水と油 






それは決して交じ合わぬもの。





 サツナは扉を開け、そこから部屋全体を見回した。そこに目的の人物のいないことを確認すると、くるりと背を向け去ろうとする。そこまではいつものこと。しかしそのとき彼の背に掛けられた声は、常とは異なる日常における『例外』を彼に齎した。

「おーい、サツナ。立ち去るにしても声の一つも掛けてからにしたらどうなんだい」

 サツナはその声の主に胡乱な視線を向けた。胡散臭すぎて――そうでなくとも究極の面倒臭がりでもあるサツナであれば――応える気にもなれなかった。
 声の主はまさにこのマクドール邸の主人でもあるレイ・マクドール。サツナは彼を厭うていて、それにきちんと気づいているレイはサツナに対して少々遠慮がちな態度になる。レイ自身がサツナを嫌っているわけではないのだが、嫌われていると分かっている人間に対して気にせずにあっけらかんと対応できるほど、レイという人間は単純にも前向きにも出来ていはなかった。
 そんなレイが自らサツナを引き止めたのだ。ある特定の人物以外にはまったく興味のないサツナの相変わらずな様子に苦笑しながら。

「どんなに探し回っても、テッドならいないよ」
「…どういうことだ?」
「あ〜…そんなに睨むなって。どうだい、ゆっくり腰でも下ろしたら。グレミオに紅茶でも入れされるよ」

 朝食もまだなんだろう?
 やはり苦笑しながら席を進めるレイに、サツナは訝しげに眉間に皺を寄せながらもリビングに足を踏み入れる。レイの知っている情報――テッドの居所が知りたかった。

「それで、テッドさんはどこ」
「相変わらず単刀直入だね。他に話すことはないのかい」
「君とはない」
「あはは…」

 迷いのないサツナの応(いら)えに、もはやレイは苦笑するしかない。
 一口紅茶を啜り気持ちを切り替えてから、レイは背中をソファの瀬に預けてサツナと改めで向き直った。

「出かけたんだよ。ホノカと一緒にね」
「ホノカと?」

 サツナは訝しんだ。意外ではないが珍しい組み合わせだ。
 テッドとホノカは長男と末っ子のような雰囲気がある。ついでに入れるならばレイが次男坊でサツナは三男坊か。年齢的には逆だが。
 兄二人が話しているときに、構ってもらえぬ下二人が暇を潰すかのように、サツナとホノカは時に行動を共にすることもある。しかし、テッドがホノカと行動を共にすることは滅多にない。それは元々ある互いの接点が少なかったためであって、決して二人が疎遠であるわけではない。
 なので意外ではないが、珍しかった。

「ホノカがどうしてもって言い張ってね」

 レイは一つだけ肩を竦めた。

「僕にはついて来てほしくはないんだってさ」

 それでサツナは漸く悟った。レイは拗ねているのだ。
 ホノカがレイではなくテッドを頼ったことにもそうだし、のみならず疎外までされた。ホノカを大切に思い甘やかしに過ぎるきらいのあるレイにしてみれば、多少拗ねたとしても許されてしかるべきことだろう。
 サツナは自分のテッドへの依存の度合いを棚に上げて、レイの現状に内心で呆れた。
 そんなサツナの内心など知らず、レイは半ば独り言に近い様子で愚痴――もちろんに語っている本人にその自覚は微塵もないが――を零し続ける。

「朝起きて下りてきたそばからさ。テッドに『付き合ってくれ』で強引に腕を引いてグレッグミンスターへ繰り出して行ったんだよ。僕も付いていこうと腰を上げたら、あろうことか睨、…睨んで……」
「『付いてくるな』とでも云った?」
「『レイさんは付いてこないで下さい』、だ」

 きっちりと訂正されたところで、内容は何一つ変わらない。
 自らの言葉にそのときを思い出し意気消沈しているレイをばっさりと無視して、サツナは――墓穴を掘ったアホに情けをかけるほどサツナは優しくない――ふむと思案した。
 レイを慕っているホノカがレイを避けるはずがない。基本的に、ホノカは何かを相談したり頼りたいと考えたときに、まずはレイを思い浮かべるのだ。そのホノカがレイではなくテッドを選んだ。当然レイには相談できないことだからだ。

(ということは…あのへんか)

 サツナは一人で結論を出した。しかしそれをレイに教えてやるつもりは欠片もない。
 まず第一に、サツナはレイが嫌いである。第二に、サツナはホノカを気に入っている。それ故に。

(黙っとこう)

 そう結論付けた。
 まさしくサツナが取りそうな選択だった。
 テッドがいないのにレイとサツナが一緒にいる。その非日常が日常に戻ろうかとしていた。
 しかし常ならぬことは案外続くものらしい。非日常であるからこそ起こり得ることなのかもしれない。
 あのサツナが、あのレイに。仏心――常人の仏心に比べたらそれは砂粒のようなものかもしれないが――を出したのだ。

「そんなに好きなら抱きしめて離さなければいい。君になら許される」
「馬鹿なこと言うなよ。そんなことホノカにできるはずがない」

 しれっと云い紅茶を口に含むサツナに、レイが怒りも顕に言い返した。しかしサツナが動じるはずもなく。

「僕はテッドさんが好き。でも僕には彼を抱きしめて離さずにいる権利がない。だから彼に抱きしめて離して欲しくない。だから、彼には――テッドさんには、僕を抱きしめて話さずにいる権利がある。それを行使するかしないかは、彼次第だけど…」

 何事につけても己を失わず、躊躇わず、迷いのないサツナの、唯一のアキレス腱だった。テッドの愛を感じながら、それが永遠に失われぬことに自信が持てない。だから、彼に接するとき、サツナは決して不安を消せない。
 そのサツナが云う。自信を持って。

