欺いていたとしても、ゆるせますか
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ただ流れに乗って。ただ流れるままに。ただ流れてきただけ。 私は何もしていない。 自分からは何もしていない。 いつも、何かに嘆いていた。 いつも、何かを待っていた。 けれどいつも、ただ待っているだけだった。 そしていつも、目の前に現れた現実に従うだけの。そんな私。 「アレンは働きもんさ」 ある日ラビが言った。アレンは背中にラビのぬくもりを感じながら、そっと瞳を伏せた。 アレンの肩にまわされたラビの腕は逞しく、アレンはその腕にそっと触れた。何かに縋りつきたかったのかもしれず、縋りきることはできなかった。 彼に誤解されたままでいるのは辛く、けれど醜い自分を曝け出すのはあまりに怖ろしく。 口をついてでたのは、自分の性格をあまりにもよく反映した、曖昧な言葉。 「…そんなこと、ないですよ」 「頑張りやさんで」 「……」 「優しくて」 ラビの声が優しく鼓膜を振るわせる。 アレンは返す言葉も見つからず。 後に来るはずの決定的な言葉に身を構える。耳を塞げばすぐ後ろにいる彼に訝しがられてしまうから、代わりにぎゅっと目を閉じて。 衝撃に、備える。 「いい子」 ラビの評価に、アレンは閉じていた瞳を僅かに開け、戦慄く体の衝動のままに、再び閉じた。視界に写ったのは、薄く翳った見慣れたシーツ。白く汚れのないはずのそれが、ぼやけた視界に波打って見えた。 深く息を吸い込むように、衝撃は全身からゆるやかに抜けていく。胸の中心を貫いた矢は、事前に備えた盾が防いでくれた。 矢は盾を突き抜けて、胸に僅かな傷をつきはしたけれど、命をとすほどの致命傷にはならない。顔を顰めて、けれど涙を流さずにすんだのは、このおかげだ。 ラビに、不審も心配も、ましてや幻滅を与えることもせずにすむ。せずにすませたい。 嫌われたくない。 繋いだ手を離されたくない。 棄てられたくない。 けれど、それらを言葉にすることはしない。行動に現すこともしない。 だって、自分から動くのはとても勇気のいること。 ただ怒鳴られるままに見捨てられるのでも、ただ頷いて従うのでも、ただ差伸べられた手を取るのでもなく。 願いを叫ぶこともせず、ただ胸の奥に溜め続けていた。 ゆっくりとそれらを曝け出し始めた私。 けれど、本当にそれを伝えたい人々にはやっぱりただ黙したまま。 小さく丸くなり、影でこそこそと笑っている。 母に棄てられたとき。悲しかったけれど、泣きも縋り付きもしなかった。喚けば何か変わったのだろうか。 一人で生きていたとき。辛かったけれど、死んでいないから仕方なかった。何もないけど死なない程度には十分に生きられた。 養父に拾われたとき。なんだかよく分からなかったけど、差伸べられるままにその手を取った。その判断が自分にとって幸福を招くかどうかなど、考えもしなかった。意味さえわからなかったから。別に自分から何をしたわけでもなく、つまり、自分は運がいいということなのだろう。 養父が亡くなった。色のない世界で、それだけが聞こえた。自分の世界のすべては養父であり、世界のすべてが崩れた自分に、他の何が希望になり得たのだろう。きっと、そのとき自分は食われてもいいと思っていて、ただ養父があのように嘆きと怒りの中に身を置いていることに、戦慄いていただけだった。だって、自分はまだ生きていて、それはつまり、ただ生きているだけであるということだったから。 エクソシストになった。絶望の中にいて、それしか道がないだけだった。生まれたときに、左の腕を肩から切り落としていたら、どうなっていたのだろう。左の眼を抉ることなど、できもしないのに。 誰かを救いたいと叫んでいる。戦っている。生まれたときから、けっきょくそうなる運命しか自分には用意されていなかっただけのことなのだと思う。 ラビに出会えた。愛する怯えと幸福を知った。そして、やはり自分は運がいいのだと感じ、それだけで生きてきたのだと自己嫌悪に陥っている。自分からは何もしない、こんな卑屈な自分が、彼に愛されている。彼から「一番」だと云って、抱きしめてもらえる。 「だって、仕方ないじゃないですか」 アレンは呟いた。赤い肉塊のような左の手。 「僕は、自分からは何もしてないんです」 ただ濁流に飲まれ。目の前に現れる滝を、為す術もなく落ちていくだけ。 誰にも死んで欲しくない。痛い思いをして欲しくない。どんなに切なくとも、そこに一握りでいい。幸せを掴んで欲しい。こんなに弱くて醜く罪深い私であって、けれど。せめて、誰かをほんの少しでも、地獄から救い出す小さく細い糸であれたら――。 そう思う心すら、ただ流され続けてきた結果でしかない。 「ラビ、僕は――」 「アレン」 アレンの言葉は、ラビの呼び声に遮られた。 