白百合革命 
-ユニコーンブラッドの輝き-






穢れ無き乙女の薫り立つ輝きに笑みは無く。
悲しいと泣くくらいなら、そんなものは捨ててしまえ。
どうせそれがお前の捧げる相手でもあるまいに。





「赤月帝国の次期六将軍と名高い、レイ・マクドール卿が奥方を迎えられるそうですね。帝国では華々しい祝いの舞踏会が開かれたと聞きました」

 ジルの持ち出した話題に、ホノカは笑みを返すだけで答えた。ジルがホノカの笑みに憂いや困惑といった哀しい感情を見出せなかったはずもない。笑みは直ぐに消え、僅かに視線の落ちた姿を見れば尚更に。
 紅茶を口に含む姿にも、ただただ疲れが見て取れた。

 到底言葉など返せもしないだろう。分かっていながら少しだけ意地悪な話題をジルが大切な友人であるホノカに振ったのには訳がある。
 それは数日前の晩のこと。ジル――と、その夫であるジョウイ――の寝室に突然の侵入者が現れたのは。
 それは一国の国主としてはまだ若すぎる夫婦とそう歳の変わらぬ少女であった。彼女は自らを、遠く群島諸国に連なる国の王女であると告げ、さらには件のレイ・マクドールの婚約者であると告げた。そして話したことには、ジョウイもジルもただ唖然とするしかない。
 曰く――。

『近々赤月帝国は滅ぶ予定だ』
『『!』』
『それに伴いデュナン国も滅ぶ』
『『!!』』
『でも後任がいないと僕が怒られるので、君が全部まとめて押しつけられてくれ』
『ちょ、ちょっと待ってくれ!』

 まったく意味が通じないその説明に、ジョウイは堪らず叫んだ。ジョウイの反応のは当然のもので、責められる謂われも不思議に思われる要素もない。
 しかし侵入者にとってはそうではなかったらしい。軽く小首を傾げてから先ほどよりは丁寧に――それでもまだまだ端的過ぎるように感じられたが――重ねての説明をくれた。
 それにジョウイもジルも賛同し、こうして密やかな同盟は結ばれたのであった。

 そうして現在に至る。
 ジルは再びホノカに視線を戻した。相変わらずの憂いた姿は美しく、けれどホノカの魅力が本来はそれとはまったく逆のものであること、ジルは知っていた。
 健康的で、明るくて、優しくて。思いやりと生真面目さと。
 もし、いづれ夫との間に子を授かるのであれば、ジルは迷うことなく、ホノカのような子が欲しいと答えるだろう。彼女の夫も笑って賛同してくれるとの確信を、ジルは心中懐いていた。

 コトリ。手にしたティーカップを置けば、陶器の軽やかな音が鳴る。
 ジルはその音色を優雅だと感じていた。昔から、陶器の擦れ合う軽やかな音は好きだ。
「ホノカ」
「? どうしたの」
 呼び掛ければ、ホノカは僅かに首を傾げた。ジルは微笑んだ。
「ホノカには、私がジョウイと初めてお会いした日のことを、話したことがあったかしら」
「え? ううん。そういえば、聞いたことないけど」
「あら、じゃあ、ぜひ聞いてくれる?」
「それはいいけど…。でも、どうしたの? 突然」
「ふふ。惚気たいの」
「えぇ?!」
 常のジルらしからぬ言葉に戸惑うホノカに、当の彼女は楽しげに笑ってみせた。
「だって、こんなこと話せるの、あなただけだもの」
 ホノカは只管唖然としてしまうのだった。



 ―――――……………………。



 王族と貴族の結婚など、それこそ定められた政略的なもの。珍しくもなければ、夢見る隙など、実は一分もない冷めたもの。
 それでも、まだ甘い夢に半身を浸からせていた少女の私(わたしく)は、自らの結婚という事象と、夫になるという『王子様』にかわいらしくも心を高鳴らせていたのです。
 それは間違いなく政略結婚でしたが、そんなことには一切かかわってこなかった私の身にとって、それはきっとお見合い結婚というものと同じものだったのです。けれどきっと、箱入りの私にはそれ以外の出会いなどなかったことでしょう。そして、例えそうでなくとも、あの方以外の人など、私には有り得なかったでしょう。
 その方は私に優しくして下さいました。
 それまでまったく興味のなかった私ですのに、自分の妻になる女だと知れたその日から、愛(いつく)しみを与えて下さるようになりました。優しい言葉、優しい微笑み。時には城下へ散策などへも連れて頂いたり。
 何も知らぬ無知な私でしたから、ただ、浮かれておりました。
 私に触れてくれる手はただ優しく、それが夫婦の全てであると信じ、疑いもしなかったのです。

