だからもう忘れてください 







あなた。そして何も知らない私。いづれ出会うことがあるのでしょうか。







 忘れることの定められた記憶なら、はじめからから得られなければよかったのにと。いつの頃から、そのようなことを思うようになったのでしょうか。
 誰もそんな感情は持ちえておらず、だから私の気持ちを解するものなど誰もいない。

 来るな。
 来るな。
 来るな。

 なぜこんなにも月が巨大に輝いているのか。
 なぜこんなにも月の近くに私はあるのか。

 来るな。
 来るな。
 来るな。

 思い、けれど、向かっているのは私。
 近づいているのは私。
 変わって遠ざかっていくあなた。
 大切なすべて。

 離れたくない。
 まだそちらへ行きたくなどない。
 まだ、私はまだ、……。

 どれほどの切実な思いで、私の心が叫び声を上げようとも。
 ふわりと、羽のような軽やかさで降りかかる羽衣が、叫び声を上げ続ける私を暗い暗い牢獄へと追いやっていく。
 やがて瞳を閉じて、私は最後の泪を流す。
 零れた一滴の泪。
 それと共に、あなたの愛した私は消えて。
 私の知らない私が生まれる。

 ではいったいなんのために私は生まれ、生きてきたのか。
 そんなことを考えてはいけないというのなら、もう忘れてしまいなさい。

 あなたの愛した私は暗い牢獄で、その奥深くで、永遠に叫び続けるのでしょう。
 あなたを求め、檻の中からそれでも腕を伸ばして泪を流し続けるでしょう。
 いづれ。
 いづれ私の声があなたに届くことを夢見てる。そんなことではなくて。
 いづれ、あなたに再び会える時のくる微かな希望に縋ってる。私。
 けれど翁と嫗が云いました。
 せめて老い先短い私達がいなくなるまでは、と。

 私の知らない私が、己の知らぬ己の慟哭に胸を突付かれ続け、顔を顰める。
 そして云う。
 もう短い生(せい)の彼らは存在しないのだから。
 だからもう。はやくもう。忘れてしまいなさい。
 お願いだから、忘れてください。
 そして、お願いだから私を休ませて。
 身に覚えのない切なさ。夜も眠れぬ胸を締め付ける痛み。
 この月の世界では、私以外の誰も知らないその痛み。
 誰もが私にそれは気のせいだというけれど。そんなものは気のせいだと云い、取り合わず。
 冷めたその眼に晒されながら。
 私は幾重もの痛みと孤独の中で行き続けている。
 もう解放して。
 私を私に返して。
 あるいは譲り渡して。
 あなたが手を伸ばす先には、もう何もないのだから。
 あなたに手を伸ばす誰もが、もうどこにも存在しないのだから。
 だからもう、忘れてしまって。
 お願いだから。
 もう、忘れてください……。





「見つかるさ」

 あなたのその言葉を遠く聞き、私の心が喜びに震え上がった。
 なぜ私にあなたの耳に心地良い声が響いたのか。なぜ私はあなたの私の生きるのを諦めない意思をしることができたのか。
 歓喜に震えた後で、私は、はたと気づく。そして思い至る。

 ああ、私の心だけ、あなたの隣に寄り添っている。

 なぜあなたの隣に寄り添えるのか。私はあなたの元へと歩む力すら失ったのに。
 なぜあなたは隣の私に気づかぬのか。私があなたに気づくよりも先に、いつだってあなたは私を見つけてくれるのに。
 いつ、私はあなたの隣に辿り着けたのか。その歩みの記憶がまったくない。

 思い出されるのは巨大な月。
 迫り来る月の輝きの、その景(かげ)。

 ああ、私があなたを見つけることができたのは、私が月の上にいるからなのだ。

 あなたを見つけて私は考えるよりも先に飛んでいた。
 あなたの元へ飛んでいた。
 一直線に飛んでいた。


 私はまだ、あなたの側にいたい。


 あなたは前に進むと云う。進まなければならぬと云う。
 それでいい。
 それでいいんですと、私は眠りながら微笑う。

 歩いて下さい。
 歩き続けて下さい。
 私がそうしたように、あなたもそうして下さい。

 だって、私が歩き続けたのは、あなたに教えられたから。

 白と黒。視界を失った私に、あなたが教えてくれたこと。
 たとえ一人でも戦い続ける覚悟を、どれほどの恐怖にも戦い続けるあなた達の強さとその決意を教えてくれたあなた。

