白百合革命 
-エクレールブランシェの苛立ち-






それは神々の怒りよりも尚激しく迸り。





 実質、これが公の、そして初めてのお披露目だった。
 赤月帝国六将軍が一人、テオ・マクドールの子息であり、皇帝にぜひ養子にしたいとまで望まれるほどの実力者であるレイ・マクドールの婚約者としてサツナが赤月帝国へやってきて三ヶ月目。初めて招かれる皇帝主催のパーティーに、レイの差し出す腕に手を添えて赴く。
 淑やかに。
 それが、レイとの約束であり、テッドが笑い混じりにサツナに要求したことであった。故にサツナは忠実にそれを実行する。
 武道を極めたサツナである。立ち居振る舞いの優雅さでは他の追従を許さない。
 男たちの憧れの眼差しと、女たちの嫉妬の眼差しが一心にサツナに注がれていた。

 黙って立っていれば真珠のような美しさを放つサツナである。まるで淡い光を放つようなその神秘的な美しさに、男たちは自らのパートナーの存在さえ忘れて見とれてしまうものだから、彼らのパートナーの女性たちが気分を害するのも無理はない。ましてそのサツナのパートナーは赤月帝国の貴族の息女達の密やかな憧れの的。レイ・マクドールであれば尚更のこと。
 三か月。
 サツナは一向に思い通りにならない現実に、多少の苛立ちを感じ始めていた。それだって、サツナにしてはとても寛大なことだ。
 三か月も、彼女は耐えている。
 三か月も、だ。

 有り得ないほどの根気を見せている、と本人は思っている。こんな宴会に出席し、さらにはにこやかに微笑んで見せるなんて芸当は、故国のオベルでだって一度もやってやったことがない。
 赤月帝国でそういう場に出ることになるだろうとは予想していたが、そこでもオベルでそうしていたようにするつもりでいたのだ。
 つまり愛想を振りまくことなどかけらもせずに、食べたい物を食べ、どうでもいいすべての人々の話を無視して。ダンスなんてまったくごめんだし、社交辞令なんて虫唾が走る。
 それなのに。それなのに。
 まさかそれを享受する日がこようとは、思いもよらなかった。

「そのドレスは群島の流行りなのかしら? とても独創的なデザインだわ」

 嗤い混じりに掛けられた声に、サツナは微笑みを返した。周囲からは感嘆のため息が漏れ、声を掛けた貴族の子女は首を左右に振って周りの反応を見てはサツナに視線を戻し――増す嫉妬に瞳をぎらつかせて睨みつけた。
 真夏の海に陽光が反射するような。プリズム色の微笑。
 ほんのりと、僅かばかり薄紅(うすべに)に染まる頬(ほほ)。奥床しく開かれる唇から洩れる華やかな少女の声音。
 耳に響く軽やかなその声に、だれもが聞き惚れ我を無くす。

「はい」

 第一声は華が綻ぶように、空気にふわりと広がった。

「レイ様が家族と離れ淋しいだろうと…。畏れ多くも私などのために群島から取り寄せて下さったのです。私には群島の衣装がやはり一番似合うから、ぜひ今宵のパーティーにはこれを着て行くようにと――」

 ふわふわと。まるで小鳥のように愛らしく語るサツナの横で、レイは婚約者を優しく見守る微笑で見つめ続ける。
 まるで絵に描いたような理想の恋人たち。
 その仮面の下で、あまりのおぞましさにレイは鳥肌を立てていた。

(レイ様? 私?! サツナの奴、いったい何を考えているんだ?)

 いぶかしむ思いしか心に浮かばぬのは、ある意味、この三カ月の間に彼らの相互理解が深まった証しであるだろう。その理解によって二人が恋人同士に近づいたかといえば、それは全く遠ざかったのに違いないが。
 そもそもパーティードレスを用意したのはサツナ自身だ。テッド(と、ついでにレイ)から淑やかな深窓の令嬢の如きお姫様を演じろ――最低でも普通の、極一般的な対応をする『人間』を演じろ――との命(めい)を受け――テッドは笑っていたから、恐らく面白半分に言ったのだろう。しかしテッドがそれを望んでいるならば叶えないわけにはいかない――、サツナは暫しの思案の後に故郷へ手紙をしたためたのだ。
 赤月帝国へ来て、それが初めて故郷へ送るサツナからの連絡だった。なにしろ、彼女は故郷から届く手紙に目を通すものの、返事を送ったことなど一度もないのだから。
 そうして届けられたパーティードレスはまるで真珠のように煌めき、珊瑚のように慎み深く色づき、水のように透明で、飛沫のように軽やかな、それは見事なものだった。レイたちは知らぬことだが、故国ではいつも動きやすいパンツ姿で、腰には剣を挿していたサツナだ。姉姫のフレアも似たりやったりで、オベルでは多少なりとも武道を嗜む女性は皆パンツの方を好んでいたが、それにしても正式な場では伝統的な女性用の王族衣装を着用していた。サツナはそれも嫌がり、正装も男性用の軍服だった。そのサツナが、わざわざ遠く離れた故国に最高のドレスを所望してきたのだ。王妃と姉姫はそれはもう張り切って選びに選び抜いたものを送った――ことは、残念ながら赤月帝国の誰も知らぬことだった。
 唯一、サツナにとって満足することがあったとすれば、テッドがその見事さに感嘆し、それを身に付けたサツナを褒めてくれたことだろう。サツナは子供のように心をはしゃがせ、恋する乙女その儘に頬を染めてはにかんだ。

