聖ニコライは十年後に再び 

-旅立ちの女-


金貨があろうとなかろうと、別に、何が変わるわけもない。




 ここら一帯を治めるフィンガーフート家の、父と母は住込みの下働きで、その娘である私も当然そこで生活を営んでいた。
 下働きの娘だが、なんという偶然か。人の良い純朴な父と母――いや、この街の人間は大概にしてそういう気風の人間だった――が、主に取り入ろうなどと云う策略をめぐらして子作りをするなんて考えられないし、もしそこまで考えての子作りであったのならば、その後が余りにもお粗末すぎて呆れることもできない。だから、これは間違いなく偶然であるが、下働き夫妻の一人娘は、件のフィンガーフート伯の一人息子と同じ年に生まれたため、おおらかな伯の意向もあり、物心つく前から遊び相手となっていた。

 スノウ。名前の由来は知らない。もしかすれば何かの折にだれか、あるいはスノウ本人から聞いたかもしれなかったが、興味がないので聞き流したのか。或いは興味がなさすぎたので忘れたのだろう。
 この街の人間は素朴だ。純朴なまでに人が良く、哀れなほどに明け透けだ。即ちフィンガーフート家の人間もその例に洩れず、父や母、そして私も含め、その家で働く人間たちに対する町の人間の反応はこうである。

『優しい主人に恵まれて、本当に果報ものだね』

 そして必ずこう続くのである。

『その恩を忘れずに、きちんとお仕えするんだよ』

 だったらお前が誠心誠意お仕えしろ――、などといった可愛くない感想を持つのは私だけで、それ以外の使用人は云われるまでもない、まったくもってその通り、とばかりに、にこにこ笑って肯くのだ。
 別に私はそれで構わないと思っている。恩に報いる素直な心持ちというものは清らかだ。間違いなく、それは清らかなものだ。

 この街には――というより、この周辺の地域には、といった方が正しいか。ちょっとした伝説がある。
 それはここに限らずどこにでもあるような、祝日や祭日にはつきものの謂れの一つで、その日、貧しくなれど清らかなものには、煙突を通して金貨が投げ込まれるというもの。それは神が与える救いなのだそうだ。
 だから、その日は暖炉の下に靴下のような、何気なく、けれど確実に金貨を受け止めることのできる衣服などを干しておくのが通例だった。金貨が暖炉のそこに当たり、弾け跳んでしまわぬように。神からの祝福を、きちんと受け止めたと指し示す為に。

 フィンガーフート家は金持ちだけど、やっぱり暖炉の下に靴下をぶら下げる。けれど構わないのだ。これはあくまでも、あまたある行事の一つ。誰も、本当に靴下の中に金貨が入っていることなど期待してなどいない。
 だって、この話の本当におしまいは、別の結びなのだから。

 神様が金貨を放り与えるのは、貧しく清らかで、尚且つ『困窮』している人に対して。人々は朝、靴下に金貨の入っていないことを見て笑い合うのだ。ほら、私たちは本当は幸せなのだ、と。
 ――なんて莫迦で不可思議な話。

 そんな祭日の朝だった。私は子供でもできる使い――買い物のために街に繰り出す。表通りにはあらゆる店が列を作って並んでおり、持てる量を越えなければ犬にもできる仕事だ。
 一本道。港に通じるその道は、朝もまだ早いというのに、明るい陽光に眩しかった。

 私はとっ、と軽るい音を立てて足取りを止めた。日差しに照らされた港にも影のあるところは残っている。倉庫の並んでいるあたりがそうで、そこに蹲る人影を見つけたからだった。
 だから、私がその人影に声をかけたのは、もうそれだけで運命なのだ。だって私は幼いにもかかわらず、そういった怪しい影には決して近づかない人間だったのだから。
 言葉では説明しようのない、何か大きな力によって導かれた結果。そうとしか思えず、ならばそれはまごうことなく『運命』と名のつけられるものであるはずだ。

