復活の章
150年の孤独の後に出会ったのは、呪いの紋章を宿したまっすぐな瞳の少年だった。 黒く煙(けぶ)る紋章をその身に宿しながら、彼はそのすべてを受け入れていた。 孤独と恐怖から逃げ出した自分のことを、キラキラとした瞳で追いかけてくれた。 だから、適わぬ約束と知りながら、交わしてしまった。 『待つ』、と。 お前が追いつくのを待つと、お前との縁を断ち切ってしまうのが怖くて、言葉をついていた。 サツナの後に続いてレイとホノカが辿り着いたのは、ホノカたち都市同盟軍の本拠地であるアサキ城だった。後背に巨大な湖――デュナン湖を持つその広大な城は、城壁内にあらゆる施設を持つ、要塞というよりは都市の様相の方が大きい。 なぜ一度アサキ城へ赴いたのかと訊ねれば、サツナの答えは至極簡単で、そして当然のものだった。ルックにテレポートを頼んだのだ。 サツナはビッキーに頼むつもりであったようだが――どうやら二人は顔見知りであったらしいが、今さらレイもホノカも驚かなかった。相手がビッキーであるというのが、そのもっとも大きな要因になっただろうことは否めなかったが――レイとホノカがルックの方が確実だからと、ルックに無理を通させたのだ。もちろん彼には絶対についてくるなと厳命して。 久しぶりに訪れた魔術師の島は、相変わらず、ただただ寂しさが漂っていた。 靴音が高く響き、サツナは迷うことなく歩みを進める。一際広く取られた空間の、蒼い光が満ちたそこに、件の黒髪の女はいた。 「久しぶりだな。レックナート」 開口一番に告げたのはサツナだ。そこには親しみなど欠片も込められていない。 しかしレックナートとて今さらその程度のことで動揺するような精神はもっていない。少なくとも、彼女の表面からはそういったものを見て取ることはできなかったし、見てとったところで、サツナがそのようなことで愉悦を感じる人間ではないことは、彼との一方的な関係を強要されているレイとホノカとて、すでに理解していた。 口を開いたレックナートの声音もまた、いつもの平坦とした凡庸なものだった。 「本当に、かまわないのですね」 「三年前から何度もお前は訊ね、その度に僕は同じ答えを返した。今回もそれは変わらない。あなたはただ一度、その紋章を開放すればいい。ソウルイーターへの「入口」を開け。これは命令だ、歴史の傍観者よ」 「……」 いったい何をもって、サツナはレックナートへ「命令」などと告げるのだろうか。彼女の名が歴史に現れるのは、今から約四百年前のことだ。太陽暦七十年ごろに、レックナートと、一族の中において彼女にとっては妹にあたるウィンディの属する門も紋章の一族が、ハルモニアの蹂躙を受けた。そこからサツナを含め、現在ソウルイーターを取り巻くものたちの運命が始まったといっても過言ではない。 以来、門の紋章の裏の相を持ちながら彼女がその力を行使したという記録はない。彼女はただ真の紋章によって激動する歴史の渦中に立ったものの前へと現れるだけだ。そして、その盲目の瞳で傍観する。彼女の目的は誰にも分からない。 そしてサツナはただの傍観者たる彼女の行為を糾弾する。償いと許しを司るという罰の紋章をその身に抱えながら。 「……あなたが嘆きと憎しみに囚われた一族の妹をただ一人にして放ってしまったことを、テッドさんはきっと責めない。だから、僕もあなたを責めはしない。でも僕にはあの時からこれまでずっと、これしかなかった」 「……そうですか。……レイ、あなたも、それでいいのですね」 レックナートは目の見えないなりに、礼儀を払い、サツナの後方へ控えていたレイへと面(おもて)を向けた。サツナがレックナートの様子を意に介しないのと同じように、レックナートもサツナがテッドについて語るときにのみ見せる僅かな切なさを意には介さない。 サツナにしてみれば、それは歓迎すべきことだった。二人の間には、互いの思いを慮ることなど無用のものでしかないらしかった。 レックナートに矛先を向けられたレイを、ホノカが心配そうに見上げるのに微笑んで安心させてから、レイはレックナートへと視線を戻し、はっきりと肯定の意志を返す。 「それならば、私にはもう否を返すことはありません……」 レックナートを中心として、蒼い光が広がっていく。