口づけが深いものになっていく。次第に朦朧となっていく意識の中で、ヒカルは離されないようにと、必死の内に和谷の首にその細い腕を回した。
背中に和谷の両の手が添えられる。それは掴んで離さないとでもいうかのように、ヒカルの背を押し込めるように抱き締めた。
僅かに息苦しさを感じながらも、ますます深くなる口づけを止めようなどとは思わない。いや、ただ無心だった。和谷の手がヒカルの太腿へと回され…。
〜〜♪
突然室内に鳴り響いた携帯電話の音に、二人はびくりと体を振るわせて、我に返る。
力が抜けたかのように、ヒカルを拘束するかのように背に添えられていた和谷の手が離れ、ヒカルは慌てて鳴り響いている自分の携帯をデイバックの中から取り出す。相手は母だった。
プロ棋士になってから和谷が借りたアパート。必要最低限のものしかないその部屋は、決して広いとはいえないけれど、自分たちの年齢からいえば、丁度いいのだろう。そう思う。
窓から射し込むのは鮮やかな灯火色の陽光。それは一瞬の刻。
ヒカルは携帯に出た。機械音に変性された母の声が耳に届く。
「あ、母さん?…うん、友達の家(うち)…夕飯…御馳走になったからいいや。……うん、うん、わかった。…ゲーム借りてて、今日はこのまま泊まるから。―――えっ?違うよ。アカリの知らない子。俺とアカリ、クラス違うだろ。……うん、わかった、大丈夫。迷惑かけないよ。……うん、じゃあ」
ヒカルが電話を切り振り向くと、そこには驚いたような表情の和谷の姿。しばらく二人、無言のまま見詰め合い、先に行動を起こしたのは和谷だった。
座り込んだ畳の上から腰を上げると、和谷は座り込んだままのヒカルの横を通りすぎ、玄関の戸に手をかける。いつものシューズをはいてそのまま外へ出ていきそうになる彼に、ヒカルは慌てて声を掛けた。
「和谷!!」
また、静寂。
しかし今度のそれは長くは続かなかった。
「…コンビニ、行って来る」
和谷が答える。ヒカルは和谷の云いたいことがわからず、不安を胸に抱えたまま彼の次の言葉を無言で促がしつつ待った。
「もう…我慢…できねぇから……」
和谷はそれだけを言うと、ヒカルに背を向けたまま外出して行った。
戸が小さな音を立てて閉まり、和谷の背中が見えなくって。ヒカルは先ほどの自分の行動に、今更ながら恥ずかしさを覚え、顔を一気に赤くした。心臓の鼓動が、かつてないほど激しく、早く打っている。100メートルを全力疾走したってこうはならなかったのではないかと、脈絡も無く頭に浮かんでは消えていった。
あまりのことに頭は働かず、けれどただ座って和谷の帰りを待っていられるほど落ち着いてはいられない。
どうしよう、どうしよう。
頭に浮かぶのそればかり。後悔はしていなかった。むしろ、心に過ぎるのはこれから訪れることへの期待と、彼と一緒に居られる喜び。
あたふたと部屋を右往左往するヒカルの姿は、端(はた)から見ればたいそう怪しく、挙動不審に写っただろうが、幸い(?)ここにはヒカル一人しかいない。
彼女の目に不意に部屋の隅に無造作にたたまれて置かれている布団が写り、(そ、そうだ、和谷が帰ってくるまでに轢いとこう…)と、冷静になってから振りかえればおそらくたいそう恥ずかしい思考のもとに、ヒカルは行動を開始した。
布団を引き終わって他にやることも見つけられず、ヒカルは落ち着かけないまま枕を抱いて、布団の上に座り込む。
玄関の戸が開かれるのを待つように、そこにばかり神経を向けてしまう。
カンカンカン…アパートの階段を誰かが上っている音が聞こえる度に、枕に埋めていた顔を上げて、期待に目が見開く。
そして、そのままこの部屋の前を通り過ぎる度に、気落ちして、再び腕に抱いた枕に顔を埋めるのだった。
どれほどの時が経ったのだろうか。
窓から覗く空は、もう日が完全に落ちてしまっている。このアパートから、コンビニは往復でこんなに時間のかかる場所だっただろうか。
不安が消えてくれず、涙が溢れそうになる。
と、再びアパートの階段を誰かが上って来る音が聞こえた。
何度期待を裏切られようとも、再び顔を上げて期待してしまう。そんな自分に気がつくこともできないほど、ヒカルは必死に扉を凝視する。
戸びらが、開かれた。
コンビニのビニールを片手に下げて玄関に足を踏み入れた和谷は、顔を上げて目を瞬かせた。
目の前には布団の上で枕を抱えて座り込む、愛しい異性の姿。
溜息をつきたくなった。
「わ、和谷…」
恐る恐る声をかけてきたヒカルに、和谷は今度こそため息をついて、畳の上に胡座をかいて座り込んだ。
「本っ当に、いいんだな!!あとから云っても、俺、絶対にやめられないからな!!」
和谷が怒鳴るように云い、ヒカルは自分の心がどこか嬉しくなるのを感じていた。和谷が自分の気持ちを、大切にしてくれているのが、痛いほど感じられる。
だからヒカルは云った。
恥ずかしくて仕方がない。顔が物凄い熱いから、顔は見られたものじゃないほど真っ赤になっているだろう。そんなことを感じながら。
「お、俺だって…今さら…とめられない…よ……」
振り向いた和谷の真剣な瞳を、ヒカルは正面から受け止めた。
それから、二人は抱き合って、重なり合って、一夜を過ごす。
ちなみに。
和谷がコンビニ買ってきたものは、コンドーム…だったり(汗)
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