剣術だって出来る
騎士の身分を奪われようと。 騎士団を奪われようと。 騎士の名の元の正道。それを行うためには何らの障壁にもならない。 騎士としての正義。人々の安寧のための正義の戦い。 そのために生きるだけでいい。 名や形に縛られそれを見失うことに比べれば、公の勲功など芥のように些細なものだ。 |
「あれ、その紋章、もしかして君、マクシミリアン騎士団に縁(ゆかり)のある人かい?」 声を掛けられ、フレッド・マクシミリアンは不覚にも――のちに彼は幾度となく後悔に苛まれることになる。楽天的とも称される天真爛漫な彼の性分からいえば、これは相当稀なことであった――、驚愕に目を見開く茫然とばかりにその人物を注視してしまったものである。 目の前には爽やかな、人好きのする笑みを浮かべた青年。鍛え上げられたその体格があっても尚、恐怖ではなく落ち着きを与える。 「? ほら、君の胸当ての紋章だよ」 青年が小首を傾げて指し示す。フレッドが一向に答えぬのに、自分の言葉の意図するところが相手に伝わっていないのだと思ったようだ。 フレッドは意識せぬままに、顎を引き己の胸元へとその視線をやっていた。そこにあるのは彼の誇り。マクシミリアン騎士団の紋章が堂々と翼を広げる胸当てである。 「これは……」 「ちょっと、あなたはどちら様です?!」 フレッドが何かを呟こうとした時だ。その隣りから常にはない強引ともいえるほどの勢いでもって前へ出てきたのは、ふっくらとした体格の少女――リコ――だった。 (あ、サンチョに似てる…) ぐっと力の篭もった少女の瞳に睨みつけられながら、青年はぽかんと思う。ああ、とりあえず、これは決まりなのだろうか。 「もしかして君たち、マクシミリアン騎士団の関係者だったりするのかな?」 少々、迂遠な物言いになってしまった。元マクシミリアン騎士団団長の闊達な老人の名を、青年は知らなかったのである。 「えっと、僕はフッチ。竜洞騎士団第四階位。こっちは、ブライト」 「キュイ」 「む。俺はマクシミリアン騎士団長、フレッド・マクシミリアンだ。こっちがリコだ」 「よ、よろしくお願いします」 改めて互いの身分を明かす。フッチの身分の確かなことに、リコの警戒心が解け、代わりに緊張が生まれたらしい。ぺこりと勢い良くお辞儀をする姿は、素直な彼女の性分を如実に表していて、その心根の清らなことにフッチは好感を持つ。元来、彼は小動物に甘かった。 「マクシミリアン――。じゃあ、君は」 フッチは軽く瞠目し、それから笑顔でその手を差し出した。 「お孫さんがいるとは聞いていた。あれはデュナン統一戦争のときだったかな。英雄戦争に参戦したばかりの頃の僕よりも小さいって、嬉しそうに笑っていたのを覚えているよ」 「おお、じい様と知り合いなのか!!」 「ああ。僕の剣術の、最初の師匠さ」 「なに! それは本当か!!」 「ええ!! そ、それ、本当ですか?!」 息の合った主従の問いかけに、フッチは嬉しそうに頷いたのだった。 それはもう二十年も前のことだ。今では英雄戦争と呼ばれるトラン地方での戦争に、思えばフッチは初めから関わっていた。 実際に参戦したのは、戦争も中盤に差し掛かってからだった。何もかもを失って絶望し、行く場のなくなった彼の身を案じた当時の竜洞騎士団長ヨシュアと副団長ミリアの計らいにより、未だ幼いフッチの身は、ヨシュアの友人であり、赤月帝国の軍人としても名を馳せたハンフリーへと預けるとの名目のもと、解放軍の手に委ねられることとなったのである。 湖の中心にきずかれた砦の中に、子どもは決して数は多くはないが珍しいというほどではない。フッチよりも幼いものもいた。そうはいっても、流石に戦闘員としてフッチは最年少であったが。 まわりで同年代の子供たちが、この戦争の中でも笑顔で遊んでいる傍らで、フッチは常に一人でいた。空を見上げていることもあれば、闇の中で蹲っていることもあった。もともと竜洞騎士団の中で騎士としての礼節を学んでいる彼であったから、誰かが声をかければ最低限の礼儀をもって答え、しかし弁えながら周囲の気遣いを拒絶した。一人にしてほしい、と。そんな彼の言葉にしないだけで全身から放たれる拒絶をものともせず――或いはまったく気付かなかっただけかもしれない――に構い続けたのが、マクシミリアン騎士団長その人だった。 「少年よ! どうじゃ、マクシミリアン騎士団に入らんか!」 それは解放軍にとってありふれた光景であった。かつて赤月帝国にその栄華を誇ったマクシミリアン騎士団は解体されて久しく、その団長であったマクシミリアン老が騎士団を立て直そうと所構わず声をかける。