薔薇の花束
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「アレンはきれいさ」 「…何をバカなことを言ってるんですか」 呆れたように云うアレンに、ラビは相変わらずの笑顔で返した。自分の意見があっさりと否定されたにもかかわらず、まったくへこたれていない。 「バカなことなんかじゃないさ。アレンは華のようにきれいさ」 「……バカですよ。華のように美しいっていうのは、リナリーとかみたいな女性に使うものです」 「アレンはリナリーが好き?」 「好きですよ。友達ですからね」 当然でしょ、と。そう云って見上げてくるアレンに、ラビは曖昧に笑うことで返した。 ――大切な仲間。大切な家族。 彼は、そういったものにとても切なく、とても温かい。 「リナリーかぁ…でも、あれでけっこうおっかないからなぁ…」 「ふふ。そんなこと云ったら怒られますよ」 美しくて可憐で、教団のアイドルである少女はとても儚い。優しくて、とても弱い。けれど、人間は愛らしいものに対して本気で逆らうことのできない情を持つ、とてもやっかいな生き物だから、愛らしい「少女」であるリナリーには逆らえない。いろんな意味で。 一つは少女本人が――イノセンスを持ち戦うエクソシストでもあるので――強いこともあるが、何よりも、彼女をみんなが愛しているからだろう。 アレンの瞳は優しい。ラビはその瞳を眼にして、優しくなる。 「きれいな花には棘があるって云うから、いいんじゃないの。薔薇なんてまさしくその代表だしさ」 「そうですか?」 「そうそう」 笑って肯定するラビに、アレンは呆れた視線を向ける。ラビが頷くのに合わせてやわらかな灯火色の髪が揺れているのを眼にし、アレンはラビへ向けていた視線をそっと戻す。 「それなら……」 「アレン?」 ラビは幾分か雰囲気の変わったらしいアレンに視線をやった。俯き加減のアレンの表情は、アレンよりも視線の高いラビからは伺えない。 アレンの言葉が漏れた。 「それなら、僕にはただ、棘があるだけですね…――」 アレンは微笑ったようだった。その言葉はふわりと広がって空気に溶け、本当に呟かれたのかさえ、すでに分からない。 ラビは声を掛けようとアレンの肩に手を伸ばしかけ――それより早く。笑顔で振り返ったアレンによって、その手は制された。 「早く、行きましょう」 促すアレンに、ラビは頷いた。本当に、それが言葉にされたのか、わからないままに。 本当は、アレンが何を思い呟いたのか、確認することもできないままに。 その胸の奥で、彼が何を抱え、何に瞳を伏せたのか、何も、わからぬままに。 それでも、二人は並んで歩き出していた。長く続く、教団の廊下に、二人分の足音が響いて消えた。 華も咲かせず、実をつけることもせず。 まるで枯れ木のように虚(むな)しく。 醜いその姿は見るものの眉根を寄せさせ。 けれど触れれば傷を与える鋭い棘のために、誰も寄せ付けることもできずに。 ただ無為に周囲を傷つけるばかりのこの身は。 それでも生きている。 生きている。 死の縁(ふち)から目覚めたアレンは実感する。ゆっくりと、たしかに感じられた死が、それでも隣に寄り添っているのを感じながら、アレンは同時に生を実感するのだ。 自分は、今もたしかに、生きている。 そしてアレンは再び歩き出すのだ。 目覚めてしまったから。 生きていると確信してしまったから。 他の道など、どこにもないと知っているから。 棘しか持たぬ身でありながら、その棘が役に立つのだと教えてくれた世界で。生きていく以外に、道などない。そう知ってしまったから。決意してしまったから。 一滴の朱(あか)い水滴が落ちる。 それは湖面に触れて波紋を生み、そのまま交ざり合って消えてゆく。 透明な湖がかすかに明け色に染まり、遠くで陽(ひ)が昇り光りが射す。 ああ、その色を知っている。 光りに照らされた湖の色を知っている。 夕焼けよりも鮮やかで。真綿よりも優しくて。空気よりも掴み所のない、愛しい人。 アレンは眠りから目覚め、朝陽に眼を眇める。 歩きだす決意はした。 かならず追いつくという決意は、たった今生まれた。 瞳を閉じて、世界を感じるように背を伸ばした。肺にゆっくりと吸い込まれていく空気を感じる。 ふと、かつて共に歩いた長い廊下での会話が思い出された。 ラビとアレンは隣り合って並んでいて、ラビがアレンを美しいと云った。けれどアレンは自分には棘しかないと答えた。 今ではとても遠く感じる日の、些細なできごとだ。今、彼はアレンよりもずっと先を歩いていて、アレンはそれに追いつくために必死に走らなければならないでいる。 追いつける保障などどこにもなく、けれど走るしかアレンには道がないのだ。なぜなら、アレンはまた再び、ラビの隣に立ち、ラビと共に、並んで歩きたいと思っている。 アレンは灰からゆっくりと空気を吐き出した。肩から力抜けて、開いた眼には白い光りに満たされた部屋が写し出される。 アレンは瞳を眇めて微笑った。 いつだったか、ラビがアレンに薔薇の花束を贈ると云ったことを思い出した。棘だらけの、それでも誰もが圧倒される、まるで百獣の王のように凛と咲くその華が脳裏に写し出される。 まだ果たされていないその約束を思い、アレンは胸中でそっと思う。伏せられた瞳には、もう暗闇は映し出されなかった。 ――それなら。 それならば。 私が、あなたに贈りましょう。 棘だらけの、薔薇。それが本当に美しいかどうかはわからないけれど、それは間違いなく誰もを圧倒させる力強さに満ちている。 棘しかない自分であるけれど。再びあなたに並び立つときには、大きな大輪を咲かせて、それを贈りましょう。 あなたにふさわしい、百獣の王のような華になって、それを丸ごと贈りましょう。どのような荒地にあっても、かならず凛と立つ、華に。棘を持つ花に。 (もっとも、それは「花束」ではないですけどね) アレンは遠くない未来を思い、笑った。それを告げたとき、ラビはどんな反応を見せるだろうか。それを思うだけで、これからのどんなことだって、乗り越えられる気がした。 だって、そらはいつだって、陽の光りに輝いている。 |
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実はまともに読んでいない第60夜をベースにしています。ってかお題は「薔薇の花束」なのに、何してるんでしょうね。おとなしく薔薇の花束を渡させてておけよ!(禁止事項なんだから渡したらダメだろ…)。 今回の前後文はアレンとラビの会話のデフォルトです。ラビがアレンに「薔薇の花束をあげる」って笑っていって、アレンが喜びに頬とか染めて。でも、どうして薔薇なんだろう?って不思議に思って訊ねるんです。ラビはそんな些細な質問にだって、アレンには真剣に答えてくれます。 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2005/09/07_ゆうひ |
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