悲哀の別離 







 だって戻ってこない君を思い、なぜ悲しみのない別れなどあるというのか。










「ねぇ、ラビ。もし別れるときは、悲しまないようにしましょうね」
「は?」

 アレンの突然の台詞に、ラビは呆けた。瞳と口の丸く開いて揃った様子が滑稽だった。
 雪が降る季節に出逢い、何が気に入ったのか出逢い頭からのラビの求愛に答えて随分と長く甘い時間を過ごした気でいた。しかし季節はまだ雪の散らつく頃を抜け出してはいない。
 アレンは横の窓に映るその白い雪の降る様子を視界の隅に収めながら、ラビの呆けた表情を見つめていた。その表情は絹のヴェールのように緩やかな微笑だ。そこにだけ春の陽だまりができたような微笑を前に、しかしラビはそれに心を弾ませる余裕もない。

「…ア、アレン?」
「なんですか?ラビ」

 漸く声にした疑問は言葉としてのそれではなかったが、アレンには十分に伝わっているはずだ。にもかかわらず、アレンは空恍(とぼ)けた様子で首を傾げた。もちろんその表情には笑みが乗っている。
 ラビの困惑はますます深まるばかりだ。もしかしたら冷や汗を流しているんじゃないだろうかと思いつつも、それを確認する余裕はもちろんなかった。今するべきことはどうにか心を落ち着かせてアレンに事の真意を問うことだ。

「えっと、アレン」
「はい。なんですか?」
「と、突然どうしたんさ?」
「どうしたって、何がですか?」
「何がって、…わ、わかれるぅ〜とか?」
「ラビ…」
「へ?」
「ラビは、僕と別れたいんですか…」
「は?」

 微妙に冒頭に戻った。『もう飽きたんですね…』と、ばかりに伏せ目がちな表情のアレンは酷く悲しそうだ。しかしそれに戯(あそ)ばれるわけにはいかない。
 内心は非情に慌てながらもラビは必死で己を叱咤し言葉を紡ぐ。

「いや、そうじゃなくて。っていうかむしろそれはオレの台詞な気が…」
「あはは。大丈夫ですよ。僕はラビが僕を捨てない限り、あなたの側から離れられませんから」
「ど、どうしたんさ、アレン。いつもはそんなこと云ってくれないのに…」

 さらりと吐かれた不意打ちの発言に、ラビは照れから僅かに頬を染める。にこりと笑顔を貼り付けたアレンの表情は何かをたくらんでいるよう出でもあり、しかしそれ以上に魅力的だ。たとえその笑顔になんの意図がなくとも、無邪気に微笑むアレンの表情に、ラビはすでに惑わされているといえるだろう。
 ラビはその笑顔に見惚れながら、しかしいくつもの死地を潜り抜けた手だれだ。警戒心を完全に解くことはしない。無意識が点(とも)す警戒ランプはまるで反射のようにラビの周囲に防御の壁を貼らせる。
 ラビはアレンの様子を窺いながら、アレンはラビが自分の動き、心理、何一つもらさず見極めようとしているのを感じながら。ラビは耳を済ませ、アレンは寝物語を聴くように言葉を紡いだ。

「僕も含めて、きっと、ここにいる誰もがたくさんの別れを経験してきたんだと思います。美しい別れなんて方便です。本質がどうであれ、別れには必ず悲しみが付きまとうでしょ。それでも、僕はあなたと別れるときには、それから永遠に逃れたいんです」
「…アレン。それは、どういうことさ。具体的に云ってくれなきゃ、何もわかんねぇさ」

 ラビが搾り出す言葉に、彼の苦悩を感じながら、それでもアレンは穏やかな態度を寸分も乱さなかった。
 ただ一つ、深く息を吐く。

「そうですね。僕も、具体的にどうかなんて、考え付きもしません。どんな場面でも、あなたと『別れ』るなんてこと、淋しさに襲われないはずがありませんから。でも、それでも嫌なんです。ラビとの最後の思い出が寂寥に彩(いろど)られているなんて」

