魅惑の言葉
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「アレン、愛してるさ」 ラビが笑顔で言うのに、アレンはそっけなく返す。 顔色一つ変えないアレンに、けれどラビは気分を害した様子も落ち込んだ素振りも見せずに、不屈の精神さえ見て取れるほどの笑顔で、嬉しそうにアレンに告げる。 「アレンはかわいいさ」 大好き。 愛してる。 きれい。 かわいい。 美しい。 そんな言葉ばかり、ラビはアレンに与えてくる。それこそ惜しみなく。雨が大地に降り注ぐように。 そしてアレンはそれに必死に抵抗する。高鳴る胸をどうにか抑え込もうとし、火照る体を静めようと瞳を閉じてみたり。すべてが無駄な抵抗だと感じつつ、何もしないよりは幾ばくかの効果は期待できた。それら取るに足らない――けれど行っている本人にしてみれば莫大な集中力を要している――行動のおかげで、いまだ彼の前で慌てふためく醜態を晒してはいない。少なくとも、アレンはそう信じてた。 「ラビは、どうしてそんなことばかり、平気で云えるんですか…」 そして、いったい何を目的に語るのだろう。幾つもの言葉を紡ぎだすというのだろう。 そろそろそれら魅惑的な言葉の数々に折れてしまいそうで、アレンは切なく眉間を寄せて漸(ようよ)う口にした。本当に、このまま囁き続けられれば、この心が折れてしまう。 「ん〜。それは、アレンが大好きだからッ☆」 彼の笑顔は魅力的だ。どこか謎と影を潜ませて、底抜けに明るい笑顔をアレンに寄せてくる。その笑顔を向けられ、それを正面からとらえるたびに、アレンは云いようのない悲しみに襲われ泣きたくなるのだった。 その笑顔は明るい。その笑顔は優しい。その笑顔はアレンに愛をくれ、けれどその影がアレンにはすべてを見せることはできないとアレンを拒むのだ。 だからアレンは泣きたくなる。どうしようもなく胸が締め付けられて、いたたまれなくなる。 どうせ捨てるというのなら、始めから何も与えずにいてくれればいいのに。 愛には鈍感になろうとしていた。まして自分への愛には殊更(ことさら)に。失う悲しみに恐れて何も始めないことはあまりにも愚かだが、それを理解してはいても決して触れたくはない『愛』がある。 親愛ならばいくらでも注ぎ、伸ばされた手にも触れよう。撥ね付けられることなど恐れはしない。 けれどラビがアレンに与えてくる『愛』はそうではないのだ。もっと深くて即物的で、それゆえに純粋なものだ。混じりけのないそれは、アレンが何よりも憧れ、何よりも拒絶するものだ。 愛情に飢えた生まれをした自分は、純粋な愛情へは誰よりものめり込むだろう。アレンは自分をそう分析し、故にラビへの愛に応えるわけにはいかないと感じていた。 アレンはもともと愛情を与えられればそれを拒むことなどできない性質なのだ。それで浮気性だと思われればそれはもちろん違う。それくらいの正常さはアレンにも備わっている。アレンのラビへの愛は本物だ。ラビが与えてくれるからこそ、アレンはそれを拒むのに相当の努力を要する破目に陥っているのだ。 それでもラビの愛に応えずにいるのは、ラビの笑顔の下に隠された『影』を見つけてしまったから。感じ取ってしまったから。 愛しているのにすべてを打ち明けることができぬと、彼の笑顔は無言で、あらかじめ断りを入れていた。『ごめん』と瞳を伏せるその心を、アレンは敏感に、正確に感じ取ってしまった。 だから、アレンはラビの愛に応えることができない。 頑なに拒もうとするのに、けれどラビはあまりにも魅惑的な言葉ばかりをアレンに間断なく囁き続け、その強い意思を砕こうとするのだ。 「ラビ」 「なに?アレン」 「僕も、あなたのことが好きですよ」 「アレン?」 一度としてそんなこと言葉にしたことのないアレンであったから、ラビは瞳を丸くして驚いた後で、いったいどうしたのかと不思議そうな表情をして見せた。顔を伏せてしまっているから、アレンの表情からその真意を掴み取ることは、ラビには不可能だった。 アレンはただ自分の気持ちを伝えるためだけに言葉を紡ぐ。ラビの問い掛けになど意にも介さずに、マイペースに。 「でも、ラビは僕のものにはなってくれないんでしょう?」 「アレン…」 「わかります。これでも、人の気持ちには聡い方なんですよ」 「アレン、俺はさ、アレンが望むなら、ずっと、アレンの隣にいるよ」 アレンよりも先に死んだりしない。もともと死ぬつもりなどないけれど、今まで以上に『生きる』ことに貪欲になる。まぁ、大怪我を負うことはどうにもならないだろうけど。 そんな気持ちを込めてラビが慰める。しんみりとした空気を少しでも緩和しようと、できるだけ明るく。 けれどアレンの様子はまったく変化を見せなかった。 「あ〜…、アレンが嫌なら触んないしさ……」 本当はとっても触りたいし抱きつきたいけど。ってか一日中一緒にいたいんだけどさ。 しばらく口を閉ざし続けるアレンに、ラビは冗談めかして云う。