時の迷い子といつかの笑顔 








時間を彷徨う彼女は、移ろう記憶を辿って云った。










「あー、テッドさん。久しぶりです」
「はぁ?何云ってんだよ。はじめまして、だ」

 黒髪の少女が能天気そうな笑顔――少なくともテッドにはそのように映った――で挨拶をするのに、テッドはいぶかしんで眉を顰めた。少女の馴れ馴れしいその態度に幾分の剣も含ませていたかもしれない。
 しかしつい先ほど船に乗り込んだばかりのテッドであるから、間違いなくこの船の人間とは初対面のはずなのである。それ以前は霧の船に十年近くも乗っており外界との接触もなかったから、たとえ出会っていたとしても十年も前のことになる。テッドはこれまでなるべく他人と深く関わらないようにしてきたし、まして姿も変わったお互いでは分かろうはずもない。

「え?え?でも会ったことがある気がするけど…?」
「勘違いだろ」
「あれ?あれ?」
「ビッキーは僕とはじめて会ったときもそう云ったんですよ」

 そっけない態度でまったく取り合わないテッドと、首を傾げるばかりの少女――ビッキー。その間に立って、サツナはにこやかな態度でテッドに話し掛けた。
 周りにいた人々はサツナのその態度に驚きの声を上げた。もちろんあからさまな大声ではない。ざわめきが波紋のようにざわりと広がる。
 それは普段のサツナの様子を知っているものであれば当然の反応であった。サツナは常に淡々と物事を進める。喜怒哀楽を面(おもて)に出すことが極端に少ない。本人に言わせればそうではないらしいが、面に現れるそれは第三者からすればあまりにも希薄で無表情に見えるのだ。人の話は聞いているし、自分も意見も明確に述べるが、しかしなぜか『会話』といったものが正常に成り立っているとは云い難い。
 そのサツナがそうと分かるほどにこやかな微笑とやわらかな態度で人に接している。一国の国王にも、王女にも、高名な軍師や貴族、将軍にさえも一見すると尊大な常の態度を崩すことはなく、まして付き合いの長い友人相手でさえ同様だ。
 それが、出会って幾分も時間の共有していない相手に対して、こうまであからさまな好意を示しているのだ。なぜざわめきの一つも起こらずにおれようか。
 しかし他人との係わりを避けようとするテッドと、他人の反応などどうでもいいと切って捨てるサツナ。そして周りの反応になど気がつけない天然娘のビッキーが当事者であれば、周囲の反応など意に介することなどしない。

「あれ?でも、確かに会ったんだよ」
「だから、勘違いだろ」

 テッドは苛立たしげに溜息をつく。彼は性格の根幹の部分において実はとても感情豊かであり、そのために気が長い方ではない。怒鳴りつけないのは誰も知らない彼が過ごした長い年月と、その間に培われた彼の表層を覆う二次的な性格のためだ。
 いまだ首を傾げるばかりのビッキーの様子は相変わらずで、いつも不可思議なことをばかりを云うビッキーの言葉の内容に議論を行うものなどいまさらいない。だから、人々の注目は自然と別の――もっと異常で異質なものへと向く。つまり、テッドの腕に両腕を絡ませてべったりと彼に身を寄せるサツナの姿だ。
 機嫌の良さがそれと分かるほどに満ち溢れた表情でテッドに寄り添うサツナの姿に、人々はいったい何事かと囁きあった。

「あれ?でも、そのときとはちょっと雰囲気が違うかも」

 ビッキーが一人首をかげるのに、もはやいらえを返す気力もないのか、テッドは胡乱な視線を向けたまま黙していた。それでもその場を離れてしまわないのが、彼の律儀さを表しているといえるだろう。
 彼自身はもちろん気づいてもいないが、本当に人との関係を持ちたくない人間であれば、どうでもいい人の話などいちいち聞いたりしない。ましてとっくに、黙ってその場を去っているだろう。
 そして相変わらずテッドに引っ付いているばかりのサツナであればそうするだろう。彼は自分が必要ないと思い、どうしてもと強く理由を述べられて引き止められない限りは、自分の意思に忠実に動く。本当に必要ないと感じれば、話も聞かない。まるで耳に入れる音を自らの意思で選別できるかのように、それは見事に無視するのだ。
 そしてそうはなれないのがテッドだった。彼は黙って、しかし耳は自分に話し掛けてくるものの話をきちんと聞いてしまうのだ。聞くだけではなく、それに心をも動かされてしまう。

