手向けの花 




 後に英雄戦争と呼ばれるその争乱もひとまずの終着を迎え、僕は再び、君の崩れたそこを訪れ、花を手向けた。






 ビュッデヒュッケ城からはぽつぽつと人が去ってゆく。かつて経験した二つの戦争と同じく、今あるものの大半――それはすなわち奮い、あらゆる濁りを払うための嵐だ――がそこを離れ、新しい時代を築く者たちが変わりに訪れ城の隙間を埋め尽くすのだ。
 僕はいつだって去る側の人間で――いつだって、一過性のものにすぎない。僕がいるべきその時が過ぎれば、僕はいつだって、そこに未練を感じたこることもなく去るのだ。
 未練を感じたことなどないのだ。終わればそれこそ清々しささえ感じて次の目的地を目指し、今はあるべき場所へ――自分が最もあることを望む場所へ、帰る。
 僕は笑っている。
 一つの大きな事件に決着がついた清々しさを感じ、最も馴染んだ故郷へ帰るその心地はまさに幸福。満たされている。
 その途中で、僕は再び――一番最初はと云えば、つまりは彼と対峙したそのときだ。真の炎の紋章を宿したヒューゴについて彼と対峙した。僕は何も語らず、彼もまた、僕には何も語らなかった。
 もう、そんなことは必要がなかったから。
 僕は彼の性格を知っていたし、彼も僕の生きると決めた道を知っていた。

 そうしてそこに立ち寄った。墓参りというつもりは一切無い。ただ、彼を、そして彼女を、きちんと見送りたいと思い、そして思うままに行動しただけのことだった。
 そこに再び立ち、花を一輪――名前は知らない。ブライトにに乗りそこへ向かう途中で見つけたものだった――そっと、地に置いた。祈りはしない。願いもしない。ただ胸に抱く己の思いに、静かに耳を澄ますだけだ。
 瞳を閉じれば風を感じた。流れる風の向こうから、元気のいい、同僚の声が聞こえたのに、眸を開き振り返る。






「フッチ〜」
「シャロン」
「……ねぇ、やっぱり、破壊者とフッチって知り合いだったの?」
「そうだね」
「……お母さん、も?」

 どこか躊躇うように聞いてくるシャロンは、珍しく俯き加減だ。いつだって、彼女は顔を真っ直ぐに上げ、相手の瞳を正面から見据えて相対するのに。
 それでも相手を見て話すという、彼女に刷り込まれた教育の賜物か。シャロンが上目使いでフッチの反応を窺ってくるのを正しく見て取り、その微笑ましさに笑みがこぼれる。

「そうだね」
 フッチは返した。間違いなく、知り合いではある。

「じゃあ、悲しむね」
「……どうかな。残念には、思うだろうけどね」
「?」

  少しだけ考えて、フッチは口を開いた。シャロンが首を傾げたのをちらりと視界に掠め、フッチは視線をすぐに前方へ直した。崩れた神殿の残骸が、やがて風に吹かれて風化していくのだろうと感じる。
 かつて一つの意思のもとに集い合ったものが、こういう形になったを、残念に思いはすれ、悲しいのとは違う名のではないだろうかと感じるのだ。それは彼と彼女が特別親しかったというわけではなかったこともあるし、決して彼との志が同じであったというわけではなかったということもある。
 だからきっと、悲しいのとは違う。フッチ自身、やはり今、こうして感じている思いが悲しいのとは少し違うような気がしているから。

「ふ〜ん。よくわかんないけど、じゃあ、やっぱり、僕、このことはあんまり話さないようにするよ」

 シャロンが、うんうん、と首を上下に振りながら語るのに、今度はフッチが首を傾げる番だった。それに応えるタイミングで――なんだかなんだといい、この二人は阿吽の呼吸を持っているのだ――シャロンは言葉の続きを口に乗せる。

