イナクティブ・ティアー
変化しない心。そんなものがあるなどとバカなこと云うな。 小さな胸にある仄かな幸せに。人はいつだって。 涙のような微笑を浮かべるのだから。まるでやわらかな花のようにふうわりと。 |
(テッドさんはマグロが好き…vv) サツナはうきうきと心を弾ませながら(しかし外からは無表情にしか見えない)、市場に並んだ新鮮な魚介類を選別していた。 百数十年という長い時間を放浪してきたサツナだが、ここ暫らくはずっとトラン共和国でも名高いマクドール邸に身を落ち着かせていた。その理由は彼の唯一心寄せる人物が、マクドール邸の現当主であるレイ・マクドールと親友関係にある故に世話になることを決めたからであるが、サツナにとってそれは少々不本意なことであったりする。 理由は簡単だ。サツナはできればテッドと二人きりになりたい。 (でも、テッドさんが決めたならいいや) そのことでテッドがサツナを無碍に扱うことなどないし、なによりマクドール邸でのテッドはとてもリラックスしている。それはアサキ城にいた頃もそうであったが、サツナにとってテッドが心安らかにしてしてくれることは何より嬉しいことだ。 同時に嫉妬も抱く。本当は、サツナの隣でこそ、あれだけの安らぎを得て欲しいのだ。 けれどそんなことはおくびにも見せずに、サツナはマイペースに日々を暮らしている。本日は彼の大好きなテッドのために新鮮マグロを購入しに市場まで足を運んでみたり。ちなみに事の起こりは朝食の席でのレイの一言から始まった。 『グレミオ、今日の夕食はなんの予定だい』 朝食の席ですでにもう彼の思考は夕食へ向かっているのか。ぶっちゃけ彼らは暇人なので、他にやるべきことがないのである。 マクドール家お抱え家政夫――本当は当主の世話係のはずで、決して家事全般が本業ではないはずなのだが――グレミオは答えた。頬に大きな十字傷がある百戦錬磨の戦士の風貌ながら、優しげな性格を体現したやわらかな言葉遣いは、はじめて彼と話をしたものに多少の驚きを与えるかもしれない。しかし基本的に他人に興味のないサツナはまったく素通りだ。人間、見た目と中身が合っていないくらい構わないではないかと思っている。 別に差別がどうのという倫理的な面からくるスタンスなどでは決してない。前述した通り、彼は他人の人生に興味がないだけである。 ともかくグレミオは答えた。やわらかな目元はまさに母親だ。 『そうですね。まだ決めていないので、ちょっと市場へ行ってみて考えようと思ってるんです』 『そうなのか?』 『ええ。なので、何かリクエストがあればお聞きしますよ』 『うーん。別にこれといって思いつかないなぁ…』 『あ、だったら久しぶりにマグロが食べたいかも』 僅かに身を乗り出すようにして口にしたのはテッドだった。それに首を傾げて聞き返したのはレイだ。 『マグロ?』 『そう、マグロ。刺身で食べると美味いんだよ』 『へぇ〜。そういえば、刺身はこっちの方ではあんまり主流じゃないものね。僕もアサキ城でタイ・ホーとヤム・クーに作ってもらって以来、ここしばらく食べてないな』 『だろ。ねぇ、グレミオさん。刺身ってできる?』 テッドの問いに、訊ねられたグレミオは僅かに思案気な表情になる。 『お刺身ですか?そうですねぇ…作れなくはないですが、あまり魚を生で食べる習慣がないので、なんとも云えませんが、よろしいですか。坊ちゃん、テッド君』 『なんともって、魚捌くだけじゃん』 『そうは云っても料理というのは単純なようでいて奥が深いんです』 したり顔で諭すように云うグレミオは相変わらずだ。ぴんと立てられた人差し指まで何度も見る彼の性質のようなもので、テッドとレイはそんなグレミオを目にするたびにこっそりと笑いあっていた。 グレミオもそんな子供のように笑いあう二人の様子に気がついていたから、優しい気持ちで見守るばかりだ。一時期は酷く沈んだ表情が再び楽しげに笑みを形作るのだから、どうして不快な気分になれるだろう。 三人が懐かしく思いつつも繰り返される過去の日々からの暖かな情景に割り込むように口を開いたのがサツナだった。 『それなら僕が作るよ』 全員の視線がサツナへと向く。