「えっとね。そのときもサツナさんがいたかも」
「…俺とこいつは今日はじめて会ったんだ」
「……」

 テッドの隣でサツナがこくりと頷いた。テッドの言葉に反応しただけだろう。
 テッドは無視した。ビッキーは気づかなかった。サツナは二人の反応など端から求めていなかった。意にも介さなかった。

「他にもたくさん人がいたんだけど、あれ?どうだったかな? なんだかここと似たような気がするけど、全然違う気もするし…。あれ?」
「……」
「あれ?えっとね、テッドさん、とっても楽しそうに笑ってたのは覚えてるんだけど。どうかな?たぶん、誰か他にもたくさんいたんだけど――」


 笑ってた――?


 ビッキーはいまだに一生懸命言葉を紡いでいる。しかしテッドの耳にはすでにそれらは届いていはいなかった。ビッキーの言葉だけではなく、一切の音がテッドから排斥されたかのように重い無音がテッドを襲う。

(笑う?俺が?楽しそうに? …――――笑ってた?)

 笑っていた。確かにテッドとて笑ったことくらいある。けれどそれは今よりももっと昔。まだ年齢と見た目の姿が一致していた頃のことだ。
 そこにはビッキーがいたとはとても思えないし、ましてサツナがいたなどということは決してありえない。たとえその場に彼女がいたとして、どうして今の姿のテッド見てそれを思い出すだろう。どう考えても、目の前で首を傾げる彼女は今の、16、17歳ほどのテッドの姿をもって、過去にもその姿を見たことがあると云っているのに。

「あのね、テッドさんと、サツナさんと…。あれ?テッドさんの親友って誰だっけ?名前が分からなくなちゃった」

 再び聞こえたビッキーの台詞は、テッドにさらなる困惑を呼んだ。それは今のテッドにはあまりにも信じられない己の姿だった。

(親友?誰のことだよ。――今日はじめて会ったこいつがいて、それとは別に親友がいて、俺は楽しそうに笑ってる?)

 人との係わりを持たないと決意した己に、しかしサツナは相変わらず傍にいるのだという。真の紋章を持っているならそれもあるかもしれない。しかしそれは未来の可能性であり、決して過去にあったことではない。
 そしてそのサツナとは別に『親友』と呼べる存在までがいるという。到底信じられる話ではない。
 けれど何故か。
 曖昧で、取り留めも無く、知識もなさそうで。信じるに足る何一つも窺うことができない少女だが、それと同じだけの量で、それが嘘である可能性もまた、何一つ感じさせることのできない不思議な魅力を備えていた。
 かのじょが人を騙したり陥(おとしい)れたり、まして意図的に悪意を持って嘘をつくなどとは到底考えられないのだ。これもまた一つの人徳なのだろうか。

「あれ?でも、やっぱり勘違いなのかな〜?」

 もはや少女の言葉はテッドの耳には届いていなかった。どちらにしても、彼女の勘違いは根拠の無い『本当』と同じようなものだったからだ。
 どちらも当てにならないのに、それでも彼女の勘違いは勘違いではないのではないかと。テッドはなんの根拠も感じられていた。それはまるで深い暗黒の中に投げ出されたかのような、漠然さを伴って、テッドに重く圧し掛かっていた。










悠久の時を手にした少年は、いつか訪れる自らの笑顔を今はまだ知らなかった。









talk
 拍手ありがとうございました。うちのテッドは2時代で生き返ってビッキーと会っています。4主も同様。ちなみにビッキーのテレポートは1→2→3→4とゲームの発売順だと考えています。
 これも初めは拍手用に書いていたのが拍手にするには長くなったのでリサイクル。なのでタイトルが幻水短編小説でははじめてカタカナじゃないです。わお。別にカタカナで統一しようなんて考えてもいませんでしたが。
 タイトルの「いつかの笑顔」の『いつか』は、「いつか訪れる」と「かつて見た」という二つの意味を込めております。
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2005/12/12_ゆうひ
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