新緑の章
旅立ちは春の初め。そっと眠っていたあらゆる息吹の目覚める、復活の頃。 歩き行く行程は希望に満ち溢れ、降り注ぐ陽光と同じ色の笑顔が輝いていた。 僕と君が並んで歩き、頭上には鳥の囀り。羽ばたきに揺れた梢も、道端の草花(くさばな)も。 すべてが瑞々しく色付き、活気に溢れて輝いていた。 「ねぇ、ねぇ、これからどこに行くの?」 ナナミが後ろ歩きをする姿に多少の不安を抱えながら、ホノカとジョウイは顔を見合わせた。前を向いて歩くように注意を促さなかったのは、それが常のことであったからと、落ち着きのないお転婆少女であっても、そこは武門の出。バランス感覚には優れていたからだ。 転んでもただでは起きない元気娘であるが、それ以上にただでは転ばない信頼すべき義姉――年齢の上下などはっきりとはわからないが、彼女はいつだって自分が『姉』であると主張して譲らない――であればこそ、あえて注意をするなどという無粋なことはしない。ホノカとジョウイは彼女がただで転びそうなったときにいつでも手を差し伸べて支えられるように常に身構えておくだけのことだ。 「う〜ん。どうしようか。何も考えてなかったけど…」 「ナナミが行きたいところがあるなら、そこでいいよ」 「私が? うーん、じゃあ、ハルモニアに行ってみようか」 ホノカとジョウイが促すのに、ナナミは小首を傾げて少しだけ考えてから提案した。それに疑問を呈したのはジョウイだった。 「ハルモニア?どうして?」 「だって、トランへはレイさんを迎えに行くときに何度も行ったことがあるけど、ハルモニアへはまだ一度も行ったことがないんだもん」 「でも、トランへもグレッグミンスターにしか行ったことがないよ。そういえば、ジョウイはグレッグミンスターには行ってなかったよね」 ホノカがジョウイへ向き直ると、ジョウイは頷いた。それから二人でナナミに向き直る。幼い頃から繰り返され続けてきたことは幾らでもあり、これもその一つだった。 三人とも、そんなことにも気づかないほどに繰り返されてきたことだ。今回もまた三人は誰一人として気づくことがなかった。 ホノカとジョウイはお互いの思いを顔を見合わせて確認し、それからナナミの意向を伺う。ナナミは二人が自分の意向を求めるのを当然のことだと思っている。 そしてナナミが笑みを浮かべればそれは肯定であり、大抵はそれに苦笑や冷や汗といった危険なものをホノカとジョウイの二人は抱く破目になった。 「トランはダメ。だって、レイさんがいるでしょ?」 「レイさんがいると、どうしてダメなの?」 「だって、たくさんお世話になったじゃない。私聞いたの。戦争が終わったらどうするんですかって」「レイさんはなんて?」 「トランに戻ってゆっくりしようかなって、云ってたもの」 だから、トランを案内してもらうなんてダメ。 ナナミとホノカの会話を耳にしながら、ジョウイは「別にトランの英雄にわざわざ案内をしてもらう必然はないんじゃ…」などとぼんやり考えていた。ちなみにジョウイとレイの間にはこれといった接点はない。 「それにね」 まだ続いていたらしい会話。改まったナナミの声が耳に届き、ジョウイは取り留めのない思考を中断して面(おもて)をナナミへと戻す。 時々――本当に時々――見せる、歳よりも大人びた表情をしたナナミが、そこにはいた。 「私、ずっとハルモニアに行きたかったんだよ」 「ナナミ?」 くるりと背を向けてしまったナナミの表情はもう窺えない。ただ跳ねるように歩く彼女の独特のリズムに、体が上下に踊っているのが見えるだけだ。 「私、キャロから出たことなかったでしょ。昔、お勉強ごっこしてたとき。ジョウイからね、ハイランドはハルモニアから独立したんだよって言われてから、ずっと思ってたの」 かつて赤月帝国がハルモニア神聖国の内乱に乗じて独立したのが、太陽暦230年のことであった。その七年後。太陽暦237年に、ハルモニアの内乱を鎮圧した功績によって、マウロ・ブライトはその領地を得てハイランド王国を公式に建国した。 