永久の章 







 真昼のビーチサイド。
 空がキラキラと輝いているのを見ていた。
 どんなにさざなみの音がこだましても、私はひとりきり。
 わすれないよ。
 あなたがいたこと。
 わすれないよ。
 あなたがいること。

 わすれない。
 それだけで、私の心はこの眩しい空を、笑って見上げることができるから――。





『おまえにはまだ、やるべきことがあるはずだろ』

 そう云った彼の目は、まっすぐに自分だけを見ていた。
 サツナは常夏の孤島でぼんやりとした日々を過ごしていた。周りが少しずつ移ろうにもかかわらず、彼自身は何一つ変わらない。
 それは決して見た目だけを云っているのではない。
 そして彼は、今ではその『変わらない』ことを何より感謝していたし、大切にしていた。そして同時に、彼の周りが急速に移ろっていうくことを願っている。

 時間よ、早く過ぎてゆけ。

 それが、サツナが常に思っていることだ。
 時代が過ぎて、群島諸国はこれからどうなるのだろうか。その結果を見るまでは、サツナはここを離れることができないのだから。
 けれど自分は何も変わらない。彼への気持ちも、限り無くある時間も。







「ホノカは何に迷っているの?」
 サツナは訊ねた。ホノカは微かに笑ったようだった。

「僕は、なんのために今こうしてるのかなって」
「なんのために?」
 サツナは首を傾げる。ホノカは窓辺に近寄り、暗く沈んだ夜の世界へ面を向けた。
 高い位置に在るそこからは、城下の町並みを通り越して、黒々と聳える森の影と、点在する家屋の灯(あか)りが夜空よりも静かに佇んでいた。
 ホノカは小さく頷いた。

「はい。…僕はただ、ナナミやジョウイと過ごした日々を守りたかっただけなんです。それを、取り戻したかった」

 けれど辿り着いてみれば、肝心の二人はどこにもいない。
 ハイランド王国を憎んだことはなかった。それでもそこは彼の育った『故郷』だから。
 ルカ・ブライトの横暴に晒される『現実』に心を悼(いた)めなかったとは云わない。憤りだって感じた。けれど不思議と憎しみはない。同情はできないけれど、対峙したルカ・ブライトは、どこまでも自分に誇りを持っていたから。

『おれは!!! おれが想うまま、おれが望むまま!!!! 邪悪であったぞ!!!!!!!!」

 彼の最期の言葉だった。
 そこには言い訳も、正当化も、何もありはしない。彼は自分の行為の意味を正しく捉え、その上で、彼は彼の決めた道を断行した。
 少なくとも誰にも苦悩も弱さも見せないその力強さは大多数の人間にとってはただただ『凶暴』であったが、ホノカの親友にとって、その力は少し方向性を変えるだけで、何もかもを守ることのできる強大な『憧れ』に写ったのかもしれなかった。
 その生き様、その死に様。彼の歩んだ人生。

 彼はまさしく、『王』に相応しい強大な人間だった。

 あまりにも強大すぎて、誰もがただただ怯えるだけ。彼は彼の望むままに孤独になり、そして、彼はその事実にさえ負けはしなかった。
 砕けることも、曲がることも、折れることも。

「彼には確固たる決意がありました。ジョウイにも、ナナミにも。でも、僕にはもう、何もありません」

 彼らには確固たる信念がある。それに殉じる覚悟を持ち、決意を固めている。

 ルカ・ブライトに戦う理由を問われ、ホノカは答えた。
 『戦いを終わらせる』と。
 そこに嘘はない。ホノカの戦う理由はそれだ。紋章をその手に宿し続ける理由も。
 しかしホノカにとっての戦いを終わらせるとは、ナナミとジョウイとの日常を取り戻すこととイコールであるのだ。
 にもかかわらず、それはおそらくは永遠に叶わない。
 ジョウイとは和解できるかもしれない。あるいはそれがホノカの最期の砦だ。戦いを終わらせる理由になる。
 けれど、どれほど戦おうと。
 勝ち続けようと。
 いずれこの戦争に終末が訪れようと。

