白百合革命
-ウェントゥスウィリデとの遭遇-
その風は優しさも清々しさもない。 勇ましさも悲しみも齎しはしない。 けれど、それは間違いなく必要な風だったのだ。 |
「やめろ!」 何を考えているんだとの怒声が響き亘る。テッドがこんなにも感情を顕わにしたのは、これが初めてだった。 テッドの怒りを真正面から受け止めて、しかしサツナはそれでも眉の一つも動かしはしなかった。彼女はこうと決めたら絶対に揺らがないタイプであったが、このことについてはそれ以上に、テッドに怒りを向けられるだろうことを事前に予測していたことが大きかった。何に揺らぐことのない彼女であったが、目の前にいるテッド云う彼に対してだけは、どうにも心が弱くなるのだ。 自分は自分でしかあれないし、誰に左右されて合わせる気もない。そんな自分に何の不満もないサツナであるが、テッドの望むようにはなりたいと思うのも事実だった。できるだけその好ましいと思うようになりたいし、彼が好まざることはしたくない。愛してほしいのだ。慈しみの対象になりたいし、できればそれを独占したい。 だから彼から怒りを向けられるという現状は、サツナにとっては――その能面の顔からは及びもつかないが――身を切られるほどに辛いくきついことであった。 それでも彼女は耐え、そしてこれからしようと決意したそれらのことを断行しなければならないのだ。なぜなら、それこそが、目の前にいる彼の愛を独占するための第一歩なのだから。そしてそれ以上に、彼の心の平穏の為に。 少なくとも、今のサツナが考え得る最良の方法は、それしかない。その、藁のような情報に縋るよりほかに、テッドに何かを与えられる術がないのだ。 その情報をもたらした相手にさえ嫉妬心渦巻く彼女だから、もう、これ以上は何一つとして、彼より近しい存在など許せない。本当は、ただそれだけなのかもしれなかったが。 だから反論した。テッドはサツナが反論したことに驚かなかった。サツナにしてみれば、それもまた心痛をもたらすことなのに。 テッドに反論などしない。その意思に従う。 サツナはそう思っているのに、そうふるまってきたつもりであるのに、テッドにはその何一つ、通じていないのに。それで、なぜ心を痛めずにいられるのか。 「それだけはできない。レイにあなたのことで負けて、あの見知らぬ女にまで負けてるなんて…。少なくともあの女を消すことだけは譲れない。僕があなたの一番の女になる」 「あいつ――ウィンディには手を出すな…」 「危険だから?」 「そうだ」 「なら、狙い通り。あなたにこのことを打ち明けて良かった。ねぇ、僕の心配をして。そして、心を焦がして」 「サツナ?」 瞳を伏せるサツナと、サツナの言葉の真意が分からず訝むテッド。その差が、二人の互いへの思いの差であり、距離であるようだった。 真夜中のグレッグミンスター城に二つの影があった。一人は軽装の少女。一人は魔術師が好んで身に着ける法衣に身を包んだ少年。 空中庭園から場内へ進入しようと企んでいた少女は、思い掛けないその遭遇者をさっさと排除しようとし、それを止めた。その少年に自分と同類の匂いを嗅ぎ取ったからだ。 緑を基調とした法衣を着た、その少年とサツナが睨み合う。先に口を開いたのはサツナだった。 「誰だ」 「わざわざ訊ねるなんて、親切なことだね」 「別に。だって、僕の方が強そうだし」 古今、生殺与奪の権利を握っている方にこそ、質問権は与えられるものである。 少年は僅かに瞳を眇めた。サツナの答えが気に入らなかったらしい。 「……これだから力ばかりの馬鹿は嫌いなんだよ」 「そういう君は魔術師のつもりかい?」 「その辺にいる似非魔術師と同じにしないでくれることを願うよ」 肩を竦める少年に、サツナは首を傾げた。 「? 魔術師なんてみんな怪しくて胡散臭いじゃないか。そんなものを信じて虜になってる時点で、バルバロッサもたいしたことないと思ってたけど」 「中には本物もいるってことだよ」 「君がそうだっていうのか」 サツナの目はどこまでも胡散臭いものを見るように眇められている。少年は肩を竦めた。 「僕はもちろん本物で、しかも一流だけどね。ここで宮廷魔術師なんてやってるあの女も相当なものだよ。侮らない方がいいんじゃない」 「……魔術師をか?」 「そう。魔術師をだよ」 「ひ弱ななりで口だけじゃないか。あやしい薬を差し出して、おべっかばっかり言うのが関の山なのに?」 「だから、それが似非魔術師だって。というか、あんなのが魔術師だなんて思われていること自体が不快だね」 「ふーん。で、お前は誰だ」 「君こそ誰だい」 「サツナ。バルバロッサと宮廷魔術師ウィンディを抹殺に来たんだけど、これを聞いて君が僕の敵になるなら、君も僕の抹殺リストに加える。どうする?」 物騒なことを軽く口に上らせるサツナに、少年は溜息を一つ零した。サツナが自分の名をいとも簡単に明かしたことに毒気を抜かれたというのもあったのかもしれない。彼もまた自らの名を名乗った。 「ルックだ。安心してよ。僕はあいつらとはなんの関係も――ないとは云わないけど、肩入れする筋合いはないし」 「じゃあ、なんでここにいるんだ」 「……この庭にしかない『黒竜蘭』が必要だったんだよ。