 私が戦い続けることを、この道を歩き続けることを、本当の意味で決意することができたのは、あの町で、あなたが私に伝えてくれたから。あの時から、ただ運命に流されてアクマと戦う世界に身を投じた私は、自らの意思で、その道を歩き続けることを選び出した。
 歩き続けることを、それを自らで確かに選んだのということを、自覚した。掴み取った。

 だから、歩き続けて下さい。
 私のことなんて忘れて、前だけ向いて、前にだけ、進み続けてください。
 決して、私のことなんて振り返らないで。
 倒れた私のことなど、忘れてしまってください。

 前だけ見て進み続けるあなたに、私もまた前だけを見て、かならず追いつきますから。
 いつかかならず、あなたの横に追いつきますから。
 だから、忘れてしまってください。
 倒れた私のことなど、忘れてしまってください。

 いづれあなたの隣に私が立ったとき、あなたの背中を再び私に預けて欲しいから。

 私の傷など気にしないでください。
 私がもう戦えないなどとは思い描かないで下さい。
 そんなことはすべて忘れて、ただ前だけを見て歩き続けて下さい。進み続けてください。
 月の上からいつかかならず。
 あなたのいるその横へと戻ってきます。
 そしてあなたの隣に並ぶ私を、あなたの隣に立つ資格があると認めてください。

 そのために、倒れて戦えなくなった弱い私の姿など。
 傷つき血に濡れた私の姿など。
 もう私は戦うことができないと考えたあなたの考えなど。
 すべてすべて。忘れてしまってくださいね。





 たとえ黄金(おうごん)がなくとも、翁と嫗(おうな)が私を愛してくれた。その確信に満ちている。
 たとえ今、この豊かさを失おうとも、養い親は私を愛し続けてくれる。そのことを知っている。
 まだ言葉もままならない私に与えてくれた笑顔。ぬくもり。
 ぎゅっと抱きしめて離さぬと、その誓いの込められた腕の力。細くか弱いその腕で、あなた方は私を必死に守ろうとしてくれた。
 離れること以上に、忘れてしまうことが辛い。
 せめて忘れてしまうのならば、そのことさえも知らずに帰りたかった。
 私と別れる痛みの後(のち)に、私に会えぬ辛さにあなた方は泪するというのに。私は同じ思いを抱えて生きることは愚か、泪を流すことさえ許されず。
 いったい私は何のためにあなた方と出会ったのか。それを問うことすら私には許されず。
 誰も愛さないと心に誓い、翁と嫗はその誓いを常に揺さぶり続けていました。そしてあなたの愛が私のそれを崩させた。
 あなたと出会い、私は瞬間が長く長く積み上げて為してきたあらゆるものを上回り、突き崩すことがあるのだと知りました。
 硬く強固な持続の力。それが私なら、あなたはまるで疾風で。
 鮮烈な光と瞬間的な、爆発的な力で、一瞬で。あなたは私が築き上げ、守り続けきた土の楼閣を崩してしまった。
 あなたの愛が、私を消し去る羽の衣から私を守り、私は永遠に叫び続けることになる。その予感に、私は悦びと哀しみを同時に抱いてただ微笑う。
 そして最後の願いを込めて、私はあなたに別れを告げる。
 私はすべて忘れてしまう。
 あなたもすべてを忘れてください。
 私がすべてを忘れるという、そのことを、忘れてしまってください。
 そしていつかかならず迎えに来て。
 私を迎えに来て。
 そして私を連れ去って、もう一度。
 あの激しい光と熱を持ち、すべてを薙ぎ払う強力な速さで。
 私を閉じ込める檻を崩し。
 もう一度。
 もう一度、
 私と恋に落ちてください。

 だから、私の語った否定も絶望も、すべてすべて、忘れてしまってください。







不死の秘薬を渡します。いつか私を迎えに来て下さい。そして、思い出させて堕ちさせて…。









talk
 うわ!!って感じでした。57夜を見たときは!!
 56夜から、ずっと本編と重ねてこのお題を書けそうだな…とは考えていたのですが、それでもまだ本編の展開がどうなるのか様子見でいたんです。そして57夜!どうしてこう都合のいいことばかりが起こるのか、なんかとっても不思議です。だって「月」ですよ?!「来るな」ですよ?!かぐや姫じゃん!!(違)。
 これはもうお題を消化しなければならない!!と、かなり意気込みました(もはや使命感←何の?)。
 でもかぐや姫とアレンを切り離しきれなかった点が失敗かな。もうちょっと童話とリンクさせすぎずに、それでも童話を彷彿とさせるような話でお題を消化させていたきたいのです。
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2005/08/08_ゆうひ
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