 ナナミは、二度と帰ってはこない。

 ユニコーン隊に入ったのは、その方が生活が楽だと思ったからだった。ジョウイもホノカもナナミも。三人が三人とも、キャロの町ではどこか歪(いびつ)な存在で。
 居場所がないというには云いすぎだが、完全な町の一員としていられなかったことは確かだった。
 都市同盟は常に敵で、軍は慢性的に人手不足だった。徴兵は義務であったし、それに文句を言うことは異端だ。けれど終わりの見えない慢性的な戦争に、人々は心の奥底でこっそりと不満を抱いている。
 軍に志願することはそれだけで人々から好意的な感情を受けることができる。なぜなら国が推奨しているのだから。
 国のために。
 異端であった三人にとって、それは町の人々に受け入れてもらうための絶好の行為だった。ましてそれぞれに武術を嗜み、その実力は高い。
 少年隊は一種の宣伝材料的な意味合いがもっとも大きかったから、後方部隊が確約されている。いずれ軍に正式に入ることとなればそれなりに優遇もされるだろう。金銭面においても自立が可能だった。
 ジョウイとホノカは話し合い、危険なことはしないで欲しいというナナミの反対を押し切って入隊した。

「それからあの日の襲撃があって、レックナートさんに会いました」

 彼女の導く先に何があるのか。それが本当により良い運命であるのかなど、ホノカにはわからない。否、その当時は『真の紋章』の持つ『本当の意味』さえ、知りはしなかった。
 ただ、ジョウイは力を欲していて、ホノカはジョウイの願いを叶えたかったし、自分も大切なものを守れる『力』が欲しかった。

 ホノカの話を聞きながら、サツナは眉を顰めた。彼の嫌いな人間の名が出たからだ。

(レックナート。あの傍観者)

 サツナは胸中で罵った。
 人々は彼女のことを『バランスの執行者』と呼ぶ。紋章のバランスが崩れ、世界に争いが起こったときに、そのバランスを戻すべく姿を現す盲目の魔女。
 紋章の継承者が常に正しい運命を選択するように導くという。
 けれど、サツナはそれが『レックナート』という女の独善と偏見に基づいて行われる自己満足でしかないと分析している。
 真の紋章に縁(ゆかり)のある彼女は、確かに世間一般の人々よりも多くの紋章についての知識を持ってはいるが、その思考が必ずしも『正しい』と、なぜ云えるのか。
 誰にだって人は自分の『正義』を持っている。そして、誰かの正義の前には、必ず誰かの『涙』が存在する。
 それが、戦争によって勝ち取られる『平和』の現実だ。

 自分は安全なところに隠れて、余計な口を出すレックナートのことを、サツナはおそらくはこの世の誰よりも嫌っているだろう。そして、サツナほどレックナートのことを嫌っているものも、この世にはいないだろう。
 他人に戦わせて、傍観しているその姿を見るたびに、サツナは苦虫を噛み潰したような表情になるのを止められない。
 他人に対して常に淡白であるサツナにしては珍しいことだ。
 これでこの女がただ傍観者であるだけならば、サツナは彼女のことをその他大勢と同じ。取るに足らぬ存在として、何を感じることもなかっただろう。
 彼が許せないのは、彼女が何もしないことではない。『中途半端に余計な口出しをする』ことにこそある。
 どうせ力を貸さないのであれば、何もしないのであれば。初めから、その姿さえ現さなければいいものを。

 ホノカは尚も言葉を綴る。サツナは、まるで在りし日の『懺悔室』にいるようだと。ぼけっと考えていた。
 そこではサツナが首を横に振ると『タライ』や『水』が天井から落ちてくるという、なんとも愉快な催しが行われていた。誰が話しているのか、サツナは声音とシルエット、そして話し方でのみしか判断することができなかったが、むしろそれで判明できないことの方が難しいと感じていた。

(あれはバレバレだったよなぁ…)

 今更ながらサツナは思う。もちろんその当時も思っていたが、サツナにとってはあまりにも些細なことに過ぎたため、後にも先も声として出されることはないだろう。
 テッドという人間がそれについて見解を求めれば、別かもしれないが――。

