クリムゾン・ブルー 








 遠い旅に出た。
 時間ばかりが限りなくあり。
 その終着点は永遠に見えてこないかのような、永い、旅。
 見えない未来に、焦燥だけが胸の湖底(こてい)に沈殿していくばかりだった。










「最後の炎――」

 真紅の竜が運び込んだ炎が渦巻き大陸貝を四本の触手ごと一撃で消し炭に変える様を、船員たちは呆然とした様子で眺めていた。いつもは戦闘員が総がかりで遠距離攻撃が可能な紋章を限界まで使用して漸く追い払うことができるという強敵をただの一撃で葬り去ったのは、ミドルポートからオベルへ帰艦するために港を出港するというときに突然現れた旅人だった。

『ちょうどいい』

 そんなふうに云って乗り込んだその旅人は、このオベルの巡航艦である艦長フレア――実はオベルの女王だったりする――と旧知の仲だとのことで、船員の誰もが怪しむ中堂々と、遠慮することもなく乗り込んでいた。まるで部下や召使を顎で使うようなその態度に内心眉をしかめている乗組員もいたが、それもこの圧倒的な魔法攻撃力に忘れ去られたようだった。

「サツナ。ありがとう、助かったわ」
「別にかまわない。この船が沈んで困るのは僕だし」

 艦長であるフレア女王が旅人――そういえば名はサツナだとか名乗っていたか――の元へ軽い足音を響かせながら向かう。サツナの肩を叩きながら、気安く礼を述べる女王に、その旅人は萎縮すことも誇ることもせず淡々と返した。
 サツナの、女王を女王とも思わぬその対応に、『女王に対してなんという態度だ』と憤慨をあらわにできるほどに状態を回復せさたものはまだいないようだった。
 女王本人は気にしてもいないようだ。ふわりとした楽しそうな笑みを見せる。

「ふふ。でも、さすがね。あの大陸貝を一撃だなんて」
「彼と違って、魔法攻撃は苦手なんだ。できれば大陸貝なんて相手にしたくないな」

 剣が届かない相手は苦手だなどと、先ほどの紋章の威力を目にしたものたちからすれば信じられないような発言をのたまって下さっているのに、『いったいこいつは何者なんだ』という思いはますます強くなる。しかも今まで忘れていたが、ナチュラルに上級紋章を宿しているようだ。
 五行の紋章はもっともポピュラーな紋章だが、その上級紋章は手練の魔法使いでも滅多に手にすることが叶わないレアアイテムだ。そのため値段も張るので、ほりだしもので見つけることができたとしてもそうやすやすと購入することもできない。
 人々の疑問になどいっさい考慮せず、フレアとサツナの会話はなごやか(?)に続けられているらしかった。少なくとも相対するフレアの態度は対等のものと相対しているかのように親しい。むしろ目上の者と相対しているかのようにさえ写る。

「……雲が南東に流れてきたな」

 ふいにサツナが呟いた。軽く頭を後ろへもたげて、薄青色の空を見つめている。
 フレアは不思議そうにサツナの横顔へと視線を向けた。軽く傾げられた小さな顔に浮かぶのは、困惑の表情だ。

「ええ…でも、それがどうかしたの?舵取りならそれくらいきちんと読み取ってくれるから安心しても平気よ」
「……大陸貝は、実は風に乗ってくる」
「え?」
「波と一緒に流れると言い換えてもいいけど。……このままの速度だと、ゆっくりと移動する大陸貝にわざわざ追いつくことになる」
「……わかったわ。誰か!操舵室に伝えてちょうだい」
「あ、はい!!」

 バタバタと数人の足音が遠ざかっていくのを横目にして、サツナは一言の挨拶もなしに船内の――おそらくは彼にあてがわれた部屋だろう――に戻って行った。
 フレアはやはり何も云わない。憤慨するわけでも、引き止めるわけでもなく、ただありのままの彼を受け入れているようだった。

「――母さん」

 声をかけたのはフレアの息子――オベル国王子だ。母親譲りの金の髪が明るい日差しに照らされてきらめいた。
 さらさらとした髪質は祖父譲りだろうか。

「あら、どうしたの?」
「ねえ、彼は…」
「彼?――ああ、サツナのことね。彼がどうかした?」
「うん…。あのさ、あの人は、いったい、何者なの?」
「何者って?」

 視線をそらし、なんと訪ねていいのかを考えるように眉間を寄せながら訊ねる息子に、フレアは首を傾げた。
 眉間に寄せた皺をさらに深くして、彼女の息子は考え、考え言葉を口にしていく。

