子猫との生活



























それは雨の降る

シンシンと冷たく

静かな夜だった































 それは雨の降る日のことだった。
 仕事からの帰りに道で拾った子猫。
 ダンボールの中、かぼそい声で無くその姿に、気がついたら連れて帰っていた。

 濡れた赤茶の毛皮を乾かしてやれば、それは想像以上に柔らかくふわりと膨らんだ。
 さらさらとした暖かい手触りが心地良い。

 金色の瞳は子猫特有の丸みを帯びた愛らしさに満ち、まだ歯のはえ揃ってもいない口元にミルクを運んでやれば、赤く色づいた舌先で舐める。

「ミャオ」

 子猫は高い鳴き声と共に顔をあげる。
 くりくりとした瞳が実に愛らしい。

「名前を付けてやらないといけないな…」

 本日より猫の飼い主になった男は云った。
 碧の髪に赤銅色の瞳の、やけに整った顔立ちの男。
 名を劉鳳という。

「…よし」

 劉鳳は暫らく逡巡した後、一言呟き小猫を抱き上げる。

「お前の名前はカズマだ」

 云った。

 子猫はよく意味が分からないのか、それともただ単に劉鳳の抱き方によるところなのか。
 小首を傾げたような姿になる。

 ともにもかくにも。
 こうして劉鳳とカズマ。
 一人と一匹の共同生活は始まった。












 次の日の朝。
 劉鳳は仕事があるのでいつもと同じく早朝から起きて身支度をはじめる。

 子猫のためにミルクと昨晩買ってきたお店の人お勧めのキャットフードを用意して行くのを忘れない。
 昨晩から子猫が寝ている寝室のソファから、さほど遠くないところに並べて置いておく。
 起きれば気がつくだろう。

 猫はちょくちょく外に出て行くが…と、劉鳳は少し考えてから、結局全ての窓やドアを閉めていくことにした。
 成人した猫ならともかく、カズマはまだ歯もろくにはえ揃っていない子猫だ。
 外は危険が多いし…何より迷い出て戻って来れるとも限らない。

 劉鳳は子猫を拾って一日経たずして、かなり…というか極度の過保護になっていた。












 劉鳳が外出してから一時間後。
 子猫――カズマは目を覚ました。
 あくびと共に伸びをして前足で顔を洗う。
 子猫といえども一人前の猫のそれと同じ動作をする。

 カズマの身体の上にはブルーのタオルケットが掛けられていた。
 劉鳳が掛けた物だろう。

 カズマはきょろきょろと大きな瞳を目いっぱい見開いて辺りを見まわした。
 誰もいない。

 寝起きでお腹が空いていたから、食欲をそそる良い匂いが鼻腔をくすぐる。

 ぴょん。

 身軽な動作でソファから飛び降り、とてとてとしたどこかおぼつかない――危なかっしい足取りで歩いていく。
 向かった先にあったのは今朝劉鳳が出掛けに用意していった、カズマの為のミルクとキャットフード。

 おいしいのでお腹いっぱい食べたが残った。
 また後で食べようと思う。

 カズマは家の中の探検に乗り出すことにした。
 綺麗な部屋が微妙な形で汚れていく。
 動物を放しがいにして家の中においておく時は、こうなる覚悟が最低条件である。

 しかし劉鳳とてそこに抜かりは無い。
 絶対に立ち入らせてはいけないと思われる部屋にはしっかりと鍵をしてある。
 殺風景な部屋には植物はおろか花瓶などの割れ物などは、はなからない。

