炎暑の章
流れ落ちる汗を手の甲で拭った。その手もまた汗に湿り、吐く息までもが熱を持っている。 なぜこんなにも過酷な時期があるのかと、うだる暑さに空を見上げた。 太陽の降り注ぐ光はあまりにも眩しく。それを遮る木々の緑にはっとする。 そうだ。この降り注ぐ光。湧き上がる熱がなければ、この後に訪れる、真に実り豊かなそれもまた、訪れはしないのだ。この後に訪れるからこそ、それは本来の何倍もの輝きを伴って。 暑さに萎れた緑の葉。しかしその内部には、確かに生まれているのだ。 萎れた葉によって作られた影が、まるで蠢く虫のように汗ばむこの肌に落ちている。再び汗を拭った。止め処なく滴り落ちる汗が黒く色づく地面に吸い込まれて消えていく。 辛い。とても辛い。 けれどこの今があるからこそ――。そう思って。 「悪かったよ、ナナミ」 「ごめん、ナナミ」 ジョウイとホノカが口々に述べる謝罪の言葉に、ナナミはぷくりとその健康的に色付いた頬を膨らませる。くるりと、どこかリズミカルにも写る動作でその背後に振り向けば、そこには眉間を寄せた困り顔の二人。 気がつけば自分の身長を越えていた義弟と幼馴染に、ナナミはしかし何を遠慮することも見せない。まるで小さい子供をしかるのとなんら変わらぬ様子で、人差し指をピンと突きつけて詰め寄った。 「違うでしょ! 別に二人が悪いわけじゃないじゃない。襲ってくる方が悪いに決まってるんだからね!」 ホノカとジョウイは顔を見合わせた。さすが兄弟同然の幼馴染とでも云うべきか。向け合った互いの表情はまさしく自分の心境を代弁している。 ハルモニア神聖国に滞在して二日目のことだった。行く先々で襲われた――世界でも屈指の大国だ。さすがに往来のど真ん中でというわけではない。その往来から幾らでも伸びる、薄暗い路地に引き込まれそうになるというだけのことだ――三人は、それぞれがそれぞれに腕に覚えありの武道家だ。素手で、時には得意としている得物で難なくそれら迫り来る不届きな手を排除するものの、せっかく楽しもうと訪れた旅先でこれでは気分が下降するのも仕方がない。 ましてナナミはこの当てのない旅を実に楽しみにしていた。楽しんでいたし、楽しいものにすると決めていた。 ずっと抱え込んできた数々の悩みも苦しみも。全て乗り越えた後に来た、豊穣の季節を楽しむように、満喫するように。それを、笑顔で歩み出した。 その出だしがこれだ。 怒りにぷりぷりと頬を膨らませるナナミに、ジョウイもホノカもやはり――これは幼い頃からの条件反射だ。感情がころころ素直に変わるナナミは、時に気分屋にも写る。三人の中で主導権を握るのはいつだってナナミで、それはこの『姉』といって譲らない少女のことを、ジョウイとホノカ。二人が共に愛している証でもある――困った表情を表に貼り付けて謝罪の言葉を口にしてしまう。 「まったくもう! ハルモニアって云ったらすっごくきれいなところだ〜って、みんなが云ってるのに。それがこんな風だなんて許せない!」 ナナミは田舎娘だ。それはホノカも変わらない。 デュナン――二人の出身国であるハイランド王国――が田舎だというのではなく、彼らはハイランドでも王都から離れた田舎の方で育ったということだ。しかも彼らはその中にあってさらに人々から遠ざかって暮らしていた。 そんな田舎の好奇心旺盛な娘であるナナミは、『都会』に少なからず興味を覚えた。そして夢を花開かせていた。もちろん『外国』にも対しても。 ハイランドの王都ルルノイエや都市同盟参加の各都市は戦争中でもあったからその華やかさに欠けていたのは仕方がない。それでも各都市にはそれぞれの素晴らしい文化と特色が物珍しく見えたものだし、無人であったとはいえルルノイエの街並み整えられていてとても美しい造りになっていた。白石作りの建物。所々に建つ彫像の洗練された様子など、キャロの町はもちろん、都市同盟ではほとんど見かけなかった。 