静動の夜

















傷の多いその肌は想像よりずっとなめらかで

腕に抱き込んだその體(からだ)は存外柔らかく

その強さから信じられぬほど強く――しなやかだった……


























 薄暗い廊下を歩いていると、ぼんやりとした明かりが漏れていた。完全には閉め切られていない扉の奥に通じる一室には憶えがある。というよりも、自分は本来そこに赴こうとして、この静けさ響く虚無の路(みち)を歩いていたのではなかったか。

 そこに赴き何をするつもりであったわけでもなければ、するべき何かさえも見つけられずにいた。そもそも目的があってそこに足を運んだわけではない。ただ無意識に。無自覚に。
 まるで本能に操られでもしているかのように、気が付くと足を向けていた。
 ―――ただ、逢いたかった。

 そう。自分はこの扉の奥に――。正確に云うならば、この扉の奥に居るはずのその人に用があって来たのだ。
 何をしたいのか。何をするつもりだったのかは分からない。

 もしこの扉が完全に閉ざされていたのであれば。僅かばかりの明かりさえ漏れていなかったとしたら…。もしかすれば、自分はこのままこの扉の前を通り過ぎていたかもしれない。自分が今この場を歩いている理由さえ気付かずに。
 扉の奥へと足を運ぼうと思うことはおろか、扉を開こうとさえ思わなかった。

 もしかしたら…扉の前には立ち止まったのかもしれない。
 ただ扉の前に佇み、わけもわからぬ、自分の胸の奥底から湧き上がってくる感情にこの顔を歪め。その扉の向こうにある人を思っていただろう。
 その人を思うと切なくすらなるこの思いに顔を歪め…。それでも、決して中に入ろうなどとは思わなかっただろう。

 ただ。
 ただこの奥に居るその人に逢いたいと。そう願うだけの自分のこの思いにすら気づかずに……。





 劉鳳はそっと扉を開けた。自分が中に入り込める分、ギリギリだけ。
 扉の奥にあるその部屋は、実に質素な空間(ばしょ)だった。生活に必要な最低限の物は揃っているが、逆に云えばそれだけしかない。
 病院特有の奇妙な青白さと、体に纏わりつく嫌な匂いが鼻をついた。

 部屋の中に足を踏み入れ、後ろ手に扉を閉める。
 目の前にあるベットに視線を向ける。その時になって初めて、自分がやや俯いていたと云うことを知った。

 顔を上げて見たその先には、思っていた通りの人がいた。
 白く清潔そうなベットの上に腰掛け、常と何一つ変わらない――強い、僅かに金を帯びた鋭い眼差しでこちらを睨み付けていた。

 けれど何も云わない。
 自分も何も云わない。

 静かな……けれど凍てつくように張り詰めた、静寂だった。静かで穏やかで。まるで嵐の前の湖面のような――。
 そんな、静かで張り詰めた静寂だった。

「何しに来やがった」

 強い眼差しはそのままに、その者は問うた。

「見回りだ。明かりを消してさっさと寝ろ」

 劉鳳は云った。
 心にもない虚言だった。
 常、装っている態度と云うものは、こんなにか心を乱しても尚崩れることはなく……自分を冷静に取り繕ってくれている。
 いつから自分はこんなにも嘘が上手くなったのだろうかと。
 そんなことを考え、自嘲に口の端を上げた。

「何、笑ってやがんだよ」

 洩れた笑みは相手に誤解による不快感を与えたらしかった。すぐに表情が戻る。
 ――いつもの無表情。

 やはり嘘が上手くなった。
 彼はそう思う。
 自分の一挙一動に反応を返す目の前の人物に、今、自分の心は歓喜に震えている。

「別に。それよりさっさと明かりを消せ」
「余計な世話だ。そっちこそさっさと出てけよ」

 劉鳳の言葉に、金色を滲ませる鋭い目が幾分か和らぎ、その持ち主は不貞腐れた様にそっぽを向く。
 その仕草に再び笑みが零れそうになり、劉鳳はそれを抑え隠そうと顔をそむけた。身体が震える。

「…恐いのか?闇が」

 暫らくの沈黙の後だった。
 ポツリと呟く様に吐かれた劉鳳に言葉に、相変わらず彼から顔をそむけたままであったそれが勢い良く振り返った。

 はじめは幾分か驚いたように開かれていた瞳は、徐々に鋭さを取り戻し。彼――劉鳳――を正面から強く居睨み付けた。

 劉鳳は真っ直ぐとその視線を受け取る。
 涼しげなその表情はむしろ憎らしく。その声音はその表情とまったく相違ないと思えるような、涼やかで淀みない物だった。
 彼は淡々と繋ぐ言葉を紡ぎ出す。

