白百合革命
-スカイグリーンの苦笑-
晴れ渡った青空に、憂いがないなどと誰が云ったというのか。 |
人は好きだ。そのすべてが愛しいと感じている。 けれど特別な誰かができるなんて、もうないと思ってた。だから驚いた。まったく。驚かされた。 「テッドさん」 珍しく真剣な顔で何を云うかと思ったら。 「もういっそこういうのはどうだろう。僕がテッドさんを押し倒してうっかり孕んじゃったりして、なんかこう、『ごめん、レイ。おまえの婚約者が俺を傷物に』ってな感じで、僕と一緒になりません?」 真面目にアホなことを云うな、この馬鹿。 そう返してやったらあいつはいつもの、一見すると純朴そうな――実際は何も感じず、何も考えていないだけの、ぽけっとした表情で首を傾げた。 この頑是無い子供のような表情に、きっと回りは絆されるのだろう。強く出ることが躊躇われるのだ。 俺にすれば、こいつがアホでアホで仕方がないことの裏づけにしか感じられないものだから、もう疲れるほどの呆れしか呼び起こしてはくれない代物ではあったけれど。 それでも。やっぱり絆されているのだと感じる。否応もなく、感じさせられる。 なんだかとても、気になって仕方がないのだ。 はじまりはどうということもない動機だった。少なくとも自分にとっては、取るに足らないことで終わる些細なことのはずだったのだ。 彼女が去り、自分はその存在を忘れて、面白可笑しく――少なくとも親友の前では表面上をそのように取り繕って――人生を謳歌する。 その予定だった。 親友が恋をした。 まるで子供のように瞳を輝かせて。頬を紅潮させて。 出会った少女のことを語る。 あんなにきらきらした表情はもうとんと久しぶりだ。 そして少し自嘲する。敵国の女王に何を浮かれているのかと。 今度は婚約者ができたと。僅かに苦笑して告げてきた。 皇帝直々の命(めい)だ。断れない。 涙と自嘲と諦めを内包した瞳で微笑を描いたその顔に、ああ、こいつはいつの間に、こんな大人になったのかと思った。 少しだけ、淋しかった。 野垂れ死に寸前のところを拾われた。散々な人生で初めての幸福を与えてもらった。 せめてその、与えてもらった幸せのために何かをしたかった。 嫌な奴を演じて、相手から断らせてやるつもりでいたのに…。 婚約者との仲を散々邪魔されれば、甘やかされたお姫さまのことだ。癇癪を起こして婚約破棄でも告げてくれるかとの目論みはあっさり崩された。 とんだ規格外のお姫さま。一癖も二癖もあるそのお姫さまは、嫌われようと演じた自分に、なぜか絶大な好意を示して――。まったく理解できなかった。 人知れず野たれ死ぬのがお似合いの人生のこの身だと思っていた。たくさんの嫌なことを経験した。たくさんの醜いものを見てきた。 そんな俺に頼りがいのある力強い手を差し出してくれたのは、今は親友の父であるテオ・マクドールで。そんな俺を、親友だと手を取ってくれたのがレイだった。 俺の心はそれにどれだけ救われたというのだろう。 言葉にすれば柄にもなく泣いてしまいそうで。素直にお礼の言葉を口にするなんて、それこそ柄ではなくて。だからせめて、行動に移そうと思っていた。 レイの幸せな未来への手伝いくらい。そう思っていたのだ。 嫌な奴を演じて憎まれるぐらい、痛くも痒くもない。レイに頼まれもしないのに、さり気なさを装って。いつもの自分を装って、確実にお姫様を追い返すつもりで。 目論見はどこから外れだしたのだろうか。 後にサツナに聞いたところでは、どうやらはじめから外れていたようだ。 一目惚れ? 一目惚れなのか?! というか一目惚れってなんなんだ?!! 特別が誰かができるだなんて思いもしなかった。あの日、自分に連なるあらゆる人々を失って放浪の身に晒されてからは一度として。 それがどうだ。 ダンデライオンのような温かな家。心。新しい家族ができた。 そして親友ができた。 馬鹿笑いも悪戯も。何もかもが懐かしい。――いや、はじめてだ。 親友の護衛兼教育係の作るシチューは絶品で、親友の父親は尊敬に値する人格者で、その部下として家族同然に屋敷に住みこむ人々は皆(みな)温かい。 それでもう充分だ。 それだけでもう充分過ぎて、それ以上なんてこれっぽちも望んでなんかいやしない。 けれどその破天荒な姫君はそれらをすっぱり無視して、自分の手だけを取ってくれと真正面から言い放つ。 それが無理なら、せめて自分の手を一番重要なものにしてほしい。 それも無理ならせめてその手を取ってほしい。 いいからもう帰ってくれと懇願したことがあった。 もちろん冗談だ。理由もなくそんなことができるはずもない――立場にいるわけだが、本気そうしたいと考えとき、彼女なら簡単にそれをしてしまえる気がするから恐ろしい。 自分の立場や周りの動向に鈍いのではない。むしろ鋭すぎるほど的確に捉えていながら、それら一切を無視してしまえるだけの胆力があるあたりが実に厄介であり、恐ろしくもあるのだろうとテッドには思われた。 サツナは答えた。一切その心に惑いも傷つきも見せずに。 ゆるぎない信念をこうも体現できるものがあるのかと、思わず感嘆に見惚れ、しかしその後に続く言葉に我を取り戻す。疲れが心天を指して脱力感に襲われた。 「いやだ。僕の帰るべきは貴方の元だと僕自身が決めた。貴方のほかに、僕の故郷はもうどこにもない」 彼女は故郷も家族も友人も。 何もかもをあっさりと捨ててしまえるのだ。テッドのために。そのためだけに! いったい自分の何が、そんなにも彼女の心をとらえることに成功したのか。テッドには皆目見当もつかない。犯人が分かったところで到底褒め称える気にはなれないが、ここまでわからないと知りたくなるのもまた人情ではないだろうか。 テッドは舌打ちした。 何に対しての舌打ちであるのか、テッド自身にもさえわからぬままに。 まったく曇りなく。常に明快であるよう映る彼女の心にだって、いくつもの影があるのかもしれない。 けれどサツナではないテッドにはそんなことわかりようもなく。 サツナを受け入れること――その心に応えることのできないテッドには、それを訊ね、察し、憂う権利さえないのだ。 侭(まま)ならぬ人生に、人は晴れやかな空にさえ、幾度にも苦笑を洩らして地に足をつけて立つように。 |
陽光が煌めく完璧な空。心晴れやかにするそれは、しかし影もまた作り出すのだから。 |
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表のケルビムのおまけと同じ順序で各キャラがメインに来てますが、意図したわけではありません。この順(4主→2主→坊→テッド)が書き易い(というか、話が浮かぶ)だけです。そしてご推察の通り、まだ続きます。だってやりたいことの半分もできてない。外伝の『竜を操る一族』も、鋭意タイトルのみ執筆中!(←さあ、どこがおかしいか当ててみよう!)。 ……総合的に何を言いたいかというと、短すぎてごめんなさいということです。この話よりもむしろ次が早く書きたい。これは位置付け的には閑話です。休題です。テッドの身の上話はもうちょっと後になってからもっと明らかにしたいと思っております。 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2007/02/01〜24_ゆうひ。 |
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