 そのときの微笑に勝るとも劣らぬ美しい微笑でレイを見上げるサツナに、優しげな、しかし頼りがいのある男の微笑でレイが応える。頬を染めてレイに見惚れる少女たちを淑やかな微笑で眺めながら、サツナがそっとレイに身を寄せた。
 そしてぼそりと。
 まさしくその表現が合うように、囁き掛けた。

「おい、レイ」

 常のサツナの声音だ。少女にしてはやや低めの、抑揚のない、そして尊大な話口調。
 レイは微笑を消さずに、その視線をサツナに向けることで応えた。目は口ほどにものを云うわけではないが、二人はしっかりとアイコンタクトに成功していた。

「なんだ」

 話の続きを促すレイに、サツナが続ける。相変わらず、どちらもが光に彩られた錯覚さえ見せる極上の微笑を浮かべながら、その会話は交わされることとなる。

「テッドさんに、マクドール家の品位と評判を落とさないようにしっかりとやってこいと背を押して送り出してもらった。だから大変不本意だが、些か張り切っている。君もしっかりやれ」
「…君に言われるまでもない」
「だろうな。ところで僕は同時に苛ついてもいる。どんなに君たちが僕を人外扱いしようと、僕だって人間だ。苛立ちくらいする。だからこれは八つ当たりだ。不運だったな」
「意味が分らないな」

 レイは肩を竦めた。もちろん心情的にそういう気持ちになっただけで、実際に肩を竦めるという動作をしたわけではなかったが。
 サツナにはレイの心情が手に取るように、正しく理解できた。

「何度も云うが、僕は苛ついている。君の甲斐性の無さと、僕自身の不甲斐無さに。なんかちょっと赤月帝国をぶっ潰そうかと思うくらいには」
「おいおい…。流石に物騒すぎる」
「何を云ってるんだ。いいもんだぞ、共和制だって。共和国に住んだことがないから知らないけどな」
「……」
「テッドさんを独り占めするには君がやっぱり邪魔で、君を排除するにはどうしてもホノカが必要だ。赤月帝国が崩壊して共和制にでもなれば、貴族も何も、身分なんてなくなるぞ。さらにデュナン国が崩壊すればホノカも王ではなくなり、身分違いの恋なんてバカな悩みはすっきり解消される。幸い、デュナン湖を挟んで連立するハイランド王国の皇王ジョウイ・ブライトは、僕の調べたところによればなかなかに追うに相応しい人物だ。ホノカの幼馴染だし、信頼も厚いしな。これだけ揃えてやれば、さすがのレイでも踏み切ることができるだろう? 今日のこれはそのための布石だ」

 サツナが華やかに微笑んで見せた。それは彼女の云うところによれば――八つ当たりに他ならない。
 当初、彼女に嫉妬の瞳を向けていた女性たちの半分はその無垢な淑やかさに頬を染め、その内の何割かはそのあどけなさと優美さを併せ持つ一挙手一投足のすべてに崇拝の気持ちさえ抱くようになっていた。サツナの云うところの布石らしいこれらの結末を、レイは何となく察し、止める気持ちをさらに抑えつける思いがあって、結局身動きが取れずに密かに冷や汗をかくばかりだった。
 それでも崩さぬ貴族スマイルは流石か。
 レイに向けられる同性からの嫉妬と羨望の眼差しは増し、異性からの憧憬の眼差しもまた、それに比例した。
 僅かの時間に社交界のすべての人々の心を捉えてしまう勢いのカリスマ性。レイとサツナのそれは、甲乙つけがたい勢いを持って発揮されている。それはまるで熱風が放射線状に膨らみ流れていくように、やがては赤月帝国の人々すべてがその魅力の虜になるのではないかとさえ思わせるほどだ。

