云えない言葉
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「今度は日本、江戸かぁ…」 船の縁に頬杖をついて、ラビが呟く。眼前に広がるのは青い海と碧い空ばかりだ。水平線の向こうには、まだそれらしい影も見えない。 噂によると、場所によっては陸からその国の姿を見受けることのできるところもあるらしいが、どちらにしても、余程空気が澄んでいるときにうすぼんやりと島の影が見えるだけだというから、見えたところで気づけるかどうかはあやしいところだ。 「……」 「……」 しばらくの沈黙が続き、その沈黙の主たちの正体は隣り合って海を眺めていた。少なくとも、片割れは。しかしその片割れは沈黙したくてしているのではない。話しかけられない雰囲気が、己が隣よりぴしぴしと伝わってくるのだ。 片割れ――先ごろ声を発したラビだ――は米神から嫌な類の汗がすっと流れるのを感じた。 ゴンッ! そしてやがて訪れたのは空気が揺れるような衝撃と共に鉱物を思いきり叩きつけたような音。アレンのイノセンスが発動し、その赤い左腕が巨大化している。拳骨を作ったその手の下には、首に頭をめり込ませたラビの脳天があった。 在りし日(食人花に喰われかけながらもエリアーデにめろっていたとき同様)の拳骨(平手チョップだっけ?)再び。 「いっってーーー!!」 目尻に涙を浮かべながら、両手で頭を抑えるラビの悲鳴に、アレンは素っ気なく返す。その瞳は悟りを開いた賢人よろしくそっと伏せられていた。 「自業自得です」 「なんで!?」 「アニタさんに見惚れてました。『ストライク』って思いっっきり書いてありましたよ」 「ええ?!だって、あれはジジィもクロちゃんもリナリーも、アレンだってそうだったじゃん!!なんで俺だけ!?」 「僕らは『ストライク』じゃありません。『純粋』に、アニタさんの美しさに感動して見惚れていただけです」 「俺だってそうだって!」 「……『ストライク』」 アレンはぼそりとそれだけを繰り返した。そうとう気に障ったらしい。 さらに追記すると、アレンは上記の会話中、一度たりとてラビに向き直っていなかった。視線の一瞥さえ向けていない。 半眼無表情のまま、まったく表情が動く気配を見せない。 ラビの喜怒哀楽のはっきりとした声音に比べ、アレンのこの抑揚の無さはかなり怖ろしい。 「ラビはきれいな女の人なら、誰でもいいんですね」 「うん」 アレンが云い、ラビが笑って答えた。アレンがどのようなことを思い、どのような表情をするかをわかっていて、わかっていたからこそ、笑って答えた。 案の定、アレンは傷つき、その表情が切なく伏せられる。きっと、彼は心のどこかで、ラビが否定の言葉と弁解の台詞を必死の態(てい)でアレンに与えてくれることを期待していたはずだ。 ラビはアレンの不憫さを思って苦笑する。アレンは、自分の心が抱く淡い期待にさえ気づかないまま、ただただ傷ついている。 期待を裏切られて傷つくことを恐れるあまり、自分の希(ねが)いにさえ気がつけないまま――、鈍感に、傷を心の泉の奥深く。蓄積させていく。 「ホントにさ、美人でナイスバディな女の子なら、俺は誰だっていんさ」 「…はい」 肩を竦める雰囲気でラビが言葉を紡ぐのに、アレンは言葉を返すのだ。返さずにはいられないその律儀さに、ラビは僅かに眉根を寄せた。 きつく、きつく、何に耐える必要があるというのだろうか。ラビから顔を背けたアレンの右手が、左腕を掴んで握り締めていた。 本当に、いったい、何を堪(こら)えているというのか。 けれど、ラビはその答えを知っている。だから、やはりこれも胸中で、仕方がない子供を思って笑った。仕方がないなと諦め半分、残りは切なさが占めていたかもしれない。 「で、アレンは全っ然それに当て嵌まらない」 「…はい」 もう止(や)めてほしいと、噛み締めれた唇が叫んでいた。 もう聞きたくないと、震える体が訴えていた。 それをはっきりと受け止めて尚、ラビは言葉を紡ぐ。アレンのプライドに感謝して、その憐れさに目を眇めた。 彼は、その自尊心ゆえに、耳を塞ぐことができずにいる。 