レイは己の右腕にあるソウルイーターが反発するように疼いて力を発揮しようとするのを感じた。赤黒い光がレイの右手の甲を中心として放たれ始めると、心配したホノカがレイの左腕に縋りつき、レイは自分を支えるホノカの手の力を感じ、眉間に皺を作りながらも、己の右手の甲へと意識を集中させた。 サツナが動じることことなく覇王の紋章を掲げる。サツナのことを覇王の紋章は継承者としては認めなかったと語った。だが、その力を利用できると。 覇王の紋章の能力は他の紋章の能力をすべて無効にすると聞き伝えている。実際それがどのような意味合いを持つのかを、レイもホノカも知りはしなかった。 門の紋章とソウルイーターが激しくぶつかり合う。覇王の紋章がソウルイーターの力を封じ込めるのを、その場にいるすべての人間が感じた。 「空間が歪む…!」 ホノカが目を眇めた。瞬間的に膨らんだ光の眩(まばゆ)さに耐え切れず、眼前に手を翳す。 まるで巨大な力が破裂したかのようなその光りの渦を、ホノカはレイと初めて出会ったグレッグミンスターへ通じる森の道でも体験したことがあった。それはホノカの輝く盾の紋章と、レイのソウルイーターが共鳴して攻撃を発した時に放った光だ。 この狭い空間に三つの真の紋章が力を解放し、その余波によって風までもが巻き起こったようだった。髪が後ろに吹き煽られていくのが、視界の片隅に写っていた。 「サツナさんは…?」 光が収束してホノカが辺りを見回すも、そこにはそれまで確かにあったはずの少年の姿が見当たらない。ふと横へと視線をずらせば、レイが苦しげな表情で右手の甲に左手を添えてそれを見つめていた。 「レイさん?」 「……」 「ソウルイーターへの道は開かれました。私たちにできることは、待つことのみです」 レックナートの声が静かに響く。いまだ淡く発光を続けるソウルイーターを、三人は静かに見つめていた。 そこで恐る恐る声を発したのはホノカだ。レイやレックナートよりも身長の低い彼は、上目遣いで二人を窺うように覗き込んだ。 「あの…」 「どうしたんだい? ホノカ」 「あ、えっと…その、テッドさんを連れ戻すって、ソウルイーターから魂を引き戻すっていうことですよね」 「そうだけど…どうかしたのかい?」 「いえ…その…、肉体って、どうなるのかなって、思って……」 「……」 先ほどとは異なる沈黙が落ちる。少なくともレイには答えられるものが何もなかったからだ。 代わりに口を開いたのはレックナートだった。別段微妙な雰囲気の沈黙に耐えられなかったというわけではないだろうが、レイとホノカにとってそれは間違いなく救いとなった。 「サツナは、覇王の紋章がテッドを助けると云っていました」 「でも、覇王の紋章は他の紋章の力を抑える能力だけなんじゃないんですか?」 「トランでは他に、宿主を三つ首の竜に変身させる力も持つと考えられているけれど…」 「それじゃあ、テッドさんはその竜になってこちらに戻ってくるんですか?」 「いや…さすがにそれはないと思うけれど……」 もしそうならフッチが喜びそうだ。あるいは逆に嫌がるだろうかなどとぼんやりと考えながら、レイは一応否定してみる。しかし真の紋章の能力については不明な点が多いのも事実であるため、彼らの知り得ないなんらかの紋章の能力をサツナが知っている可能性は充分にある。とはいうものの、それをレックナートまでもが説明しきれないなどということがあるだろうかと、さすがのレイも自信がもてずにいた。 その困惑を多少なりとも打ち消したのも、レックナートだった。彼女は自身がすべての紋章についての知識を持っているわけではないことをあらかじめことわり、サツナは彼女にさえすべての情報――テッドを復活させる計画の全貌――を語ることをしなかったことを語ったのだった。 ゆるやかな口調で語られる台詞は、 「サツナは私のことを信じてはいません。私もまた、彼の信頼を得られるなどとは思ってはいません。けれどこれだけは云えます。彼は決して短慮な人間ではありません。まして、誰かが後悔に苛まれるような道を、自分の欲望のためだけに選ぶようなことは決してしないでしょう」 レックナートの言葉によって思い出されるのは、少ないやり取りの中にもたしかに見ることのできた、サツナのテッドへの思い、その深さと大きさのほどだ。