「お兄さん。どこか痛いの?」

 私は訊ねた。うずくまるその人影は頭を上げて私を見つける。陽の光の下で見れば、それはきっと向日葵のように明るいだろう色の髪と瞳。幾分か見開かれたその瞳は、私などよりも余程幼く可愛らしく、その人を私に印象付けた。
 おそらく、不審者丸出しの人間。苦しげにうずくまっていたところで、声をかける人間など誰もいないと思っていたのだろう。そして、他の国や町ではどうか知らないが、この街では九割九分七厘ほど、それは正しい。残りの三人はこの街にある海上騎士団が見つけた場合だ。彼らが倉庫地帯に近寄ることは稀だし、けれど不審者というのもはこうも揃うのかというように、日陰に身を置く。だから確率は良くて二厘。最後の一厘が、私――。

「ん? どうした?」

 それは私の科白だ。
 けれど私は口にはせずに、ただ黙ってその人影を見つめていた。
 人影は笑う。自嘲のようであった。

「ああ、俺に話しかけたのか。心配掛けて悪かった。優しいな、お前。でも、こういう人間話しかけるのは、あまりお薦めしないぜ」

 安心して。普段なら絶対にそんなことしないから。

「ちょっと気分が悪くて、涼しいところで休んでたんだ。何も心配いらないさ」

 そういう割には随分と苦しそう。顔が蒼いし、額には汗が見えている。



 ――ああ、なんだろう。この胸の切なさは。



 何を思ったのか。私の口を衝いて出たのは、あの、くだらない、陳腐なお話。

「金貨があれば、救われる?」

 首を傾げて問う私。人影は目を丸くして私を見つめた。
 ぱちぱちと瞬くその瞳。余程意外だったのだろう。

「金貨?」

 首を傾げる彼――その顔色は随分と回復し、日陰の暗さに私の目も慣れたせいだろう。それはもう人影ではなく、私などより遥かに年長の青年だとわかった――に、私は、ああ、と合点がいった。
 彼は知らないのだ。この街にある、この地域にある、今日という日の祭日の話。

「神様が、煙突を伝って金貨を投げ入れてくれるの」
「ああ、その話なら聞いたことがある」

 私が語ると、彼はその事かと肯いた。

「確か、貧しくて、このままだと身売りをしなければならなくなる娘に、金貨一枚が与えられたってやつだよな。その金貨のおかげで娘は身を売らなくてすんだっていう――」

 それは彼の独り言だったのだろう。あくまで確認のために口に上らせたにすぎないものだ。
 それを耳にして、私はひどく驚いた。そんな逸話は初耳だ。

「しっかし、こんなん子供に話して聞かせるようなことかよ……」

 まだぶつぶつと零している彼。そしてその意見に、私は大いに賛成だ。
 だからこそ、私はその話を知らなかった。そうしてだからこそ、この街の人間は、そんな話はきっと知りはしない。
 私はそのことには何も触れずに口を開いた。彼は、きっと独り言の積もり、子供に聞かせるような話ではないことを、子供が訊いてしまっているなど、あまり嬉しくはないだろう。
 腕を伸ばして私の背後を指し示す。

「……お兄さん。具合が悪いなら宿屋で休んだ方がいいよ。あの道の通りにあるから。薬屋も道具屋も、全部あの通りに並んでる」
「そっか、ありがとな」
「何もしてないよ」

 本当に、私は何もしていない。

「いや、話しかけてもらって逆に気分が回復した」

 青年は腰を上げて立ち上がる。気分が回復したの云うのは本当のことだろう。顔色は優れ、汗もすっかり引いている。何より、目に力がある。

「……。裏道には入らない方がいいよ。あそこは治安が悪いから」
「そっか。いろいろ悪かったな」
「うんん。なんでもないよ、こんなこと」

 私は首を横に振る。青年は笑った。明るい笑顔だった。

「じゃあな」

 そういって、その青年は私の頭を撫でた。そのとき私の胸に広がった感情を、何と表わせばいいのだろう。
 驚きと、温かさ。そして切なさ。
 私は青年を見上げた。
 見上げた彼は笑っていた。

 私は彼を引きとめたかった。理由など分からない。ただ引き止めたかったのだ。
 けれど私の喉は声を発することもなく、私の腕は持ち上がることさえなく。
 私は唯、遠ざかるその背を見送るばかりだった。

 ねぇ、金貨一枚あれば、人は救われる?







