星降りの夜
美しい夜よ、さようなら |
一年、二年、三年。 十年、二十年、三十年。そうして百年、千年経っても、変わることのない何かが欲しいと。 悠久の時間を、朽ち、或いは栄えていく人の世を。枯れては芽吹く命のサイクルを。知る顔の老い、やがては消え。知らぬ人間と出会い、そうしてその人間も消えていく。新しく生まれた命に年を越され、故郷は滅び。 時の流れ、その変化する様を見る。見過ごしていくほど、長く、永く。 そうして生きることを許されたものにしか分からぬ贅沢を、誰に許してもらえばいいかと、彼は一人、ひそりと微笑った。 「やあ、朱龍。久し振りだ。何年振りかな」 「白々しい奴め。なんだって一年の終わりと初めに、毎回、毎回、貴様の顔を見ないといけないんだ」 苦虫を噛み潰したような顔――実際、彼は思いきり苦い虫を何百匹と噛み潰しながら目の前の客人に対応しているのだろう――で朱龍が返すのに、目の前の少年は笑みを一層深めただけのようだった。 少年の名は緋雫。かつて群島諸国で繰り広げられた戦争において、巨大船蒼天号を率い、群島諸国初の連合軍――黒狼軍を纏め上げ、大陸からの侵略を退けた英雄。 真の紋章の一つで、償いと許しを司る紋章――通称、罰の紋章――の宿主である彼の正確な年齢を、朱龍は知り得なかった。ただ歴史的大事件の一つでもある群島諸国におけるその大戦は単純計算で今より百五、六十年ほどの昔に起きたことであるから、彼の年齢も推して知るべきだろう。 「ひどい云いようだな。僕は別に君に会いに来たわけじゃないんだから、ちょっとは歓迎してくれてもいいじゃないか」 「……いや、おかしいだろ、それ」 「? どのへんがだ」 小首を傾げる緋雫に朱龍は頭を抱えた。大きなため息が口を衝いて出たのは思わずといったところだ。 旧赤月帝国、現在のトラン共和国の軍閥貴族である朱龍は基本的に我が道を行く人間であった。自分のものは自分のもの、他人のものも自分のもの。を、地で行くような人間だ。罪悪感などもちろん抱かない。 しかし、そんな彼も緋雫には敵わないのか。同類――しかも緋雫の方が遙か年長となれば、それも仕方がないのかもしれない。 或いは――。 意識的に人をからかう朱龍と、天然で他人を振り回す緋雫の差であるのかもしれない。――ぢちらにしたところで、傍迷惑な人間であることに変わりはなかった。 「ほら、どうせもう支度は出来てるんだろう。さっさと行くよ」 「……振りでもいいから俺様の意見を訊くくらいしろや、コラ」 半眼で唸る朱龍を、緋雫は無視して歩き出した。 結局、朱龍はその背を追い掛けるのだ。 「帰れ暇人ども」 視線は机上の書類に目を向けたままに投げ出された言葉に、訪問客二人はにべもなく追い出され……る、ほど可愛らしい性格である筈もなかった。当然のように執務室で茶を要求する訪問客二人の名は朱龍と緋雫である。 トラン共和国からの森道でのモンスター惨殺祭りが幻であるかのように、返り血も屍臭もさせていないあたりが恐ろしいが、分かっていてそこには突っ込まない道々の人々も同じ穴の狢かもしれなかった。慣れとはかくも恐ろしい。 緋雫は僅かに頬を膨らませて、朱龍は笑顔で返した。 「失礼な。暇じゃないよ。テッドさんとのんびりできたら幸せだけど、忙しくてそれもできないんだ。だからさっさと準備してよね」 「いやいや。忙しいよ、君を見つめてると時間が過ぎるのが実に早いね!」 赤穂は手にしたペンを、折れるのではないかというほどにきつく握りしめて小刻みに震えた。もちろん怒りの為に。 「うるせぇよ。年末年始は庶務さん大忙しなんだよ! 毎年毎年押しかけてきやがって!! 今年こそは絶対に付き合わねぇからな…。――さっさと帰れ!!!」 怒鳴った。唸ったし怒鳴った。むしろ殴る勢いだ(手が届く距離にいないから殴らないけど)。拍子に顔も正面に向き直った。 デュナン湖一帯の地域を領土とするデュナン統一国初代国王にして現国王である赤穂の執務机には未決済の書類が倒れないのが不思議なほどの高さで積み上がっている。