人々は真剣に相手にすることもなく、笑ってあしらう。子供たちの中には真剣に騎士になるのだと張り切る者もいて、大人たちから見ればそれは微笑ましい限りだった。 しかし騎士団を追放されたばかりのフッチにとって、希望ではなく怒りを誘うものである以外の何物でもない。それでもはじめは軽くあしらおうとしたのだ。丁寧に、詫びの言葉を口にして。 けれどマクシミリアン老の勧誘は続き、もともと気の長くない子供だ。当然、フッチは怒りのままに喚いた。衝動のままに口は動いていたから、思いもしない暴言を吐いたかも知れぬ。しかしマクシミリアンは怒らなかった。 勢いのままに叫んだフッチは軽い酸欠に肩で息をする羽目になる。はぁはぁと胸を上下させて息をつくその姿を、老マクシミリアンはただ黙って見つめ続ける。それからおもむろに口を開いた。 「少年よ。おまえさん、いったい何にそんなに悔やんでおる」 「!」 「ふむ。わかるぞ。だてに騎士団長などやっとらんからな」 わっはっはっは、と腰に手を当てて胸を張る。老マクシミリアンの姿を、フッチは呆然と見上げることしかできずにいた。 若人を優しく見守る老人の目立った。フッチは老マクシミリアンの大きすぎる器に見つめられて、とうとう顔を俯かせてしまう。抑えようもない憤りが、体を突いて溢れ出してきそうだった。 「俺の…」 「うむ」 「俺のブラックは、俺をかばって死んでしまった。俺が!! 僕が! ブラックを殺したんだ。……殺して、しまったんです」 「うむ。その通りだ、少年よ」 「……」 「だが何を嘆く必要がある」 「な!」 「その竜はおのれの騎士道に生き、死んだのだ。悔いはないじゃろうに、相棒のお前さんがそれを悔いてどうする」 「!」 フッチは目を見開いた。なんということだろう。 竜洞騎士団員は騎士なのだ。その騎竜とて同様。 「おまえさんは窮地に立たされた騎士団のために単身、敵陣へ赴いた。その心はその竜も同じだったはずじゃ」 突きつけられた現実は、はたして随分と美しく脚色されているようにフッチには感じられた。それは決して偽りではない。すべて真実だ。いろいろなものがちょっと抜け落ちているだけのこと。そして、抜け落ちているそれらこそが、フッチの心に深い後悔を闇として穿っていた。 だって、フッチは悔しかったのだ。いつだって、彼は悔しかった。 いつまで経ってもフッチは見習いだった。フッチより後になって竜を手に入れたどれだけのものに、その位階を抜き去られていっただろう。理由は明らかだった。彼は年齢も低かったが、それ以上に出自が低かった。 ブラックは相竜という贔屓目を抜きにしても大きく力強く、そして賢い竜であった。漆黒の鱗の見事さはどの竜にだって負けはしない。それがフッチの誇りであり、しかしブラックが純粋に賞賛されることはない。その勝算はいつだって、フッチを主人に選んだというたった一つのそれによって相殺されてしまうというのだ。 だからフッチは悔しかった。けれど言い返すことさえかなわず、ただ耐えるしかなかった。 これは報いなのだと思った。ブラックとスラッシュを除くすべての竜が眠りについたことも、騎竜が眠りにつき竜騎士として出撃できなくなったことも。そして、そのことを腹の内で嘲笑い、ザマを見ろとほくそ笑んだ醜い自分への。――少なくともフッチはそう思っていた。そして、それがフッチを苦しめる。決して己を許しはならぬと苦しめる。 「僕は、ただ、認めてほしかっただけなんだっ」 早く一人前になりたいと願った。自分が貶められるのは辛かったが、それ以上にブラックが貶められることが耐え難かった。 卑猥な自分のことは仕方がない。幼い自分は槍の腕も、体力も、何も誇れるものがない。 けれどブラックは違うのだ。他のどの竜にだって劣らない。 「うむ! それは男にとって当然のことだぞ、少年よ!!」 男ならば常に上を目指し、男ならば常に正義を行うべし! 高らかに老人が云うのを、フッチは見上げていた。 「僕も、生きられるかな」 フッチが面を上げた。その瞳はいまだ悲しみに色取られ、しかしまっすぐと老マクシミリアンを見つめていた。 フッチが口を開く。嘆きと後悔とそれでもどうにか一歩を踏み出そうと足掻く、瞳だった。 「生きられますか、僕も。ブラックのように、勇敢に、優しく……自分の信じた道を貫いて…」 「無論じゃとも。お主はすでにお主の騎士道を貫いて居るではないか」 「僕の、騎士道……」 老マクシミリアンが大きく頷く。思わず、フッチは口にしていた。 追放されて尚、フッチは元竜洞騎士団第九階位と名乗り続けた。