そんなナナミの『外国』へのイメージは、隣国のトラン共和国でさらに花開く。戦争から立ち直ってまだ三年という短さでありながら、夜でも安全なその政治力には、ホノカでさえも目と口を見開いて魅入ってしまったほどだ。そんな彼らを暖かく微笑って案内してくれたのは、今はここにいないレイ・マクドールだ。トランの英雄の肩書きを持つ――それを本人が望んでいる、いないは別にして――彼のことを思い出す都度に、ホノカは溢れる感謝の念に絶えない。 「えっと…。でも、ハルモニアってすごく大きな国だし。取り締まるのも大変なんだよ、きっと。人の出入りも激しいだろうし」 「それはそうかもしれないけど……」 ホノカがナナミを慰めるのを聞きながら、ジョウイは思う。『でも、それをきちんと取り締まって安全を保つのが国の義務だから、そこでナナミが納得しちゃうのもおかしいんだけど…』。しかし声には出さない。 せっかくまとまりかけているものを、どうしてさらに混乱させるようなことをする必要があるというのだろう。 「それに、僕らもちょっと前にいろいろ騒がしくて、そのせいかもしれないし」 「う〜ん。そうかも。――もしそうだったら、逆にハルモニアの人に迷惑かけちゃったことになるね」 「でも、誰もそんなこと云わないし。ね、ナナミ。せっかく来たんだもん。もっといろんなとこ見て行こうよ」 「うん! そうだよね!」 どうにか話がまとまり、気分一新。ハルモニア観光を楽しむために歩き出した。 『二人だけで来られたし』 宿屋に戻れば備え付けのテーブルに一通のメモ。ホノカとジョウイは顔を見合わせた。 宿屋の店主に訊ねても、それらしい覚えはないという。 託を頼むのではなく、誰にも悟られずに伝言を置く。素人ではないだろう。 罠かもしれない。しかしなんの罠であるかも分からない以上、二人には赴くという選択肢しかないのだ。 ナナミをつれて逃げるのは簡単だ。しかし、逃げるという選択肢はあの時。世界の礎たる紋章に運命を操られたあの時にさえ、捨てたもの。捨てると決めたもの。 ならば今更、どうしてその選択肢を選び取ることが出来るだろう。 おそらくは、赴き、向かい合う責任があり、これと似たようなそれはこの先一生ついて回るという予感があり、それと歩んでいく決意を、二人ともが心静かにも固めてしまっているというのに。 衣擦れの音はしなかった。二人の聴覚に届いた足音はあまりに僅かで、もしかしたら幻聴であったかもしれない。ただ、経験と勘が、その体を動かしただけかもしれない。 彼らの背後に延びる路地裏から現れた影。その右からはトンファーが。左からは混がその首を狙って鎌首を擡げる。 影が動いた。まるで片手を挙げるような仕草で――。 「よう、久しぶり」 殺意を持って振り上げられた得物が、まさに噛み付く直前でその牙を止めた。一歩、足を踏み出し月明かりの下に現れたのは、ホノカには馴染みの人物だった。 「シーナ?!」 ホノカはあまりの驚きに思わず叫び声を上げる。ジョウイとてその人物のことは良く知っていた。 ただの歩兵の一人では収まらない。彼自身がどのように自分のことを名乗ろうと、彼はデュナン湖を中心とする地域の東に位置する大国――トラン共和国初代大統領の子息だ。彼個人の武と魔法の才はもちろんだが、それ以上に外交面において無視できるような人物ではない。 「いったい、どうしてここに?」 それ以上に、なぜこのような呼び出し方をしたのか。 訊ねるホノカに、シーナは肩を竦めて見せた。 「その前にちゃんと保障してやれよ。隣の元国王様に。俺が偽者なんじゃないかって目で見てるぜ」 シーナの物言いはどこかふざけていたが、別にからかっているわけではない。これが彼のスタンスなのだ。 どんな危機的な状況であっても自分を崩さない。 「あ、えっと…」 「大丈夫だよ、ホノカ。その必要はない。僕にも仲間がいた。志を同じにする…。