「ねぇ、アレン」 「…はい」 「俺はさ、誰でもいいんさ」 「…は、い」 どんどん小さくなっていくアレンの声と、確実に涙へ近づいている彼の心をまっすぐに見つめながら、ラビは諦めに苦笑した。愛しさに切なくなった。 「きれいなお姉さんと遊ぶのは楽しいし、いつ分かれても痛痒ないし、むしろ突然俺の方から音信不通になるのが当たり前だったし」 ただの遊びなのだ。性欲をそそられる美しい女性と一時交わって、ストレスを発散するような。退屈で緊張に溢れた日常の自堕落な一時。どちらかといえば、それはリラックスや憩いの時間といったものに分類できるかもしれない。 「だからさ、アレンは、アレンじゃなきゃダメなんさ」 「……え?」 思いがけない言葉に、アレンは思わず顔を上げた。ラビが何を云ったのかが、よく理解できない。視界に収めたラビの微笑は、とてもやわらかかった。 呆然と見つめるアレンに、ラビは心持ち口端を持ち上げて笑みを深めた。それからおもむろに口を開いた。 「女の子なら誰でもいいけど、アレンは、アレンじゃなきゃダメなんだよなー。で、本気はアレンだけ」 腕を伸ばして、その体を胸に抱き込む。未だ呆然としたままのアレンの体はいとも簡単に引き寄せることができ、ラビは内心でほくそ笑んだ。いつもなら、ひねくれものの彼はかならず僅かながら抵抗を見せるから。 「アレン、愛してる。アレンだけ」 胸に抱きしめたアレンへ、アレンだけに聞こえればいい。小さく、優しく囁き、囁き続けた。 彼だけに、深く、深く、伝わればいい。 伝わればいい。 彼の心の奥、深く、泉の底、深く。 じっくりと、シチューを煮込むように、とろかすように、浸透してしまえばいい。じわりととろけてしまえ。彼に。彼に。 「まったく。どうして、ラビは、いつも、いつも…そんなに簡単に、そんなに恥ずかしいこと、口にできるんですか…」 一言一言を区切るようにアレンが云う。まだ少ししゃくりあげているその声は、確かに笑っていた。安らいでいた。 だから、ラビはにっと笑って――別に、その表情はアレンに見えやしないけれど、感情は表情に素直に現れる性質(たち)なので――底抜けに明るく感じられる声で答えた。 「あったりまえさ。こーんなことくらい、いっくらでも云えるさ」 こんな言葉くらい。 自分の気持ちを一方的に相手に伝える言葉など、伝えればいいだけの言葉など、いくらでも伝えられる。形にできる。 いくらでも、いくらでも。 たとえ――。 「たとえ、アレンが嫌だっつっても、云い続けるからさ、覚悟しとけな」 ラビが笑い、アレンが返した。その口端が小さく持ち上げられていたことを、瞳が心地良さにそっと伏せられたことを、ラビは知らなかったけれど。 「はい…」 充分に、アレンの喜びは伝わった。 自分の思いならいくらでも伝えられる。 あなたが嫌がっても、伝える。 云えないのは、云えないのは…――。 日本で…江戸で、いったい、何があったの? それは、まだ訊ねることのできない言葉。 音にすることの許されない疑問。 いつか、そのすべてを知ることができるのだろうか。 あなたの、歩んできたすべてを、受け止めさせてもらえる日が来るのだろうか。 願わくば。 それが、あなたの口から語られますように。 言葉にできないのは、あなたを問いただしたい私の独占欲。 |
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本誌見て即行浮かんだにもかかわらず、あまりの時間のなさに書き上げられずにほったらかしになっていたものです。江戸でのお話が本編で出ちゃう前になんとしても上げて逃げてしまいたいと思い、急いで書き上げました。本当はアレンを女の子にして裏に回しちゃって、この話が(本誌を土台にしていながら)本誌と掛け離れたものになったときに、裏に回す手間が省けるな〜とか思って。 ここの場面はクロちゃん視点でも書けそうなので、ネタを忘れないうちに形にできたらな〜と思っています。おそらく無理ですが…。 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2005/05/30_ゆうひ |
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