+ 互い、存在、二人で +










 そいつがいたから、ここまで来れたのだと…今ならば、はっきりとわかる。





 体中が痛い。
 上手く開かない瞳に写るのは、抜けるような青空。持ち上げた右腕に走る亀裂。どこか遠く、まるで自分とは無関係の世界のことのように聞こえているのは、荒く繰り返される自分の呼吸音。
 ぼんやりと。
 空を、煤汚れた自身の腕を、眺めていた。

「大丈夫か…」

 ふと割り込んできた声に、瞳だけ動かしてむりやり視線を向けた。
 いつもはムカツクくらいに整ったその顔が、今はもう見る影もない。それをしたのが自分だと思うと、少しは溜飲も下がる気がした。
 というか、今は気分自体がいい。

(こんなにぼろぼろなのにな…)

 思わず苦笑が洩れる。
 実際に顔の筋肉が動いたかは分からない。ただ、気分的にはそういうつもりだった。
 もしかしたら動いたのかもしれなかった。笑いが洩れたのは間違いないのかもしれない。呼吸とは別に胸が動き、少し息が詰まった。肋骨の辺りに、響くような痛みが走った。
 自分を覗き込んでいる男も、不審そうに眉を寄せた。

「てめぇに心配される筋合いじゃねぇよ」

 笑いは胸中に納めたまま、引き攣り悲鳴を上げる身体を無理に起こす。
 相手は立ち上がっているというのに…――胸に広がる云いようのない苦い思い。悔しいのとは少し違う。自分の限界まで、否、それ以上の力までもを出し切ったと思える。
 だから、悔しいのではない。

 ただ、苦々しい。

 もっと強く。
 もっと、もっと。

 湧き上がる欲望が治まらない。

 また、苦笑が洩れた。
 今度はきちんと口元が動いたのがわかった。凝り固まっていた体が少しずつほぐれていく。
 上半身だけは起こしたが、まだ立ち上がることができない。そんなことは悟られたくなくて、だるさに座り込んだまま上目遣いで男を見上げると、不審そうな視線。

(きれいだよな〜)

 出会ったのは騒がしい夜の日。
 静かに、何か燻(くすぶ)るものがあったあの日。
 鮮やかな深紅は、あの頃から何も変わらない。

「カズマ?」

 気づいたら腕を伸ばしていた。
 不審な顔はそのまま、けれど避ける気配は見せない。だから、無言の問いかけは無視した。
 顔に振れる。血と汗と砂がこびりついていてざらつくそれは、自分の指か、彼の頬か。どちらも、という答えが正解なのだろう。
 擦れ合う、互いの傷。

 灰色にくすみ始めた、亀裂だらけの自分の手。
 汚れて、でもまだ白い男の顔。

「なぁ、抱いてみねぇ?」

 ―――オレノコト。

 云えば、いつも澄ましたままのその瞳が見開かれる。鳩が豆鉄砲食らったような…っては、こういうときに使うんだろうなと、ぼんやりした頭で考える。

「なにを…」

 とりあえず。
 なんか云おうとしてる奴の口に口づけることで、それを遮る。

 整っているのは顔だけじゃなくて、身体もしっかりできあがってやがる。ぴんっと、そんな感じの伸ばされた姿勢でいつも歩いている。今も…。
 まだ体は悲鳴を上げる。それを無視して起き上がり、その首に腕を回した。

「劉鳳」

 名前を呼ぶ。
 顔を近付ける。
 でも、逃げないし。
 今の俺、ぼろぼろだから…簡単に吹っ飛ばせるぜ?