君が彼を信じられるというのなら、僕だって同じだ」 困惑気味にジョウイに振り返るホノカに、それがジョウイが返した答えだった。シーナに穏やかな様子で右手を差し出せば、シーナは片方の口角を吊り上げたどこか愉快そうな笑みと共にそれを受け取る。 その様子にホノカはあからさまにほっと安堵の吐息をつき、漸く話が進みだした。 「三等市民による、真の紋章狩り?」 「そ、」 小首を傾げるホノカに、シーナはあっさりと肯定して返した。 「『市民』とはいっても、所詮武力支配した国民や民族の総称だからな。まあ、そのうちの何パーセントかくらいは例外もあるけど。――それだって、完全に納得して従ってるわけじゃない。まあ、当たり前だよな。義務と権利の割合がめちゃくちゃだ。所詮、差別されて虐げられる位置付けの身分だからな。反発がある方が当たり前で、それが爆発しないのは、それだけハルモニアが強大だからってだけだ」 「それじゃあ、その三等市民が紋章狩りに割り当てられていて、僕らを襲ったって云うのかい?」 「そうじゃない。まあ、それもあるけど、今回のはそれとは違う。そもそもハルモニアの真の紋章狩りは国ぐるみなんだ。神官クラスが指揮を取ることも珍しくないし、一等市民から三等市民までが駆り出されるのあたりは平等だな。内容は違ってくるだろうけど。傭兵まで駆り出すくらいだし。でも、今回お前らが狙われてる紋章狩りは、『ハルモニア神聖国』そのものが指揮を取ってるわけじゃない。三等市民が自分らで動いてるんだ」 「いまいちよくわからないな…。いったい、どういうことなんだ?」 ジョウイが眉を寄せ、シーナは肩を竦めた。 「つまりは三等市民によるちょっとした反乱さ。お前らのそれを奪って、クーデターに勝算でも見出す気なんじゃないのか。まあ、それをハルモニアに献上すれば、そんな危険を踏まなくても一等市民に格上げ――上手くいけば独立くらいは認められるだろうけどな。元々真の紋章についての調査はお国から命令下ってるだろうから、それを追い駆けてても怪しまれない。ただ横から掻っ攫うだけだ。――それで本当に済むと思ってるあたりが、浅はかだけどな…」 神官長のヒクサクは考えの読めない底知れない趣がある。もう随分と長く、表舞台に自らの姿をさらさないにもかかわらず、彼の治めるこの国は歴史の随所にその姿を現し、きな臭さを振りまいている。 真の紋章を得るために一部族を滅ぼすことも厭わないくせに、分かたれた国にそれを譲渡し、さらにそれを回収し奪おうとしてみたりと、そこまで真の紋章に固執しているのか。その真意さえ伺えない。 「始まりの紋章に、……おそらく狙われてるぜ。『獣の紋章』も」 デュナン統一戦争の折り。ハイランド王国の狂皇子とも名高いルカ・ブライトによって目覚めさせられた『獣の紋章』は、その後デュナン国の預かりにとなり封印されたはずだった。 「シュウやクラウスがいます。そう簡単に奪われるとは思えません」 「もちろんだ。でも、それまで獣の紋章を封印してきたハイラウンド王家の人間は、表向きにせよ、もういない。始まりの紋章の封印された祠の管理者の存在もな。デュナンは真の紋章についてあまりにも知識がない」 シーナの言葉に拳を握り締めたのはジョウイだ。徐に背を向けると、彼はホノカへ言葉を向ける。 「ごめん、ホノカ」 「ジョウイ?」 「…悪いけど、ナナミに伝えてくれるかい。ちょっと、デュナンに引き返さないといけない用ができたって」 「! 待ってよ、ジョウイ!! だったら三人で戻ればいいじゃない」 「……獣の紋章は、本来なら最後まで僕が責任を持つべきだったんだ。途中で投げ出すべきものなんかじゃなかったんだ。だから、僕が行かなくちゃ」 「ジョウイ!」 拗れ出しそうなホノカとジョウイを止めたのは、いたって落ち着いたシーナの声だった。 「落ち着けって、二人とも」 二人は咄嗟にそちらへ向き直る。 壁に体を預け、シーナは呆れた視線を二人に向けていた。 