普段滅多に自ら口を開かない、何をやるにしても無言で一人で事を運ぶ彼が意思表明をすること事態珍しい。 『でも、お客様にそんなことをさせるのは…。サツナさんに申し訳ありません』 遠慮するグレミオに、サツナはそちらを見もせずに、黙々と口を動かしながら云う。 初めの頃は話すときは食事の手を止めて、人の目を見て――などと注意をしていたクレオも、サツナの性格をすでに察して諦めたのか。悟ったのか。あるいはその両方だろう。何も云わずに自分の分の朝食を口に運んでいた。 『別に構わない。魚を捌くのは小さい頃からやってるし。ついでに市場に行って材料も買ってくる。他に必要なものがあったらついでに買ってくるけど』 『あ、だったら僕も手伝います。サツナさんお一人で七人分もの食材を買いに行くなんて、大変ですから』 『……』 ホノカの申し出に、サツナは答えなかった。別にどちらでもよかったからだ。 ホノカは体格は小さいが、腕力もあり荷物持ちとしては十分荷役に立つ。それなりに家事にも精通しているので、食材を揃えることについても邪魔にならないだろう。 けれどホノカがいなくてもサツナは何一つ困らない。だから答えなかった。 二人の申し出に、グレミオはしばらく難色を示したが、せっかくだからとレイとテッドがすすめたこともあり、最後には笑顔でお願いした。 『それじゃあ、二人とも、申し訳ありませんがお願いしますね』 『はい、グレミオさん』 『……』 元気に返したのはもちろんホノカだ。サツナは返事の必要がないと判断した。 そんなやり取りの結果、サツナは現在、市場にて食材の物色中という状況にある。一番の目的はやはりテッドの希望である『マグロ』だろう。他のものよりもかなり気合を入れて選ばなければ。 もっとも、そのような意識などしていなくとも、勝手に実は入ってしまうが。 「あ、サツナさん。これなんて色もいいし大きいしいいと思いますよ。どうですか?」 ホノカの意見を求める声に、サツナは並ぶ魚介から面(おもて)をあげて首を巡らせる。いくらか先の方で場所を示すように片手を上げているホノカの姿を認めると、サツナはそちらへと足を向けた。 辿り着きホノカの示す海鮮に目を向けると、なるほど、それまで物色してきたものに比べても劣らない美味しそうな『マグロ』。しばらくじっとそのマグロを見つめた後で、サツナは無言でこくりと首を縦に振ると、それを購入した。 買い物も無事に終え、サツナとホノカの二人はマクドール邸への道を肩を並べて歩いていた。いや、若干ホノカの方が遅れているだろうか。 二人は特に何を話すわけでもない。ホノカだけが一人で他愛(たわい)ないことを取りとめもなく話す。それはたとえば天気のことだったり、先ほどの買い物で見かけた雑貨のことだったり。 サツナが答えることがないので会話にはならないが、サツナは必要のないことについて返答をすることがない、そういった性格であるということを、すでにホノカも了解していたので、ホノカの口調が楽しげなものであることに変化はなかった。答えは返ってこなくとも、話に耳を向けてくれていることが分かっていることもまた、その要因になっているだろう。 「今日の夕食、みなさん喜んで下さるといいですよね」 何気なく云ったホノカの台詞に、だから答えが返り、ホノカは驚きどもってしまった。 「ホノカはレイと二人きりになりたくはないの」 「ええ?!」 「僕はテッドさんと二人きりでいい。一緒にどこかを見て回るのも、とても楽しいと思う。それを楽しみにしてた」 「そ、その…」 「ホノカは、どうしてレイといるの?」 義姉もいるのに。 語るサツナに、サツナはなぜ突然そんな話になるのだろうかと頭の片隅で思いながらも、それ以上に慌てる気持ちに焦らされて、ホノカは頭が回らない。 ホノカにとって、レイはどういう存在なのか。淡々とした表情によるサツナの追求に、ホノカは顔を赤くしながらも必死に言葉を探した。 「え、えっと…今はお世話になってて、でも、その前からずっとお世話になっちゃってて……」 「それはレイも同じだろう」 「ええ?!そ、そんなことないです。僕なんてなんの役にも立てなくて…何も知らなくて…。