テッドを復活させるという意志の強さと、切実なまでの願い。それでもなお三年もの準備をかけた彼だから、きっと、――少なくともテッドにとっては――最良の選択をするだろうと、昔から知っている知り合いの行動を予測するように、当たり前のこととして受け入れていた。 サツナは暗闇の中を漂っていた。上下が定まらない奇妙な空間に戸惑ったのも一瞬で、かつて夢に見た罰の紋章の記憶を辿ったその光景を思い出していた。 そこでは長いトンネルの中を歩いていくような感覚があったが、ここには辿るべき道筋など何も見えない。ソウルイーターは喰らった魂を解放する気などまったくないのだから、それも当然のことといえるのだろう。それは罰の紋章とソウルイーターは似て非なる存在であることを改めて、サツナにまざまざと感じさせるものであった。 罰の紋章の記憶を辿るとき、そこには悲しみと恐怖、そして切ないまでの愛しさが満ちていた。人が人を思いやるその愛しさは、まるで罰の紋章が与える試練――あるいは贖いを乗り越えるための道標(みちしるべ)として、新たな宿主を出口へ導くように光を放っていた。螺旋を描く貝の中を歩くように光に向かって駆けて行けば、やがて罪を償い終えて免罪されたかのように。真白な光に包まれて目を覚ましたのは、もう遠い日の記憶だ。 サツナは今まさにそこに佇み――実際の状態は不明であるが、少なくともサツナは立っているという感覚によっていた――まるで星空の只中に放り込まれたかのようだと感じていた。暗闇の中、上下左右辺り一面に散らばるようにして点在する光が、まるで夜空に輝く星々のようだと思ったからだ。 おそらくはこの光たちこそが、かつてソウルイーターに喰われた『魂』であるのだろう。僅かずつではあったが一つ一つの星はそれぞれが、その色彩や放つ光の大きさを異にして見える。これは魂の個性の表れなのか。それでさえ、サツナにはそれらが魂というよりは本物の『星』のように感じられる要因に思われた。 この無数の星の中で、目的の星はただ一つだというのに。無数の魂の中から、ただ一人を探し出さねばならぬというのに、サツナには欠片の不安もない。それどころか、見つけられぬはずなどないという、妙な確信に満たされていた。 (僕が、テッドさんに気がつけないはずがない) 彼は一度首を左右にめぐらせてあたりを見回してから、足を踏み出した。 しばらく歩き、目的の星ではないが妙に見知った気のする気配に首筋を射されたような気がして立ち止まる。首の後ろに手を当てがい軽く撫でるようにさすりながら暫し思案した後(のち)、無視を決めて再び歩き出した。 それからどれほど歩いただろうか。時間の感覚などないに等しかった。 一歩を踏み出すごとに満ちてきた気配に、サツナの心が震えだす。全身が揺さぶられるようなその感覚は、まるで大切な人の腕の中にいるような錯覚をサツナにもたらした。 サツナの足が止まる。 正面へ向けてその両の腕を伸ばすと、一際(ひときわ)尊く輝く小さな星をそっと包み込むように両手が包み込む。その手をゆっくりと引き寄せれば、その星はサツナの手に守られるように彼の胸へと引き寄せられた。 胸に冬の陽だまりに身を置いたときのようなぬくもりを感じ、サツナはそっと瞳を閉じる。 「テッドさん…」 長く、あまりにも長い時間、たった一人の人を追いかけていた。その人が残してくれた、『待っている』の一言。たった一度の優しさだけを支えにして、こんなところにまできてしまった。 ようやく追いつけた。ようやく追いついた。すぐに会える。話したいことがたくさんある。きっと、言葉などでないだろうけれど――。 幾多の思いが胸にあふれて、涙が零れそうだった。 けれど今はそのときではない。サツナは片手は小さな星に添えたまま、開いたもう片方の手で封印球を取り出した。門の紋章と覇王の紋章だ。どちらも紋章が発動した瞬間に酷似した光を淡く放っている。 (思ったとおりだ。覇王の紋章は、テッドさんを選ぶ――!) 僅かな興奮がサツナを襲った。すべてが上手くいく。その確信に胸が高鳴る。 サツナは門の紋章――性格にはその封印球に意識を集中させた。この空間からの、出口を開くために。 それは入り口が開かれたときと同じような現象を起こして収束した。