「だって、僕と同じ年くらいにしか見えないのに、母さんと旧知の仲って…おかしいじゃないか。それに、さっきの紋章攻撃の威力だって半端じゃないし…」
「ああ、そういうことね。たしかに、そうね。――そうね、私が彼に会ったときも、彼は今のあなたと同じくらいの年齢だったのだわ」
「え?」

 フレアの後半部分はひどく小さな声だったので、息子には聞こえなかったようだ。不思議そうに聞き返してくる息子に、フレアは瞳を伏せて首を横に振る。
 息子とは異なるふわふわとした、けれど息子と同じく美しい金の髪がやわらかく揺れた。

「いいえ、なんでもないわ」
「?」
「そう、彼のことは――なんと説明すればいいのか、私にはわからないわね」
「でも、旧知の仲だって」
「それは本当よ。とても古い――私たちからすれば、もう本当に昔の――友人。彼が私たちのことを友人だと思ってくれているかどうかはわからないけれど、少なくとも、私たちにとって、彼はかけがえのない存在だったわ」

 フレアはどこか遠くを見つめるように、青く広がる空に視線を馳せた。しばらくの間、黙して潮風を感じてから、フレアは息子へと面を直して訊ねた。

「あなたは、彼をどう感じた?」
「ん〜…なんか、なんでも知ってるって感じで、いけ好かないかな」

 母さんには悪いけど。そう断りを入れて、正直な心中を口を尖らせて、迷うように眉をしかめながらも明かした息子に、フレアはやわらかく微笑む。偽ることなく自らを語ることができるのは、オベル王族の特徴らしかった。
 息子に父親の――息子からすれば祖父だ――の面影さえ見ることができて、なぜだかとても暖かな思いに襲われる。これが年齢を重ねるということなのかと、ちょっとだけ苦笑気味に考えながら、フレアは口を開いた。

「私も、同じ印象を持ったわ」
「母さんも?」

 僅かに瞠目して見せた息子に微笑を深めながら、フレアははっきりと頷いてみせる。

「ええ。それで聞いたの」
「なんて?」
「あなたはまるで未来を知り尽くしているみたいだわ、って」

 どこか楽しげに語る母の様子にも興味を覚えながら、彼女の息子は聞き返す。もうその話術にすっかりとはまってしまっている子供のように、まっすぐと母の様子を見つめる姿が、英雄譚を目を大きくあけて必死に聞いていた幼い頃に重なった。

「それで?」
「返されたわよ。『馬鹿か』ってね」
「…なんだよ、それ」

 口を尖らせる姿は誰に似ているのだろうか。フレアはいよいよ楽しくて仕方がなかった。
 今日はあまりにも過去の思い出が脳裏を過ぎる一日だ。

「ふふ。そう云ったのよ。馬鹿かって。未来がわかるなら、誰もこんなに焦らないって」
「焦る〜?」
「そう。焦っているんですって」
「ぜんぜんそんなふうには見えないけどな」
「ええ、そうね。彼は、昔からそうだった…――」








「どうして、いつもそんなにまっすぐに指示を出せるの」

 迷うことなく。自分の考えを、自分の目的をまっすぐに伝え、行動に移す少年にフレアは訊ねた。
 いつだってその瞳は振り返らない。いつだって、その瞳は迷わない。
 まるで未来が見えているかのように、少年は己の行動に疑問や迷いを抱いている素振りを見せたことがなかった。少なくとも、フレアにはそういったものは見て取ることができなかった。
 海戦でも、白兵戦でも、陸上での戦闘においても。迷いのない指示と、それを写す堂々たる姿と声音。一寸先にはどのような結果が待ち構えているかもわからぬ不安を、多かれ少なかれ誰もが抱えているのが普通であるその状況で、ひときわ重い責任を負わされた少年からはそういったものがまったく感じ取れなかった。

 まるでいけないことを訊ねているかのように、瞳を伏せてしまうのは何故なのか。フレア自身にもわからない。
 少年は彼女を横目で一瞥して、再び視線を前方に広がる海原へと戻す。そして一言返した。

