白百合革命 
-クラウン・パープル・ファイナル-






美しき。その頂きに輝くその色が、尊き貴方のその証。





 その年のその日こそが始まりであるとの見識を示しす歴史家は多い。
 デュナン国の女王ホノカが赤月帝国より遣わされた隠密に攫われた後の反応は早かった。なにもかもが、まるで示し合わされていたかのようなその素早さは、湖面に落ちた水滴が波紋を広げるようになめらかだった。

 ハイランド歴221年、赤月帝国歴228年のことだった。デュナン湖北部一帯をその領土とするの小国に過ぎないハイランド王国が、その南部にあるデュナン国との同盟の名を持って赤月帝国に宣戦布告。
 世にいう白百合革命の勃発である。

 これは赤月帝国の貴族であるオッペンハイマーと、デュナンの隣国、ティント共和国大臣のマルロが同時に提唱したものだ。二人は理由について各々同じ見解を並べた。
 この戦争を企てた影の立役者こそ、白百合の如くと謳われる『娘』であること。
 この戦争の根底にあるものは、支配――それが誰の、何からのであるのか。それは歴史家こそが語ることだ――からの解放であること。









 そこかしこで刀剣のぶつかり合う音が耳に響いていた。遠く、それは壁の向こう側で繰り広げられている死闘であった。
 ハイランド・デュナン同盟軍と、赤月帝国軍のぶつかり合いは、テッドからしてみればどうにも狐につままれたようなものに感じられる。必要がないのだ。本来であれば起こる筈のない戦が、ある一人の人間の野望の為に実現した。その薄ら寒さに冷や汗ではなく苦笑が漏れるあたり、自分は相当に、彼女に絆されてしまっているのだと、テッドは自覚するばかりである。そしてそのことにこそ、彼は胆の冷える思いがするのであった。
 目の前にいる女に向き合えるだけの決意をさせるほどに、まったく彼女は強引だと――。テッドの浮かべる苦笑には、彼女をすっかり赦す色が浮かんでいた。

「これは、まあ、懐かしいこと。――会いたかったえ。テッド坊や」
「……俺は会わずに一生を終えたかったよ」

 女――ウィンディが口を開いたことで、テッドは現実へと引き戻された。諦めの溜息とともに返したそれには、老成したものの響きが含まれていた。
 ウィンディは冗談めかして肩を竦める。彼女の仕草は一つ一つがすべて、どこか演劇じみていた。だから、そういうときのテッドの態度も、やはり演劇じみていた。
 否。或いは、彼も彼女も、演じでもしなければ、どうしていいのか分からなかったのかもしれない。
 どんな感情も、どんな表情も、どんな態度も。彼にとっても彼女にとっても、そこで本当に自分が侵されているものとはどうにも違っているような奇妙なもので、複雑に交じり合ったそれらを統合することなど、どうにもできそうになかったのだ。
 だから、一番にそのもどかしさから解き放たれた『思考』を以ってして、無様でなさそうな姿を演じるようにしてみせる。操り糸で人形の腕を動かすように、思考をしかと確認して己の体を動かしている。
 ウィンディのその流し眼は、魅惑的だった。理性を持った男性にしても余りにも魅力的だが、テッドにはそれが自分を誘っていないことなど明らかであったし、何より、もっと強烈で目を逸らすことのできない瞳の在りようを知ってしまった今となっては、自らがそれで心奪われるはずもないように、テッドには感じられた。

「つれないこと」
「それがお互いの為さ」

 テッドは肩を竦めなかった。そういう仕草はどうにもその時のテッドの心境には合わないように、彼には感じれたからだった。

「かもしれないねぇ……」

 ウィンディの演技がふと切れた、とテッドは知れた。テッドももう演じてはいなかった。
 幾つもの思いが一度に胸に去来して、胸に詰まるような複雑な時は過ぎ去り、複雑に絡まり合う感情は決して解けない固結びを何度も繰り返して、まるで初めから一つのものであったかのようになってしまっていた。