それはフッチの誇りであり、存在そのものであったからだ。 騎竜を失い、竜騎士の資格を剥奪され、竜洞を追放されて。しかし、竜洞で生まれ、物心つく頃には竜騎士であった彼には他の自分など何もなかった。 「そうじゃ、少年よ! 剣を振り、汗を流し、正義に生きればよい!!」 竜騎士に戻れないときはマクシミリアン騎士団の門徒を叩けばいいと云ってくれた。この年であれだけの働きができるならば申し分ないと、嬉しそうに背を叩いてくれた。 そのときにフッチに湧いた感情は、後々になっても、彼自身、上手く言葉にはできなかった。ただそれは決して負の感情ではなかったことだけが確かであった。 物心つく前にブラックを得たフッチは、親元を離れ、竜洞騎士団入りをした。親子の縁の薄い彼にとって、それが初めて与えられた親の導きであった。 団長のヨシュアや副団長のミリアは、常に最年少のフッチを気にかけてはくれた。他の団員たちと同じように、分け隔てなかった。けれどフッチにとって、彼らは決して親になど思えぬ存在であった。彼にとって、その二人はそれほど気安くはない。 それからフッチが悲しみを乗り越え、朗らかさを取り戻したかといえば、それにはまだもう暫らくの時間が必要であった。しかし、そうなるための時間を、この老マクシミリアンとのひと時によって縮められたのは間違いないだろう。この出会いが、フッチという、その年齢にはあまりにも重い悲しみを背負った少年の、まだ長く続くはずのこれからの人生で 「それから剣術を教えてもらうようになったんだ。戦闘員ではない、他の子供たちに交じってね」 だから、僕は竜騎士の中で唯一の剣術使いなんだよ。 フッチは笑って、かつての恩師から譲り受けた大刀をぽんぽんと叩いてみせる。 あの出来事がなかったら、きっと、この剣を手にすることはできなかっただろう。自分にとって槍を扱うということは、竜騎士の証しの中でも重要なものの一つであったのだから。 「うむ。流石はじい様だ」 「本当です!」 フッチの語る老マクシミリアンの姿に、腕を組み何度もうなずくフレッドと、その横で興奮したように拳を握るリコ。その様子が微笑ましさしくて、フッチは自然、笑顔になる。 彼の功績の、なんと大きなことだろうと思う。 この朗らかさと闊達さと。純粋で、情熱的な正義への心。 戦争の絶えぬこの世界で、たった一人であろうと、何の後ろ盾もない無名の身であろと。その誇りを失わずに、その目的を見失わずに、彼は彼であり続け。そして、その志が次代へと受け継がれ、そしてこれから先も引き継がれていくのだ。 フッチが彼から受け取ったように。フレッドやリコが受け取ったように。 そして、これから先も、それは続いて行くのだ。 |
己の身分を失うなかれ。己の人生を見失うなかれ。誇りを失うことなかれ。 その志しをまっとうするのに、誰の許しや理解が要るというのか。傲慢と称されることを恐れぬことなかれ。 己の野望を叶えること。そこに至るための道を歩むことに、臆することなかれ。 たとえそれで命を落とそうと、信じた己を裏切るなかれ。偽るなかれ。 そして屈することなかれ。 |
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あれ? 一年近くお題の更新してない? 実はフレッド×フッチも大好きです。いや、これは別にCPのつもりないけどね。女化書きたいな…(むしろこの二人なら女化のほうが好き)。誰か書いてくれないかな…(激しく他力本願)。 なんだか書き始めた当初から考えると激しくお題から外れてしまったこのお話。本当は竜洞に戻ってから、他の竜騎士が槍術を使ってる中で、こう、危機的状況とかでさ、何かの折に突然、剣術だって出来るんだって云うフッチのかっこいい姿をバーンっと出したかったんですが、だって突然マクシミリアンが出てきたからね。 没シーン@ ふむと頷き、ならば体を動かすのみ!と、フッチからすればまったく理解の出来ぬ理屈のもとに生きているようだった。 しわにまみれ、それでも力強く温かい老兵の手が、まだ細くやわらかい幼子の手首を強引に引いて行く。珍しい組み合わせ――しかも手をひかれる子どもは、誰とも口をきこうとしなかったフッチだ――に、人々が好奇の目を向けていた。 マクシミリアンに腕を引かれてフッチが辿り着いたのは鍛錬場だった。 ご意見ご感想お待ちしております。_(c)2008/09/07-20_ゆうひ。 |
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