「馬鹿か?」
「…っ」

 びくりとはねたフレアの肩を見たのか見なかったのか。面を上げることのできなかったフレアには確認のしようもなかったし、それを知ったところで、その少年がそれに気を使ったかどうかなど決してわからなかっただろう。
 彼の表情は、彼の意図することとは関係なく――つまり、彼に言わせれば彼は十分に表情豊かであるらしい。少なくとも彼は動かしているつもりなのだ。表情を――滅多に動くことはなかったからだ。
 とにかく、彼は彼女の問いに答えた。
 自分から口を開くことの極端に少ない少年は、けれど訊ねられたことには真摯に答えを返してくれる。それがいかなる問いであろうとも、少年に答えることのできる範囲で、まっすぐに。

「……未来なんてわかっていたら、こんなにも焦ったりなんかするものか」

 それが少年の答えのすべだったのだろう。それ以降、少年はフレアのその質問に対して口を開こうとはしなかった。
 彼の蒼い瞳の先に広がる輝く海と空が、少年の瞳にはどのような色を持って写っているのか。ふとフレアは思いを馳せ、自分には決してわからないだろうその答えをすぐに胸の内に収めた。
 瞳を伏せてただ彼女にわかるのは、彼女や彼の髪をふわりと煽る風が、今まさに吹いていることだけだった。








(未来がわからないからこそ、必死に行動に移していたんだわ)

 潮風を受けながら、フレアは海の彼方へ視線を馳せた。そこには青い空が広がり、そろそろ島影も見えてくるだろう。
 今もサツナは、あの頃と何一つ変わらぬ姿のままで、歩き続けている。その目的の真意を彼女が知ることができる日は、きっと永遠に来ないのだろうと、フレアは感じている。
 彼が追いかけているのは、あの頃からたった一人だ。青を好んで着ていたその少年は、今はどこにいるのだろうか。
 サツナの瞳にいつも迷いが見出すことができなかったのに対して、彼の瞳はいつだって迷いに揺れていた。迷いに揺れながら、それでも必死に前を向き、足を押し出していた。

(彼も、同じだったのかもしれない)

 いつ訪れとも知れない恐怖と戦いながら、いつ訪れるとも知れない恐怖が来る前に、やるべきことを成し遂げようと。
 ひたすらにがむしゃらに、駆けていただけなのかもしれない。特別なことなど何もなく。

 けれど、と彼女は思うのだ。

「けれどきっと、それが一番、難しいのよね…」

 いつ終わるともしれない生を抱え、無言のままに人々を率いて彼の姿を思い出し、フレアは己の現在の立場を思う。
 彼女の現在の立場はあらかじめ覚悟の上だった。けれど、彼に与えられたそれはあまりにも唐突で理不尽だった。それでもなお、彼は一言も口にしないのだ。

 何も知らなくても、未来を見据えて。










 死したものの纏う血のような深紅。
 生命(いのち)の母たる海の持つ群青。
 対極にあるような二つの色が混在して、この身に纏わりついているような気がしていた。
 この身を絡めとるその『命』に引きずられないように、ただ必死に駆けていた。
 その背にそっと触れる温かな手を感じて振り向けば、困り顔の彼が、漆黒を纏ってそこにいた。









talk
 そこはかとなくテド4です。もともとは拍手用に書き始めましたが、思いがけず長くなったので独立。はっきりって最後の『馬鹿者〜』、『未来が〜』って台詞が書きたいがためだけに考えました。一時間半くらいで一気に書き上げたものの、UPする時間がなくて当日UPは断念です。明日の学科テストの追い込み時間を消失してまで何やってんだか…。
 一応4EDから20年くらいは経ってるかと、30年くらいのつもりなのですが、それだとフレアの息子の年齢もうちょっと上がって、4主と同年齢〜はおかしいよな〜…とか。オリキャラは基本的に名前つけたくないので『息子』のまま。

 最後の方がちょっとだらだらと間延びしてしまったのが痛いです。でも上手く伝えられなくてこんな終わり。
 タイトルはなんですかね。こう…海や空の青を内包した、戦争や紋章の炎と血の赤色って感じ?
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2005/10/24・25_ゆうひ
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