「シーナ…」 「落ち着けよ、二人とも。頭冷やせって。こっちだけじゃなくて、獣の紋章も狙って、向こうにも人数が裂かれてるんだぜ。俺達が分散すれば、あっちは合流して人数が増えるだけだぞ」 獣の紋章を手に入れようとデュナンにいる敵。ジョウイ一人がデュナンへ引き返せば、三人を狙っているうちの数人がそれを追い駆け、デュナン側の人間と合流するだろう。敵の戦力は増し、しかしジョウイは一人となる。 「あっちは一応『国』だし。そうそう簡単にどうにかされねぇよ。奪われたら奪い返せばいいしな」 常にやる気のない風であるシーナらしからぬ台詞のように感じられた。少々過激なその物言いはどこかふざけた響きを持っていて。楽しそうなことには積極的な彼らしくもあるのかもしれなかったが。 本当に、どうしてこうも掴み所がないのだろう。 彼は本当の気分屋だ。面倒事にはそれこそやる気を出さないし、珍しく乗り気になっていたとしても、いつその熱が冷めてさじを投げ出すか知れない。その逆もしかり。それでも彼はなんだかんだと、――けっきょく、本当に大切なことは何一つ逃げ出さないし、やり遂げてしまうのだ。 どんな重大なことを前にしても軽く流すその様は、実力に裏付けられた自身によってなされるものなのか。それは、いつも何かの不安に囚われている者には時に眩く。羨望の念を抱かせる。 ホノカとジョウイはシーナの言葉に肩から力を抜く。確かに、少し頭を冷やす必要があったようだ。 「すまなかった。ありがとう」 「どういたしまして、」 ジョウイが吐息をついてからシーナに笑みで返せば、シーナもそれを軽く受ける。 それにホノカも胸中でほっと安堵の吐息をつき、それからふと湧いた疑問に首を傾げた。 「それにしても、どうしてシーナがこんなことを?」 こういった諜報的な事柄は、どちらかといえば忍びの役目ではないのか。そもそもシーナは国とは無関係な、勝手気侭一人旅をしているはずなのに。 ホノカの疑問に、シーナがにっと笑って答えた。 「あれで忍びっては窮屈な存在だからな。俺の方が早いだろ」 国に使える忍びは、その命がなければ動けない。けれどそれを動かす国も、滅多なことで軽々しく他国へと忍びを差し向けることは出来ない。 微妙なバランスと駆け引きの上に成り立つ国家間の平和と秩序。 シーナはそれ以上を特に語ろうとはしなかった。彼の旅の本当の目的は女の子の他に――女の子が目的あることは間違いなく本当だし本気であるだろう。彼は気まぐれだが自分の信念に対して誠実で、他人に対しても嘘をつくことはなかった。からかうことはあったが――何があるのだろう。何か、あるのだろうか。 或いは彼自身もまた、それを探して旅をしているのかもしれない。 「さて、そろそろ夜も明けるし、宿に戻らないとな。お前らもナナミを不安にしたくないだろうし、俺も、今はとりあえずオウランさんたちと一緒でさ。怪しい行動は避けなくちゃね」 ウインクを一つ。静かに、けれど確かな反撃は、ここから始まる。 |
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ぐちゃぐちゃな文章で申し訳ありません。所々ちょっと考えるのを放棄しかけました。この話は本当に、書き上げるのに時間がかかります。ここでシーナを出す必要性はきっと皆無です。フッチでもいいじゃんと自分に突っ込みつつ、でもこの話でフッチを絡ませるのはしたくなかった。なのでシーナ。完全に趣味です。いつものことですか。そうですか。基本です。ああ〜、家が揺れてイライラする。FF12プレイして〜(←何、このぼやき)。 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2006/11/03〜4_ゆうひ |
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