子供との生活




















どこに居ても分かる

すぐに見つけてあげる

だから

泣かないで



























 それはいつもと変わらない朝だった。
 表面的にはいつもと変わらない朝だった。
 カーテンを通り抜けて澄み渡る朝陽の眩しさに、劉鳳はいつも通り目を覚ました。

「……」

 いつもと同じ目覚め。
 しかし明らかに違う。
 何かが違う。

 劉鳳は違和感にシーツを払い上げた。

「……」

 違和感のわけはすぐに理解した。
 自分の腰に腕を回して、しっかりと抱き着いて離れぬ子供が一人。
 すやすやと心地良さそうに眠っている。

 昨夜着せてやった寝巻き代わりのだぶだぶのシャツは随分とはだけてしまい、その子供はもはや服とシーツの海に揉まれて沈み込みそうであった。

 子供の名前はカズマ。
 何故か急に人間になってしまった子猫だった。

 劉鳳は顔に手を当てた。
 溜息を着きたい気分だった。

 自分に抱き着いて眠るカズマのその姿はあまりにも愛らしく、朝から何故こんなにも疲れなければならないのか。
 理性が掻き乱されるのを、劉鳳は必死で押さえた。

 カズマから視線をそらし、その寝顔を見ないようにベットから起き上がる。
 気持ち良さそうな寝息を立てて眠るカズマを起こさないように細心の注意を払うのも忘れない。

 ベットから下り、劉鳳は緊張が解けた時のような長く深い溜息を吐いた。











「りゅうほう…」

 身支度を整えた頃だった。
 背後から不意に掛けられた寝ぼけた声に劉鳳は振り向く。

「起きたのか?カズマ」

「うん…」

 まだ眠いことに変わりは無いのだろう。
 開ききっていない目をこすりながら劉鳳の元へとゆっくりとした足取りで歩いてくる。

 着崩れたシャツから覗く、細く白い肩が視界に入ってきて劉鳳は慌てて目をそらす。
 そんな劉鳳を、いまだ寝ぼけた様子でカズマはきょとんと見つめていた。小首を傾げるその姿に、劉鳳は再び溜息を着いた。

「劉鳳、おはよ…」

「ああ、おはよう。カズマ」

 カズマの声に返事を返しながら、劉鳳はさてどうしたものかと思考を巡らせる。

 ――カズマの着られる服が無かった。





「とりあえず今日はこれを着ていろ」

 仕事の帰りに何着か服を買ってくる。
 今日は早退でもさせてもらおう。

 そんなことを云いながら劉鳳がカズマに着せたのは、昨日人間の姿になったカズマが着ていた衣服だった。
 どこから仕入れたのかは知らないが、まともな子供サイズの衣服は現在これしかない。

「俺はすぐに出掛けるが、鍵を掛けて出ていくからな。お前は外には出るな」

 元は猫のカズマ。
 いくら人間になったからといって市民権など無い。
 それ以前にいきなり道路に飛び出しでもして車にでも轢かれたら。
 迷子にでもなったら…誰かに攫われないとも限らない。

 心配の種が尽きない劉鳳であった。

「お腹空いた〜」

 劉鳳に服を着せてもらいながらそう云うカズマに、劉鳳はがっくりと頭を凭れる。
 もっと人の話をきちんと聞いて欲しい。

 猫がどうのではなく、子供とはそういうものなのかもしれないが…。
 それにしてもこれでは心配で仕事どころではないではないか。
 鍵は外から開けるのは難しくとも、中からは容易に開けられてしまうものなのである。