「ならば決まりだ。安心していい。自信を持っていい。ホノカがテッドさんのことを、君以上に優先することなんて在り得ない」
「サツナ?」

 レイは驚愕に思わず瞠目する。ホノカにならともかく、サツナがレイにこのような『慰め』のような言葉を掛けるなど考えられもしなかったことだからだ。
 サツナはそんなレイのことを、やはり意に介さずに続けた。

「ホノカは恋や愛、欲情。そういったものについて疎い。無知でもある。だから行動に移しようがない。君がホノカを抱きたいにせよ、ホノカに抱かれたいにせよ、君から動かなければ何も始まらない。ところで、レイ」
「なんだい」
「君はホノカに抱かれたいのか?」
「……」

 レイは顔を顰めた。彼はホノカを愛してはいたが、抱かれる側に回りたいとは露ほども思えない。たとえ愛が合ったとしても、それだけは無理だと声を大にして云えた。
 そんなレイの答えにホノカは頷いた。

「ならばそう教えてあげればいい。ホノカは君に抱かれることを嫌がらない。あの子はどちらかというと僕に考え方が似てるから」
「……」
「まあ、待て。レイ。君が云いたいことは分かる。黙って聞け」

 反論しようと口を開きかけたレイを、サツナは片手を挙げて静止した。
 指をピンと揃えられたサツナの手のひらが眼前にずいと置かれ、レイは半眼になる。

「僕とは違ってホノカは優しい。思いやりもある。礼儀も弁えている」
「(……思いやりがなくて礼儀を弁えていないことは自覚してたのか)」
「僕が云っているのは自信の持ちようだ。僕はテッドさんについては自信がもてない。あの子はあらゆることについて自信が持てない。優しすぎて、相手のことを考えすぎて遠慮ばかりしてしまう。君も同じだ。けれど君ほどじゃない。くわえて君はホノカとは違って恋愛に知識があり、自覚症状があり、何よりそれらを理解している。その意味で、僕は君にはその資格があると云った。或いは義務、責任と言い換えてもいい。なぜなら、ホノカが好きなのは『レイ・マクドール』以外の何者でもないのだから。ホノカに教えることができるのは君だけだ。レイ」

 サツナは一気にそこまでを語り尽くし、一度言葉を区切りまた口を開いた。

「君はテッドさんにとっての唯一の親友で。彼にとっての一番だ。それが覆せない事実であるように、ホノカにとっての一番は、あのナナミとジョウイだ。けれどレイ。君もまた、ホノカにとっては決して他の誰にも代わることの出来ない『唯一』だ。僕やテッドさんが彼にとって好ましい存在であることには変わらないけれど、きっと、ホノカにとっての僕やテッドさんの役割を担える人間は存在する。ホノカにとっての『レイ・マクドール』と違って」

 テッドにとってのレイにも、きっと代わりなどいない。レイにとってのテッドも同じだ。その絆が、サツナにはどうしようもなく羨ましく、胸を焼き焦がすほどの切なさを与える。
 レイはサツナの気持ちを察した。端から知ってはいたことだが、このときはとにかくもう痛いほどに察してしまった。
 だから、レイはどこか借りを返すような気持ちで――それはもちろん無意識であった。彼生来の悪餓鬼的意地っ張り気質が働いたのかもしれない――、今度は『慰め』を。そして『励まし』の言葉を告げた。

「僕とテッドの間に、他の誰にも代えることの出来ぬ『絆』があるのなら、君とテッドの間にもそれは存在しているさ。僕がテッドと親友になれたのは――テッドが、僕に心を開いてくれたのは。サツナ、君がいたからだ。僕と出会う百五十年もの昔。テッドは君によって、孤独から救われた」

 今度はサツナが驚きに瞠目した。だから云った。

「気色悪い。もう二度と、こんなことはごめんだ」
「同感だね」

 レイとサツナ。二人は今のままでいい。それが一番、二人らしい。
 多少の照れと謝意と。
 二人は誤魔化すように紅茶を口に運び、緩やかな午後の日差しの過ぎ行く時間を同じ部屋で潰した。
 これは本当に例外。
 日が暮れて帰宅したテッドとホノカが、レイとサツナが二人、一所(ひとところ)で同じときを過ごしたことに驚きに目を丸くする。
 これはそれほどに非日常の出来事なのだった。





 後日。テッドチョイスによる(親愛なるカラカイ交じりの)素晴らしい贈り物が、サツナの推測通り、(テッドの思惑など何も知らぬ)ホノカよりレイに贈られた。





故に互いの自己を失わぬ相手。







talk
 思いがけずホノカ語りになりました。途中台詞がぐちゃぐちゃになってしまいました。きちんと伝わるといいのですが…。ホノカはレイが大好きです。でも恋とか愛とかがまだきちんと理解できていないのです。鈍すぎて自分の気持ちもきちんと理解できていません。レイはすごい人で、たくさん助けてもらって、だから自分はレイに対して他の人よりもすごくたくさん好意を持っている〜程度に思ってます。なのでサツナはホノカに正しい感情を理解させるべきはレイが負うべきだとはっぱを掛けています。うちの坊主はお互いが遠慮がちで、本当に進展がないんです(苦笑)。
 最後のレイの台詞。本当は、『テッドにとっての天魁星はサツナだけ』ってしようと思ったのですが、それだと今後の幻水シリーズでT以前が舞台になったとき、テッドが仲間入りすることを素直に期待できなくなってしまうのでやめました(笑)。
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2006/12/03_ゆうひ。
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