 別に、どう転んでも良かった。





 いつだって、そのヒカリは衰えることをしなかった。
 哀しみに沈んでいるときでさえ、立ち止まっているときでさえ、それは胸の奥で滾(たぎ)る炎を写していた。力及ばず虜囚に甘んじているときでさえ、その瞳の輝きが翳(かす)むことはなかった。いや、むしろより強く輝いてた。より強く滾っていた。

 普段は深い、底の見えぬような琥珀の色をしている。
 単細胞で激情家で。考えて行動するということをしない。思った通りに動く。
 いつだって、めちゃくちゃで。

 とにかく、その瞳に魅せられた。

 深く、底の見えない琥珀。
 移ろう煌き。
 朱金の鮮やかさ。

 あの細い體(からだ)のどこから、自分と張り合える力が出てくるのだろう。
 不思議に思いながら、悔しく思いながら、苦々しく思いながらも…自分はそれを楽しんでいた。
 嬉しく思っていた。

 とにかく、その心に惹かれた。

 決して折れることない、誰にも屈することのない。
 その心。

 今だって、起き上がるのもやっとといった感じなのにもかかわらず。

(笑っている…?)

 思わず眉根を寄せた。
 あれだけの闘いをして、これだけぼろぼろになって。
 それでも、なぜあの瞳はあんなにも強く、楽しそうに輝いているのか。

 自分に触れてくるその腕は健康的というにも逞しいというにも無理がある。むしろ、細すぎる。細く、通常ではありえない亀裂が走り、色が病的にくすんでいる。
 それが、今目の前にある人物の最強の武器だとしている。
 この人物は、その腕の一つで、ここまで上り詰めた。

 発動すれば岩をも軽く砕くその腕。
 それでも、触れてくるそれはしなやかで美しく、触れられるその行為は心地良くて。
 黙ったまま、したいようにさせていた。

「なぁ、抱いてみねぇ?」

 不審に思って見ていれば、突然紡がれた台詞。
 何を云われたのか、その意味が理解できずに瞬間思考が止まり、意味が理解できれば次はただ驚きに目を見張る以外にはできなかった。

 別に何を云うつもりで紡いだわけでもない台詞は、その思いのほかにずっと柔らかい唇によって遮られた。
 自分の首に、しなやかな腕が絡みつく。
 再度近寄って来るその煌(ひかり)。

 ああ、そうか。

(求めていたんだ)

 ずっと、それを欲していた。
 本当は、こうなることを望んでいた。
 まるで射るような琥珀の視線が瞼の下に隠されて。

 抱き締めた肢体は、柔らかかった。





 *******



 女性だと知ったのは、そこでだった。

 柔らかな肢体(からだ)に、溺れる。
 温かなその肢体は、まるで自分の為にあるかのようにしっとりと肌に馴染む。
 今まで男だと思っていて、けれど女性だと知ったことに対して、何を思うこともなかった。その自分つについては、性別など、あまりにも些細で。自分にとってはどうでもいいことだったのだと、気がついたのは、後になってから。
 だから、そのときも何を云うでもなかった。
 ただ、ずっと心が、からだが求めてやまなかったそれに溺れた。抱き締めた。

 それを元同僚達に語れば、みな一様に口を大きく開き目を点にして動きを止めていた。
 その人物が女性であったと知ったとき以上の驚かれかたというか、なんというのだろうか。その反応に、何か複雑なものが胸中を過ぎるが、言葉にはし難かったので苦虫を噛み潰すだけでほおって置く。

 背後からおかしそうな笑い声が届いた。
 振り返り見れば、くすくすと肩を揺すらせて笑っている最愛の人。

「カズマ」

 名前を呼べば、その人はやわらかく微笑んで。
 いつだって変わることのない、その煌く瞳を向けてくれる。

「恥ずかしいこと真顔で語ってんじゃねぇよ」

 お気に入りのソファから腰を上げるその動作。こちらに向かって来る軽やかな足取り。
 目の前に立ち、止まる。
 そのすべてから、目が離せない。

 ゆっくりと、テーブルの上に置かれているもう冷めてしまったティーカップを持ち上げるその手の動きを追う。
 本来の利き手とは逆の、左の腕。

「ついでだからな。煎れなおしてやるよ」

 優しくて、柔らかくて。けれどそれだけではない。どこか悪戯っ子のような楽しそうなひかり。
 やわらかく、笑みの形に細められる琥珀の瞳。
 自分も自然に笑んで、答える。