その後、太陽暦457年に赤月帝国は滅亡。トラン共和国が成立し、その僅か三年後――太陽暦460年にハイランド王国が滅亡した。都市同盟も解散し、現在はデュナン統一国として緩やかな再建が行われている。 ハルモニア神聖国から同時期に、しかし真逆のベクトルの果てに分かれた二つの国は、いみじくも時を同じくして滅亡を向かえ。しかし尚その親の如き国――ハルモニア神聖国は繁栄を誇っている。そして現在知ることのできる人類の歴史は、ハルモニア神聖国の歩みにも等しい。 赤月帝国、ハイランド王国の二国は二百年以上に渡って栄華を極めた。しかしそれを遥かに凌駕する年月を持って、ハルモニア神聖国は悠然と佇み続けるのだ。まるで聳える山の如く。 「いったいどんな所なんだろうって。だって、今回もそうだったでしょ。みーんな、名前は知ってるのに、本当はどんな国なのか知ってる人ってほとんどいないの。何かあると必ず誰かが口にする名前なのに」 本(もと)をただせば滅びた国はすべてハルモニア神聖国の一部であったのだ。遥か遠い祖国は二百年という時の前にあって、子孫にすらその姿を眩ましている。 「すっごい大きい国で、いろんなものがあるんでしょ? 一度は行ってみたいと思ってたんだ」 ナナミは純朴な少女であった。キャロの田舎で養父の残した道場を守って素朴に生きることを望む少女だ。しかし、それと同時に好奇心も強い。どんな苦難にあっても、精一杯、そこに明かりを見出そうとする。 おそらく何もなければ時に耳に挟むくらいの噂話で満足し、自ら足を運ぶような真似はしないだろう。しかし、彼らは旅に出てしまった。行き先のなにも見えない、自由な旅に。 ホノカとジョウイは顔を見合わせた。互いの顔に嫌悪でない苦笑が浮かんでいるのを確認するとナナミに賛同の意を伝えた。 ナナミもそれに嬉しそうに頷き返す。 「あ、でも、ハルモニアへはどうやって行けばいいのかな?」 「地図があるから平気だよ。テンプルトン君から貰ったの」 首を傾げるホノカに、ナナミが勢い込んで荷物を漁りだした。道の途上でいきなり荷物を紐解き始めたナナミに慌てはしたものの、彼女らしさが失われるよりはよほどいいと思っている連れの二人だから、本気でそれが制限されることはないのだろう。 喜び勇んで地図を取り上げたナナミはそれを二人に掲げて見せた。 「ほらね」 「……ナナミ。これはデュナン地方の地図だから…」 「うん。ハルモニアまでの道は載ってないよ」 「ええ?! これじゃあダメなの?! うう。デュナンの地形なんて知ってるよぉ。役立たずなの〜。そんなぁ…」 「ナナミ、せっかく貰った地図なんだから、そんなふうに云ったらダメだと思うよ。地図なんてそうどこにでもあるものじゃないんだから」 「うう〜。うん、そうね。ごめんなさい」 がっくりを肩を落とすナナミにジョウイが聡し、ナナミは顔を上げた。 「でもどうしようか」 「ハルモニアはハイランドの北側なんでしょ?」 「うん。ルートはいくつかあるよ」 ホノカに顔を向けられたジョウイがハルモニアへの進路を上げ始める。 「一番近いのはこのまま北へ進路を取ることだと思うけど、西へ進路をとってティントを越えて行くルートもあるよ。ティントからさらに西に行くとグラスランドに入るけど、グラスランドはハルモニアと隣接してるしね」 「そっかあ。グラスランドも行ったことがないから、ちょっと興味があるよね。ねぇねぇ、どうしようか」 「近いのは北側のルートだと思うけど」 「そうだよね。なぇ、ホノカはどっちがいい?」 「でも、ナナミはハルモニアに行きたいんじゃないの?」 「う〜んとね。――どっちも行きたい!」 「あはは。ナナミらしいね」 「ちょっと〜。それってどういう意味?! ホノカ、お姉ちゃんのこと馬鹿にしてるでしょぉ!」 「ええ?! そんなことしてないよ〜」 「うそ〜!」 突然始まった姉弟喧嘩に、ジョウイは眉を八の字にした。