「パンを用意してある。冷蔵庫…昨日教えたな?そこにミルクもあるから腹が減ったら自分で用意しろ」

「わかった」

 劉鳳の言葉に、カズマはこくんと頷く。
 昨夜よりも言葉遣いが流暢になっている気がするのは、決して劉鳳の気のせいでは無いような気がする。

 心配で仕方がなかったが、劉鳳はカズマを家に残して出勤していった。

「いってらっしゃい〜」

 お見送りに玄関まで劉鳳を追いかけてきて手を振るカズマに、とろけんばかりの笑顔を残して…。










 劉鳳が家の扉を出てすぐ。
 カズマはとてとてと小走りになって台所へ赴いた。

 劉鳳が用意していってくれた朝食を頬張る。

 もぐもぐもぐ。
 カズマは食事をしながら窓の外を見た。

 空は青く澄みきっている。
 陽の光がさんさんと差し、実に暖かそうな陽気だ。

――お前は外には出るな――

 劉鳳の言葉が脳裏に蘇る。
 劉鳳がそれを知ったら、カズマが自分の言葉をきちんと聞いていたという事実に嬉しさを隠しきれなかっただろう。

 外に出たい。

 本能的な所が訴えてくる。
 体が疼く。
 カズマはそれでも食事を頬張りながら葛藤していた。











 HOLY内ではまことしやかにざわめいていた。
 原因は碧い髪に褐色の瞳の青年。

「早退させていただきたいのですが」

 出勤するなり申し出たのは劉鳳。
 仕事第一、少しは融通を利かせても…の、まじめ人間である彼が当初の予定変更を申請するなど、いったい何があったというのか。

 憶測が憶測を呼び、噂は尾ひれのみならず背鰭(せびれ)胸鰭まで付けて、あっというまに広がっていった。

 知らぬはもはや劉鳳のみである。

「劉鳳」

 自分を呼びとめる声に、劉鳳は顔を向けた。
 そこに居たのは青い髪にHOLY隊員制服に身を包んだ少女――シェリス=アジャーニ。

「何かようか?シェリス」

「うん…あのね」

 いつもと何らかわらずの無表情で事務的に訊ねてくる劉鳳に、シェリスは言いよどむようにして視線をさ迷わせた。

「その…今日、早退願を出したって聞いたんだけど…」

「そうだが、それがどうかしたか」

 劉鳳の端正な眉が僅かに顰められるのを見て取り、シェリスは慌てて首を振った。

「ううん。別に何でもないのよ。ただ、どこか具合でも悪いのかなって思って。 あなたが早退とかするなんてほとんど初めてだから」

「ああ、心配を掛けてすまない」

 シェリスの気遣いに、劉鳳は素直に返した。
 そして否定の言葉を紡ぐ。
 彼の体調はいつも以上に万全である。

「別に調子が悪いわけではない。気を使わなくても平気だ」

 任務に支障をきたすこともない。

「そ、そう?それなら良いんだけど…でも、だったらどうして早退なんか…」

 シェリスは少しでも自然を装って、話を自分の意図するところへ持っていこうとする。
 劉鳳が自分のプライベートな部分について詮索されるのを嫌う傾向にあるのを知っているからだ。

 慎重に話しを進めるシェリスにはしかし気がつかないまま、劉鳳は素っ気無く返す。

「急な用事が入っただけだ」

「用事って?」

「たいしたことじゃない」

 シェリスは焦った。
 ここで会話が終わってしまっては元もこもない。
 しかしこれ以上突っ込んで聞けば劉鳳に勘繰られてしまう。
 シェリスは必死で、何か云い言葉はないかと頭を巡らせていた。

 と、そこへ。

「こんにちは劉鳳」

 新たな第三者が介入してきた。

 穏やかな物腰で劉鳳に挨拶を交わしたのは美しい黒髪の美女。
 桐生水守だった。

 シェリスはあからさまに顔を顰めて見せた。
 現在彼女とは劉鳳を巡っての恋のライバルである。

 しかし水守はそんなシェリスのきつい眼差しにも意を解さず、見事なまでに無視して劉鳳に歩み寄った。
 穏やかな微笑にどこか黒い影が付き従っている気がしても、それは気のせいではないはずだ。

 そんな水守の穏やかな微笑の奥にある黒い陰には一切気がつかない劉鳳。
 幼馴染に挨拶を返す。
 その顔はやはり無表情のままだった。

「劉鳳、少し聞きたいことがるのだけれど…いいかしら?」

 水守はいつもの穏やかな物腰で尋ねる。
 どこか躊躇うような態度。

「構いませんが…訊ねたいこととはなんです?」

「いえ…たいしたことではないの。
 ただ、ちょっと変な噂を耳にしたものだから」

「変な噂?」

 水守の言葉に劉鳳は眉を顰める。
 水守は視線をさ迷わせ、シェリスは水守の意図を解した。
 彼女が聞こうとしているのは、先ほどシェリスがどうにかして劉鳳から聞き出そうとしたことと同じだ。