「ああ、頼む」
「了解」

 また小刻みに揺れる肩。
 楽しそうに洩れる、くすくすという笑い声。

「ただいま!!―――おかあさん、おなかすいた〜!!」

 バタンと勢い良く玄関の戸が開かれ、間を置かずに跳び込んできたのは、最愛の人の琥珀の瞳を継いだ、まだ小さな人。
 元気良く家の中に駆け込んで、空腹を訴える。

「もうすぐできるから待ってろ」
「は〜い。きょうのおやつ、なにー?」
「今日はドーナツだ」
「やった。ドーナツすき〜」

 最愛の人と最愛の子。
 二人がこちらへ戻ってくる。

「おら、とうちゃんにただいま云え。ついでに客に挨拶もな」
「おとうさん、ただいま!!―――お客さん?あ、ほんとうだ。こんにちはっ」
「おかえり」
「お邪魔してます」

 気がつけばいつのまにか驚愕とショックから立ち直っていたらしい。件(くだん)の客が挨拶を返す。
 視線を客から我が子に戻せば、自分の隣りに置かれた椅子に小さな体を持ち上げるように座らせている。ちょこんと席につき、母親が自分の前におやつを置いてくれるのを待っている。

「ほらよ。―――劉鳳もな」
「ああ、すまない」

 できたてのドーナツとミルクが隣りの席に置かれ、自分の前にはついでに煎れなおしてもらった紅茶が置かれた。客人達の分ももちろん煎れなおして置かれる。
 それから、彼女はまたソファに戻っていった。

 すべて左腕で行なわれるそれら。
 一日のほとんどを、やわらかなソファの上で過ごす。

 あの頃。
 出合いは夜。
 琥珀の瞳に、しなやかなその肢体に魅せられた。

 煌(かがや)きはそのままに。

 今も、その胸の奥には燃えつづける焔。





 今ならばはっきりと云える。
 こいつがいたから、自分はここまで来られた。
 上(のぼ)ることができた。

 まだ駆け続ける。

 おそらく、一生。
 灰になって消えるまで、止まらないだろう自分たち。

 出会いは夜。

 互いの瞳。
 輝くアルターを、ぶつけあったのは、もうどれほどになるのか。

 今も続く。
 今も燃え盛り納まらない胸の奥深く。
 篝火の熱。
 勢い。



 今ならば、はっきりと云える。


 互いの存在を。その意味を―――。









 このまま、一緒に上っていこう。
 最後に勝つのは、自分だけれど―――。










 今日も、やわらかな陽射しが、暖かくそそぐ。










----+ こめんと +-------------------------------------------------------

 北条芳乃様に捧げます。たいへん遅くなって申し訳ありませんです。
 30001ニアミスhitでリクエスト頂きましたvvありがとうございます。
 リクエストは「劉鳳×女の子カズマで最終回後のシリアスな話。最後に二人の子供が出て来る。劉鳳をはじめ出演者の皆は(26話の)最後のぶつかり合いが終わるまでカズマが女の子だとは知らなかった」でした。ど、どうでしょうか?今までにも似たようなのけっこう書いてるので(ただ今連載中の10年目の真実とかっていうか、この話し、書いてたらそれの続編みたいになって困ったり)ネタに苦労したり…(汗)
 小説スクライド・アフターのユウ。彼は、今のままではカズマを越えることはできないだろうなぁ…と。いえ、私がカズマ贔屓のカズマ至上主義だからそう思うのではなく(いや、半分くらいはそれによる願望ですが)、カズマと劉鳳があそこまで到達でき、今もなお高まるのは、彼ら自身の才能や意志、努力といったものが大きく関わっていると思います。ユウにそれがないといいません。ですが、カズマと劉鳳はそれ以上に高め合う互いの存在があったからこそ、誰よりも高い所に到達できたのではないかと。
 ユウにとっては目指すべき存在(目標)はいますが、高め合う存在はまだ現れてないかな〜と。いえ、どういう展開になるかなんてファンの数だけいくらでもありますけどね(これもその一つということで)
 それでは、こんなんですが受けとって頂けたらありがたいです-2002/12/24

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