 にゃんにゃんにゃん。

 見る物全てが物珍しい。
 カズマは意気揚々と部屋の中を走り回った。












 もう随分日が沈んだ頃だった。
 劉鳳は家に帰り着き、扉を開ける。
 カズマが飛び出してきても良いように、いつもより慎重に。

「……」

 家の中は暗かった。
 電気などつけて行かなかったし、カズマがつけられるはずもないので当然のことだ。

「…カズマ」

 劉鳳は家の中へと声を掛けてみた。
 廊下を渡ってリビングに入り電気をつける。

「……」

 劉鳳は頭を抱えたくなった。
 まだ子猫だからか。
 部屋の惨状は大してひどくも無いが、それでもまったく何も無いとは決していない状態だ。

「カズマ」

 劉鳳は再び名を呼んだ。
 きちんと躾をしなければならない。
 これは飼い主の責任なのだ。

「ちゅたま〜」

「?!」

 リビングから続く寝室から聞こえてきた子供の声に、劉鳳は驚愕に目を見開く。
 ろれつの回らない幼い子供の声。

 家の鍵は閉まっていた。
 見る限り窓が開けられている様子はどこにも無い。

「誰だ…」

 劉鳳は慎重に寝室へと足を踏み入れた。
 聞こえたのが子供の声だからといって油断は出来ない。
 仕事や家柄、人にまったく恨まれていないということは決して無いと心得ている。

 暗闇に目を凝らしたまま部屋の明かりをつける。
 すると。

「?!!」

 何かが劉鳳に突進して抱きついた。
 腹部のあたりに圧力を受け、よろけて倒れそうになるのをすんでのところでとどまる。

 衝撃を受けた部分へと視線を下げると、そこには少しくせのある赤茶の髪。
 それが動くと、そこには四、五歳程の少年の顔が現れる。
 くりくりとした金色の瞳を輝かせて劉鳳を見上げるその顔には、喜びの色が見て取れる。

「りゃあ〜」

 にぱっと太陽のように笑ってみせる。

「カズ…マか?」

「にゃぁ〜」

 劉鳳は目を見開いた。
 信じられないがこれはカズマであると。
 理性ではない本能的な部分が告げる。

 何故こんなことになったのかなど考えても仕方がないだろうが、劉鳳は考えずにはいられなかった。
 大した仮定も立てられないまま、頭は慌てながらも体は正直である。

「カズマ」

 気がつけば膝を床につきカズマを抱き締めていた。
 カズマは「みゃあ」と声を発しながらその赤い舌でちろりと劉鳳の頬を舐めてくる。

 くすぐったさなど気にもならないくらいに驚き、劉鳳は双眸を見開いてカズマを見つめる。
 カズマは悪びれる様子も照れる様子も無く、きょとんと劉鳳を見つめて首を傾げていた。

「ちゅ…たま?」

 カズマが問うように呼びかけた。
 一番初めに聞いた言葉だ。

「どう云う意味だ?」

 劉鳳はその端正な眉を顰めた。
 何か意味があるような気がするが、カズマが何を云わんとしているのかが分からない。

「ごちゅじんたま」

 そこで劉鳳はようやく意味を理解し、あまりのことに顔を赤く染め上げる。
 照れてカズマの顔がまともに見れなくて、仕方なく劉鳳はカズマから顔を背ける形で下を向いた。

「ごちゅじんたま?」

 手で顔を覆いながら、劉鳳はカズマへと顔を戻す。
 カズマは相変わらずきょとんと、不思議そうに小首を傾げていた。

 可愛い。

 あまりの愛らしさに劉鳳はその顔が緩みそうになるのを、手で口元を押さえることで必死に耐える。

「…カズマ」

 劉鳳はようやく声を出すことができた。
 今だ口元は手で覆われている為に、声が幾分くぐもっている。

「どこでそんな言葉を覚えた」

 他にも聞きたいことは山ほどあるが、おそらくカズマがそれに答えられるとは思えなかったし、どうやら人の姿をしていても元は猫。
 上手く発音できないらしい。

 劉鳳の問いに暫らく目を瞬たせていたカズマだが、ようやくその意味を理解したらしい。
 劉鳳の手を引いてリビングの方へと彼を導く。

「あれ〜」

 云ってカズマが指し示したのはテレビだった。
 どうやら偶然テレビのリモコンでも踏んづけたのだろう。
 そこから流れる様々な言葉やそれまでにも聞いたことがあり覚えていた言葉を幾つか繋げ合わせているらしい。

