□ きみがすき □










 荘園では農民が領主から土地を借りて田を耕し、その収穫を税として納める。そうやって領主(地主)から土地を借りて田畑を耕す農民を小作人という。
 だが、領主と小作人の関係はそれだけにはとどまらない。
 小作人が領主から借りるのは田畑となる広大な土地だけではない。住む家はもちろん、農具や種も借りる。そして、領主がとる税は領主の心のまま、自由に決められる。小作人とは名ばかり、この時代、小作人は農民というよりも、むしろ奴隷であった。
 小作人の家に生まれた子供は、そのまま両親が土地を借りている領主の奴隷となるといってもよい。小作人の生殺与奪の権利はすべて領主が握っており、娘の処女さえ、領主には奪う権利が正当に化せられるのだ。
 国の80パーセントを占める小作人が幸せになれるか否かは、領主がどれほど、小作人のことを考えてくれるのか、彼らに慈悲深いかによる。
 そんな中にあって、彼らは常々、自分たちは幸せものだ、と語り合っていたものだった。

 彼らというのは、国の中でも最大の領地を持つ大地主で貴族の中でも有力者である劉大蓮から土地を借りている小作人たちだ。大蓮は決して甘くはないが、理不尽でもない。天候の不利によって作物の実りが常年よりも悪いときは税をそれに見合って下げてくれるし、理不尽に暴力を振るったり無理難題を押し付けたりもしない。
 劉大蓮には妻と息子が一人いる。
 妻の名は桂華。穏やかな気性の美しい人で、庭園の花々の世話をするのが好きなのだそうだ。小作人たちに――これは常識では考えられないことではあったが――気さくに暖かな微笑を向けてくれるし、庭で育てたのだという花を分けてくれたりもする。病人が出れば心配し、気をかけてもくれる。さすがに看病をさせるというのは、恐れ多いと小作人たちのほうから引くが、それをしてもなんら迷惑ではないと素で云ってくれる人で、小作人たちの中に彼女を嫌うものはいない。
 息子の名は劉鳳といい、どちらかといえば母親似の美丈夫である。今年で十七になる彼は父の厳格さと母の優しさを持ち合わせた青年で、秀麗眉目、頭脳明晰に加え、剣技も馬術も人並み以上にこなし礼法もダンスも完璧である。小作人たちにも気さくで、物腰柔らかだ。いずれは父の後を継ぎ、国の重鎮になるだろうと誰もが疑わない。年齢的にいえば夜を共にする女性の一人や二人いてもおかしくないが、そんな女性は影さえ見受けられない。いずれは妻を娶るのだろうが、今現在は意中の人もいない様子で、小作人、平民、貴族の区別なく、年頃の娘たちはその素敵な男性に心をときめかせ、頬を染め上げるのだった。

 そんな劉大蓮の治める荘園の小作人たちの間で現在、大きな花を咲かせている話題が、その劉鳳に関するものであった。

「間違いないさ。あたしゃこの目でしっかり見たんだ。劉鳳様はいつだってみなにおやさしいが、あんたのところの土地に来ると、それまでとは比べ物にならないくらい、優しげで愛しげな瞳を向けられてたんだ」
 そうまくし立てたのは、ふっくらとした、体格のよい女性だった。歳は三十も後半ほどだろう。愛嬌と母性を兼ね備えた、貫禄ある母親の代表、といった体(てい)だった。

 彼女が熱弁を振るっているのは、過酷な農作業の中での貴重な休憩時。昼食をとった後の、女性の集会場――いわゆる井戸端会議――だ。
 ほとんどがその女性と同じ年齢か、もう少し年嵩、若くてもみな一人は子供がいるといった風で、つまりは主婦の集まりなのだが(若い娘は若い娘同士で、どこかでここの女性たちと同じく、心躍らせる話題に花を咲かせているはずだ)、その中に十六歳の少女が一人いた。

 少女の名はカズマ。
 赤茶けた赤銅色の髪は短いが、その服装は他の女性たちとそれほど変わらない。くるぶしが隠れるほどのワンピースのスカートに、服が汚れないようにエプロンをつけている。この年頃の娘にしては随分と痩せ過ぎた感の否めない体格をしているのは、無駄な肉が一切なく、それなりにある女性らしいふくよかさよりも、農作業やら何やらでついた筋肉のほうが、彼女の体系を形成する要素として大きく写るためであろうか。まるで豹のような、しなやかで均整のとれた体つきをしていた。
 特にその注意を引くのは瞳だ。
 琥珀色のその瞳は、彼女の感情を隠すことなく体現し、陽の光、見る角度、彼女の心情により、数多(あまた)に色を変えてみせる。時には朱く、時には蜜色に、そして金に…。
 普段は実年齢よりも幼く見えるそんな少女は、眉を顰めた鋭い目つきで渋面になっていた。

