白百合革命 
-メープルチェリーの誓い-






夜がすぐそこまで近づいている。終わりの時間だ。
為すべきことがあるのなら、日暮れる今を逃さぬことだ。





「本当に、僕でいいのかい」
「レイさんのほうこそ、僕なんかでいいんですか?」

 手と手を取り合って見つめ合う。そんな陳腐な光景さえ似合う二人だが、それを見守る視線はあまりにも冷たかった。

「君が、僕を選んでくれたというなら」

 今度こそ、僕も誓うべきだ。もう迷わぬと。
 他の何ものでもなく。僕が僕であるというそれだけでいい。そうあるべきなのだ。

 レイの瞳が語っていた。
 言葉よりも尚、真摯に。
 言葉よりも尚、雄弁に。熱く。

「僕が僕である。他の全てを捨て、ただそれだけで、僕は、君に永遠を誓おう」

 デュナン統一国の女王ホノカと、赤月帝国上級貴族の子息であるレイ。この二人の恋慕う心が、すべての始まりであるとは、長いこと信じられてきた定説であった。
 両国の関係が友好的なものであれば、その仲にそれほどの困難などなかっただろう。血筋的に見て、二人の間に困難はない。
 レイ・マクドールはその人柄により赤月帝国最後の皇帝バルバロッサ・ルーグナーより、叶うのであれば是非娘を贈り親子の縁を結びたいとまで言わせた人物だ。デュナン統一国女王であるホノカと縁を結ぶにあたっての不足など何もない。
 たった一つの障害。長い歴史の中で深めた両国間の溝。
 レイ・マクドールが、それこそ皇帝であったのであれば、その障害さえも消え去っていたであろう。国家間の歴史と友好関係など、国民の意思や記憶より、国の政治方針に寄る。
 或いは別の形で、赤月帝国とデュナン統一国がただ一つの国になっていたかもしれぬ。

 今度こそ。そう、このすべてに決着がついてから、この気持ちを明らかにしよう。
 ホノカがレイに真っ直ぐな真実をくれたのであるから。
 レイはホノカに返さねばならない。

「どうでもいいから、さっさとしろ」

 背中を蹴られて漸く、彼は彼女の手をとって誓った。それがなければ、かの革命以前にこの二人が真実結ばれることなどなかったであろうこと、疑う余地もない。
 因みに蹴りを入れたは彼の親友のテッドではなく、彼の婚約者であるオベルの第二王女サツナであったことは、もはや誰にも覆せぬことであった。



 ............。








「? 何がそんなに楽しいの、テッドさん」

 おかしくて仕方ないとでもいうかの如く、肩を揺らせての忍び笑いの絶えぬテッドを訝しみ、サツナが小首を傾げる。

「いや、赤月帝国の上級貴族様として浮名を流したレイが、本命にはあんなに奥手になるなんてと思ってな」
「浮名? あのレイが?」
「おう。都中の妙齢の美女という美女の間を渡り歩き…って、な。連日、新聞の社交欄を賑わせてたんだぜ」
「へぇ…」

 あのレイが、とはサツナの顔にありありと見て取ることができる。それにテッドは今度は声を上げて笑った。
 腹を抱えないのが不思議なくらいな愉快さを持った慶愛奈響きが、サツナの耳に快い。

「あはは。ほとんど女の方の流したでっち上げだったけどな。中には本当のこともあったんだぜ。けっこう遊び歩いてたから」
「……」

 女性がでっち上げたというのには、サツナも納得がいく。サツナにとってみればまったく魅力のないものであるが、レイの見目は世間一般敵に中々優れている。ついでとばかりに家柄も人柄も武芸の際にも恵まれているとあれば、女性としては是が非でもその意にかないたいと思うのだろう。
 オベルでのサツナも似たような境遇にいたため、その辺の人間心理だけは心得ていた。心得ているだけで、やはりそれを意に介さないだけのマイペースさがあったが。
 それよりも気になることがある。
 奥ゆかしいと評判らしいグレッグミンスターの息女らの方からのアプローチが激しかった。レイに対して。では、その近くにいたテッド――サツナにとっては至上の相手だ。レイなど足元にも及ばない――には、どうであったのだろう。
 テッドのことに関しては途端に自信無く大人しくなってしまうサツナだ。訊ねることもできず、さりとて黙って胸の内に収めることもできず、ただ無言でテッドを見つめることしかできない。

「ん?」
「……」
「……ああ、俺は何もないさ」

 サツナの無言の訴えに気付き、テッドが軽く流すように返した。竦められた肩と苦笑にはなんの気遣いも感じられない。
 気位の高い少女らのこと。目当てはあくまでもレイであるから、その後ろについでにようにいるテッドなど、視界にも入っていなかったことだろう。
 仮令テッドに目を付けた少女がいたとして、ウィンディから逃げ隠れる逃亡生活のテッドだ。それを受けるはずもなかった。三ヶ国の興亡沙汰にするほどの行動力と情熱を以って仕掛けてくるサツナからの求愛にさえ、未だ隙あらば逃げ出そうとしているくらいなのだから。

「……そう」

 彼女にしては珍しく、サツナはあからさまに胸を撫で下ろしてほっとしてみせる。テッドに関するときだけ、サツナはどこにでもいる少女に――或いは尚、乙女になり下がる。
 そういう姿に、テッドがほんの少しだけ――あくまでも少しだとテッドは思っている――胸を温かくさせていることなど、サツナは気付いていない。テッドの前では盲目になるサツナだから、おそらくは一生、テッドが明かさぬ限り、気がつくことはないだろう。

 白百合革命勃発の、前夜のことであった。





 ハイランド・デュナン同盟軍は、女王サツナが攫われたことを大義名分として、旧来の敵国であった赤月帝国へ侵攻。
 赤月帝国側としてはまったく身に覚えのない話であろう。