「僕は、どうやって戦えばいいんでしょう…」

 ホノカの、それが本音だった。
 裏切ることのできない仲間がいる。居場所があり、役目がある。だからこそ、一度は届く位置にきたジョウイの手を振り払った。
 ジョウイの言葉は理解できたし、それも一つの正しい選択のように思えた。それでも、そのときのホノカにはハイランド王国を勝利に導くことはできなかった。
 その理由が、つまりは今いるホノカの仲間たちだ。どれほどホノカが助命を請おうとも、誰かが敗戦の将として犠牲にならざるを得ない。ジョウイがことさら冷徹に徹するなどとは欠片も思わないが、多少なりとも政治に携わったホノカだ。それが許されないことも知っていた。
 何より、ルカ・ブライトに率いられて強硬な考え方がしみついたハイランド王国軍の兵士が許さないだろう。
 彼らとて仲間を殺されているのだ。和解したからすべてを水に流せなどと云われて素直に納得できるはずもないし、それまでルカによって押し付けられた優位意識によって、同盟領土に暮らす人々にどのような横暴が行われるかもしれなかった。

 今でもそれはホノカの理性の片隅に存在し続ける。けれどそれは建前でしかない。
 ホノカにとって本当の意味で戦う理由のなくなってしまった今、彼は道を見失っていた。

 暫らくどちらも口を閉ざし、夜行鳥の鳴き声が遠く響くばかりの静寂が過ぎる。
 漸く口を開いたのはサツナだった。

「レイから聞いたけど…」
「?」

 ホノカはなぜそこでレイの名前が出るのかと、思わずサツナを振り返った。
 サツナの表情は相変わらずの淡々としたもので、表情の乏しいその面から彼の思惑を読み取ることはできなかった。

「赤月帝国最後の皇帝、バルバロッサ・ルーグナー。彼は、黄金帝と呼ばれているとか」
「え、…ええ、そうですけど…?」
「レイは、敵の総大将であったその男を、今の君がルカを称するのと同じ。やはり、『皇帝(おう)』に相応しい人間だったと云っていたよ」
「……」
「それに比べると、僕が直に言葉を交わした王は、なんだか王らしくなかったかな。なんでもかんでも人に押し付けて利用する狡猾な奴だったし。でも、そいつは『興亡の王』ではなくて、数ある延命期の王の一人だったから、それはそれでいいんだろう。あえて一歩踏み込めば『興の王』にもなれたものを。そうであるからこそ、群島は今でも『諸国』バラバラ。水面下では互いに牽制し合っているばかりなのだろうけど」
「…あの、」
「『興亡の王』はそうするだけのエネルギーをもっているんだと思う。君やレイも力を持っているけれど、きっと、かつてハイランド王国を打ち建て、あるいは赤月帝国を打ち建てた『興の王』もそうであったように、ただ一人で国を興すことはできなかったはずだ。そこには必ず『亡の王』が存在していた。もちろん、それが本当の王であったかどうかは別にして」

 赤月帝国を亡ぼし、トラン共和国を興した解放軍のリーダー、レイ・マクドールは赤月帝国の有力貴族の子弟ではあったが、決して王ではなかった。トラン共和国の打ち建てられた現在も尚、大統領の地位に付かずに放浪の旅を続けている。

「生まれるにしても滅びるにしても、とても大きな力が必要なんだろうな。宿星の力だけはどうにもできないほどの大きな力が。今、この地にはそれが起こる条件が揃っている。君がこれから先戦うことをやめようとも、きっと、この地には新しい何かが興るはずだ。そして、代わりに何かが亡びる。きっと、君はそんなことはどうでもいいんだろうと思う。僕もそうだったから」

 クールーク皇国を協力して退けたことで、群島諸国は群島諸国連合として興るチャンスを手に入れた。それまで広大な海に阻まれ国家間で団結する必要もなかったから、互いに協力する必要はなかったのである。
 経済にしても政治にしても、各国は各々の考え方に基づき独自に展開してきた。だから、そこに暮らす人々から見れば『群島諸国』などといって一括りにされてもぴんとこないのだ。小さな島国の集まった地域だから他国は『群島諸国』と呼び、たいした教養のない市井の人々の中には『群島諸国』という『国』があると思っているものすらいる。そして、群島地域の人々は、そんな事実さえ知らない。
 強大な紋章が現れ、強大な力が集ったその時。あるいは、群島地域はそこに点在するすべての島を国土として擁する巨大な『一国』と興ることができたのかもしれない。
 けれどそうはならなかった。その一因には、ぶつかり合った国同士の『王』の能力があり、運命を動かすべきもっとも強大な渦を持ったその人物に、その気がまったくなかったことにあるだろう。
 結果、星は集まるも時代は動かなかった。
 時代の転換する階(きざはし)は確かに見せたが、そこで終わってしまった。
 だからも今も尚、群島諸国とはいくつかの島国の集合した地域というだけの意味しか持たない。
 サツナは自分の戦いの結果を見届け、そう結論を出していた。ホノカの戸惑いを無視し、サツナは言葉を続ける。
 云いたいことを一方的にしゃべるのは、実にサツナらしかった。

