+ 大好き +










あなたがいるから

私は生きている















 ヴァレンタインデーとは、女性が想いを寄せる男性に「チョコ」を渡すことで想いをおおっぴらに告げることのできる日。のようなものである。
 もっと簡単に云えば「告白イベント」である。
 誰にも平等に「告白」のきっかけとチャンスが与えられる日なのだ。

 ロストグラウンドではあまり大騒ぎされるようなものではない。そんなイベントを行なうような余裕はないからである。
 知識としてしか知らない者も多いし、「ヴァレンタイン」そのものを知らない者も少なくない。

 そんな中で、由詑かなみはお手伝いに行っている牧場の方々からヴァレンタインの知識を与えられた。
 八歳という実年齢よりもずっとしっかりとしている大人な子であるかなみとて、そこはやはり女の子。そんなかわいらしいイベントのことを聞けば胸が弾まないわけがない。
 特に…彼女には意中の男性がいるのだから。

 かなみが想いを寄せているのは、かなみよりも八歳年上の十六歳の同居人。
 名を「カズマ」といい、彼とかなみを知っている者ならば、どちらが年上かわからない。と皆が笑って云うだろう。
 それはカズマの外観がかなみよりも幼く見えるというのではなく…つまりかなみがそれだけしっかりしている子供だということなのだが……カズマの性格が子供っぽいというのも否めない事実であろう。

 はてさて、そんなわけで「好きな男の子」のいる女の子がヴァレンタインデーを知った。
 参加したくないわけ…ないでしょう?










「チョコかぁ…」

 かなみはぼんやりと空を眺めながら呟いた。
 今日は牧場のお手伝いはお休みなので、家としている廃棄された診療所の掃除をしていたのだ。家の中はあらかた掃除し終えたので、今は玄関を出てすぐの道を箒で掃いている最中だった。

 空は高く蒼く澄みきっている。白い雲が流れる様子が、より空の蒼さを際立たせていた。
 眺めていれば悩みなど吹き飛んでしまいそうな晴れやかな空であったが、生憎かなみの悩みは消えてはくれない。少女は再び重い溜息を吐いた。――思わず握り締めている箒を杖にしてしまう。
 地面に押しつけられ、箒がかさりと音を立てた。

 ヴァレンタインデーといえばチョコレート。

 もう何度も思い返した牧場で聞いたヴァレンタインについての話を再び思い出しながら、かなみは再び空を仰ぐ。その顔は優れない。

 チョコレートはロストグラウンドでは高級品だ。
 普段の食事にさえも困るロストグラウンドでは、子供のお菓子などそう易々と手に入りはしない。もっとも、それは「崩壊地区」でのことであって、当然のことながら復旧作業の進んだ「市街」では簡単に――しかも安価に――手に入るものであった。だが、戸籍を持たない「崩壊地区」の人間が「市街」へ入ることなど許されない。
 見つかれば即逮捕。犯罪者とされてしまう。

 かなみは再び溜息を吐いた。

 チョコの代わりに手作りで他にもいろいろと上げるともっといいらしいが、いったい何を上げればいいのか。
 かなみにはまったく思いつかなかった。

 自分がプレゼントすれば、彼は照れて文句を云いながらも心から喜んでくれるだろう。だが、せっかく贈るのであれば、やはり彼が好むものを贈りたい。

(やっぱり食べ物かなぁ…)

 しかし…。自慢ではないが、かなみはカズマに料理を作って「おいしい」と云ってもらえたことが一度もなかった。

(カズくん甘いの好きだし…だったらやっぱり……)

「チョコ…欲しいな……」

「なんだ?チョコレートが食いてぇのか?」

「!」

 独り言だった呟きに思いがけず返事が返ってきて、かなみは慌てて声のした方へと振り返った。
 玄関を開けて目の前に立っているのは赤いくせのある髪に光の加減で美しく彩を変える琥珀の瞳の少年。ぼんやりとした、不思議そうな表情でかなみを見つめていた。

「カ、カズくん?!」

 かなみは少年の名を呼んだ。
 呼んだというよりは、ただ驚いて叫んだといった方が正しいかもしれない。

 呼ばれた少年――カズくんことカズマは、そのかなみのあまりの驚きように、逆に驚きたじろぎながらも先ほどの問い掛けを再び訊ねた。

「お、おう…どうしたんだ、そんなに驚いて。・……って、それよりかなみ。お前、チョコレートが食いてぇのか?」

「えっ?えっと…その……」

 ただ疑問に思って訊いてきてくれているのだろう。
 カズマのどこか子供っぽくも見えるきょとんとした表情がそれを物語っている。

 しかし、かなみはどう答えて良いか分からず言葉に詰まった。箒を握り締めたまま、俯き加減でカズマを上目遣いに見上げる。
 恥ずかしさのあまり顔をから火が出そう。
 そう思えるほど、今のかなみは自分の全身が真っ赤に染まっているだろうことを感じていた。

