑顔を作るに違いない。そしてそれをネタにからかわれ、アレンはまたも男の異のままに振り回されて顔を赤くするに決まっているのだ。 それはそれでとても甘い時間ではあるが、その恥ずかしさと心労を考えたら、アレンは自分ばかりが損をしているような気分にさせられるので、できれば避けたいところだった。 男はそんなアレンの様子に気づかぬ様子で話し続ける。 「せっかくだからと思ってさ、ここぞとばかりにアレンとダブルリトルズのかわいさっぷりを自慢してたら、お説教されちゃったんさ」 「お説教…ですか?いったい、なんて……」 「ん〜。父親なんだから、いつもいつもふらふらしてないで、たまには子供たちのために何かしてやれ〜って、感じ?」 「知りませんよ。何で疑問系なんですか。――でも、家にいないのは理由があってのことですし…」 「わかってるけど、そういうわけにはいかないでしょ。『おとうさん』なんだしさ」 「……」 もしかして、彼にとっては重荷になっているのだろうか。アレンは思わず言葉をなくす。 仰向けに倒れこんだ男の顔から僅かに視線をそらし、アレンは自分の思考へと沈み込んでしまった。 出会った頃から、アレンは彼のペースに乗せられっぱなしだ。甘い言葉と優しいぬくもりに蕩かされ、その子を身篭ったときの陰気な喜びを、なんと表現すればいいだろうか。掴み所のないその男を、自分に繋ぎ止めたと確信したときの、あのえもいわれぬ暗い喜びを、なんと表現すればいいというのか。 子供たちがいてもいなくても、彼が向かうところ、どこへだろうとついていくつもりでいた。どんな危険だろうと意に介さない。どんなことだろうと、過去に乗り越えてきたそれらと同じく乗り越えていく。その覚悟もあった。子供ができて、常に彼の隣にいることが確実になると信じた。 けれど彼の言葉は逆のもので、彼が『永遠の愛』をくれたことへの喜びと同時、置いていかれる悲しみに心に穴の開くのを感じた。今もなお、感じ続けているそれが消える日は、いったいいつ訪れるのだろうか――。 そのままさらに暗く沈み込んでいきそうになる思考をむりやり止めようと、アレンは努(つと)めてリアクションを大きくとって反応を返した。 「それで、これ…ですか」 「そう、これ」 アレンが広げて見せたのは紺色も鮮やかな件(くだん)の『袴』だ。男が頷いた。 男が話すところによれば、二人の友人の故郷では三歳、五歳、七歳のときに子供の健康を願うと共に、無事にそれぞれの年齢にまで成長したことを祝っての儀式を行うとのことだった。 男の子は特に五歳のときに盛大に祝うとのことで、袴は大人の正式の場での衣装で、袴を穿くことは成人儀礼でもあるらしい。もっとも、過去の実態はどうか知らぬが、現在はもちろん五歳で成人扱いなどしなかったが。 普段近くにいてやらないのだから、せめて健康ぐらい祝ってやれ、ということらしい。文句を言いつつも面倒見のいい友人らしくて、アレンはクスリと微笑った。だが次の瞬間にはことりと不思議そうな表情を作り、再び首を傾げる破目に陥る。 背後では新しいおもちゃ見つけたのだろう。双子が自由気ままに騒ぐ様子が、どこか遠く聞こえていた。 「それで、これはどうやって祝うものなんですか?」 「……さぁ。なんか怒涛の勢いで渡されて一方的にがなられて…聞き忘れたさ……」 「……」 「……」 …………。 それから二人はかつての仲間の好意(?)に報いるために、どうにかこうにか祝事の方法を調べ上げ、無事に事なきを得た。 その折にこの祝い事は女の子のためのものもあると知ったアレンが、お祝い事だと騒ぐ双子の兄弟を優しい目で見つめた後で男に云った。 「ねぇ、あなた」 「ん?何さ、アレン」 「あのね、女の子、欲しくないですか?」 「えっ…?」 軽やかでありながらもどこか魅惑的な微笑を浮かべる奥様に、旦那様は言葉もなくただ呆然と固まるのだった。 |
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こめんと |
ちなみに三歳は「髪置」、五歳は「袴着」と云います。平安時代に公家で始まり、江戸時代に武家社会を中心に広まり、やがて庶民へ定着し、「七五三」と呼ばれるようになったのは明治頃からだそうなので、「七五三」という名称を本文中に出さなければありかな〜…と。少なくとも邪馬台幻想記では使えないだろうなー…と必死で扱えるジャンル考えました(笑)。ちなみに三歳の髪置は男女の区別はなかったようですね。五歳の袴着も、女の子も袴を穿いていた王朝時代は女の子も一緒にお祝いしていたようですし。でも王朝時代って綿密に云うとどれくらいでしょうか。 さてさて。双子は妹を得ることになるのでしょうか。ラビは奥様(アレン様)の期待にこたえることができるようでしょうか(大爆笑)。ちなみに次に身篭った場合は、アレンは大きなお腹を抱えてラビの旅についてく気満々ですよ。当然のことですが双子の子守はラビです(弱ぇッ)。双子の相手なら、ラビも別に嫌がないだろう気がしますが。 ご意見ご感想お待ちしております_(c)ゆうひ_2005/11/10 |
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