「だって、僕は破壊者のことなんて知らないし。グラスランドのことも、実はあんまりよくわかってないし」

 元々勤勉なとはほど遠いシャロンであった。歴史や兵法、武術について座学するよりも、とにかく体を動かして何かを得ることの方が性に合っていると考えている節があり、現に勉強しろと口を酸っぱくして言われてもどこ吹く風。あちこち走りまわっては騒ぎを起こしていた。
 グラスランドとハルモニアの関係を、その歴史を、シャロンが理解しているとはもちろんフッチも思っていない。戦争に参加する以上、と言って語って聞かせようとはしたが、シャロンはそれさえも面倒臭いと顔を顰めて逃げ回っていたくらいなのだから。その度に、フッチはため息をつかされる羽目になったものだった。
 そんなシャロンであるから、当然破壊者のことはなど知る筈もない。そもそも彼女は彼らとの間に直接関係を持ったことなどないのだ。彼女の母が面識があるとは云っても、それとて彼女がこの世に生を受ける以前のこと。時々フッチがブライトと共に出かける先をシャロンは訊ねたが、フッチがそれに正しく応えて聞かせてやったこともない。
 だからシャロンには、この戦争で見たの破壊者――真の紋章を強奪しようと謀略し、グラスランドに戦乱を齎し、世界を滅ぼそうと画策した――が、すべてだった。

「きっと、僕が話したら、お母さんの残念が、増えちゃう気がするしね」

 フッチならば、きっと双方の正義と悪について――或いはそんなものがあるのかどうかすら定かではないが――語れるのだろう。しかし自分には、自分が参加した側の正義と悪しか語れないからと、言外に、無意識に、シャロンは語るのであった。
 それに気づき、フッチは僅かに瞠目する。何気なく告げたシャロンの態度には気負いも何も感じられない自然なものだ。いつまでも緊張を持続させられない少女は、もうすでに頭の後ろで手を組むという崩した姿勢で、フッチの私用が終わるのを待っている。それがより一層に、フッチに驚きを与えるのだ。
 いつの間に、少女はこんなにも成長したのか。
 かつて参加した戦争が、そして今回参加した戦争が、フッチの中で――そしておそらくは彼の上司であるミリアにとっても――譲れぬ思い出となるように、シャロンにとっても、今回の戦争で得た全ての記憶が、己の中で決して譲れぬことのできぬ――それはそれ以外に何と表現することもできない――ものになるのだろう。
 フッチには確信があった。
 そういったことに巻き込まれるというのは、人生のうちに一度でもあれば多いことであるが、フッチにはこれで三度目だ。多すぎるといって構わないだろう。
 これから先、シャロンにそういったことに関わる事態が訪れるのかどうか、フッチには分からない。だが確かに、今回の戦争は、この、まだまだ未熟な少女に、何かを与えたのだ。大切な成長を、齎した。
 今度こそ、この少女は、掛け替えの無い存在を手に入れる。己と共に歩む、『竜』を――。

「それにしても、フッチってお墓参りには花なんて持っていかないタイプだと思ってたな、僕」
「そうかな?」

 意外な言葉に今度はフッチが首を傾げる番だった。

「そうだよ」
 シャロンはひとつ、大きく肯いてしたり顔で返す。
「だってさ、竜の墓に行くとき、フッチが花なんて持っていったの、一度も見たことないしさ」

 竜の墓――。それは竜洞騎士団領内にある、竜たちの墓群であった。フッチの初代――こういう風に表現されることはない。騎竜を失った竜騎士が再び竜を得て戻るなど、フッチが現れるまで起こり得なかったことだ。だから、竜騎士にとって本来、騎竜とは後にも先にもただのひとつ。初代も二代もない――騎竜であるブラックがここに葬られていることもあり、フッチは頻繁に――それこそ現在の竜洞騎士団領にあるものでは竜墓管理者を除いては最も多く訊ねていた。それについてもフッチはまた、陰口を叩かれているのを、シャロンは知っていた。
 女々しいだとか、竜殺しだとか、聞く都度にむっとして怒りを顕わにしていたシャロンだが、当の本人であるフッチがあっけらかんと笑って流しているので、最近は文句を口にすることもない。それでも、もやもやとした不快感は消えてはくれないし、納得もしたわけでもないが。
 だって、と思うのだ。
 だって、竜騎士にとって、騎竜とはそういうものの筈だ、と。