 映画のワンシーンのようにセピア色に彩られた別れ。あらゆる喜びと楽しかった思い出を内包した幸福な時間があるからこそ、その行き着く先の思い出は寂寥へと辿り着く。
 見も知らぬ他人がこの世から消え去ったと耳に入るだけでも襲ってくる寂寥なのに、どうして幾許かとはいえ人生に係わった誰かとの別れにそれを感じずにいられるだろう。まして愛する人ならなおさら。

「だから、悲しみが伴う別れは嫌です」

 ラビは黙ってアレンの話に耳を傾けていた。話し終わり、二人の間に静寂が幕を下ろしかけた頃になりようやく、ラビがそっと口を開く。
 その表情には優しい微笑であり、目元の労わるような慈しみが、アレンを切なく捉えていた。

「それは無理さ、アレン」
「え?」

 面(おもて)を上げて小首を傾げるアレンに、ラビはますます胸の締め付けられる思いがする。誰よりも目の前の愛しい存在を包み込んであげたいと願った。

「大好きだったら、絶対に無理。悲しみは別れに必要な要素だから、それから逃れるのは絶対に無理なんさ」
「でも…」
「でも、アレン。悲しみにはいろんな種類があるから、」
「ラビ?」
「もし、いずれ遠く離れることになったらさ」
「……」

 言葉は風に乗るように、アレンを包んで微笑ませた。





-Question-

 質問者は問いかけた。

「悲哀の別離ですか?」
「そう。あなたは経験したことがありますか」
「……悲哀ではない別離ってどんなものなんですか」
「え?」
「だって、それが希望に満ちたものでも、再会の叶うものでも。大切な人と一時的にでも離れたら、どうしてそこに悲哀が生まれないなんてことがあるんですか」
「ですか、笑って見送るという言葉もありますし」
「笑って見送ったからといって淋しさの去来しない別れなんてないでしょう?いつも近くにいた誰かがいないことに気づいたときに、そこには必ず悲哀が訪れます」
「……」
「訪れる時期が違うだけで、別離と認識できるものには必ず悲哀が伴うのに、どうして経験したことがないなどといえますか」
「では、経験したことがあるんですね」
「さあ」
「だって、別離と認識できるものすべてに悲哀が訪れるって」
「僕はそう思います。でも、あなたと僕の『悲哀』も『別離』も、なんだか捉え方が違うみたいですから」
「……」

 微笑む少年に、質問者は問題の変更を余儀なくされた。

「では、悲哀を伴わない別離があるとすれば、どんなものだと思いますか」

 回答者は僅かに考えてから答えた。
 多少投げやりな表情に質問者は呆然とする。取り付く暇もない。

「さあ。あるとすれば、それは知らない誰かとの別れくらいなんじゃないですか」

 それを別れというのであれば…の話ですけどね。

 そうして、回答者である少年は去って行った。
 その幾分嫌悪を含んだ冷めた眼差しに、質問者は唖然とするばかり。追いかける暇さえ、与えられなかった。










 もう二度と戻ってこないことは、すべてを全うした後だと誓い合うために。









talk
 意味の分からない話でごめんなさい。本編でアレンがティキに心臓に穴開けられた以後――ラビとリナリーはアレンの姿を確認することができず、どちらもずっと辛い状態が続いていた頃を背景に書きました。ラビとリナリーの取った態度にはそれぞれの差がありましたが、どちらもが追い込まれていた状態は同じだと思います。
 アレンたちは他の人よりもずっと『別れ』というものに近い立場にいるから、せめてお互いの別れについては、悔いのないもの――いろんな種類ある悲哀の中でも晴れた天気のような悲しみ――であるようにしようと誓い合おうとラビは言ったのです(たぶん)。…毎度毎度作品の解説をするこのダメさ加減に、本当に空しさを感じてはいるんですけどね。未熟さ(主に長い話を書く忍耐力のなさのこと)が…。
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2005/11/25・26・27_ゆうひ
back