「否定しても無駄だ。お前は恐れている。お前が男の姿を装っていることもまたその為だ。――…違うか?カズマ――…」

 彼――劉鳳は、そこで、今夜初めて目の前に居る人物の名を呼んだ。
 ―――カズマ。
 それがその者の名前だった。

 カズマは何も云わない。
 ただ強く劉郷を睨みつけるだけ。

――それ以上云うな――

 カズマの鋭い瞳は、雄弁にその意志を語っている。
 だが劉鳳は口を開いた。
 カズマの瞳の語る、その強い意志を正しく理解して。それでも尚、彼は口を開いた。

「万全の時、闇の中を歩くのは容易いことだろう。だが、その中で心穏やかにさせて眠れたことなどないのではないか?」
「……」
「明かりがあろうともそれは大して変わらない。周りに誰か居ると…。それがたとえ一人だろうとも、お前自身がどれほどの強さを手に入れていようとも――」
「…黙れ」

 カズマの声が静かに響き、しかし劉鳳はそれを無視して言葉を続ける。

「特に今のような状態では尚更だ。満身創痍であるにも関わらず、辺りは強敵だらけ。その正体までもが――」
「黙れ、劉鳳!!」
「――誰かに襲われでもしたか?」
「!!」

 カズマの激昂に。劉鳳は嘲笑うかのように云った。
 カズマの動きが止まる。

 次第に小刻みに震えだし、それは徐々に大きくなる。カズマの表情に恐怖と悲痛が広がり始め――。
 ――痛烈な痛み。

 しかし、決してそれに染まりはしなかった。
 奥歯を、唇を噛み締め。拳を握り。
 瞳はしかっりと開かれたまま、カズマは必死で己を襲う恐怖に耐え、打ち勝とうとしているかのようだった。

 気が付いた時にはもう遅かった。
 この腕に抱き込みキスをする。
 意外なほどに抵抗はなかった。

「カズマ…」

 劉鳳はその名を呼んだ。
 涙を流すその人に、一体に何が出来るのか。

























苦しみは人それぞれ。



癒せるのは誰?



ボクはキミに癒される。

キミを癒す存在に。

ボクはなれるだろうか?

























 傷の多いその肌は想像よりずっとなめらかで、腕に抱き込んだその體(からだ)は存外柔らかく。その戦闘力からすると信じられぬほどに細くしなやかだった。
 目の前にいるその者が違えようもなく確かに女性なのだと。彼――劉鳳は改めて感じた。

 決して想像だに出来なかったその者の涙は何よりも美しく。そんなものすらありえないと――それこそありえようもないことなのだが――漠然と信じられていたほどに真っ直ぐだったその者の、痛みと恐怖に苛まれそれでも尚、強くあろうとするその気丈な態度に。痛ましいほどに苦痛を耐え押し隠すその姿に、どうしようもなく惹かれた。
 気がついた時にはこの腕の中に抱き込んでいたその體。その者自身。

 流れる涙を拭うように、その瞳に柔らかく口づけた。

























心の奥にある痛み。

誰もが一つは持っている

ねぇ…。

ボクは、キミを癒せる?


























 體を抱き合わせたのは、ぎりぎりの選択だった。
 その人を愛していたのは…きっと間違いない。
 けれど、その人が自分を愛しているかは……何の確信もなく…――。

 それはぎりぎりの選択だった。
 そうしなければ壊れてしまう。
 そんなぎりぎりの選択。

「NP3228がいません!」
「病室は蛻(もぬけ)の殻です!!」

 あわただしく走り回る職員達の中に一人。
 端整な顔立ちの男。
 ――劉鳳は落ち着き払った様子でその光景を見ていた。

 一夜明けて。
 カズマは姿を消していた。

 傷はかなりの物で、昨日一日中ベットから下りることすら出来なかったその体で。
 カズマは誰にも見つかる事無く逃げ出した。

(もうここには居ないだろう)

 劉鳳は胸中で呟く。
 酷く冷静に考え出たものだった。

 野生の獣がいつまでも大人しくしているはずがない。

 獣は…そこに命息吹くところでしか生きられない。
 狭い檻の中では生きられない。
 生きる意志に満ちた。力強い活気に満ちた大地こそがその生きる場所。

(ロストグラウンド…か……)

 劉鳳は身を翻して来た道を戻って行った。
 どれほど慌てふためこうとも、捜すその人はここには居ない。
 ならばこの場に居ることは無駄以外の何物でもない。

 朝日はより高みへと昇り続けていた。
 眩しい陽の光は、いっそあの瞳のようだった。



















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 またやっちまった(汗)
 スクライド劉(女)カズその弐!ッス。
 ああ〜。引かないで〜(泣)
 別にカズマを女の子にする必要も裏に置く必要もないようなこの話。
 書きたいのはこの後だったり…(爆)
 でもいつ書けるかはわからなかったり(滝汗)
 計画性が無いな〜相変わらず。
 では、読んでくれた方いましたら大感謝!(脱兎で逃げ…たい…)






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モドル-----------------------------------------