+  えほんのゆめ +






「母」とはなにか
「父」とはなにか
「自身」とは何者の名か

ただ、問い掛けている










 カズマが本を嫌いではないらしいと劉鳳が気づいたのは、彼と一緒に暮らすようになってしばらく経ってからだった。
 劉鳳の家にはかなり立派な書庫があり、そこにはたいてい難しい…カズマにはとうてい読めそうもない本ばかりが並べてあるが、ときどき、紛れ込まれたように、絵本などもあったりする。

 それは、劉鳳が幼い頃に母に読んでもらい、夢を膨らませた思い出の品。

 ちょっとした資料探しに、暇だ暇だと喚くカズマを引き連れて――カズマの暇コールを劉鳳が無視して歩を進めたから、カズマは追いかけるように勝手に劉鳳の後についてきただけ――書庫へ赴いた。

 いつもは本になど興味をまったく持たないカズマも、整然と並べられた莫大な量の本を一度に目の当たりにして、多少の興味を持ったらしかった。劉鳳にうるさく喚くのをぴたりと止め、カズマは興味深そうにうろうろと本の列を見て回ったのである。
 そんなカズマを横目に劉鳳は、今度はその妹的な存在でもある少女を連れてきてやろう。聡明な彼女は、きっと興味を示して喜ぶに違いないな…なんて、そんなことを考えて、苦笑した。
 まるで少女の方がカズマの姉のようだと思ったからだ。

 子犬のようにきょろきょろと辺りを見て回っていたカズマが、ふいに劉鳳の袖を引いた。
 くいくいと引かれるそれに視線を向ければ、愛してやまないその人の、美しい琥珀の瞳。瞬間、劉鳳が反応できずにいると、今度は突然目の前に何かが押し出された。

 絵本だった。
 やわらかなタッチで描かれたイラストが表紙のそれは、彼にも読んだ記憶がある。
 もう、ずっと幼い頃に。
 今とは違った幸せに、身を委ねていた頃に。

 ぼんやりとそれを見つめていると、今度はそれが後ろへ引かれて、並んで現れたのは今の幸せの源泉である人の顔。
 きょとんと、それでも何か云いたそうに見つめてくるその瞳に、劉鳳はなんだか少しおかしくなって、自然と生まれてくる微笑と共に投げかけた。

「どうした、カズマ」
「……これ…」

 口篭もるように、カズマはその絵本を様子だけで指し示す。
 劉鳳は、自分が何か温かなものに包まれていくのを感じた。
 心地良いそれは、優しい想いと共に、自分にやわらかな笑みをもたらす。

「気にいったのか?」
「ん…いや、その…」
「どうした?」
「えっと…これ、みたこと…ある…気が、する……たぶん」

 云い難そうに言葉を切りながら、それでもカズマは云った。自身がなさそうに、劉鳳からは視線を逸らしてしまっているその様子がなんだか可愛くて、劉鳳は小さく笑う。
 それを目敏く見つけたカズマが劉鳳を無言で睨んだが、本人にもいつもの自分がみたら笑うのではないかという自覚が多少あるのかもしれない。ばつが悪そうに、居心地悪そうに、またすぐにその視線をそらしてしまった。

「たしか、読み書きができなかったと思ったが?」

 カズマは字が書けない。
 カズマは字が読めない。
 カズマは計算ができない。

 だからといって、それにあまり意味はないのだけれど。

「読んでもらったことがある…ような気がする……」
「読んで?―――クーがーか?」

 今は行方の知れない、元同僚を思い浮かべた。
 そういえば、彼はいつも本を読んでいた。
 カズマにとっては兄的な存在なのだと聞いたとき、何か嫉妬めいた思いが胸に過(よ)ぎったのを、今でも覚えている。―――それは、今もなお、感じることだから。

 しかし、劉鳳の予想に反してカズマはただ首を横に振っただけだった。
 どこか遠い目をしたそれを意識して無視した。―――彼の過去へと引き寄せられた感傷を、今の自分の下へと引き寄せ返すために。
 そして問い掛ける。

「では、誰に?」
「……」
「カズマ?」

 黙り込んで俯いてしまったカズマに、劉鳳はいぶかしんで声を掛ける。
 そうすれば、カズマはようやく顔を上げ、聞こえるか聞こえないかという小さな声で、ポツリと、答えた。

「…おふくろ」
「え?」

 微かな声。それでも聞き取れた単語に疑問符を投げ掛けていたのは、反射的なものだった。
 どう返していいか分からないから、とりあえず、声が呟きを洩らしただけ。
 そんな劉鳳の呟きに、けれどカズマはその顔を上げた。
 彼にしては珍しい、どこか困ったような、自身のなさそうな、表情と声で、答える。

「たぶん…な。ぜんぜん覚えてなんかねぇんだけどよ…なんか、そんな気が、すんだよ」

 それは思い出ではなく、記憶。
 漠然とした、夢と現実の区別さえつかぬ、記憶。

 名前も、姿も、声さえ記憶にないけれど。
 それでも微かに存在するその記憶は、胸の奥に泣きたいほどの痛みをもたらすけれど。
 それと共に、たしかに、ある。
 自分に、たしかにもたらすのは、あたたかさ、せつなさ。

「読むか?」
「読めねぇ」

 カズマの答えに、劉鳳は「そうじゃない」と首を横に振り、それから、ただ云った。

「俺が、お前に」


 そのときのカズマの表情を、なんと表現すればよいのだろう。
 泣きたいのを我慢しているような。
 笑いたいのにうまく笑えないような。
 くしゃりとした泣き笑いのような表情で、嬉しそうな、切なそうな。

 照れたような。


 それから、無言で頷いた。
 声が出ないというより、口を開けば涙がでそうで、言葉を発すれば代わりに嗚咽が洩れそうで、出せなかっただけだった。












あたたかなるもの
凍てついた刃は脆く
しかし高潔にて鋭く孤高に

そこにはなにもが存在する










----+ こめんと +------------------------------------------------------------

 4月30日は図書館の日らしいということを聞いて思いつきました。本当は30日に書いてUPしてしまいたかったのですが、あまりにも疲れて過ぎていて断念。
 思い浮かんだものは、ソファの上で劉鳳とカズマがお互いに凭れ掛かって、まったりと本とか読んでたんでいちゃいちゃしてたんですけどね。カズマがひらがなだけは読めるようになって〜目下、劉鳳も無視して絵本に読みに夢中。すねる劉鳳。とか(笑)
 タイトルは「絵本の夢」です。ひらがなだと読み難いかな?と思いつつ。
 背景はそのうち変えるかもです。
 ご意見ご感想お待ちしております---2003/05/01

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