 膠着したかに見えた広間に一石を投じる存在が現れたのはそのときだった。黄金帝バルバロッサ・ルーグナーとその愛妾である宮廷魔術師ウィンディ。
 その登場に会場がざわめきに揺れ、人々は恭しく腰を折る。
 その様子を満足そうに眺めやり、黄金帝は玉座に腰を下ろした。

 レイはそんな皇帝に視線を向けたまま、彼にしては珍しく意地の悪い囁きを落とした。サツナへのちょっとした意趣返しの意味が、その動機の大半を占めていただろう。

「宮廷魔術師うウィンディ。あれが、テッドの心を捉えて離さない女さ」

 サツナがぴくりと肩を揺らすほどに反応したのが分かり、レイは意地の悪い笑みを浮かべた。こっそりと持ち上げられたレイの口端に、サツナは意を介しはしなかった。そんなことにかかずらわっている暇(いとま)などなかったのだ。
 じっと睨みつける視線の先には、件の魔術師の姿。
 サツナは更なる説明を無言のままにレイへと求めた。突然降って湧いたあまりにも意外な事柄に、或いは戸惑っていたかもしれなかった。

 レイは苦しそうに顔を曇らせ、それから漸く口を開く。
 サツナは黙ってレイへと視線を送っていた。

「テッドの詳しい過去は僕も知らないんだ。本人は戦災孤児だと言っていた。故郷の名前さえ思い出せない幼い頃に焼き出されて、それでもその戦争の発端と、故郷を焼き討ちにした現況があの女だということだけは目に焼き付いていると」

 初めて聞かされるテッドの過去。できればテッド本人の口から聞きたい事ではあったが、贅沢を言ってはいられない。

「あの女はテッドの村に伝わる何かを狙っていて、テッドは村からそれを持って逃げ延びた。それが何であるのかまでは教えてくれなかったけど…」
「テッドさんは、今もまだ、あの女から逃げ続けている?」
「……おそらく」
「……レイ」
「なんだ、サツナ」
「悪いが、赤月帝国は滅びる」
「?」

 レイが今度こそ顔を向けてサツナに視線を向ける。そこには先ほどまでの冗談――それにしてもサツナは冗談を語る人間ではないので、それは比喩であって、つまりはいくつか考えている可能性の一つとしてある程度は本気であるはずだ――とは異なる響きがあった。

「あの女、なんだかとてもむかつくんだ。虫唾が走る。僕の全身全霊が訴えかけている。あの女は、僕の怒りが向くべき対象であると。――あの女の為に、赤月帝国は僕に滅ぼされるだろう」

 サツナの視線の先には傲慢に微笑い続けるウィンディの姿がある。バルバロッサに向ける流し眼は、今、この場に誕生した彼女自身の敵の存在に気づいてもいない。
 レイは何も返しはしなかった。赤月帝国が滅びることも、ウィンディがサツナの八つ当たりの標的になったことも、これはレイ自身も驚いたことに、あまりにも彼の心を揺さぶりはしなかったのだ。
 サツナは、レイの意見など端から考慮したりはしない。レイにしても、赤月帝国への忠誠はあるが――いや、あるからこそ、あのウィンディという宮廷魔術師は好ましくはなかったし、帝国の現状に思うところもあったのだから尚更。
 サツナはウィンディを冷たく眺めた。

「見たところ、あの女には皇帝の寵愛はあっても、その他の人望は無さそうだし」

 ついでに頭も悪そうで品性もない。
 サツナのウィンディを睨みつけるその目は強く鋭いまま、その口元には不敵な笑みが作られていた。





宣言しよう。この閃光から逃れられる者などないと。







talk
 この話で一つだけ後悔していることがあります。無理して一話で終わらせようと、「アクアブルーの失望」にちょっと話を詰め込み過ぎたことです。ちなみにタイトルの『エクレール』ですが、これはお菓子のエクレアのことです。フランス語でエクレアは電光・稲妻・閃(ひらめ)きのことらしく、 foudre が雷そのものを指すのに対して、 eclair はつまり雷の光について指すらしいと聞いてつけました。
 ついでにブランシュ(blanche)はフランス語で白(blanc/ブラン)。どっちを前に持ってくるかは私が勝手に語感がいいと判断した結果です。だって別に正しいフランス語を使いたいとかは全く思ってないから。タイトルにしたいもののイメージがあって、語感のいい言語を探してタイトルにしたいだけ。自分が納得できる程度にそれっぽいタイトルがつけられればそれでいい。それだけなんです。でも間違ってて不快に思われたら謝ります。ごめんなさい。面白かったら笑ってやって下さい。
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2007/02/22〜28・0311_ゆうひ。
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