「ええ…その、間違いだとは思うんだけど」

「なんです?その噂というのは」

「その…ね。怒らないで聞いて欲しいの。その…あなたに、隠し子が居るとか、小さな子を囲ってるとか…。そんな噂が飛び交ってて…」

 水守の言葉にシェリスは固まった。
 これはどういう事なのか?
 確かにシェリスが劉鳳に確かめたかったのは噂の真偽。
 だがしかし。

「って、ちょっと待ってよ!なんなの?その噂。
私が今朝聞いたのは、劉鳳に恋人ができてそれで今日はデートがあるとか、お見合いが急に決まったとか…」

「えっ?そんな噂があるんですか?!」

 シェリスの言葉に水守も驚きを隠せずに云う。
 二人は揃って劉鳳に視線を向けた。

 劉鳳は相変わらずの無表情だ。
 だがしかし彼の脳内ではそんな彼の無表情からは程遠いほどおおいに慌てふためいていた。

「あ、あの。誰も信じてないのよ。ただ、どこからそんな噂が流れ出したのか分からないし…」

 劉鳳の無表情を怒りの表情と勘違いして、水守は慌てて弁解の言葉を紡ぐ。

 しかし劉鳳にはもはや誰の言葉も声も届いていなければ、姿さえも写ってはいなかった。

(いったいどこから漏れたんだ)

 シェリスの云う見合いや恋人に関しての噂はまったくのデマだ。
 おそらく滅多に出さない早退願を届け出たことから出た憶測が噂になって広まったのだろう。

 だがしかし。
 水守の持って来た噂に関しては心当たりがあった。

 もちろん隠し子など居ない。
 しかしその噂の元になったであろう事柄に関してはいささか心当たりがある。

 ――カズマだ。

 おそらくは家の中に居るはずのカズマの姿を誰かに見られてしまったのだろう。
 それが噂となり尾びれや背鰭がついて広がったのだと、劉鳳は推論づけた。

 いったい誰に見られたというのか。
 困ったというよりは怒りが湧いてくる。

(いったいカズマのどんな姿を見たんだ!)

 劉鳳のもっとも気になる点はそこであった。

 一方。
 反応のない劉鳳に水守とシェリスは困惑と焦りに目を見合わせる。
 いったい彼はどうしてしまったのか。
 そして事の真相はどうなのか。

 気にはなるが今彼に声を掛けるのは少々恐ろしい。
 と云うよりも、今彼に何を云っても彼の耳にはまったくもって届いていないようだ。

 どうしたものかと三者三様に考えていると。

「劉鳳〜!」

 甲高い子供の声が響き、赤い髪の小さな少年が劉鳳目掛けて駆けて来て――そのまま体当たりの如く劉鳳に抱きついた。

 さすがは常日頃身体を鍛えているだけはある。
 劉鳳は子供を抱きとめた。

 赤い髪に金色の瞳の五、六歳ほどの少年。
 きらきらとした嬉しそうな瞳で劉鳳を見上げるその少年はまぎれもなく。

「カズマ?!」

 ――だった。

 劉鳳は驚きに目を見開き、シェリスと水守は固まっている。
 カズマは相変わらずの嬉しそうな笑顔で劉鳳を見上げていた。











 それから数秒と経たずして、二人の少女の悲鳴がHOLD内部に響き渡ったという。


























突然現れた子

嬉しそうに僕を見る

会いたかったよ

僕も

君に

























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「子猫との生活」の続編です。
中途半端な所で切ってしまって申し訳ありません。
まだ続きます。これ。
本当はこの先まで書いてしまって
一話として終わらせるつもりだったのですが…。
思ったより長くなったので途中で切りました。
なのでタイトルも話の内容と微妙にあっていない気がします。
前回「二つに分けた」とか云っていましたが
予定ではもう二つ三つ続く予定です。
しかも「今度はそんなに長くならない」
とかも前回の後書で云っていたような気が…。
全然嘘でしたね(汗)
気長にお付き合い頂けると嬉しいです。
感想いただけたら嬉しいです。



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モドル