竜を操る一族 
-絶望的な恋をした-






世界は一つであり、しかし一つではない。
万(よろず)に存在する並行世界。
隔てられているはずの世界が交わる場所がある。
神秘的なそれに魅せられたのは、どちらも同じ。





「竜?」

 茂みからぴょこりと現われた白いその物体を前にして、若い魔術師は考え得る可能性の中で最も当たっている可能性の高いものを口にした。
 首を傾げた若い魔術師――ルックのつぶやきに反応したのかそうでないのか、彼の目の前の白い物体もまた、蒼い円らな瞳をそのままに。きょとりと首を傾げる。可愛らしいその姿は、しかしルックには何の感慨も与えなかったようだ。片手に下していた杖を体前に構えた。

「文献にあるよりも随分と小さいようだけど…。まあ、僕と会ったのが。いや、そもそもこの世界に紛れ込んだのが運のつきだったね」

 竜とは数ある並行世界の一つ、『翼と鱗の世界』から飛来した生物と言われている。そうは言っても並行世界を行き来することなど普通にあることではなく、それは幻想生物――物語に出てくる想像上の生き物であると認識されているのが一般的であった。
 竜が実在することを知っている人間など、ルックのような魔術師であるか、或いは――。

「やめろ!!」

 まさに魔法を放とうとした瞬間だった。白い仔竜が飛び出したのとは反対側の茂みから突如として姿を現したその影は颯の如き勢いでルックの手元へ飛び掛かり、構えていた杖を奪い落そうとその身を揺らす。
 両腕を回してしがみ付いてきたガキを振り落とそうと、ルックは体全体を左右に振る。それでも尚子供はしがみついたままで、ルックはその執拗さに珍しく顔を歪めて舌打ちをした。
 元々体力にはそれほど自信のあるわけではないルックだ。すぐに息が上がる。左右に振っていた杖の動きを止めると、今度はぶら下がった子供の重みがズシリと腕に来て、聊か投げやり気味にその杖を地に放った。
 杖は魔法を使用するときに魔力をまとめる作用があるだけで、それがなければ魔法が使えなくなるわけではない。ルックは歳は若いがその腕は一流とも呼べるもので、たとえ杖が無くとも魔力を霧散させてしまうようなリスクもほとんどないに等しかった。
 地に放りだされて、子供は背中を強かに打ちつけた。うう…という呻き声を聞きながら、ルックはその子供から目を離さない。見れば白い仔竜も慌てた様子で、てとてとと小さな足を子供の方へと動かしていくではないか。
 ルックは眉を顰めた。いったいなんだというのか。
 子供は米神のあたりも打ちつけていたのか、片手で押えながらもその榛色の瞳は敵意を隠しもせずに、ぎっ、と鋭い視線をルックに寄越したまま、反らしはしない。年の頃はまだ十にも満たないのではないかと思われた。
 仔竜が心配気にきゅいと鳴きながら、子供の傍らでその背を精一杯伸ばして頭を伸ばす。子供は仔竜の側の腕を、仔竜をルックから守るためだと云わんばかりに横に真っ直ぐと伸ばて盾を作る。
 いったいなんなんだ。ルックは再び胸中で呟く。
 ふうとため息をついたかつく前か。子供が叫んだのはルックが気を抜いたまさにその時だった。

「ブラック!!」

 呼び声と同時。子供の後ろに現れた体躯は、まさしく竜だった。





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 小さく勝ち気で、ついでに無謀な猪突猛進なその子供はなんと、驚いたことに少女だった。聞けば歳は十一になったばかりだという。ルックの、十にも見たいないという予想は大幅に外れたことになる。何せ、十には満たないとは思いつつ、漠然と、その年を五つか六つほどだと見当付けていたのだ。思っていたよりも年長であったことは、ルックに瞠目を齎した。話してみればその思いは更に深まり、どうにも子供っぽいその生意気な話口調は、少女と云うよりも生意気盛りな少年だ。
 名はフッチだとのことだった。
 白い仔竜の名はブライト。ブラックと呼ばれて現れたその影はブラック。そのブラックもまた幼年体で、しかし大した歳の差がないその二頭の竜の体格差はあまりにも大きかった。知性――或いは精神年齢化――の差も、それに比例しているかのように思われたのは、一人と二頭を観察して出された感想だ。

「ブライトはまだ子供なんだぞ!」

 何もわかっていないだろう――相変わらずのすっとボケた円らな瞳をそのままに、首を傾げている――白い仔竜のブライトを腕の中に抱えて守るようにしながら、フッチは威勢良く叫んだ。ブラックはフッチの前にその身を移動させて威嚇する。

「どういうつもりだい。君が庇ってるそれが何のか分かってやっているのかい」

 ルックが問えば、フッチと名乗った少女はむっとしたように唇を尖らせてから、それでも律義に答えた。本当に負けず嫌いらしい。

「竜だよ。見ればわるじゃないか。ブラックもブライトも僕の相棒だ」
「相棒?」

 ルックは顔を顰めた。思い当たるものが脳裏に甦ったのだ。
 それはどの文献で読んだのだったか。確か、並行世界である『翼と鱗の世界』とこの世界が交わる場所があり、そこを守る一族がいるとそこには記されていた。その著者はその一族のことを『竜を操る一族』と呼んでいた。本来は人を前にすれば決して慣れ合わずに襲うばかりの竜は、彼の一族にのみ心を許し、従うという。人と竜が共に生きるそこでは、竜はその背に人を乗せることさえ許すのだ。しかし竜がその背に乗せ、その言葉に従うのはその全ての一族に対してではない。自らが生まれたその時に、そうと認めた人間の言葉にのみ従い、その者のみを背に乗せて大空を翔けるのだという。そういった関係にある人と竜を『相棒』であると彼の一族は云うとのことだった。