「かなみ?」

 カズマが不思議そうに、心配そうに自分の名を呼び、かなみはますます身体が熱くなった。
 恥ずかしさに完全に俯いてしまうと、そんなかなみを心配して、カズマが腰を折り曲げてその様子を覗き込むようにしてくる。
 赤く火照った顔を見られたくなくて、だからかなみはますます身を縮こませて俯いた。

「ふぅ…まぁ、別に良いけどな」

 カズマが諦めたように顔を上げて呟くと、かなみはカズマの様子を窺がおうと、そっと視線だけを上へ動かして茶色い前髪の合間からなんとか彼の姿を見止める。…――彼の機嫌を損ねていないかが心配で仕方がなかった。

「かなみ」

「あっ…なに?カズくん?……」

 しばらくなんとはなしに空を見上げているようだったカズマに不意に名を呼ばれ、かなみは反射的に顔を上げていた。
 カズマの琥珀の瞳と、かなみの翡翠の瞳は合う。
 かなみはまた自分の頬が熱くなるのを感じて、僅かに首を竦ませて俯いた。

 しかし今度はカズマはなんとも思わなかったらしい。
 と、いうよりも、もともと人見知りが激しく人と話すことが苦手なかなみは、もう反射的にこういう態度をとることをカズマは知っていたから、何も云わない。
 別に何かを無理強いさせようとは思っていないから。

 自分のことが嫌になって。
 自分から離れたくなったら。

 きっと、引き留めはしない。


 カズマはかなみにいつもと同じ態度のままで云った。

「ちょっと出かけてくる」

「うん…なるべく…早く、帰ってきてね」

 かなみもいつもと同じように答えた。


 引き留めたいけれど、一緒についていきたいけれど。
 迷惑に思われたくないから。



 嫌われたくないから。



 我侭は絶対に云わない。
 云えない。

 だけど、それでも控えめに伝える。
 どうしても伝えたいこと。
 知っておいて欲しいこと。

「ちゃんと、帰ってきてね」

「わーってるって」

 カズマはかなみのやわらかな薄茶色の髪を撫で、片手を振って歩いていった。










 ヴァレンタイン。
 大好きな人に想いを伝える日。
 想いを…伝えてもいい日。

 だけど、一緒に過ごすこともできないの?










 もう陽は暮れて、窓の外には藍色の澄み切った空。
 濃紫色の雲が流れて、まだ完全な夜になるには間がある。
 けれどその時間ももう長くはない。やがてすぐに真っ暗な闇に染まる完全な夜がやって来るのだろう。

 かなみは一人椅子に腰掛けながら溜息を着いた。
 頬杖を付いているテーブルの上には二人分の食事。もう冷めてしまっている。

 今日もこのまま一人。
 冷えた食事を無理矢理喉に押し込んで、そして彼が帰って来てくれるかを不安に想いながら眠るのだろうか。

 彼の帰りを待っていたい。
 それがかなみの心情だった。
 だが、もしそうしてカズマの帰りを夜が更けても尚、眠らずに起きて待っていれば、カズマは間違いなくかなみの身を心配してしまうだろう。

(カズくんに心配掛けたくないもん…)

 かなみは胸中で呟く。
 結局ヴァレンタインのプレゼントも思い付かなかった。
 食事を取る気にもなれず、今日はもうこのまま寝てしまうか。そう考えて立ち上がりかけた時だった。

 カチャ。

 という、控えめな扉の開く音。
 玄関から聞こえてきたその音に、かなみは考えるよりも先に身体が動いていた。










 思っていたよりも随分と遅くなってしまった。
 月がもう大分、高い所にある。星の光が美しいと思えるほどには、空は暗く青くなっていた。

 カズマはそっと玄関の扉を開けた。
 もしかしたらかなみはもう寝ているかもしれない。
 いつも牧場の手伝いや家の掃除をしていて疲れているだろうし、いつもより早く眠っている日があってもおかしくはないだろう。

 そう思って、カズマは極力、音を立てないように勤めて家の中へ入っていく。
 たいした音も立てることなく玄関の扉を閉めてほっと一息。
 安堵の溜息を吐くと、突然後ろから響いた声に反射的に振り向く。

