白百合革命 
-ピーチ・フラワー・ドロップ-



貴方に出会わなければ、こんな醜い私を知らずにいられたのに。





『呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン』
 棒読みの効果音に、ホノカは首を巡らせた。その声は特別大きくも迫力があるわけでもないにもかかわらず、不思議と、いつだって一字一句欠けさせることなく耳に届く。
 呼ばれてもいないし飛び出してもない。そもそもジャジャジャジャーンとはいったいなんなのか。
 夜空に輝く月を背負って仁王立つ彼女を視界に収めながら、ホノカの脳裏はぼんやりとそんなことを思う。彼女が現れるときはいつだって脈絡がなく、現れたと理解するまでは気配の欠片さえ感じられない。
 これから先、或いは彼女と幾度となく開講することがあるとして。その全てこんな風であったら、それはちょっと嫌だなと考えて、ホノカは少し笑った。
 彼女は威風堂々とした佇まい――思いきり不法侵入なのにそれを感じさせもしない――で、口を開く。

「やあ、ホノカ。久し振り。今日の僕は、囚われの姫を掻っ攫う王子役なんだ」

 彼女はいつだって、冗談のようなことを真顔で語る。しかも淡々と。そして聞かせた相手の反応など顧みもしない。

「ああ、この国の未来なら憂う必要はないよ。君の幼馴染のジョウイが万事上手くやってくれるさ(たぶん)」

 どうして彼女は確信もないことを、こうも確信に満ちた様子で口にすることができるのだろう。まるで何もかも、すべて恙無く手配してあるかのような語り口。淀みない口調。
 けれど知っている。彼女がそうであるのは自信があるからでも確信があるからでもない。どうでもいいからだ。
 そして、その結果として何が起ころうと、自分自身の力で自分の身を守りきる自信がある。
 彼女が持っているものはそれだけだ。あらゆるものを顧みず、自分が一人でも立ち続ける自信。

「王子じゃなくて、王女なのに……」

 ホノカは全く関係のないことを呟いた。
 ぼんやりとしている、と、ホノカは自身の状態を判断していた。何かを考えているような気もするし、何も考えていないのではないかとも思う。
 頭が働かない。働いたところで、何をしていいのかなど、きっと、わからないに違いない。
 だってもう認めてしまっている思いがある。
 だってもう捨てられないと知ってしまっている思いがある。
 それでどうして、自ら動けるというのだろう。強引に手を惹かれ、それでも足を動かすのを躊躇うだろうに。
 サツナは小さく笑ったのを、ホノカの視界は思ったよりもしっかりを捉えていた。

「君の為の本物の王子が、あまりにも不甲斐無くてね」

 仕方がないから女の自分が王子役を務めなくてはならなくったんだ。
 嘲笑う彼女。
 嗚呼、なんて様になる姿。

「王子は不甲斐ないのではなくて、姫が必要ないんじゃないかな」

 だって、王子には囚われの姫を助けなければならない義務なんてない。
 どの童話もみんな勘違いしてる。王子様は、お姫様を助けになんて来ない。徒噂好きなだけ。好奇心と行動力が強いだけ。
 きれいな噂という羽根で身を飾っていない姫ならば、それが囚われていようがいまいが、興味も湧かないだろうに。

「それを本気で云っているのか?」

 サツナが眸を見開いた。煌めく真夏の太陽の光を受けたかのような鮮やかな青が顕わになる。闇の中にあってさえ、それは何と純粋な美しさを見る者に伝えるのだろう。
 きっと彼女自身の心が、どこまで純粋であるからこそなのだ。穢れなど知らない、真っ白で真っ直ぐな心。
 ホノカは思う。目の前の彼女は、自分が失ってしまった、きれいな心を持っている。

「まあ、君はちょっとだけ馬鹿だから、仕方ないか」

 ホノカの思考は無視して、サツナはサツナで一人、完結したらしかった。肯き、溜息一つ。

「ねぇ、ホノカ」

 ホノカは答えなかった。やはり頭が働いていないらしいと、ホノカは思う。

「僕、云ったよね。初めて君に会ったときに」

 会ったというか、それはサツナが勝手にホノカに会いに来たというべきか。それはただの不法侵入者だった。
 あのときも、彼女は一方的にやって来ては、一方的に話すだけ話し、そして去っていった。

