ひとりノ夜
満天の星空であっても、私の心を癒せはしない。 |
『おまえにはまだ、やるべきことがあるだろ』 僕も一緒に連れて行ってくださいと、そう願った僕に、あの人はただそう云って背を向けた。遠ざかる背中を見送って、僕は叫んだその格好のまま、一歩も動くことができなかった。 旅立ちの荷物は大急ぎで詰め込んだ必要最低限で。そもそも、僕には私物などほとんどなかった。それはあの人も同じことで、僕などとは異なり旅になれた彼は、むしろ私物しか持ち合わせていない。 僅かの衣服と保存食。使い慣れた得物と薬。身を守るためであり、紋章を使用せずにすむために身に付けた技。僕も彼も、その身に強大な呪いの力を抱えているから。 そしてそれ以上に得た悠久の時間。遥かな刻(とき)。 恋焦がれた理由はそれではないけれど、彼をこの身の近くに繋ぎ止める理由はそれだった。 彼が一度は手放したソウルイーターを取り戻すことに手を貸した。それを僕への『借り』として、彼を僕の近くに繋ぎ止めた。声を掛けることを許させた。近くに行くことを許させた。 彼の紋章は彼の身近の人間の魂を喰らう。僕の紋章は宿主の命を喰らう。僕を喰らう罰の紋章が、彼のソウルイーターから僕を守ると、根拠もないのに自信満々に笑い掛け。彼の傍にいても僕だけは大丈夫なのだと、僕には心を開いて、僕を受け入れて、それでもテッドさんは傷つかないのだと言い張った。僕はあなたのためでは死なないと云い、むりやりその傍に寄り添った。 悠久の時間を一人で生きる。その孤独は、僕などより彼の方が知っていて。 不老の呪いの本当の恐怖を死っているのも彼の方だった。 つまり、僕は僕自身がいまだ実際には知らぬ恐怖を盾にして、彼から恐怖を拭ってあげると甘く耳元に囁き掛けた。二人で寄り添うことで、悠久の孤独――それによって齎される淋しさという名の恐怖から解放されると。 けれど彼は強かった。 僕などより余程強く、僕の考えなど浅はかで。僕の覚悟など、端(はな)からないものだったのだと気づかされた瞬間だった。 僕がこの『罰の紋章』を受け入れたのは、あるいは『彼』をその目にした瞬間だったのかもしれない。 絶対に生き残ると決めたのも。 永遠にこの紋章と共に歩むと決めたのも。 あらゆる罰も許し、どのような償いにも準じようと決めたのも。 自分がこの紋章を使うことで役に立てる何かのために、必ずそうしようと決めたのだって、彼に情けない背中は見せられないと思ったから。 彼がその軟弱さに厭(あ)きれ――嫌気が差して僕の傍から去って行ってしまわないように。 本当の意味でこの紋章と向き合ったのは、きっと、彼と出会ってから。 そしてそれでさえ、彼の前で見た『まやかし』でしかない。ただの幻だ。 結局僕は彼に置いて行かれ、こんなところにいる。遠く去った彼の行方は知れぬまま――もちろん初めの進路だけは知っている――、どうでもいい連中のどうでもいい行く末を見守っているわけだ。 否(いや)、見守っているというと語弊がある。僕はすでに旅立っており、かつてあの巨大船に乗って戦った者達は、今ではもう散り散り(ちりぢり)だ。時もそれなりに経過した。 僕と同年代の奴らの中には、もう随分と大きな子供がいてもおかしくないほどには。 僕は彼らの未来には興味がない。この群島諸国――今は群島諸国連合として、オベル王国を中心に一連合国化しつつある――そして敵国であったクールーク皇国にも。 当初から興味のなかったそれは、最後まで僕の心を動かしはしなかった。僕はただありのまま。流れに沿って流されていただけ。 フィンガーフート家で小間使いをしていたのは、ただ流されて流れ着き、彼らに拾われたから。 スノウの友人として付き従っていたのは、彼と僕の年齢がきっとほとんど同じだったから。 