それでも変わらぬアレンの様子に、さすがの米神にも冷や汗が流れる心地だった。 なにやら尋常ならざる雰囲気――アレンの心象に、ラビも僅かに居住まいを正す。視線に込める力を強くして、真剣に――もちろんアレンと相対するときに、心からいい加減な気持ちになったことなどなかったが――アレンと向き直った。 「ラビ、僕は、きっとあなたに抱きしめてほしいんです」 「……」 「ずっと一緒にいて、とてもあたたかなところで眠りたい」 願ったり叶ったりのその言葉に、ラビは今すぐにでもその願いを叶えてやりたくなる。むしろそれはラビの願望で、本能のままに飛び出しそうになるのを必死に堪(こら)える必要にかられ、反応を返すこともできずにいた。 「あなたが僕に言葉をくれるたびに、僕はその言葉に迷わされて、あなたに溺れたくなってしまう。でも、あなたは僕にそれを許してくれないでしょう?」 優しい言葉と甘い言葉。愛を囁くその心がどこまでも深いことは十分すぎるほど感じている。疑う余地などないほどに甘いぬくもりでもってラビはアレンに絶えずそれを伝え続けたきたのだから当然だ。 その度に涙が流れそうになり、掴んだ手を離したくなくて応えることを拒み続けた。 けれどもうダメなのだ。もう限界だ。無理なのだ。 あまりにも魅惑的な言葉を囁かれ続け、ついにこの心は折れてしまった。全面降伏だ。 「あなたが何かを隠していることは知っています。僕も、心の中にしまい続けていようと決めた、語らずにいようと決めた過去が、思いが、いくらでもありますから」 胸のうちに潜む、言葉になどできない数々の思い。ぬくもりも愛も、嘆きも悲しみも、美しいものも醜いもののすべて存在する。 きっと誰にだってある隠されたそういった数々の出来事が、今あるその人を構成している。 「でも、ラビの秘めているものはそれとはまた別のもののように感じます。ブックマンに名がないように、ラビの名が『仮』のものであるように。いつかあなたは、僕から『ラビ』を奪っていく。そんな気がします」 それでも、あなたは何を与えてくれるのか。 アレンは問いかける。 しばらく黙してから、ラビは口を開いた。 「アレン。俺はさ、いずれブックマンを継ぐ。それが、俺の誇りでもあるんさ。たぶんな。この名前は確かに仮のものだし、いずれはその仮の名前すらなくなる。でもな、アレン。それでも俺はアレンの一番近くで、アレンが望むならいくらでも抱きしめるし、アレンが欲しい言葉ならいくらでもあげる」 アレンは漸く面を上げた。そこにはやさしく微笑むラビの眼差しがあり、アレンは瞠目する。 その微笑にはいつもの影がなかったから。 ただただやさしいばかりのそれに、アレンは胸を何かで打ち抜かれたかのような衝撃を得た。まるで硬直したかのように、体も思考も動きそうになかった。 「信じて、アレン。アレンが望むなら、俺は絶対に、アレンに幸せをあげられるから」 アレンの頭にそっとラビの手が触れた。親が子供を撫でるその行為は、他のどの所作よりも、きっと、あたたかい。 アレンの体が一度振るえ、固く瞑(つぶ)られた両の瞳からは涙が溢れ出した。 ラビは歳の分だけアレンよりも逞しく広いその胸へとアレンを抱き寄せる。胸元に冷たく滲みこんでくる涙を感じ、心があたたくなる思いに瞳を閉じた。 「信じて、アレン。アレンが俺を愛し続けてくれる限り、アレンは絶対に、幸せになれるから」 たとえば遠く離れても、胸の内に思うだけで幸せになれるほどの愛を奉げる。 たとえば名前を呼ぶことさえ許されなくても、身を寄せ合うだけで満たされる幸福を与える。 たとえば孤独に震える日を迎えようとも、この姿を見ればそれを忘れ去ってしまうほどの喜びをあげる。 絶対にあなたが幸せになるほどに、夢中にさせてあげるから。 「アレン、愛してる。大好きさ」 だから、安心して愛して。 耳元に囁かれるラビのシンプルなばかりの言葉に、アレンはとうとう惑わされてしまい。 こくりと一つ、首を縦に振った。 ラビの胸に顔を伏せたままのアレンでは、嬉しさに顔を綻ばせた子供のようなラビの表情をいまだ知ることもできないまま。 ただ、両の肩にかかるその腕の力が強まるのを、感じるのみだった。 |
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星野先生急病のため本誌は連載休止(11月7日発売号)となりましたが、それで好きな作品への愛が消えるかといったらそんなことがあるはずもないのです。その愛の方向はちょっと傍迷惑で歪んでいるかもしれませんが…。星野先生が少しでも早く体調を回復されることを心より願っております。 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2005/11/06・9_ゆうひ |
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