 あれから十年の月日が経ち。私は十六という年齢を迎えた。
 自分で云うのもなんだが、見目だけは大したものだ。鳶が鷹を生んだとの専らの噂はまさしく真実でもあったが、私は容姿などよりも、自分の頭の回転速さの方が、よほど鳶が鷹を生んだに当て嵌ると思っていた。己惚れだとの考えが脳裏を過ぎらなくはないが、少なくともこの街の中で生きているとそう感じて仕方がない。

 私は別に、神の祝福が欲しいわけではないのだ。それが救済だというのであれば、欲しくないなどというオブラートな言葉で包んだなけなしの謙遜を容易く破り、無言のままに投げ返すだろう。避けることはしない。一度は必ず受け取る。
 だって、攻撃を返せないままではすっきりできないほどの腹立たしさを感じるはずだから。

 私を救うなど、そんな傲慢は、私が許さない。

 私にはジュエルという同性、同世代の友人がいるが、彼女は少々ミーハーだ。スノウのようなお金持ちのお坊ちゃん――つまりは『王子様』だ――が、自分の身近にいることにドキドキと胸を騒がすことができる。例えば、お金持ちの家の一人息子と、そこに仕えるメイドとの、身分を越えた禁断の恋とか愛だとかに夢を見てわくわくしながらときめくことができるような子だ。
 はっきり云っておくけれど、身分が高くてお金持ちな人間が、必ずしも身目麗しくて賢いとは限らないよと、私は再三口にしている。そうして彼女の返す照れ笑い。

『そんなことわかってるって。そうそう物語みたいな王子様なんていないよ〜』

 そうして続くのだ。

『でも、スノウってばそれに当てはまるじゃない!』

 照れながら、けれど何が嬉しいのか、彼女は笑顔で語るのだ。
 彼女にとって何がそんなに楽しく喜ばしいことなのかも疑問だが、彼女の科白も私にはまた疑問であった。
 つまり、はて、スノウは身目麗しく賢かっただろうか、ということである。
 百歩譲って優しいのは認めてもいい。性格が悪いなどと云ってしまうのは、余りにも可哀想だろうし、それこそ理不尽だろう。
 知識が少ないとは云わない。しかし、はたして彼をもって頭がいいというのは当て嵌まるのだろうか。

 疑問をそのまま口にして小首を傾げて見せれば、ジュエルはやっぱり笑い、私の背中をどんと叩いて云うのであった。

『あはは。それはサツナがスノウのことを見慣れ過ぎちゃってるからだよ』

 そうだろうかとやはり疑問は尽きないが、彼女が言うのならそうなのかもしれない。私は、私よりも彼女の方がそういったことに通じていることを、はっきりと認めている。いや、むしろ私はそういったことに鈍いのだ。興味がないともいえるが。

「あれ、サツナさん。今日は早いですね。もうお帰りですか?」

 裏路地を駆けていたら聞き知った声が投げかけられた。ほとんど反射的に足を止める。
 寄ってくるのは二人組の男だ。この路地裏では珍しくもない、少々薄汚れた感じの若い男が二人、日の沈みかけたこの時間であれば、寝起きかもしれない。

「ああ。今日はフィンガーフート家でパーティーがあるから。少し忙しんだ」

 私は答える。裏道はこの街の裏の顔が凝縮されたところで、私はすなわち、困窮して身売りしなければならない娘たちに金貨を与えたり、金貨がなければ暴力に訴えたりして助けるには絶好の場所とばかりに、買い物帰りはいつもこの道を使用している。
 そうして私の金と暴力は、いつしか私をこの裏道の影の支配者にしたらしく――ついでに云えば住込みの小間使いである私の金の出所も、この裏道で金を巻き上げている人間がする方法と大して変わらぬだろう手段で手に入れたものだ――、こうして私を慕って、見かければ挨拶をしてくる。
 私にとって彼らと挨拶を交わすことは、ジュエルらと雑談をすることと大差なく、スノウや両親たちと付き合うのと同等のものであった。
 私に身の危険はなく、不快なものでない日常的なあたりが。