そうでなかったらこの僕がわざわざこんなところに足を運んだりなんかしないね」 「黒竜蘭? ああ、なんだ。こそ泥か」 「……」 「ならバルバロッサに見つかるのはお前にとっても愉快なことじゃない。それでいい?」 「……まぁ、そうなるけどね」 「そう。なら問題ない。僕は行く。君はその黒竜蘭とやらを盗ってさっさと帰った方がいい。ちょっと騒ぎになるかもしれないから」 「ていうか、僕の話を聞いてたのかい? ここの宮廷魔術師を侮るなって云ったんだけど」 「でも魔術師だろう?」 どこまでも魔術師を侮った発言をするサツナに、ルックはとうとう呆れたらしい。そもそも彼はそれほど優しい性格ではない。サツナが自らの同類っぽいと思うのはあながち間違ってはいないほどには、癖のある性格をしている。 「ウィンディ。うちの師匠の姉妹なんだ。性格はともかく、魔力は間違いなく一流で、どうやら執念もかなりのものらしいから。せいぜい、仕損じて狙われないようにすることだね」 「ふーん。一流の魔術師、ねぇ…。君の云うところによると、君と君の師匠とその姉妹のウィンディと…。この辺には多いのかな?」 群島でまともな魔術師といえば、宮廷技術士のウォーロックくらいしか記憶に思い浮かべる事の出来ないサツナだ。しかもウォーロックは魔法使いというよりは技術者としての印象があるから、サツナにはやはり魔術師を警戒しなければならない理由が思いつかない。 未知の武器でも開発したというのだろうか。それとも毒薬だろうか。どちらにしても、あの色香だけが頼りそうな女魔術師からは掛け離れているように思われた。 (したたかそうなのは確かだけど、頭は悪そうに見えたんだけどな) サツナがそんなことを考えているとは露知らず――知っていたとて否定も弁護もしなかっただろうが――ルックは律義に答えてやった。 「そうだね。まあ、所在がこの赤月帝国かって聞かれると微妙だけど、名のある魔術師は幾人かいるよ。ジーンにクロウリー。ああ、テッドも――」 「テッドさん?」 「なんだ。知ってたのかい。まあ、それなら確かに、他の魔術師を侮る気持ちも分からないくはないけどね。でも、それなら尚更、ウィンディにもう少し警戒しても良さそうなもんだけどね」 「どういう意味だ?」 「? なんだ、違うのかい。テッドの村を滅ぼしたのがウィンディじゃないか。だから来たんだろ?」 「テッドさんの村を?」 「……。テッドの村は古代の秘術を守ってきた魔術師たちの隠れた村なんだよ。その秘術を狙ってウィンディは村を焼き滅ぼし、テッドはその生き残りだって話。今もウィンディから逃亡中で、居場所は誰も知らないってのが僕らの間でのもっぱらの噂さ」 「……」 「さてと。僕の用事はもう済んだから帰るよ」 「……その黒竜蘭。何に使うんだ」 サツナが訊ねたのは、万が一の可能性を考えた脳による反射的なものだった。無条件に人を信じるような甘さも、物事は全て単純であるという純粋さも持ってはいない。 他の何に対してはともかく、サツナはこれでも政治の中心にその身を置いて、人生を送ってきたのだ。 ルックは歩みを止め、一瞬だけ間を置いてから答え、サツナはそれを信じた。 「別に。僕の知り合いの大事なペットが病気でね。その治療薬の材料に、どうしてもこれが必要なだけだよ」 「そうか」 「ああ。じゃあね。――せいぜい、頑張ることだね。僕も、あの女魔術師には随分と煮え湯を飲まされたばかりだし…」 「……」 サツナは能面だった。驚いてはいたが、表情を崩すほどの驚きではなかった。 「テレポートか。……初めて見たな」 少しだけ、魔術師というものへの認識を改めねばなるまい。サツナは認めた。 何より、彼女の崇拝するテッドがその流れを組んでいるという。 (今度、テッドさんに教えてもらおう) 思いついた楽しい展望にほんの少しだけ、うきうきと心を弾ませながら、サツナは黄金帝とその宮廷魔術師抹殺へ向けて踵を返したのだった。 |
それまで見えていなかった部分がある。 それは、見えるまではだれも気付かない類のものだ。 視界を開けらかにしたその風に、しかし感謝する者などない。 風はただ己があるままに吹き。 人はその能力の及ぶ限りに、正しく見定める。 どちらも自分勝手にその道を進む。ただそれだけなのだから。 |
talk |
ルックに何が起きたのか。それはそのうち書く予定の『竜を操る一読(仮題)』にて詳しく語ります。たぶんシークの谷に月下草を探しに行ってウィンディの妨害を受けたんですよ(笑)。さてさて、フッチのブラックとブライトはどうなるのか。それはここでは決して語られないと思われます。サブタイトルの『ウェントゥスウィリデ』はラテン語から。スペルは『Ventus
viride』らしい。でも読みが分からない。『ヴェントゥスヴィリデ』と読むかとも迷ったけど、ウェ、ウィで表す方が一般敵っぽかったからこれで。緑ならヴィリジアンでも良かったかも。さて、次はサツナvsバルバロッサ&ウィンディかな? ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2007/04/21_ゆうひ。 |
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