「どうやら、決まったようだね」

 彼は魔術師ではなく年若かったが、優れた武芸者であった。魔力を感知してその様子を探る――などとじう芸当は、彼には無理な話であったが、戦いの様子を探る術はそれだけではない。彼はその才能と経験、正しく導くことのできる推論から、彼の友人のつけるべき決着がついたことを悟ったのである。
 この戦争も、彼にしてみれば全くあきれるしかないものであった。そもそもなぜこんなことになる必要があっただろう。
 レイとサツナ。政略的に婚約者となったこの二人にはそれぞれに想い慕う相手が別にいて、それは困難な色を見せてはいたが決して絶望的なんてものではなかったはずだ。
 レイの恋慕うホノカはデュナン統一国の女王である。レイはといえばその隣国、赤月帝国の上級貴族の子弟であり、デュナン統一国と赤月帝国は建国来の敵国同士であった。
 レイのマクドール家は代々赤月帝国の将軍職を務める武人を輩出してきた名家であり、彼の父で現マクドール家当主であるテオ・マクドールは六将軍とまで呼ばれるほどの人物である。レイ自身の評価も高く、しかしレイが本気で望めばそんなものは何の障害にもなりはしなかった。レイは親を尊敬し、その身に節度を持った性格であったが、赤月帝国内にあっては驚くほど、家柄というものに重きをおかぬ性分であったからだ。
 また、デュナン統一国は赤月帝国ほどに身分差というものがない。その母体が幾つかの都市の同盟群であったことにも起因しているかもしれぬが、王がいて組織の中に上下関係がある以外は、貴族や平民といった身分制度が一切無いという、異色国家であった。
 故に、ホノカが望めば仮令レイが貴族はおろか平民であったとしても、互いの思いを添い遂げることは誰に咎められることもなかっただろう。敵国の人間に対してさえ、かの国はどこか寛容な心情を持つものが多い。

 では片割れのサツナはどうであろうか。彼女は赤月帝国より遥か南方、群島諸国の主魁、オベル王国の第二王女である。そこは赤月手国の人々が見れば驚くほど、デュナン統一国よりも遙かに身分というものについて希薄なところであった。
 希薄というには少々語弊があるかもしれぬ。身分制度は確固としてあり、しかし言王家だけがそれをまったく気にせぬ気軽さを持っているだけなのだ。それが国民にまで浸透しているに過ぎず、王家の思想が変わればどうなるかなど知れないし、その支配のはっきりと及ばぬ地方へ行けば、身分制度は尚重い。
 サツナの父は王でありながら滅多に盛装をせず、ともすれば平民よりもラフな身形で港をうろつくような男であった。王妃ともども親しみやすいその人柄は国民に好かれ、第一王女にもその気質は受け継がれる中にあって、サツナだけが笑いもしない娘であった。身分にうるさいのではなく、何物にも捕らわれぬ彼女は、赤月帝国に来て初めての恋をする。
 相手はどこの馬の骨とも知れぬ、孤児の少年であった。
 その少年――テッドは頑なであり、サツナは自らの恋を成就させるために、赤月帝国皇帝バルバロッサ・ルーグナーへ剣を向け、デュナン統一国へ単身潜入したかと思えばその女王を攫い、ハイランド王国の国王夫妻には赤月帝国を滅ぼすよう嗾け、今まさに、事は彼女の思う通りに為(な)ってしまった。
 崩れ、頭上から降り注ぐ城壁を難なく避けながら、レイは呆れるほかにない。
 すべてをその手のひらの上で踊らせ、しかし彼女はそれでも足を竦ませているのだ。テッドという、自らが恋慕う少年の前に立つ時に。
 テッドの、彼の思いを遂げさせるためにあらゆる手段を講じる強引さを見せ、その強引さで彼を引っ張り、けれど最後の決定権はすべて彼に委ねる。彼をただ信じ、不安を胸の裏側の更に奥底に封じ込めて押し潰し、剣を取るのだ。
 そして、最後に勝利をもぎ取ってしまう。

「まさか、バルバロッサ皇帝に一対一の勝負を挑んで、打ち勝つなんて――」

 レイはは苦笑うしかない。
 絢爛豪華な赤月帝国の華、グレッグミンスター城。それは内側から崩壊した。まるで寝物語のような強力な魔法合戦と、あとは人知を超えた剣技に晒されて。
 その棍術によって城を固める兵士たちの大半を、――テッドやサツナの為には足止めし、侵攻してくるハイランド・デュナン同盟軍の為には援護して殴打していく自らの器量を棚上げにして、レイは城崩壊に自らが関与している事実をすっかり放棄するという、彼本来の奔放で横柄な様を取り戻しているかのようだった。

 東の空が薄っすらと明るみ出している。山間から日がその光帯を覗かせるのも時間の問題だろう。
 まったく、レイは呆れるしかない。
 夜明けとともに勝利を掴むなど、どこまで彼女は完璧に演出して見せるのだろう。今、彼は長い歴史の中にあってさえ、そうそう多くはない巨大な分岐のその瞬間に、確かに身を置き、名を刻んでいた。







「好きだ、ホノカ。ずっと、君を僕のものにしたいと思っていた。いっそ狂おしいほど――」

 ――君を、愛している。






なんと弱く、なんと情けないことか。
それでもお前は大輪の。
咲き誇る花の王。その一翼を担うもの。






talk
 へたれ坊が漸く…。副題は当初メープルローズだったんですよ。でもほら、へたれの誓いだからね。チェリーだろ。
 ごめんなさい。一話伸びてしまいました。これもそれもすべては坊のヘタレっぷりのせいです。次こそ完結です。
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2008/02/23・29_ゆうひ。
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