一人で怒ってホノカを追い回すナナミと、そんなナナミから逃げ回るホノカに、ジョウイが困り顔を作るのはもはや身に染み付いた反射に他ならない。 止めるタイミングと言葉を探して視線を彷徨わせていると、不意に肩を掴まれて体が揺らされた。首を巡らせると背後からホノカがジョウイの背に隠れるように両肩に手を置いている。視線を前へと戻せば仁王立ちのナナミがジョウイの肩越しにホノカを睨みつけていた。 「ああ、ホノカ! ジョウイの後ろに隠れるなんてずるいわよ!」 「ずるくないよぉ。 あ、そうだ!! 大変だよ、ナナミ。大切なこと忘れてた!」 「こら、誤魔化さないの!」 「ご、誤魔化してないよ。本当に思い出したんだもん!」 「いったい何をだい?ホノカ?」 ナナミに任せていたら話が進まないと判断したジョウイが溜息と共にホノカへ首を巡らした。それが墓穴を掘ることになるとは露ほども思わずに。 ジョウイに促されたホノカが、ジョウイよりも頭一つ分下の位置から背伸びをして口を開く。まだくりくりと大きな瞳を心持ち不満げに眇めていた。 「ジョウイのことだよ」 「ボクの?」 「そうだよ」 「何かあったかな…」 考えるようにジョウイは顎に手を当てて上向いた。見上げた空は突き抜けるような薄青(うすあお)色に染まっている。 梢を揺らして小鳥が羽ばたき横切った。 「ほら、ジルさん!!」 「あ! ピリカちゃん!!」 「!」 ホノカが云い、ナナミも手を打ち鳴らした。ジョウイはあまりにも予想していなかったその言葉に目を見開いて固まる。咄嗟にどのような反応をすることもできなかった。 「会いに行ってないんでしょ?」 「そうよ! 本当は生きてるって、ちゃーんと、知ってるんだからね!」 ホノカとナナミに口々に攻められて、ジョウイは言葉に詰まりながら、たじたじと後退さる。 「ね、会いに行こうよ!」 「会わなくても、様子くらいは見たいでしょう。僕たちも気になるもの」 「でも…」 「決まり、決まり!」 「ねぇ、ジョウイ。二人はどこにいるの?」 「え?いや…」 腕を引かれて、引きずられるようにしてジョウイは足を動かす破目に陥る。 いまだ困惑したままのジョウイのことなど気にせずに、ナナミとホノカは歩き出す。 「なんだったら二人も連れて一緒の旅もしたいね」 「う〜ん。でも、ピリカはともかく、ジルさんに旅はつらいんじゃないかなぁ?」 「ええ〜、なんで〜。だって、ジルさんって、私と同じくらいなんでしょう」 「でも、ナナミや僕たちとは違うよ。いきなりハルモニアまで歩いて行くなんて無理だよ」 「そっかぁ…。お友達になれると思ったのになぁ…」 「今度、ジョウイに紹介してもらえばいいじゃない」 「そっか。うん。そうだよね!」 「いや…、だから……」 夢は蕾のように膨らみ、いずれ花開く日へと諸手を上げて歩き出す。陽の光にきらきらと輝く新緑のように、きらきらとした笑顔と共に。 こうして、三人の進路は一先ず。 旧ハイランド王国領土を北へまっすぐ、ハルモニアへと決定したのだった。 |
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はい。お久しぶりです。一ヶ月ちょい振りくらいですか…申し訳ない期間です…。さて、本題となる部分の舞台はどうやらハルモニア神聖国になる予感です。Vでちょこっとその片鱗が見えましたが、まだまだ謎に包まれた国です。その全貌が明らかになっていないのに勝手な想像を繋ぎ合わせて書いて本当に大丈夫なのか?!と、今から不安はつきませんが、少しでも早く2主に始まりの紋章を継承させて坊たちのもとへと返したいと思っています。一番簡単なのはBEを選ぶことなんですけどね…(書くの疲れるたびにそっちに転びそうになりそうで、今から不安です)。 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2005/12/15・17_ゆうひ |
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