「いっつも、お供え物なんて持っていかないじゃん。掃除だけしてさ」

 フッチが竜墓を訪れるのに持って行くのは、いつだって掃除用具だけだ。バケツにたわし、箒と塵取り、ゴミ袋。
 ぴかぴかになるまで墓石を磨き、帰る。退屈だと文句を言いながらフッチについて行っては、シャロンも何度か掃除をさせられた。
 だから、シャロンは漠然と感じていたのだ。フッチは花を供えるような人間ではないのだな、と。

「……。うん。そうかも。でも、花は供えるよ」
「そうなの?」
「ああ」

 フッチの視線が遥か彼方、流れる雲へと向けられた。赤く輝き始めた空で、強風が吹いているわけでもないその雲の流れは止まっているようにさえ見える。

「そろそろ行こうか」

 フッチはシャロンを振り返り笑顔で告げた。とりあえず、ここから一番近い村に立ち寄って宿をとらねばならないだろう。思いがけず長居してしまったから、すぐに夜がやってくる。
 野宿には慣れていたが、取れる宿があるのならわざわざ野宿にする必要はない。流石のシャロンとて、己では気づいていないかもしれないが、疲れている筈だ。ただブライトにだけは、村から離れた森ででも寝てもらわなければならくなるだろうが、それだっていつものことだった。
 フッチが踵を返して歩き始めたのに、シャロンは慌てて追いかける。こうして振り回されたり、振り回したりするこの二人の関係を、少なくとも、少女の母だけは、温かく思っていた。そして他の誰の思惑や視線よりも、それは最も大きなものだった。
 事実は上司と部下なのかもしれない。兄妹のようであり、師弟のようであり、友人のようであり。結局、同じ価値観を持った気の合う同僚なのだ。即ち、竜洞を、そしてそこに属する竜騎士であることに誇りと情熱を持ち――竜という異界の存在を、愛している。

「待ってよ、フッチ!」

 手向けられた花が、駆ける少女の起こした微風(びふう)に、その花弁(かべん)を揺らした。






 彼の不器用な優しさにだって気がついていた。いつだって優しい言葉や素直なんて言葉とは程遠い彼だったけれど、ただ黙って傍にいてくれる、そんな優しさを持っていることを知っていた。
 優しいからこそ、こういう結果になったのだろう。
 彼も彼女も、そして僕も。歩む道も、願うことも、その不幸も、その幸せも。すべて、違っていた。
 少なくとも僕にとって、それは決して不幸なことではなく。だからといって幸福なことである筈はもちろんなく。
 ほんの少しだけ、残念で、けれどだからこそ、僕は。――僕らは、こうあれたのだと、思うのだ。







 僕は相棒に花を手向けたことはない。彼には花を手向けた。その違いはつまり、僕にとって、亡くなった彼らが僕に与えた印象の違いなのだろう。
 相棒は――ブラックは、今でも僕の相棒だ。掛け替えのない。おそらく、僕が死ぬまで――或いは死んでも――僕はとブラックと、そしてブライトは一緒に世界を、その空を飛び続ける。
 彼――ルックは、新しい世界へと旅立って行く。今度こそ、彼が望み、求める優しい世界――例えば何気無いことに喜びを覚え、つまりは楽しいことに素直に幸福を感じ、そういうときは笑えるような。彼の魂はここより遠ざかり、天を廻り、そして辿り着くはずだ。生まれ変わった彼に出会いたいとは思わない。ただ彼が今度こそ笑っているだろうと思う。それだけで、僕は幸せなのだ。
 だから、僕は彼に花を手向ける。旅立つ彼に、そして、彼と共に旅だった幼いころから知った少女へ。
 今度こそ、彼らの旅路に、幸多からんことを祈って、僕は、遙かな空へと戻るのだ。晴れ晴れとした、あの、大空へ――――。






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 お題10、騎竜と竜騎士を諦めました。なんも出てこない…。とかやってたら、なんか最後の方でお題に沿いそうなネタが浮かびました。フッチお題なのでもちろんフッチ絡みですが、メインはフッチではなくヨシュアにしようかな、とか。
 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2007/10/23-27_ゆうひ。
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