ガイエン海上騎士団に入隊したのは、スノウがそれを望み、ほとんど彼の付き人と化していた僕も、当然そうしてしかるべきだと思われていたから。 そこで成果を上げたのは、特別努力をしなくとも、僕にはそれができたから。 団長が死んだときにそこへ赴いたのは、僕だけがそれを見つけていたから。 罰の紋章を継承したのは、紋章が勝手に僕の方へとやってきたから。 言い訳をしなかったのは、それが無意味であると悟っていて――だって当時の副団長はあまりの衝撃に盲目になっていたから――、僕は努力とか自発的な行為とかが面倒臭くて仕方がなかったから。 クールークの偽装船に拾われた時も、無人島に流れ着いた時も。オベル王国で仲間集めをしたことも。そして群島諸国を率いる象徴となったことも。 すべて、僕はその場面に偶然にも行き当たり。 すべて、僕はそれらを淡々と享受した。 きっと、僕は死んでも生きていてもどちらでも良かったんだ。 僕はどちらでも良かった。 生きている限りは生き続ける。けれどその結果に死が待ち受けていることを、僕は恐れはしていなかった。 ただそれだけのことだったのだ。 そうして僕はその結果、偶然にも彼に出逢い。僕は生まれてはじめて、この『偶然』というものに感謝した。 その孤独。その抱(かか)える優しさ。 闇。 嘆き。 涙。 胸の詰まるほどの、狂おしさ。 怯え。 恐怖。 それらすべてを撥ね退(の)ける強さ。 鮮烈な光。 目映い残光。 僕は彼に魅せられた。 それからはもう我武者羅だ。ただ彼が遠く離れてしまわぬようにと、努力の毎日だった。 怯えて、いつだってどきどきしながら、僕は彼に話し掛けていた。 本気で嫌われたらどうしようという恐怖を常に胸の奥に抱えながら、僕は勇猛果敢にも彼に話し掛け続けた。接触を試み続けた。 そうして随分と打ち解けたのではないかと思うようになった。彼が笑いかけてくれたとき――最初のそれはしつこい、よく云えばめげずに彼へと話し掛け続ける僕への呆れたような、困ったような、はにかんだ微笑だった――などは、もう僕の中の価値観を覆した。 触れた彼は想像通りに温かく、僕を抱きしめる彼の腕は想像以上に力強かった。 体の骨が軋むほどに強く強く抱きしめられて、それでも尚僕はそれ以上の強さで抱きしめられることを望み続けた。 もっと、もっとと、僕は自分がこんなにも貪欲だなどとはじめて知らされたのだ。際限のない欲望というものをはじめて味わった。 きっと、僕は彼とまじり合ってさえ、『もっと、もっと』と求め続けるのだろう。それこそ際限なく。 彼の知られざる熱を知るたびに、僕はそれ以上に知らなかった僕自身の『熱』を知るのだ。 そして訪れた終焉。 僕は彼と共に悠久の時を歩むことを望み、彼は責任感が強かった。もっとも、僕に比べればきっと誰だって責任感が強いといっても差し支えなくなるだろうけれど。 彼は僕に云った。 僕にはまだやるべきことがあると。 僕は彼が何を云いたいのかを正確に理解していた。つまり、僕には責任があるということだ。 ただ流されてリーダーになった僕だけれど、僕は『戦争』をした。その中心にいた。つまり、戦争の理由だった。けしかけた側に立っていた。立たされ、それを拒否しなかった。 僕は罰の紋章を使用した。 だから僕はその後の世界を見届けなければならないのだと、彼は云う。自分の為したものの結末を、きちんと受け止めなければならないと。 僕に云わせれば、僕は本当の戦争の発起人たちのために旗印になってあげたし、数々のピンチには自分のみを削ってまで紋章を発動して危機を脱させたのだから、もうそれで十分過ぎるはずだと思う。この後は僕の自由だ。 けれど僕に――彼というその存在そのものに魅せられてしまっているこの僕に、彼の言葉に逆らう術などありようはずもない。 