「……」
「……」
「……ッ」
「…………、」

 話せることは多くありそうであったが、言葉にできることは余りにも少ないように感じらた。否、言葉にしてしまえば、きっとすべてが陳腐に変わってしまうだろう。そんな恐怖さえ感じている。

 言葉に詰まった。口を開くことさえ、何かがとっさに止めてしまう。まるで反射反応のように、ひきつけを起こしたように。

 互いの胸に宿るものはおそらく同じなのだ。二人は同じ、故郷を圧倒的な暴力の前に失った。そうしてその傷を抱え、今まで彷徨ってきた。
 けれどその抱え合う傷を分かち合うような関係にはなれぬのだ。そんなことが許されていいわけがないと、少なくとも彼女は思っている。否、彼女はその胸の内に宿る怒りが風化してしまうことを、風化させてしまうことを許さぬと己に科してこれまで生き、そして死ぬまでそれを抱えることを科している。だからこそ、こうして向き合うと決めた以上、テッドの、そしてウィンディの取るべき道は唯一つであった。

「さあ、妾(わらわ)に渡せ! 魂を喰らい、死人さえも甦らせるという、生と死の魔法――ソウルイーターを!!」
「はっ、馬鹿だな。本当にそんな魔法の存在を信じてるのか?」
「魔術師が魔法を疑って、いったい誰がその存在を信じるというのかえ」

 不敵に笑うウィンディの唇が艶めいた。

「……ソウルイーター。それを使っても、死者は蘇らないぜ」
「たとえそうだとしても、私の一族を根絶やしにしてくれた奴らに報いを与えてやることはできる。それだけ強大な魔法であることに、間違いはない。そうでしょう、テッド坊や」
「生と、死を与える魔法なんかじゃない」
「……」
「ただ、『命』を奪うだけの魔法だ」
「……それでいいのよ、坊や。私が欲しいのは、復讐できるだけの、私の恨みを越えるほどの、圧倒的な……絶望にも似た、降り注ぐ破壊なのだからね」
「……・そうか」
「ええ」

 嗚呼、もう、話すことは何もない。話せることなど、何もない。

「決着をつけよう――、ウィンディ」
「そうね。――ああ、まったく…。いつも逃げ回っていたテッドぼうやらしくない心境の変化じゃないか」

 ウィンディは苦笑したようだった。どこか物悲しげなそれに、テッドもまた同じ気持ちで苦笑した。

「……正面から向き合う。そういうった行為を教えてくれた奴がいたんでね」
「……そうかい」

 ウィンディの瞳が伏せられる。いくつもの苦労と悲しみを抱えて生きてきた女だった。

「それは、いい出会いをしたね」

 彼女の面が上げられる。おそらくは生涯でただ一度――。彼女と、彼と、ただ一度だけ、愛で結ばれた瞬間だった。
 彼女はなんと、優しさと慈しみにあふれた女性であろうか。厚い化粧の下の涙の痕と、吊り上げた口端で隠された噛み締める唇と、力強い眦で隠された哀しみに泣き叫ぶ少女と。そして、母のように慈しむ広い抱擁を持った優美な肉体と。
 彼女の本質を見抜いたバルバロッサを、彼は尊敬する。

「――その出会いを、大切にするんだよ」

 ウィンディが告げ、一瞬の後には優しさなど跡形もなく。あの日、彼の村を焼きつくした魔女が、狂気に狂った笑みを浮かべて佇んでいるばかりだった。
 テッドは身構える。

「――ああ」

 それが、彼が彼女へ――魔女ではなく、一人の優しく悲しい女へ告げた、答えだった。








「やあ、バルバロッサ・ルーグナー。また会ったね」

 グレッグミンスター城で再び。群島諸国の主魁たるオベルの第二王女は、不敵に笑った――表情筋は彼女がそうと思っているよりも遙かに微かにしか動かなかったけれども。
 いっそこの時代の、或いはこの国の貴婦人がとるべき衣装からは懸け離れた風体をしていた。
 惜しげも無く素足を曝した短いパンツは、なるほど剣を奮い殺意を持って立ち振舞うには適しているだろう。腕にしても胸元とにしても同じことで、本来女性が覆い隠して当然であるべき柔らかな肌が誰の目にも触れられてしまえるようにある。
 少女の肌は瑞々しく、しかし艶やかというよりは豹のようにしなやかであった。――そう。この体付きは、狙い澄ました獲物を狩る術を知っている。