(まさか、その一族だとでも?……)

 俄かには信じられないことだった。ルックは竜の存在を知ってはいたが、それはくまでも害虫と同じ――人に害をなすモンスターとして認識していたにすぎない。モンスター使いは確かに存在するが、竜とはそうできるほど下等な生物ではない。人に従う竜などないし、竜を従えることの出来る人などいるわけがない。そも思っていたから、その話もあまりまじめに記憶してはいなかった。他に見る本もなく、仕方なしに目を走らせた程度のものだったのだ。
 目の前にしてもまだ信じきれるものではない。まさか自分が居を構えるこんなすぐ近くに、そのような存在が隠れていただなんて。

「相棒? 竜は百万世界の一つから現れ、この世界では人を襲うモンスターと化すんだ。相棒だなんてよくも言えるね」
「それは一人ぼっちになっちゃった竜だけだ!! 淋しくて暴れてしまうだけんだ!! 竜のこと何も知らないくせに!!」
「そういう君は知ってるって言うのかい。ガキのくせにさ」
「ガキじゃない!! 僕らは竜の世界と繋がるところに住んでるんだ。おまえなんかより、よっぽど竜のことを知ってるに決まってるだろ!」
「へぇ…。それって、他人に言ってもいいことなわけ?」
「あ……」
「……馬鹿だね」
「……]

 今度こそ、ルックは呆れて溜息をついた。目の前にいるのは確かに十一になったばかりの子供だが、ルックとてまだ十四。世間一般からすれば充分子供の部類に入る。たった三歳の年の差なのだ。自分の三年前はどうだったかと僅かに脳裏を過ぎり、こんなのと比べるのに参考にはならないな、と再び溜息をついた。

「まあ、そうなら確かに僕が悪かったかもしれないね。そこのチビを殺そうとしてたのは確かだし」

 ルックが云えば、フッチがブライトを抱きしめる腕の力を強めたようだった。

「ブライトは…。他の竜とは違って、ちょっと小さいんだ」

 ブライトは他の竜にも虐められることがあるらしい。フッチの同族の中にも、ブライトを竜とは認めずに笑う者がいる。案外、他の竜でブライトを疎外するものが出るのは、人が先にブライトを嘲笑うのが伝染したからではないかと、幼いフッチは考えるでなく漠然と感じていた。
 フッチは視線を反らして語った。心を痛め、苦悩しているのが明らかだった。

「ふ〜ん。君たちの間でも、それって『竜もどき』なんだ」
「! 竜もどきじゃない!! ブライトは立派な竜だ!!」
「でもそんなに小さいし。見たところ…単細胞(バカ)っぽいし。……こんなの、野生じゃとてもじゃないけど生きられないと思うけどね」

 云ったルックに、フッチは不思議そうにきょとんとした顔をした後で、微笑った。

「だから、僕が守るんじゃないか」

 思わず鼓動が跳ねた。ルックは「何だ?」と一瞬眉を寄せる。
 悪餓鬼同然のくせに、そう云って微笑ったフッチのその表情は、慈愛に満ちた母のように柔らかかったのだ。

「ブラックとブライトと、僕と。僕らはいつだって、ずっと一緒なんだ」

 その目はまっすぐで、偽りも躊躇い疑問もなくて。自分の語る未来を信じ切っていた。疑いの欠片もないその晴れやかさ。
 今まで出会ったことのないその道なる存在に、思いがけずも魅入られたようだった。








異世界の生物に魅入られた存在があった。
異端なまでに愛でられているそれ。
それに魅せられたのは気紛れな風で。
風に乗って空を自由に駆けるそれに、嗚呼、なんと。
既に魂までも奪わ尽くされてしまっている異端なるそれに。
恋をするなんて、なんて絶望的。
決して、その全てが自分だけのものになることなど叶わぬと、解かり切っているのにも。
それでも尚。それでも未だ。
捨て切れるそんな馬鹿らしい思いに自分が支配されるなど、思ってもいなかった。







「冗談じゃないよ、こんなこと」

 そもそも自分は何をこんなに無駄話をしてしまったのか。いつもならあんな竜もどきも、煩いばかりの餓鬼も、たとえ竜だったとしても、自分に害がなければさっさと踵を返しているはずだ。
 自分でも不可解で、しかし無駄に敏いために悟ってしまったその感情に。ルックは呟き、その忌々しさに顔を顰めた。






talk
 白百合革命でうっかりルクフチを入れ忘れたので。とか考えてから早や三か月。書き上げることのないままお蔵入りになると思っていました。一日で書き上がるとは…。白百合革命でサツナ(4主)はルックに同類の匂いを感じましたが、正解です。ルックはフッチを独り占めしたくなるでしょうが、フッチがどんなにルックを愛していも、すでに竜に魅入られ、竜に愛されてしまっているフッチは、決してルックのものにはならないのです。なれないのです。そしてルックはサツナとは違い、早々にそれを悟り、受け入れて諦め、どうしようもないジレンマを抱えながら一生を悶々と生きるのだと思います。本当に、貧乏くじばっかりの哀れな人ですね。
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2007/01/27・04/29_ゆうひ。
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