僕はとりあえず、最低限、彼が納得する程度には、この、海に囲まれた群島諸国を点々と、転々と、放浪しなければならない。あまりにも退屈で、あまりにも空虚な日々を繰り返して。 早く彼を追い掛けたい。 早く彼に会いたい。 早く彼に触れたい。 早く、早く。 一秒でも早く。 今日は久しぶりに宿屋に泊まれる。ここ最近、ずっと野宿生活だった。 単調で簡素な保存食の料理は、腹には溜まっても常にどこかが飢えていた。 一人で体を縮込(ちぢこ)ませて眺める焚き火の炎も、澄んだ空に輝く星空の美しさも。僕には何の感慨も齎さない。 ただ空気の冷たさに震えていた。 今日は久しぶりの宿屋に泊まれる。けれどなぜこんなにも餓えている。 温かい料理はそれなりに手が込んでいて美味しいのに。部屋の灯火(ともしび)は柔らかく、ふかふかとした布団の弾かれたベッドの中には冷たい空気も入り込みはしないのに。 なぜ、こんなにも寒いのか。 いったい僕はなぜこんなにも震えているのか。凍えているのか。 ああ――。ここには彼がいない。 一人がこんなにも淋しいなんて、どうして今まで知らずに居(お)られたのだろうか。彼は、いったいどれほどの昼と夜とを繰り返して。 その寒さに凍え、体を縮め、耐えてきたというのか。 挫けてしまいそうだ。簡単に、倒れてしまいそうだ。 心が砕け、それに伴い体が動かなくなっていく。そうして訪れるのが『死』だ。 それは肉体的な死ではなく、精神の病。魂の抜け殻。 嫌だ。 そんなのは嫌だ。 絶対に嫌だ。 まだ彼に会っていないのに。 僕はまだ彼に会っていない。 それなのに、こんなところで挫けてしまうなんて、絶対に嫌だ。 彼は僕の何十、何百倍ものそれに耐えてきたのだ。それなのに、彼の隣に立ちたいと、彼に認めて欲しいと願う僕がこんなにも簡単に砕けて、挫けてしまうわけには、絶対にいかないのだ。 だから顔を上げなければ。 だから前を見なければ。 そして歩き続けなければ。 生きている限りは生き続け、死でさえ僕の自由にはならない。 生きている限りは生き続け、死でさえ僕の自由には、誰の自由にもならない。 なぜなら僕は貪欲だからだ。 彼に会うまでは何にも諦められないし、彼にみっともない姿は絶対に見せられない。そんなのは絶対にゴメンだ。 だから、僕は今日も一人。この夜を耐えて朝を迎える。 |
ただただ、凍える体を震わせている。 |
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うちのテド4は『4→テッド』テイストがかなり強い(むしろそれが主題です)ので、一歩間違えると4テドに見えるのではないかとどきどきしています。でもテド4です。4はテッドに抱かれたい、抱きしめれたいと思っても、テッドを抱こうとは思いません、テッドは誰が相手でも絶対に『受』には回りません。なのでテド4なのです。 初一人暮らしの今の私の心境はこんな感じです。部屋が広すぎて寒い〜。電気代嵩むの覚悟で暖房を入れてもなんだか心にぽっかり穴が開いたような空しさが抜けません。テレビも漫画もネットも、なんだか物足りない。まだ二日目だからホームシックなのか、僅か二日目だ(正確には初日)から淋しいのか。元来が家族と離れたくない淋しがり屋の私には判別不可能です。それでもこうして小説を書いてどこか満たされどことなくいつもの調子を取り戻す私は…なんですか。根っからの腐女子ですか。おたくですか?(汗)。 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2006/01/06_ゆうひ |
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