 発音もきちんと出来てはいないし、言葉も稚拙だが、人語はそれなりに解しているようだった。

「ごちゅじんたま?」

「劉鳳だ」

 見上げてくるカズマの視線に合わせる為にしゃがみ込み、劉鳳はカズマの瞳を見て云った。

「りゅ…ほ…?」

 カズマは小首を傾げて呟く。
 その仕草があまりにも可愛くて、劉鳳は思わずその小さな体を抱き締めていた。

「りゅ…?」

 カズマはびっくりしたようにして呟く。
 元から丸い瞳をさらに丸くする。

「劉鳳…だ。云ってみろ、カズマ」

「りゅ…ほう」

「劉鳳」

「りゅう…ほう?」

「そうだ」

 劉鳳はカズマの髪をくしゃりと撫でてやる。
 カズマはくすぐったそうに、嬉しそうにその目を細めて首を竦めた。










 それからカズマが散らかした部屋の片づけをしながら、カズマに人間がそうあるべき日常生活の基礎的な物を教えてやった。

 どうやらカズマの知能指数や知識はその肉体の変化と同じく変化しているようだ。
 言葉や日常生活に関ることを教えれば、たいていのことはすぐに覚えて理解した。

 子供と同じ。
 実に素直に物覚えが良く、記憶力が良いのかもしれない。

「りゅうほう…?」

 食事をしながらスプーンの使い方を教えてやる。
 「握る」という形でしか持てないのは、指の長さだけではなく指その物を動かすことに慣れていないせいかもしれない。

 口の周りに食べカスがついてしまっているその姿は、決して行儀の良い食べ方とは云えなかったが、それでも愛らしく思えてしまうのはどうしようもなかった。

 劉鳳は柔らかく微笑む。

 ご飯を食べて、お風呂に入る。
 それからベットで一緒に寝ましょう。

 子供用の寝巻きなんてないから、劉鳳はとりあえず自分のシャツをカズマに着せてやった。
 …そう云えば、カズマが今まで着ていた服はいったいどこから手に入れたのか?
 不意に浮かんだ疑問に、もはやどうでもいいかと思える。

 子猫のカズマが人間の子供の姿になっていた。

 それだけでも不思議で不可解この上ないことなのに、今更それに付随する疑問の一つや二つ出来た所でどうでもいいように思える。

 理屈でなく感じる。
 理性を超えて本能が訴える。

 ――これはカズマだと。

 ぶかぶかのシャツの袖を幾重にも折ってやるが、それでもまだ腕が隠れてしまう。
 だぶだぶと服の中で泳ぐようになってしまっているカズマを冷静に直視できなくて、劉鳳はこれで何度目だろうか。再び顔をそらした。

 ベットに入れてやると、カズマははしゃいで転がり回る。
 すぐに飽きたのか。
 今度は嬉しそうに布団に顔を埋めて…。

 …――そのまま寝息を立ててしまった。

「おやすみ…カズマ」

 劉鳳はそう一言声を掛け。
 カズマをその腕にすっぽりと抱き締めて自らも眠りの中へと誘われていった。

 後はただ。
 夜の静かな暗闇の中。
 穏やかな寝息が響くだけ。

 朝が来るまでこのままで。































理性を超えて

本能が訴える

愛する人の真実を


























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とうとうやっちまったよ…。
何を書いてるんですかね、自分。
しかも続きます。これ。
「静動の夜」の続き書くつもりが急に思いついたので…。
本当は一話で終わらせるつもりだったのですが、
お風呂のシーン(?)を除いても
まだ長いので二つに分けることにしました。
今度はそんなに長くもならないとは思うのですが…(どうだろう?)
書いてみないと分からないという計画性の無さを
いい加減どうにかすべきだと思う今日このごろ。
でもきっとどうにもしないような気もする毎日(爆)
感想いただけたら嬉しいです。



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モドル