決済済みの書類の束はさらに高さを増し、しかもその書類の塔の数も多い。運び出すのさえ間に合っていないようだが、毎年の光景に、朱龍も緋雫も慣れたものだ。驚く素振りも見せない。流石にその書類の山を崩すと洒落では済まなくなることが分かっているのか、生憎とそういった悪戯がされていないことを、赤穂はいっそ奇跡だとさえ思っていた。 出会った当初から、この二人の性質の悪さは明け透けで。きっと、永遠を約束された不変のものなのだと思う。そして、その事に時々酷く安心感を覚える自分が、時に苦々しいのだ。 「ふぅ…。…まったく、毎年毎年同じことを繰り返しているのに、どうしてこう学習しないんだ」 「……」 「忙しいのが分かっているのなら、さっさと終わらせられるように考えればいいものを」 「………」 「どうしてこう、工夫をしようとしないんだろうね」 「…………溜息をつくなコノヤロウ…」 ギリギリと。もはや赤穂に握られたペンは折れる一歩手前である。 折れてインクが飛び散りでもしたらそれこそ台無しだ――と、いうことに赤穂が気付いているか否か。それだけがそのペンの生死を分かつのである。 幸か不幸か、赤穂の脳内は冷静だった。即ちペンは折られることなく、その手を離れ机の受けに寝かせられたのである。 「なんだい、自分の無能さを棚に上げて八つ当たりしないでほしいな」 「だああああ! こちとら建国してまだ日が浅いんだよ、コノヤロウ!!」 「だからどうした」 「ああああああ、もう!! 処理しなきゃならないことが山積みだってんだ! 少しは察しろ、このボケ!!!」 いくら脳も腐るかも――赤穂は自分のうが腐るなどとは到底思っていない。当然だ。日々だらだらと生きてる目の前の二人と、日々業務に追われている自分との差を、遠方にいながらも正しいと胸を張れるほど互いに自覚している――知れないほどの年月を生きていたとはいえ、元は現在の赤穂と似たような立場にいた緋雫だ。ついでに朱龍は今も似たような立場にいるはずなのだ。――そんな仕事をしているとは終ぞ聞かない、有閑貴族であることは重々承知ていたが、それでも!との思いを赤穂は捨てきれずいた。 「それでも休める人間は休めているぞ。効率的に仕事を捌いている人間を見習え」 「……。ふっ。わかってる。いや、分かっていたさ、はじめから」 赤穂は鼻で笑った。そうだ。毎年繰り返しているではない、分かっているのだ、本当は。 目の前にいるのは同じ年代に見える二人の少年。いずれも国政を投げ出して悠々自適の気侭生活を選んだ、逃げるが勝ち組みだ。 己の苦労と責任を介してくれないことなど、最初から分かり切っていたではないか。 「そういうわけで、赤穂」 「なんですか」 「先に行ってるから、さっさと準備を整えて下りてこい」 「え〜、僕は赤穂とのんびり……って、痛ぇ! 痛いって、緋雫! 耳を引っ張るな〜!…――」 どたばたと喧しい音を立てて、客人二人は執務室を――森羽城を後にする。その足音が聞こえなくなるまで空(くう)を睨んでから、赤穂はふ、と肩の力を抜くと共に息を一つ吐き出した。眉間にこれでもかというほどに寄っていた縦皺が消える。 椅子の背凭れに体を一度だけ投げ出すと、俄かに腰を上げる。眉間には再び深い幾筋もの縦皺が出来ていた。 「おい、シュウ。悪いけど出てくる。毎年のことだから特に心配はしてないけど、後は頼んだ」 扉を潜り執務室を後にする、そのまだ幼い――けれど頼もしい――背中に、シュウは無言で一礼して見送るのだった。 「あっはっは。相変わらずだけど、やっぱりこうして赤穂と一年の終わりを過ごせるってのは最高だな」 「云ってろ、この道楽貴族め。ちくしょう。旧ハイランド王国の貴族どもならその地位さっさと剥奪してやるものを…!」 「むりむり。だって僕、英雄だもんな〜」 「くそぅ、トランの奴らはみんな騙されてる!」 「あはは。騙される方が悪いんだって」 「騙す方が悪いに決まってるだろうが、ボケェ!!!」 息の合った漫才をしながら襲い掛かってくるモンスターを片手間に撲殺して歩く年少二人を見つめながら、緋雫は岩だらけの山道を黙々と歩き続けていた。