「カズくん!!」

 突然体当たりの如き勢いで抱き着いてきたかなみをなんとか受けとめて、カズマはその普段見ないかなみの様子に、驚きのあまり目をぱちぱちさせた。

「カズくん、お帰りなさい。……寂しかったよぉ…」

 かなみはカズマに顔を押し付けるようにぴったりとしがみつきながら、最後の方は小声で云った。
 それでカズマはそれまでの驚きの表情を仕舞うことができる。
 不安にさせてしまった申し訳なさと、自分を求めてくれる人のいることの嬉しさが混ざり合い、どこか苦笑めいた微笑で、カズマは優しくかなみの頭を撫でてやった。

「悪かったな。心配掛けて」

 カズマが云うと、未だカズマにしがみつたまま顔を上げないままで、かなみは首を何度も横に振った。
 そんなことは、かまわないのだと。
 ただ自分のところにきちんと帰ってきてくれるだけでいいのだと。
 そう…伝えたかった。

「あ、そうだ。かなみ」

 暫らくは黙ってかなみを頭を優しく撫でていたカズマだったが、不意に思い出したように声を上げた。
 だいぶ気分の落ち着いてきたかなみは、頭上からカズマに名を呼ばれてカズマに抱きついた腕はそのまま、顔だけをカズマに向けるために上を向いた。

 するともう何度目だろう。
 また琥珀の瞳と視線が合うから…かなみは少し心音が早くなるのを感じて身を竦ませた。

「ほい、これ」

 そんなかなみの様子に気がついていない素振りで――実際気が付いているとは思えない…――カズマは小さな小箱をかなみに手渡した。

 それはかなみの両の掌の上に丁度収まるくらいのサイズで、ロストグラウンド崩壊地区では珍しい――というか、まず見ることのない――綺麗な包装が成されていた。

「カズくん?」

 かなみが不思議そうにカズマを上目遣いに仰ぎ見ると、カズマは優しい微笑のまま「いいから開けてみな」と、雰囲気だけでかなみを促がす。
 かなみは丁寧に包装紙を開いていった。

「これ…」

 箱の中に入っていたのは、かわいいぬいぐるみのくまの姿をかたどったチョコレートだった。小さな一口大のチョコが、箱の中いっぱいに入っている。
 ほのかに香ってくる甘い香りが、鼻腔にくすぐったかった。
 驚きを隠せずにカズマを見れば、

「ん?欲しかったんじゃないのか?」

 と、逆に不思議そうな表情で問われてしまう。
 だからかなみは今、自分にできる最高の笑顔で云った。

「ありがとう!カズくんvv」

 カズマの首元に両腕を回して抱き着けば、カズマはきちんと受けとめて、自分の背中を優しく撫でてくれる。
 全身でカズマを感じて、かなみは嬉しさに零れそうになる泪を堪えた。
 泪なんて流したら、彼に余計な心配をさせてしまうから。

「カズくん、ねぇ、一緒に食べよ」

「あ?いいよ、お前に買ってきたんだから」

 一人で食べろというカズマに、かなみは少し頬を膨らませて云った。
 別に怒ってるわけではなくて。
 そんないつもの態度。

「ダメ。カズくんと食べなきゃ、意味がないもん」

「??なんでだよ?」

「なんでも!」

(だって、本当はカズくんにあげるためにチョコが欲しかったんだもん)

 好きな人に受け取ってもらわなければ意味がない。けれど、チョコを貰ったのは自分だから。
 だから。お互いに一つずつチョコを食べて、そしたら、今度は私の作った食事を食べて。

 ――――私と一緒に。


「いつか、絶対に「おいしい」って云わせてみせるんだからね」

 その前にはまず、もう冷めてしまった夕食を再び温め直さなくては。


 かなみはカズマの腕を引き、チョコレートの甘さ以上に甘い香りに満たされた自分の心を弾ませて、ダイニングへと戻っていった。
 今日の夜は、一人じゃない。














今、あなたがいるから

私は生きている


甘い甘い私の心

しあわせな気持ち
あなたへの気持ち


いつか

気がついてくれる?



あなたが、大好きv










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こめんと *----------------------------------------------------------

 マメ太郎様に捧げます。14141Hitキリリク小説です。
 リクエスト内容は「スクライド小説。かなカズでバレンタインのお話」でした。
 いかがでしたでしょうか?少しでもリクエストに応えられていたら良いのですが…無理っぽい……ですね(滝汗)ウウ…すみません。せっかくリクして頂いたのにこんな駄文しか書けないなんて(悔泣)
 こんなんでも貰っていただけたら光栄です。リクエスト本当にありがとうございました。
---2002/02/07---2002/12/08微改

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