 バルバロッサが観察する中で、オベルの王女――彼女はそう呼ばわれると、顔を顰めはしないものの、少し考えるような素振りを見せただろう。もしかすると首を傾げもするかもしれない。彼女は自分が自分である以外の何ものでもないことを知っていたので――サツナの迷いの欠片もない、しかし気負いからはほど遠い淡々とした、声が響く。

「貴方を侮っていたことを深く反省しよう。そして――」

 サツナは両の腕を前へと突き出す。それぞれの手のひらに握られているのは見事な刀身を持った剣だった。
 どこか妖しく煌めくその刀剣に、バルバッロサがふむと肯く。

「なるほど。群島に名高き幻の秘剣――それぞれに償いと許しを司るという二刀一対の剣か」

 バルバッロサは徐に腰に帯びた剣を抜き放つ。
 向き合ったサツナの声が凛とした響きを持って――幻聴かもしれない。彼女はいつだって真っ直ぐと背筋を伸ばし凛とした佇まいをしていたが、それと同じくらいにあらゆることに無感情でもあったので――廊下の壁に反響した。

「赤月帝国――否。貴方にこそ名高い名剣『竜王剣』とやり合うのだもの。これくらい用意しないと、反省が活かされてないだろう」

 サツナは不敵に笑って見せた。彼女はいつだって不敵だった。やはり彼女の表情筋は対して彼女の心情を表に現しはしなかったが、瞳に宿る意志の強さを見ればわかろうというものだ。
 負ける。そんな結末など、彼女の頭の中には存在していないのだということが。

「それは光栄だ」
「どうも。こんな小娘に云われても?」
「名のある剣は使い手を選ぶという。君は間違いなく、その秘剣を支配している、と私は見るが、どうかね」
「世に知られてる時点で、秘密でも何でもないと思うけどね。まして、表に出たら幻でさえない」
「なるほど、一理ある。しかしそれが類い稀なる名剣であることには変わりあるまい」

 二人の会話はまるで父娘(おやこ)のそれのようであった。
 サツナは肯いた。彼女が他人の意見を素直に認めることは珍しい。

「ああ、なるほど。でも、これが本当に優れているかどうかは、貴方の剣を受け止めてみてから認めることにするよ。――折れたら、数あるただの駄剣と同じ、だ」

 仕掛けたのはサツナからだった。一直線に、まるで跳ぶようにバルバッロへ突進していく。まるで鷲が獲物へ急降下するかのように。
 迎え撃つバルバッロがその竜王剣を高く掲げる。巨大な長剣であるにも関わらず、片腕で軽々と降り上げる腕力は、なるほど、隆々と盛り上がる筋肉であれば疑問の余地もない。

 サツナがバルバロッサのもとへ到達するのと同時に振り下ろされる長剣。加速の勢いに重みの増したそれを、サツナの細い腕が受け止める。膝を折り、腰を落としてクッションとし、交差させた双剣の中央で火花が散った。
 双方が横へ跳ぶ。離れる刃はすぐさま再びぶつかり合う。
 剣戟の音が響く。素早く、烈しく、重く。
 火花の光るのが見えるのに、風の唸る様まで目視できるというのに。人の姿が捉えられない。剣の振られる様は軌道だけがかろうじて、残像として確認できた。

 ウィンディとテッドとの違いがこの二人の関係にあるとすれば、それは互いに何の接点も、戦う理由もないことだろう。故に初めから会話の必要もない。
 向かい合い、剣を向けられた。故に迎え撃ち、返り討ちにする。
 くだらないがもっとも重要で単純な理由だ。それで命と――背負う国をかけて戦うことができる。それを躊躇わない胆力。自分を理解し、決して見失わないだけの自覚。
 どちらも、時に何を考えているのか分からないといわれる底知れない深さを持っている。その在り様は似ていて、おそらくは正反対だ。