光が瞬き膨張するように空間が歪んだかと思うと、いくつかの風景が一度に周囲を埋めたような光景に見舞われる。 まるで継ぎ接ぎだらけの壁紙のようだ。ところどころは魔術師の島にある塔の一室の青白い光を放つ壁。ところどころは星空とも感じられる、恐怖と懐かしさを感じさせる空間。 左腕を人の手が掴むのを感じてレイが振り返ると、厳しい表情であたりを見回すホノカの姿があった。 「ホノカ?」 「……レイさん、あれを…――」 ホノカはまっすぐに伸ばされた人差し指である一点を指し示してみせる。ホノカに促されて視線を向けた先に写る姿に、レイは思わず瞠目した。口を開くも、咄嗟には言葉も出ない。 レイたちの視線の先にあるのは一人の青年だ。彼とレイとの間には歪んだ空間の壁があり、彼からはレイたちの姿が見えていないようだった。 「どこだ…ここは……?」 彼は戸惑っているというよりは気だるげな表情で呟いた。頭に手を当てて周囲を見やるその姿を見ていると、このまま欠伸でもしそうだとさえ思えてくる。腰に当てられた手に紋章が光っているのが見えた。 彼は一見すると大雑把そうに見えるが、実はとても礼儀をわきまえている人間で、まがりなりにも世話になっている家の家人の前でだらしない風体など見せようとはしなかった。だから寝起きなんて見たことはなかったが、それでも釣りをしているときなど、釣れない時間が続いたりして飽きた彼は、よく眠そうな表情を見せていた。 セピア色した優しい日々の思い出が、一気にあふれ出したようだった。過保護な付き人が用意した揃いの服は、彼が好きだという青色と対になるから赤にしたのだと笑って告げられたとき、普通は主人の服の方を優先して考えるのではないのか?と、遠い目をしたあの日。彼は馬鹿みたいに笑っていた。勢いよく背中を叩いてくる彼に苦笑を返し、その様子を見て付き人は嬉しそうに笑っていた。ああ、そうだ。彼もまた、その付き人の作るシチューがとても好きだと云っていた。 グレッグミンスターの我が家に戻れば、付き人は嫌な顔ひとつせず腕によりをかけてその味を振舞ってくれるだろう。あの頃のように。 向日葵色の髪も山吹色の瞳も、あの頃のまま。何もかもがあの頃のまま。 レイは思わず叫んでいた。 「っ、……テッド、!!」 |
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テッド復活こじつけ話第二話です。今回のあとがきはいろいろ話したい(謝りたいこととか補いたい)ことがあるので長いです。暇な人はついでに読んでみて下さい。 テッドの体についての件(くだり)は、挿入するかかなり迷いました。だってこれまでずっとシリアスできたので、微妙なコメディを入れる必要があるのか?って。せっかく思いついたから、拍手にでもしてちょっとおまけ的に出すだけでもいいかな、とも思ったのですが、これを入れた方がホノカの素朴さというか、純朴さが出るし、覇王の紋章についての考察も説明調にならすぎずに挿入できるかな、と思ったので。ちなみに4主がテッドを探す途中で無視した気配はアルドのものという裏設定があったりします。うちの4主は別にアルドのことを嫌っているわけではないのですが、気にかけてもいません。ぶっちゃけどうでもいい存在として位置づけられています。というか…対面の章を書いているときから思っていたのですが、うちの4主がここまでレックナートに敵意剥き出しになるとは思っても見ませんでした。自分で書いておきながらすごいびっくりしてます。私、レックナートのことそんなに嫌いだったのかなぁ…。空間の歪み云々の描写は幻水外伝のフッチのところで、竜の世界らしきとところを垣間見たあたりのおぼろげな記憶を参考にしています。あくまでもおぼろげな記憶です。確認していません。とにもかくにもこの話は本当に丁寧に書いてます。UPの前にこんなに読み返して手直した作品てはじめてかも。 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2005/10/05〜6_ゆうひ |
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