「私がジョウイに、ホノカに会わせて頂いたのは、その頃だったわ」

 なんと大胆な!
 国の外へと供の一人もつけずに抜け出す。そんなやんちゃなことをするだなんて、理知的な彼からは想像もできぬ事でした。
 私の腕を引いて、彼は笑いました。その笑顔に、私は『ああ、この人がいれば大丈夫』と、理由もなく安堵して、初めて森を駆けたのです。
 連れて行かれたそこで、彼の一番の親友だという少女と引き合わされました。

「私ばかりが知らず、ホノカもナナミも、私のことをジョウイから聞き知っていたわね」
「あ、それは…」
「ふふ。いいのですよ。ジョウイは…。あの人は、私に選択を与えようとしてくれていたのです」
「選択?」
「ええ。ただ安穏と、彼に守られる深窓の令嬢――それは、卑しくも人を見下す貴族の女――として生きるのか。或いは、あの方を信じて付き従う――それは、あの方の理解者であり共謀者である半身――として生きていくのか」
「……そんな、大それたこと…」
「いいえ。ホノカ。私のあなた達から受けた衝撃は、それほど大きかったのです」

 まるで信じられない。
 こんなに楽しそうに笑う彼を見るのは初めてのことで、まるで子供のように。それこそ、唯人のように。
 疎外感を感じました。
 初めての感情に戸惑いました。
 戸惑いました。いったい、なぜ私はこのようなところに連れてこられたのでしょうか。一体、この者たちと私と、どのような交流をしろというのでしょうか。
 初めて考えました。そうして唐突に、私は彼の意図を察したのでございます。

「ああ、私はただ形ばかりの『正妻』であるのだと。そう、突き付けられているのだと感じたんです」
「そんなっ!」
「ホノカ。分かっています。ジョウイとホノカとナナミ。三人は幼馴染で、ジョウイは私のことを、大切な、それこそ兄弟も同然のあなたがたに紹介したかったし、私にもあなた方を紹介したかった。そうして家族が増えることを、私を家族へと向かえることを、三人が意図していたこと、今なら理解しています。それは私にとって何よりも嬉しく、温かい掛け替えのないもの…」
「ジル…」
「けれど、あの時の私には、ジョウイが恋しているのはホノカで、私はあくまでも形式上の妻。それを実感させられたの」

 哀しみと、諦めと。ただ夫の意図するままに、唯々諾々と。それが良き妻、良き女性だと教えられてきた私です。受け入れようと思いました。
 けれど、それだけで終わらずに生まれたその感情が、今の自分を作ったといっても過言ではないでしょう。
 それは私さえ知らない、私の一面でした。

「ホノカにね、嫉妬したんです」
「えっ、僕に?」
「ええ、あなたに」
 思わず自分を指示して瞠目するホノカの様子に、ジルは軽やかに笑って返す。たおやかなジルの一挙手一投足に、ホノカはほんのりと頬を染めた。
 同性から見ても、ジルの母性に溢れたその仕草の一つ一つは美しく優しげに映るのだ。

 どうしても、彼を奪われたくありませんでした。けれど縋れば逆に彼が離れていくと悟ることができたのは、私にとってこの上ない幸運だったでしょう。
 学びました。
 男性のするべきだとされる学問に興じました。あの少女は男性と同じように一国を収める器だと知り、少しでもその知性に近づこうとしました。何より、彼に近づきたかったのです。
 そうして、彼に正面から向き合いました。

「ジョウイは話してくれました。国のこと、戦争のこと」

 正直、付け焼刃の知識では彼の手助けになど、到底なれそうもありませんでした。それがわかるだけでもましなのだと痛感しました。
 戦争なんて当たり前のことだと思っていました。私には関係のないことだと思っていました。
 まさか、彼がそんなにもそのことに憂いていただなんて。
 まさか、それがあんなにも辛く悲しく痛々しく。そして恐ろしいものだっただなんて。
 知ることができたことに、感謝しました。
 それをなくしたいと。国民に平和と幸福を得て欲しいのだと。切実に、強く語る彼の姿を知り、ますます――或いはこの時から真実――彼を愛するようになりました。
 彼の夢の為にどのようなこともしよう。その夢に向かって戦う彼の、一番の支えになろうと誓ったのです。