「ああ、なるほど。そういや今日は祭日でしたね」
「そういえば…。店の女どもが騒いでたな」

 客から金貨一枚。
 この裏道の売春宿で、そんな流行りを流したのは私だった。より正確にいえば、私は彼から聞いたあの話を語って聞かせ、男に絡まれた少女らに金貨を一枚放ってやっただけのことだ。
 現実では、金貨一枚では少女の一生を救うことなど到底できはしない。けれど一日の休みぐらいなら余裕で手に入れることができる。
 客からの金貨一枚。祭日にそれが貰えた次の日、彼女らは自由な『本当の休日』を手にすることができた。

「いいんじゃない。楽しい話題があった方が励みにもなるだろうし」

 私が云えば、男たちは「そうっすね」などと云って笑い、そうして私は彼らと別れた。
 その後も、フィンガーフート家までの道すがら、顔見知りや知らない人間に話しかけられながら、けれどそれほど遅くもならずに辿り着く。
 今日は祭日。特別な日。私にとって最後の日。
 ずっと決めていた。あの日から、ずっと、決めていたのだ。

「……今日で、この街ともお別れか」

 私は振り返り、表通りも裏道も、纏めて視界に収めた。どちらも私にとっては同等。
 はっきり云って、私はスノウのことが嫌いではない。しかし男としての魅力を感じたことがない。呆れを伴う頼りなさを感じたことはあるが、子犬のようなかわいらしさを感じたこともない。
 私はそんなスノウよりも可愛げがない。けれどこの街の人間にとって、私は随分と良くできた『少女』らしかった。つまり、フィンガーフート家の坊ちゃんのお手付きになるに相応しいほどの。
 意味が分からない。けれどどうでもいいことだ。私にその気がない以上、そうなる筈もない。
 なぜなら私の方がスノウよりも格段に強い。そして頭もいい。

 身分的なことを見て、私とスノウという少年が恋に落ちるという可能性など考え及びもつかないのはいい。その思考は私にとってもとても都合がいい。
 スノウもそういったことに鈍感な子なので、私のことは本当に、幼いころからの友達。或いは彼は身分を越えた親友だと思っているかもしれない。別にそれも構わない。

 それにしても、と思う。この街の人間は、良くも悪くも自分に素直で単純だ。そしてだからこそ、私がここに生まれたのは僥倖であったのだ。
 もしそうではなくて、無理矢理私を男の為の女にするつもりで強硬手段に出ていたら、私はこの街の人間すべてを殺しつくさねばならないところだったし、この街の二元は私に殺し尽くされてしまうところだった。だから、彼らが単純にそうなると思いこんで、そうして当たり前だと信じ切って、何の強硬策にも出ないことは、彼らのにとっての僥倖であった。
 私の両親にとっての僥倖であるかどうかは、それこそどうでもいいことだ。私は、とうの昔に彼らを捨てていたのだから。――彼らが私のことを純朴に愛していてくれていても。

「金貨一枚…」

 手始めにそこから始めよう。金貨一枚放って寄越し、娘を身売りから助けたというその逸話。この地域ではないどこかで流布しているはずだ。そこを探し出そう。
 この地を離れ、私は、私の運命の男に逢いに行く―――。



救いが欲しかったんじゃない。ただ、貴方が欲しかった。





talk
 何が書きたかったんだろう…。でも文章は苦もなくさらさらいった。だらだらいけばまだまだ続きが書けそうだ。盛り上がれ。
 サンタクロースの起源を厳密に表すなら『ニコラウス』の方が正しいんだろうけど…。まあ、どっちも間違いじゃないからいいや。
 サツナを女の子にしたのには理由があったからです。でも書き進めていたら別に男の子のままでもよかったんじゃね的にストーリーが進んでいって、あれ?ってな感じになりました。いや、もう本当に。あれ?って感じです。はい、いつものことです。
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2007/12/24_ゆうひ。
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