ある日うさぎさんが森の泉で出会ったのは、白い毛並みの小さな仔ねこちゃんでした。きょとりとしたまん丸の目がうさぎさんを見つめてきます。
 泉の入り口――あるいは出口でもある大きな木の一本。その下に座り込んで小首を傾げる仔ねこの首には赤い首輪。そこから下がる小さな鈴が、仔ねこの首を傾げる動きに揺れて「ちりん」とかわいらしい音色を立てました。

「誰さ」
「?」
「おまえ飼い猫だろ。こんな森の中にいたら喰われちまうぞ」
「?」

 うさぎさんが何を話しかけても仔ねこは首を傾げるばかりです。くりくりとした大きな銀灰色の瞳がじっとうさぎさんを見つめていました。
 うさぎさんもまだ仔うさぎです。にもかかわらず、うさぎさんは云いました。

「おまえみたいなチビッコが、こんなところで何してるんさ」
「?」

 やっぱり小首を傾げる仔ねこに、うさぎさんは仕方がないなと一つため息をつきました。人間だったらきっと片手で頭を抱えていたもしれません。

「しょうがないから、オレが面倒見てやるさ」

 きょとんとしたままの仔ねこの表情を見る限り、うさぎさんの言葉を理解しているのかどうかはかなりあやしいところです。うさぎさんが仔ねこの元へ歩みを進めてもまったく逃げる様子がありません。
 仔ねこの目の前にうさぎさんが立ち、仔ねこはうさぎさんを見上げるために今度は後ろに首を倒しました。どちらも小さいうさぎさんと仔ねこでは、僅かにうさぎさんの方が大きかったのです。

「オレはラビっていうんさ。おまえは?」
「?」
「なんだ、わかんないのか」

 今度はうさぎさんが首を傾げました。

「人間が住んでるところはこの森の東と北に二箇所あるんさ。首輪しているし、ふわふわだし…おまえ、そのどっちかから来たんだよな。たぶん」
「?」
「ま、いいや」

 うさぎさんは仔ねこに背を向けました。くるりと首を後ろへ回して、仔ねこを振り返ります。

「ついくるさ」

 うさぎさんが歩き出すと、仔ねこはとことことその後を追いかけました。








 うさぎさんと仔ねこは一緒でした。一緒に、森の中をあちこちへ行きました。
 うさぎさんが前を駆けて、仔ねこがそのあとをちょこちょことしたちいさな足取りで一生懸命に追いかけました。
 森の木々の間を駆けて。
 森の中にはお花畑がありました。
 仔ねこは風に揺れるお花にじゃれついて。
 仔ねこの前足がお花を蹴って右へ左へ揺れるさまを、仔ねこも頭を右へ左へ倒しながら眺めます。
 お花が揺れるのが収まればまた揺らして。
 時には目の前を横切った虫を追いかけて。
 鳥やねずみの音に耳を動かせては振り返り。
 突然、ぱっと興味の引かれた方へと走り出してしまう仔ねこ。
 そのたびに、うさぎさんはびっくして。
 あわててそのあとを追いかけます。
 陽は高く上っていたけれど、森の木々に阻まれたそこでは眩しすぎるものなど何もなく。
 けれど降り注ぐ陽の光はきらきらと瞬くように煌めいていました。








「アレーン」

 遠くから微かに響いてきた声に、仔ねこの耳がぴくりと反応しました。突然立ち止まってしまった仔ねこを、うさぎさんは不思議そうに振り返ります。

「どうしたんさ?」
「…まながよんでる」
「まな?」

 たどたどしい発音で呟いた後、仔ねこは急にくるりと反転して駆け出してしまいました。それまでの頼りなさが嘘のようなまっすぐさに、うさぎさんは慌てて身を反転させて追いかけます。

「ど、どうしたんさ?!」
「まながよんれる。…まな、まな、」

 どれほど走ったのでしょうか。視界に現れたのは一人の人間でした。その人間は仔ねこの姿を見止めると、すぐさま屈み込んで腕を伸ばしました。
 うさぎさんが目を見開いて慌てるも、その前を走る仔ねこはそんなうさぎさんを異に介さずに、人間の伸ばした腕の中に飛び込んでしまったのです。
 うさぎさんは驚きにますます瞳を見開き、足止めてその様子を見つめていました。
 人間は仔ねこを抱き上げて立ち上がり、白いふわふわ頭を優しく撫でています。仔ねこはそれを瞳を閉じて受け止めて、ごろごろと喉を鳴らして甘えていました。
 うさぎさんの耳に届くの人間の声は低く、きっと、優しさに溢れているのでしょう。その声を掛けられているわけではないうさぎさんには、何もわからないことでしたが。

「こら、アレン。こんなところまで来て。心配しただろう」
「みゃ〜(ごめんなさい、まな)」
「次からは勝手に走り出したりするんじゃないぞ。びっくりするだろう」
「みゃあ(うん。もうひとりでどこかにいったりしないよ。やくそく)」
「約束だぞ、アレン」
「みゃう(うん、やくそく)」


 アレン?
 ああ、それが仔ねこの名前なのか。
 あの人間は仔ねこの飼い主なのだ。
 仔ねこは――アレンは迷子で、あの飼い主は、ずっとアレンを探していたのだ。


 うさぎさんはすべてを理解しました。
 人間はうさぎさんに気づくこともなく、くるりと方向を変えるとそのまま歩き去っていきます。振り返ることなくうさぎさんから遠ざかっていく人間の背中を、しかしうさぎさんは見つめていました。
 一緒に過ごした時間はとても短かったのに、なぜこんなにもさびしい気持ちになっているのか。
 うさぎさんにはわかりません。ただこころにぽっかりと穴が開いたような寂寥感を感じるままに、その背中を見送っていました。

「あ…」

 仔ねこの顔が人間の背中から覗き、うさぎさんを見つめてきていました。銀灰色の瞳が、見つめていました。まっすぐと見つめていました。
 どんどんと遠ざかっていく姿。
 なぜこんなにもさみしいのか。
 仔ねこよりもほんの少しだけおおきいけれど。本当はまだまだちいさなうさぎさんには、ただどうしようもなくさみしいのだということしか、わかりませんでした。
 どうして仔ねこがうさぎさんを振り返るのかも、うさぎさんにはわからないことなのです。
 何も、わからないのです。










 離れ離れになった二人。
 長い時間が経ちました。
 離れ離れになった二人にとっては長い時間でした。
 けれどなぜそんなにも長く感じたのかなど、二人にはわからないのです。

 再会は雨の日。
 薄暗い天気。
 泉の傍(そば)。
 大きな樹の下で。

 再会した二人。
 手を取り合って触れ合って、キスを交わして合わせる表情、喜びに微笑み合うそれは僅かに歪んでいて。
 それさえ、何も分からないことだったのです。
 何も、わからないのです。
 涙のわけも再会の理由も。
 分かれたあの日の寂寥も。
 小さく触れたキスさえも。
 何も、わからないことなのです。










一滴の涙















 雨垂れ落涙 














talk
 話はできていましたが打ち込みする時間がなく、気力もわかず。今回はお題のタイトルまで作品の一部です。では。
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2005/11/26・12/04_ゆうひ
back