先行する二人がガンガンと――実際のその撲殺音はもっと鈍く生々しい――モンスターを倒してくれるの、とても楽だ。 (仲、いいな…) 岩山が続くのはティント市へ近づいた証拠である。そこを抜ければ次の目的地であるグラスランドへ出る。 頭上に広がる晴天を見上げながら、緋雫は呑気に胸中、呟いたのだった。 「やあ、炎羅。久し振り。早く行くよ」 「……ああ。もう、そんな時期か…」 いくつものクランが存在するグラスランド。どのクランからも離れた、崩れた遺跡に住みついている青年に、緋雫は必要最低限のみ義務的に告げる。 それに独特の間を持って返答した青年こそが炎羅。かつてクランを、種族を越えてグラスランドを纏め上げた、伝説の英雄。 寝惚け眼に見えなくもない彼に、緋雫は頓着せずにさくさく話を進める。 「うん、そうだよ。ほら、早く。あともう一か所寄るところがあるんだから」 「……ああ。……師匠は、お元気か…?」 「ああ、元気だよ。僕がいてテッドさんが病気や怪我なんてするわけないだろ」 「……そうか」 「そうだよ」 こうして四人はハイランドを出発した。到着とほぼ同時だった筈なのに、妙にのんびりと時間を取った気がした。 「久しぶり、桜月」 「あれ、緋雫じゃないか! 久しぶりだな〜」 「うん。挨拶はいいからさっさと来い」 「あはは。悪いけど、今年の僕は新婚さんなのさ。ルセリナと一緒に一年の終わりを過ごして、新年を迎える。いったい他にどう過ごせと?」 「僕らと来い。じゃないと僕がテッドさんの期待に応えられなかったことになるじゃないか」 「バカだな、おまえ。ってか、なんなんだよ、お前のその相変わらずの自分本位具合は」 美しい太陽の都とは決して誇張された表現ではないだろう。その中にあってさえ壮厳にして壮麗たる作りの建物に住まうことを万人に認められ、しかもそれがぴたりを当て嵌まる人物だった。 ファレナ女王国では女性に王位継承権があるため、王子とはいえ立場は気楽なものだ。これが他の国であれば、王家に生まれた男の第一子など、蝶よ花よとばかりに大切に、過保護にされるものであろうに。しかしたとえば彼がそういった国の王子として生まれたとして、では何が変わったとも思えない。このすっきりとした晴れ晴れしいほどに自由な少年に影を作ることなど、きっと誰にもできはしないのだ。 光の裏に影がある。そう、影はいつだって裏側にある。少年が表にそれを見せることは、決してないだろう。 「……と、いうわけなんだ。了解してくれるかい、ルセリナ」 「ええ、分かっております。桜月さま。……とても淋しいですけれど、仕方ありませんもの…」 「ルセリナ……」 「いってらっしゃいませ、……桜月さま」 「うん、いってくるよ。ルセリナ。……ごめんね、」 「……いいえ。わかっていたことですから…」 「ルセリナ…」 「桜月さま…」 「……」 「……」 見つめ合う新婚夫婦(果てしなくウザイ)に突っ込み?を入れたのは、珍しくも炎羅だった。 「一緒に行けばいいだろう」 「「え?」」 心底不思議そうに首を傾げている炎羅を、桜月とルセリナが思わず、といった様子でまじまじと見つめる。 炎羅はまた首を傾げた。 「? どうした。俺はサナが生きていた頃、毎年そうしていたぞ」 本人に悪気は全くないのだ。それはそこにいる誰もが重々承知していた。そしてここにいる人間は――一人を除き――そんなことに悪気を感じるような殊勝な性格をしてはいなかった。 それでも。 それでも。 なぜか広がった微妙な沈黙に、炎羅は三度(みたび)、首を傾げるのだった。 「お、漸く戻ったか。おかえり、緋雫。――久しぶりだな、お前等」 「ただいま、テッドさん」 「ああ、久し振りだね、テッド」 「お久しぶりです、テッドさん。お招きありがた迷惑です」 「……お久し振りです。師匠」 「久しぶりだね、テッド。今日は夫婦揃ってお招き預かったよ」 「ご無沙汰しております、テッドさん」 続く草原には爽やかな風。一軒家の背後には絶壁の崖。