後ろからぎゅっと抱きしめてくれるラビのぬくもりに、アレンは泣きたいくらいの切なさに襲われる。 胸が締め付けられる思いとは、きっとこのような思いをいうのだろう。 「アレン」 ラビが語る声は、アレンの心で絶えず漣立つ振るえをゆるやかに抑える効力を持つ。台風の近づいてきている時の如き海なる様の心は、ラビの声音が聞こえることで、台風が遠ざかるのを感じ取る。 そうして、振るえる波は凪いでいく。 「アレンはいい子さ。誰がなんと云おうと。とっても優しいし、誰よりも頑張りやさんさ」 だって、あなたは誰かのために涙を流す。 いつだって、誰かの痛みに涙を流し、誰かの涙に怒りを見せる。 そうして、心をふるわせる。 「でも、僕は、いつだって、ただ思うだけ、なんです…っ」 小さくしゃくり上げ始めたアレンの頭を、ラビは慰めるように撫でた。肩を震わせて、くちびるを噛み締めて。 アレンはラビの腕に縋った。震えを止めたかった。涙を流したくなどなかった。それを耐えるためにラビの腕に縋り付き、けれど本当は、ただ、淋しかった。 何かを抱きしめるのは、きっと、とても安心できる。縋れる誰かがいることが、何よりも暖かく、切なく、苦しい。 「アレン、あのさ、そういう風に思えることが、きっと、一番大切なんさ」 ラビの言葉に、アレンはただ涙を零す。震えが止まり、ラビの腕に縋るアレンの手に力が篭もる。 ラビはアレンを抱き寄せた。右手の甲に、さらりとアレンの前髪が触れていた。アレンの指が食い込んだ左の手首に僅かな痛みが走り、それさえも、あまりに甘すぎた。 誰だって、自分の人生のすべてを自分で積極的に選択してきたわけじゃない。何かに突き動かされて、どうしようもなくて、駆け抜けて辿り着き、今、そこに佇んでいるものも少なくはない。 誰だって、初めから今の自分であるわけじゃない。目の前に叩きつけられた何かに踏みつけられて、あるいは突き崩して、今の自分になった。 何かを選択するときに、自分が何も考えていないはずがない。何もしないことさえ、きっと、幾つもの選択肢から選び取った、自分の結果。歩んできた人生。そのすべて。 自分の犠牲を厭(いと)わない、誰も傷ついて欲しくない。みんな、助けたい。 それもまた、あなたの心が上げる悲鳴。あなたが歩んで築き上げてきたあなたの欠片たち。零れるように降り注ぐ、星の煌めきたち。 涙を流すことしかできぬとあなたは云うけれど。涙を流すことすらできなかったあなたがいたことを、私の心が気づいてる。 あなたの叫びはちゃんと私に届いてる。 本当は、もっと早くに聞きたかった。 「アレン。俺は、アレンがアレンであるすべて、愛してるんさ」 君を構成するすべてのもの。 聖も負も。 明も闇(あん)も。 優も怒りも、すべて――。 「アレンは?アレンは、俺の全部、愛してくれる?」 背中にあるぬくもり。 手の平に感じる嗚咽。 甘くて切なくて。 そこは、二人だけの世界。 アレンは瞳を閉じた。 何かかが胸の奥から込み上げてくるのがわかる。 その何かすべてを込めて、アレンは口を開いた。 「はい――」 アレンを抱きしめる腕に、力が加わった。 人は美しいばかりではいられない。 けれど、そのすべてを受け止めて、受け入れてくれる――愛してくれるあなたがいる。 君は一生懸命だよと、あなたは私を褒めてくれる。 君の心は優しくて、君の心は温かいと、強いあなたは微笑ってくれる。 ただ流されてきただけの私は、あなたのその言葉に、あるいはそれが真実ではないのかと…錯覚する。 まだ何もしていない私。 まだ何も為していない私。 叫ぶことすらしなかった私。 それでも在(あ)る願いのために、せめて涙だけを流し続けてた。 |
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微妙に不発。やっぱり集中力が欠如しているときに書いても、たいした文章には仕上がりませんね。 これは書こうとしていることと、アレンというキャラクターが上手い具合に私の中で昇華できなくて苦労しました。アレンとシンデレラが上手く重ならない。だって、原作でのアレン(特にエクソシストとして描かれているアレン)は、いつも「こうしたい」って、一生懸命に生きて、戦っているから、 なので微妙にお題と話がずれました。アレンが一方的にラビを欺いていると思ってる〜ということが、もう少し書けたらと思いましたが、アレンって隠しごとすら積極的にできないっぽいし…。聞かれなきゃ話さないってところはありますが。そんなわけでかなり不発。ダメダメ。4日もかけてこんなものしか…。 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2005/06/21_同日改訂_ゆうひ |
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