 ―――――……………………。



「彼の誓いは尊いものです。だから、私はあの方を愛しているのです」

 ホノカはジルの告白に聞き惚れた。
 初めて出会った頃は、ただただ戸惑っているばかりに映ったお嬢様が、なんと強い意志を持ったことだろうか。
 自信と誇りに満ちたその表情が力強く輝いて見える。

「ホノカ」
「……」

 返す言葉もなく、ホノカは徒ジルに向き直った。

「悲しんで、諦めて。あの頃の私と同じね」

 ジルの微笑みは、優しかった。










 嫉妬している。
 認めよう。私は嫉妬してる。
 あの日。あの夜中。あの彼女が私の前に現れ、その口から彼の名を出したその時から、きっと、私は嫉妬していた。

 そんなことなど抱きもせずに、ただこの国と共に生きていきたかった。
 特定の誰かにひかれるなどせずに、ただこの国の、そこに生きる人々の笑顔で、十二分に心は満たされていたのに。
 どうして出会ってしまったのか。
 恨む心があるのに、悔いる気にはなれなかった。

 もう嫌だ。叫ぶ心がある。
 一人の女となり、彼のもとへ駆けていきたい。たとえ振られても…。諦められないほどに好き。
 けれどそれはならぬと止める自分がまだ強く。おそらくは、それが自然と弱まることなどない。
 だって、愛している。
 この国を愛している。責任だって持っている。
 どちらも捨てらない。
 彼も、国の平和も。
 だからこんなにも辛いのだと知りながら、認めてしまった。涙が止まらないのに、私はまだ動き出さない。










 赤月帝国を滅ぼし、デュナン国も滅ぶ。赤月帝国はあの王女の愛の為に滅ぼされ、デュナン国は優しい主君をその愛の為に解き放つことによって。

『僕には愛する人がいる。その人を手に入れるためにはレイが邪魔で、それを解消するためにはレイとホノカが一緒になって貰うのがベスト。赤月帝国にはちょっと気に入らないことが多いから、うっかり滅ぼすことにして、ホノカがいなくなればデュナンはクーデター状態に陥る。他に君主の資格のある人間もないしな。でもそれだとどちらの国の民にとっても不幸だ。僕の殉じる人はそれを厭う。僕は君に王たる資格を認めた。今のところ、他にいい人間はいないから、君には現在の三ヶ国の領土をまとめて背負ってもらいたい。或いは赤月帝国はほかにだれか見繕うこともできるかもしれないけれど、とりあえず、今はそういうつもりでいてくれ』

 大切な幼馴染の為だと言われた。
 いつも、何かを我慢してばかりいる、あの少女の幸せの為だと。
 そして、それが本当に彼女の幸せになるだろうことを、自分たちは認めたのだ。

 ジョウイはホノカに告げた。滅多に泣かない彼女が、今、こうして涙を流している。
 それだけ激しく思える相手が彼女にできたことが、ジョウイにはただ純粋に嬉しかった。

「ホノカ」

 大切な。
 幼馴染で、親友で、好敵手で、妹だった。ずっと、守られ、守ってきた。
 守る役を譲るのは、ちょっと淋しい気もする。けれど。

「ホノカ」

 ジョウイの呼び掛けに、ホノカが顔を上げた。
 そこに辛い時にはいつだってそうあったままの、親友の優しい微笑が変わらずにある。
 ジョウイが口を開き、ホノカは彼の言葉を耳にするまで、あと、もう少し――。





もう、頑なな蕾を開いてしまえ。







talk
 前回のロータスピンク〜とサブタイトルを交換したいと思っていた今回のサブタイトル候補は「ユニコーンパールの憂慮」。でもメインがホノカではなくジル様になったのでサブタイトル変更。ユニコーンに守られる純潔の乙女であるよりも、その血を纏うことさえ厭わぬ強い心を選んだのです。前後の分はそれでもまだ純潔を守るホノカをけしかける言葉(笑)。ナナミが上手く出せなかった…。
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2007/03/25・0401_ゆうひ。
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