その家の前で出迎えたのは、向日葵のように明るく、琥珀のように落ち着いた雰囲気を持った少年――テッドだった。 テッドが片手を上げて笑顔で出迎えれば、やはりというか、真っ先に帰すのは緋雫だった。相変わらずの無表情のままに駆け出し、さっさとテッドの背に腕を回して抱きつく。 それにテッドは何の違和感も感じないし、今更そんな二人の様子に突っ込みを入れるような付き合いの浅い人間もいなかった。 猫や犬が懐くように――今にも喉を鳴らしそうだ――テッドに擦り寄る緋雫を無視して、各々は挨拶を交わす。 朱龍は悪友よろしく、食えない笑みで。 赤穂は台詞の棘など一切感じさせない無邪気な笑顔で。 炎羅はどこかぼんやりとした相変わらずの表情で。 桜月は鷹揚な笑みと共に返し、ルクセラがそれに続き丁寧に腰を折る。 「おう。じゃ、毎年恒例だけど」 テッドが笑いながら東の空を見上げた。 食って、文句を言い合って。変わり続ける時の中で、変わらぬ何かを、確かめたい――。 流れる星にも、昇る日にも。ひそりと佇む月灯かりにも。虹に輝く浮雲を見ても。 圧倒されるほどの自然の偉大さを目の当たりにして、祈りを捧げるような純情さは消えてしまったけれど。 ああ。けれど、けれど。 ああ、なんと美しく神秘であるのだろう。この世界の美しさ。 悠久の時を生きる。過ぎゆく時の中で、一人、取り残されるように生きることを強いられた人間の、変わらぬ不変の理(ことわり)を見るこの気持ちを。 美しいばかりではないこの世界。喰い、喰われ。騙し、騙され――。淀んだ澱が水底に溜まっていくような世界。じりじりと照りつける夏の泥のような、凍える冬のあかぎれた皮膚のように。痛みと悲しみと。醜さも。何もかも、夜の静寂に、その薄闇の静穏に、照らす月の灯の清雅な空気に。星明かりの慈愛に。 洗い流してしまえ。そうしてしまえ。 醜いものは、すべて西の空へと持ち去っていってもらうのだ。 そうして、ほら。東の空を見上げれば、そこには生まれたばかりの真っ白な。 何も知らない無垢なるひかり。 一年かけて世界の澱で化粧していく処女が、聖なる産声を上げる。 ああ、なんと叫べばいいのか! この繰り返される感動の! だから僕は両手を広げて君を迎えるのだ。いつだって、何度だって。 |
醜きほどに眩き朝よ、はじめまして |
東の空にはぐれた星が一つ。流れて落ちて、彼は微笑んだ。 |
talk |
拍手限定設定キャラです。あまりにも拍手を更新しないので一年の初めにもってきてみました。ちっさな抱負が込められています。え?もちろん、『来年は拍手もちゃんと更新』ですよ。タイトルあってないけど、他に思い浮かばなかったし、自分の中では他に有り得なかった。本当は白百合革命更新しようと思ってたことは遠い過去(大晦日の昼頃)です。 大晦日と年明けとどっちで上げるか迷いました。本当は大晦日ように書いたのですが(間に合ってましたよ!←必死)、だってどっちで上げてもいい感じの話になったから。どうせなら前後篇にして、全編を大晦日に、後編を元旦に上げるかとも脳裏をよぎったけど、そこまでの長さは見ての通り、ありません。書き上げて読み返してみたら、どちらかというと新年を迎えてるっぽい話しになったので、急遽元旦更新。元旦は元旦で邪馬台幻想記あげようかと思ってたけど、またいづれ(一緒に上げればいいじゃんってのは無理)。 因みにルセリナがついてきたのはとってもとっても予定外でした。本当は桜月が「えっ?」ってなるほど清々しい笑顔で、むしろ追い出すくらいの勢いで送り出す予定だったのに…。私、ノマカプは基本的にらぶらぶ希望なんです。それに桜月のキャラ設定的にも女の尻に敷かれないかなって。 盆暮れ正月だらけまくりです。ごめんなさい。――あ、Xは未プレイですよ。念のため。 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2007/12/31_…たれぱんだのようになりたい今日この頃。ゆうひ。 |
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