 どちらかが手を抜いているということはなかった。しかしどちらも全力とも言い難かった。力量が拮抗しているというのとも違った。
 二人は待っているのだ。着くべき決着を。その訪れるのを。








 ウィンディは己の生命力が少しずつ奪われているのを感じた。変わって目の前のテッドの生命力が増していく。
 それはまるで死神のようだ。
 死すべきものに死を与え、そうでないものには決して死を与えない。
 死にたくなくても、そのときが来れば人はそれから逃れ得ない。死にたくとも、人はその時が来るまでは死ねない。強制的に死を与えられ、無理やりにでも生かされる。
 それらはすべて同じ神による所業。

「ああ、これが、ソウルイーターかい」

 ウィンディは笑っていた。もう立っているのも辛いだろう程に、その命は消耗されていただろうに。
 蒼褪めた彼女の姿は、それでも妖艶さを失ってはいなかった。いや、そこには死を前にした、薄幸の、儚いからこその美しさを増してさえいたかもしれない。
 テッドは応えた。悲しみも憤りも見せまいと、己にのみ誓った。心優しい彼には、ならばもう表情を消し去る道しか残されてはいなかった。

「そうだ。何の救いにもならない」
「ふふ。そうね。でも、私にとっては救いだわ」

 炎、雷、風、水、土。魔術師にとって、五行の魔法は基本であった。知らぬ魔術師などなどない。テッドもウィンディも、当然修めていた。
 行使者の魔力如何によっては村や町の一つくらい跡形もなく吹き飛ばせるほどの威力を持った術さえ存在する。現に、ウィンディはそれを持ってテッドの村を消し飛ばし、テッドもまた、それを持って己の村を塵と化していた。

「違う道なら、きっと、まだあるぞ」
「ええ、知っているわ。きっと、幾らでもあるわねぇ」

 もう話すことはない。もう、話せることはない。
 知っているはずで、それでも言葉を尽くさずにはいられなかった。
 死にたいと願う人間を死なせてやれるほど、彼は死というものについて達観しきれてはいない。ただの事象として終わらせることができない。

「……テッドぼうや」
「……」
「いいかい、テッドぼうや。私も随分と激しい魔法を使ったわ。魔力が尽きるほどの魔法。これが、私の受け継いだ『門』の魔法」
「……」
「見ただろう。私はの心は、ただただ空虚なばかりさ」
「……」
「もし、私を裁く権利があるとするなら、――」
「……ウィンディ」
「あんただけだろうねぇ、テッドぼうや」

 他の誰も、彼女を裁けない。他の誰も、彼女に安らぎを与えてやることはできない。他の誰も、彼女に終焉を与えてはやれないのだ。
 なぜなら、彼女はさばく立場であり続けようとしているのだから。彼の前でのみ、自分が裁かれる立場であることを認めるのだから。

 ―――――。

 美しき黄金のグレッグミンスター。遠方から足を運んだ芸術家がこぞって詩に、絵に、曲に表現しようとした麗しの城は、まるで神の裁きが下されたかのように、跡形も残さず塵となって消えた。






 美しき少女よ。聖なる乙女よ。無垢なる魂よ。
 戦え。
 その矜持の為に。
 手折るものを。踏みつけるものを。抑え込むものを。
 跳ね上げろ。吹き飛ばせ。
 そして立ち上がれ。
 その心の在る儘に。強く貴きその儘に。その身、その足、その心で。






散り、舞い落ちるその様は、儚いからこそ、美しきかな。






talk
 あれ? グレッグミンスター城が消滅しちゃったよ。原作だってそこまでしてなくて? せいぜい壁が崩壊する程度だったよね?
 テドウィンではありません。二人はきっと似たような過去と心の傷を持つ同志なのだと思います。
 サブタイトルについてはもう何も…。言葉知らないんです。外国語弱いんです。ネタ切れなんです。たぶん次で終わります。
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2007/05/13-2008/02/11_ゆうひ。
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