「僕には好きな人がいる」

 それはホノカも同様。きっと、誰にだって愛しい人がいる。

「その人に全てを捧げたくて、その人の全てが欲しい」

 けれどそれが儘ならない。
 すべてを捧げたいと願いうのと同様の気持ちで、全てをかけて国の、そこに生きる人々の平和を守りたい。そのために全力を尽くしたい。

「そのためには、手段は選ばない」

 ほら、違う。
 ホノカは思う。自分は、サツナのようには、真っ直ぐではいられない。
 選ぶ手段があろうと、何一つ選ぶ勇気がない。

「だから、僕が君を、掻っ攫う」

 云い切り、サツナが笑って差し伸べた手。気がつけば、ホノカその開かれた手の上に、己の手を重ねていた。
 闇夜に広がる月灯かりを従え、サツナは満足そうに瞳を眇めた。





 事は数分前に遡る。レイ・マクドールの身に起きたのは、つまりこういうことだった。

「おい、レイ。ホノカを連れて来てやった。さっさと告白して逃げてしまえ」

 立ち塞がる城から掻っ攫う勇気がないのなら、せめて、目の前に立ち愛を囁く気概くらい見せてみろ。
 横柄にも――彼女は自分が悪いなんて、少なくともレイに対しては欠片も思うようなことがある筈ない――宣う。レイを見下すようなその瞳の、なんと冷たいことか!!
 けれどレイとて負けてはない。否、実際には、負けるわけにはいかないだけで、現実がどうであるかはわからない。

「何を勝手なことを!」

 少なくとも、レイは憤っていた。間違いなく、本気で怒っていた。
 けれどどこ吹く風の彼女――レイの怒りの矛先である――は、余りにも無慈悲だった。

「いいから行ってこい、このヘタレ」

 ぽんっと片手で一突き。レイの背中を押したのだった。そうして今に到る。





 目の前にはレイ・マクドール。ホノカは自分よりも長身の彼を前にして、首を反らせるようにしなければ目を合わせることもできはしない。
 驚くホノカ。その視線の先にいるレイも又、驚きに眸を見開いているようだった。
 驚きと、そして躊躇い。惑い。
 当然だろう。誰がこんな事態を予想できるというのか。

 サツナは判断に迷う。
 いったい誰を怨めばいいのか。何に憤ればいいのか。
 ホノカをここへ攫ってきたというサツナをか。それともレイをここへ連れてきたサツナにか。或いはのこのこと連れ去れ、そしてぼんやりと立ち止まってしまっていた自信をか。
 それともそんな必要はないのだろうか。
 だって、そんな気持ちはいっさい湧き出してはこない。怒りも恨みも憤りも、何もないのだ。
 それよりもなお、事態は緊迫している。

 だって、彼に出会ったら。
 だって、彼を目の前にしてしまったら。

 きっと止めることなどできないと、随分前から感じていた。

 口が戦慄く。意志とは正反対に、勝手に開いて言葉を紡ごうとする。
 胸の奥から溢れ出す気持ちがある。
 言葉にしようとする心と、ここまで来ても尚、その言葉を封じようとする理性が鬩ぎ合う。どちらが勝つのかなど目に見えている。だって、彼が、目の前にいる!
 伝えたい強いがあり、伝えたいその人が目の前にあるのに!!
 どうしてそれを止められよう。
 鬩ぎ合う。口は戦慄き言葉を紡げない。

「あ、――」

 嗚呼、理性の陥落。
 耳の奥から警鐘の鳴る音がする。頭の中では悪魔の誘惑。
 嗾ける声。

「僕は、貴方のことが――」

 嗚呼、伝えてしまえ。
 嗚呼、曝け出してしまえ。

 この想い。この心。この穢れ。

 嗚呼、貴方が好きです。
 嗚呼、貴方が好きなんです。
 貴方を愛しているのです。

 何よりも、誰よりも、どんなすべてよりも。ただ、貴方が愛しくて仕方がない――。

 国も民も兄姉も、友人も。すべて捨ててしまって構わない。
 貴方が手に入るのなら、何を犠牲にしても構わない。何を失っても構わない。
 私のちっぽけな、それが本性なのです。
 浅はかで醜く愚かしい。
 これが、私の本性なのです。

 嗚呼、伝えてしまえ。
 嗚呼、曝け出してしまえ。

「レイさん」

 貴方に愛してもらえるのなら、この身が腐り落ちても構わない。





実を結ぶため、花は散るのがその宿命(さだめ)なら。




talk
 なんかサツナの性格が変わっている気がします。前回、テッドに叱られてきっといろいろ変化すると転がったのではないでしょうか(いい加減だな、おい)。英語は苦手です。「ドロップ」は散るとか、落ちるとか、そんな意味のつもりでつけました。意味なんてフィーリングで感じて、管理人の頭の悪さを生温い笑顔でスルーしていただければと思います。自分で考えたタイトルなんてそんなもんさ。
 途中いろいろ投げ出した感が否めませんが、とにかくへたれなレイと男前なサツナと、なんだかんだで強いホノカが書けてればいいかなと思います。心持ギャグテイストになったのは、別に意図したわけではないんです。
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2007/11/01・10_ゆうひ。
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