「でも、責任は取るべきだ。僕はそうは思わないけど、僕はテッドさんにそう云われたから。レイはなんだかんだ云って逃げたみたいだし、けっきょく君がどうしたいかだけど。戦い続けていれば、もしかしたらそのジョウイってのとはまた話せるかもしれないんだろう。だったら、それに賭けてみればいい。それも必要なくて、ただ何もしたくなくなったのなら、それもいいと思う。ある意味、その紋章の押し付ける運命に逆らうことになるだろうから」

 サツナが口を閉ざした。しゃべりたいことを話しつくしたのだろう。彼はじっとホノカを見つめてはいるが、それでホノカからの反応を待っているかといえば、そうでもない。極端な話、ホノカが今までの話をまったく聞いていなかったとしても、サツナは何も感じないだろう。
 けれどホノカはサツナとは違う。人の話にはきちんと耳と傾けるし、与えられた意見には律儀に答えを返す。

「…僕は、行きます」

 体ごとサツナに向き直ったホノカの瞳には、もう、迷いはなかった。
 サツナにはホノカが『行く』と称する場所がどこを指しているのかなどわからない。ただ「そうか」とだけ返し、二人はそれぞれに与えられた部屋へと戻っていった。
 地上にある宿星たちがざわめくように、天上では星たちがキラキラとやけに瞬(またた)く、そんな夜だった。


 そしてその翌日。
 新都市同盟軍リーダー、ホノカは集った同志達を前に告げた。



「行こう…ルルノイエへ!!」



 人々は雄叫びを上げた。人々とリーダーの気持ちの間には、僅かなすれ違いがあったかもしれない。
 けれど、それがどうしたというのだろう。
 戦う人間は万人に達し、なれば戦う理由も万に達するのだろう。
 数多の感情の集合が、まるで炎のように激しく焦土を焼き尽くすのだ。人々を駆り立てて。

 共に戦いをやめるわけにはいかなかった。勝敗が決していようとも、そこで有耶無耶にはできなかった。
 どちらかの完全な勝利。その答えを出さなければならなかったから。
 そうでなければ、この地には二つの勢力が相変わらず並び立ち続け、合い争うことを繰り返すばかりなのだから。
 そのために、割れた二つの紋章を互いに宿す『親友』は、決死を決めなければならない。かつて同じく兄弟ともいえる割れた紋章を互いに宿し合ったの英雄たちのように、勝敗を有耶無耶にはできないのだ。
 そのためにも、彼らは約束の地へ行かなければならない。

 最後まで諦めず。最後まで走り続け。そして、―――。









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 サイト開設五周年感謝企画。配布小説です。配布するにはあまりにも萌えの薄い話になりました。当初はもっと4主がひたすらテッドに恋焦がれて群島での日々を消化していく様子を書く予定だったのですが…。
 今回は『歌詞』をイメージして誌を作ってみました。ラプソディアで4主は無人島にいるらしいですね。未プレイなので知りません。チープーとかがいてにぎやかでも、そんなものはテッドと離れている4主にとってはただそこにあって寄せては返すだけの『さざなみ』の音…意味を成さない雑音と大差ありません。でもそれは4主に限らず、水辺の古城に集ったすべての天魁星がそうなのだと思います。
『永久(とこしえ)の章』はどれほどの時間が過ぎようと、どれだけの時代が繰り返されようと、人がそこに居る限り繰り返す不安や迷いといった様々な事柄のつもりです。そして同時に繰り返される『宿星』たちの物語のこと。しかし、ハイランド王国側の人々は敵ながらものすごい信念のあるカッコいい人々ばかりでした。ルカにジョウイ。シードにクルガン。ハーンもそうでした。そしてジルも。彼女も自分の信念を持ち、ジョウイを愛していました。それに比べてリノは…。クールークの総督もなぁ…。王なんて出てこなかったし。ウォーロックとかフレアは強かったですね。
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2006/04/22・23_ゆうひ
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