白百合革命
-ブラック・フューネラルの記憶-
セピア色。そんな愁う心で終わるような記憶じゃない。 セピア色。そんなきれいな色で噛み締める記憶じゃない。 あの日、なぜそこでは雨が降っていなかったのだろうか。 せめて雨でも降っていたなら、涙で霞みもしただろうに。 |
ウィンディは生まれて物心つく前に森の中に捨てられ、そして物心つく前に森で拾われた少女だった。 捨てた人間のことも、拾った人間のことも、彼女の預かり知らぬことである。 彼女の人生は、彼女の意思に関係なく、常に彼女の知らぬ誰かの手に委ねられていた。彼女が望む望まざると関係無く。 彼女は自身が捨てられて理由を知らない。彼女がそれを知ることは、生涯ないだろう。それでも構わない、と彼女は思う。望んで手に入らぬ事を無意識のうちに諦める。そんな癖が付いてしまっていた。 けれど彼女は自分が拾われた理由ならば知っていた。 幼いながらに備わっていた天賦の才。魔力と、女であること。思えばと、彼女は回想する。自分の生きていく武器は、この二つだけであった。 そしてまた、彼女の命の危険に晒される理由も、この二つばかりであった、と。 魔術を便利だと感じたことはなかった。 彼女を拾った女魔術師は厳しく、彼女は雑用も修行も勉強も、何もかもが辛かった。畑を耕すことも、魚をとることも、山で草や木の実を取ることも、魔術ではかなわない。炊事も掃除も洗濯も、すべて手作業だ。 使いどころのない技。役立たずの知識。 まさしくそうとしか言いようのないその能力は、彼女を、彼女の死を、彼女の姉を、彼女らの持つ魔術を狙う暴漢たちをさえ、退ける力を持たなかった。 小さな村の隣の森の洞穴の中。そこが彼女らの住処だった。 入口から火を放たれ炙り出され、捕えられ、拷問されて、逃げ出して。彼女は一切語らない。それらの過去を語らない。 その後、彼女が歴史上に姿を現したのは二度。たったの、二度だけ。 彼女と同じ、魔術を扱うことのできる一族を焼き滅ぼした時。 赤月帝国最後の皇帝バルバロッサ・ルーグナーの愛妾として、かつて彼女の焼き滅ぼした一族の生き残りに討伐されたとき。 彼女の望みも、彼女の悲しみも、彼女の何もかも。 歴史の中に消えたが、彼女がそれを怨んでいるという話はついと聞かない。 テッドの生まれ、生きた村は極ありふれた村であった。小さなその村で、人々は畑を耕し、家畜を飼い、木を切って薪にした。 彼の祖父は村長であった。彼はおじいちゃんっ子であった。彼は家族の愛と、村人たちとの素朴な慕わしさに触れて育った。 生きる目的、意味。そんな固苦しいことを考えたことなどない。生きている、その現実のままに、日々が過ぎていく。 魔術を誰もが仕えたわけではない。能力のあるもの、ないもの、いろいろだった。 どうせ日常生活に役に立つものでもなかったので、どうということはない。木登りの得意な子供いれば、足の速い子供もいた。仮の得意な子供いれば、魔法の得意な子供もいた。 学校の中には様々な子供がいて、魔法が得意であろうが無かろうが、どうということはなかった。 追い掛けっこをすれば足の速い子供が得意になった。足が遅くても魔法の仕える子は、それを使って逃げて見せたりもした。 魚釣りに子供たちだけで出かけ、釣った魚の数を競い合った。魔法が使えても魚は取れないから、皆もを掻き回して魚が逃げるように妨害した。 それらが壊れたのは突然だったと、テッドは語る。 空から火の玉が落ちてきたかのような一瞬の衝撃の後で、気がつけばあたりは焼け落ちた。かつて村だった、村人だったものの残骸ばかり。 樟ぶり上げる一筋の煙は白かった。 いつもは白い村の景色が黒かった。 「だれ、だ……」 目の前の女に、テッドは問う。呼吸が苦しいと感じた。 「あら、かわいらしいぼうやだこと」 視界は霞んでおり、女の姿は逆光のように見えなかった。ただ笑っているのだけが分かった。 涙を胸の内に隠して、閉じ込めて、心底可笑しいのだと自分を偽って、笑っている。 「おまえが、やった、のか?」 声は震えていた。 「ええ」 女の声は澱みない。 「どう、して…」 「……復讐したいの。力が欲しいのよ」 「力?」 女に影ができた気がした。 テッドはいぶかしむ。女はもう、充分に力を持っているではないか。 村を焼く力。悲しみに打ちひしがれ、それでも立ち上がる力。 「そうよ」 女の声は固かった。 「……ソウルイーター」 テッドは呟いた。それは村の中でも、テッドの祖父と、そしてテッドしか知らない。 祖父からそれについて聞かされた時、正直、テッドはどうでもいいと感じた。守る意味も、重々しく背負う価値もないではないかと。 それなのに。 「なんだい、知っていたの」 女が告げた。 今まさに、テッドは、どうでもいいと感じていたそれを、背負わざるを得なくなった。何よりも軽かったそれは、この瞬間、彼にとって何よりも重いものとなってしまった。 だったら話が早いとばかり、自分に寄越せと迫るウィンディに、彼が使用したことのある中で二番目に強い魔法を浴びせた。 『激怒の一撃』 それ以降、その魔法はその名で呼ばれることになる。 彼女と彼の。まったく異なる人生を歩んできた二人の時が、交差した瞬間だった。 ――――――。 魔法、魔術。そういったものの歴史は、人が道具を使いだした歴史と並ぶものであろう……と、見解を示すのは、後に歴史上最高の――と、冠される魔術師たちの一人として名を上げられるテッドである。彼は、その当時では認識する者の余りにも少ない、それらを操る一族の出であった。 絶海の孤島ではない。高い山の頂上でもなければ、深い森の奥でもない。雪深い、前人未到の…そんな言葉からは懸け離れた、どこにでもある極普通の村だったそうだ。誰も隠れてなどいないし、誰も隠してもいなかった。――もっとも、それはその村を唯一知っている人間――即ちテッドであるが――の証言のみに頼ったものであるが、概ねそれで正しいだろうことは、その村の痕跡を調査した結果も語っている。 激しい焼き討ちにあっただろうその痕跡の調査は、まともな人間であれば酷く心に傷ましさを覚える。まだ新しい骨の大小を拾い上げて並べる作業のなんと罪深いことであるのかと、考古学とは離れた心が哀悼を捧げるのもやむを得まい。それでも骨を拾い、磨き、並べ、衆目に捧げることを止めはしない。 それはそんなに罪深いことではない――、否、それは罪などではないと、テッドその人に云われたことが、私の記憶にはもっとも鮮烈なものとして常にこの脳裏をちらついている。 ありがとう、などと、謝意を示すのは少し可笑しなことなのかもしれない。少なくともテッドに与えるものとしてはおかしいものなのであろう。 常は明るく陽気な彼の、時に見せる酷く冷めた真実を見通す眸。 まだ若く未熟な私に、私よりも若く、けれど私よりも余程老成した彼が云ったこの言葉。 今は行方の知れぬ彼の、その思いを汲み取ることなど私には不可能である。ただ、私は歴史の真実を調べる。そして残す。 何かの為に。 私が信じる何かの為に、私は残すのだ。 中略 魔法使い、魔術師。そういった名で呼ばれるものたちの住処は、知った我々が驚くほどに普通であった。しかし考えてみれば当然のことであるのかもしれない。彼らと我々との人類史は同じものであるのだから。 これは魔法使いや魔術師といった特殊技能を用いる一族だけに当て嵌まることではない。 「忍」と呼ばれる一族や、ガンナーと呼ばれる技術者を抱えるギルド「ほえたける声の組合」、竜と呼ばれる怪物と共に生きる「竜を操る一族」、「虫使い」ルビーク村と、探せばいくらでもあるこれら特殊技能を代々受け継いできた一族というものは、それを積極的に、或いは公に広めるという行為を確かに禁じてはいたが、それを神経質なまでに隠してきたわけでは決してないのだ。 その証拠に、忍、ガンナー、虫使いたちはその特殊技能を身につけた己自身を商品とし生計を立てている。 我々が彼らを遠く感じるのは、比率の問題なのだろう。特殊な能力を持った人間の数と、そうでない人間の数。その比率。 しかしそれはそんなに特殊なことなのだろうか。 私は旧赤月帝国の出身である。そして私の友人たちはそれ以外の国の出身であるものの方が割合的に多い。 私と彼らは同じ価値観を持ち、同時に全く違う価値観の中で生きてきた者同士なのである。 私の国では水はどこにでも溢れており、誰もが無料で美しい水を捨てるほどに甘受している。私の友人の国では水はとても貴重で、ましてきれいな水などというものはそうそう容易く手に入れることのできないものであった。私の周りに魚釣りの上手い人間はいなかったが、私の友人の生まれ育った村は海に近く、そこでは誰もが当たり前のように、魚を捕る技術を身に付けていた。 本来、これらは当たり前すぎて目に留まっても流されてしまうことである。 中略 私の体は随分と衰え、もう骨を拾うこともままならない。いづれ私が骨を拾われる立場になるわねと、私の弟子たちに笑って話すことがある。 弟子たちは笑って答える。 『そんな拾われなければならないような死に様な筈もないでしょう』 その度に、ああ、私はなんと幸せなのかと思うのだ。なんと、幸福な人生であったのかと、満たされるのだ。 願わくば。 私が骨拾った数々の歴史の担い手たちが、その人生の終わりに、私と同じように感じていてくれればと――、叶わぬ願いを夢見るのだ。 ―――――― 太陽暦512年 某月 歴史家アップル・シルバーバーグ著 「赤月帝国史」 より |
黒い世界に白い雨が流れている。 緩やかに流れる映像ののように。 途切れたノイズの残響のように。 いつまでも「ここ」に在り続ける。 「ここ」に。この心に。私の中に。 忌々しくも愛しいことに、これが私の根幹なのだと。 告げてざわつく、白黒の雨が降る。 |
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ウィンディがテッドの村を焼きつくすの使用した魔法は、「大爆発」とか「最後の炎」とか、炎系最強の紋章でhないかと思われ…。 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2008/02/02-3_ゆうひ。 |
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