戦争中も、シュウやクラウスや…レイさんにいろいろなことを教えてもらっていて」 シュウやクラウスを呼び捨てにするのは、シュウからそうするように諭されたからだ。ホノカ自身と年齢の近い人間の多い歩兵隊要因と友人付き合いをしている場合であれば構わないが、軍の頂点に立つ軍主で城主が目下のものに敬語を使用する必要はないし、示しがつかないからと。 せめて軍師としてつく二人のことは常時呼び捨てにするくらいの気構えを持つようにとのシュウの言葉に、クラウスもいつも身にまとう物腰の柔らかな様子そのままに頷いてくれたので、そのようにしている。 「それならどうして一緒にいるの。世話にならなくても別に平気なのに」 「そ、それは…」 「それは?」 「……一緒にいてもいいって、云ってもらえてるから…です」 時の流れから弾かれて、いずれ一人になると思い始めた頃に会いに来てくれて。そして、手を差し伸べてくれたから。 戦争中も同じだった。始めは本当に、ほんの少しだけ、話を聞くつもりでいるだけだったのに。優しい微笑で、手を差し出してくれたから。 「甘えて…しまってるんです。やさしい、から…」 ホノカの視線が下がるのを、サツナは無言で眺めていた。しばらく沈黙が続き、おもむろに口を開いたのはサツナの方だった。 「それは、ホノカだけじゃないと思う」 「え?」 ホノカが思い掛けぬことに驚き面をあげるのに、サツナはやはり意に介さない。 「孤独と闘ってるのはレイも同じだ。だから、別にホノカだけが甘えてるわけじゃないと思う」 「そう、でしょうか…」 「知らない」 「……そう、ですね」 ばっさりと言い捨てるサツナの物言いに、ホノカはくすりと笑った。サツナらしいと思ったからだ。 物事をいつだってまっすぐに見つめるその瞳に、ホノカは憧れている。決して砕けないその意志の強さを羨ましく感じている。 慰めなんて決して言わないが、そのまっすぐな言葉が何よりも温かく胸に沁みてくるのだ。 「テッドさんは一人だった。僕も一人になった。レイも君も。それでも僕はテッドさんだけでいいけど、みんなはそうじゃないみたいだから。僕は他の人は知らない。でも、たぶんそうだと思う」 ホノカはサツナがなぜこのような話題をぶつけ、何を思いホノカにそれを云うのかがわからない。けれど、今交わした会話が無駄であるとか、余計なものであったなどとはとうてい思えない。 それは、とても大切なものとして、ホノカの胸の奥に沁み渡り続けるだろうと感じられた。 「僕は、」 「サツナさん?」 そう思って感じいっているホノカの頭上から、小さなサツナの声が響き、ホノカは思わず顔を上げた。いつも声を潜めることなどしないサツナの声が沈んでいるような気がしたのだ。 ホノカの呼びかけにも、サツナは視線を移すことをしなかった。おそらくこれは独り言なのだろう。決してホノカに告げたいことではないのだ。 そう感じたから、ホノカはそれ以上言葉を促すことをしようとはしなかった。ホノカがするべきことは、ただ黙していることだけなのだ。 「僕は、それが少しだけ、悲しい…」 サツナの小さな思いの吐露が、そっと響き渡った。 |
私が望む貴方との世界と、貴方の望む私との世界には隔たりがあるようで。 私はそのことがほんの少しだけ、苦しく切ないときがある。 でも私は貴方のいない時間を知っているから、そを貴方に伝える必要はない。 |
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『ペシミスト・ラヴァーズ』中の2主と4主です。本当は2主の坊への気持ちをもう少しクローズアップして書くつもりでいたのですが、照れ屋なうちの2主に会話形式で語らせるのは不可能でした。ちなみに今回のタイトルは適当〜。相変わらず尻切れで終わってて申し訳ありません。本当は扉の前で盗み聞きするとこまで書きたかったのですが…。微妙。 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2005/11/20・21_ゆうひ |
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