「何バカなこと言ってやがんだよ。かなみはまだ八歳だぜ。奴とは九つも歳が離れてる」

 カズマは吐き捨てるように云った。
 かなみとは、カズマの歳の離れた妹の名だ。両親そろって、かなみが生まれてすぐに他界したため、カズマにとってかなみは妹であり、ただ一人の肉親であり、大事な大事な娘のような存在でもあった。
 もっとも、知能面や女性らしさ、家事などの主婦業に関する面においては欠片も才能のないカズマであるのに対し、かなみはおしとやかで頭もよく、農作業で一日中外で肉体労働するカズマに替わり、家の一切を取り仕切っているのであるから、どちらが保護者かわからない…と、みな、からかいまじりに愛情たっぷりに笑うのが常である。
 カズマは小さい頃から活発で、自分より体格のはるかにいい――もっとも、カズマより体格の貧弱なものなどそうそういないのが実情であるが――男性をも腕力で屈服させる――喧嘩で勝つ――ほどの実力で、時には領主一家相手にも平気で悪態をつくほど自分に正直でまっすぐであり、滅多なことで頭を下げたりはしないが、それでもかなみにだけは頭が上がらないのだ。

 女性が意気込んで話題に上らせたのは、そのかなみを、領主の息子である劉鳳が愛しそうに見ていた…というものであるのだから、カズマとしては面白くない。
 もっとも、別にカズマは領主を嫌ってるわけでも蔑んでいるわけでもない。
 両親そろって亡くなり、働き手はまだ子供の自分だけ。それだけならまだしも、乳飲み子まで抱えている。本来なら土地を借りることもできずにのたれ死んでるところを、領主の厚意(好意)によって土地を借り続けられ、かなみともども多方面に渡って面倒を見てもらい、こうして現在は何とか他の小作人たちと同じように、田畑を耕し、税を納める…という生活を送るにいたっているのだから。

 カズマの心中などまったく無視して、女性は口を開いた。
「何、別におかしいほど年齢が離れてるわけじゃぁないよ。それ位の年齢差の夫婦は、そこら辺にいくらだっているさ。あたしらには難しすぎてよく分からないけれど、劉鳳様はまだお若いのに、お国で重要なお仕事を任されてるって聞くよ。お仕事の方が落ち着いてからご結婚なさるおつもりなら、かなみちゃんもちょうど今のあんたくらいの年齢だ。ちょうどいいじゃないか」

 たしかにその通りである。
 だが、だからといって納得できないのがバカ親…もとい親ばかだ。可愛い娘を嫁に出す父親とはこういう気分を味わうのか…と、微妙な同情をしつつ、カズマは反論もできずに顔をさらに顰めるだけだった。
 こうして、その日の井戸端会議は幕を閉じたのだった。





 カズマはここ最近、家の周りでちょくちょく見かけるようになったある人物に顔を顰めていた。
 云わずもかな、領主の息子である劉鳳だ。もしかすれば、それはカズマが気づくもうずっと前からうろついていたのかもしれないが、カズマはまったく気にしていなかったので、視界に入らなかったのである。
 それがここ最近になってカズマの視界にとどまるようになったのは、一重(ひとえ)に「かなみが狙われているかもしれない」という危機感からかだ。
 忠告(カズマはおばさんの話をそう受けとることにした)を聞いてから、家の周りにやってくる男どもをチェックしてみたら、必ず毎日やってきてはにやける(カズマ視点)劉鳳を見かけるのだ。これはもう確実。カズマのイライラは日ごとに増していく。
 もとより人よりも堪え(こらえ)性の短いカズマである。彼女はその日、ついに行動にでた。

 劉鳳がやってくる時間はその日によってまちまちだが、大体は夕方から夜になろうかという頃である。カズマが一日の農作業を終え、農具を納屋にしまい終えてしまう前には、かならずやってくる。おそらくは彼自身の仕事の終わりがその頃なのだろう。いつも少し遠くからかなみの様子を見ると、何も言わずに屋敷の方へ去って行くのである。そして、農具の片づけを、かなみはいつも手伝ってくれていた。
 カズマはその日の片付けの手伝いを断り、一人納屋の前で待ち構えていた。
 いつも通りやってきた劉鳳に、腕を組んだ仁王立ちの姿で高らかに宣言する。

「かなみをてめぇみてぇな奴に渡せるか!!」

 劉鳳に非があるというのではない。だが、彼は貴族で、カズマたちは小作人にすぎないのだ。
 結婚などできるはずがない。
 となれば、かなみは正式な夫婦になることもできず、一生を愛人、妾として、日陰の身として生きていかねばならないのだ。そんなことを、どうして容認できよう。
 好きな人と一緒になって欲しい。貧しくても、幸せだと思える人生をあyんで欲しい。たとえそれがエゴだとしても、保護者としてはそれを望んでしまうのだ。

「何のことだ?」

 高らかに宣言したカズマの様子に、劉鳳は躊躇い気味に近づいていくと、困惑に顔を顰めた。当然の反応だろう。というよりも、カズマの態度は横柄過ぎる。むしろ理由なんてどうでもいい、とされ、さっさと罰せられて殺されても文句の言えないような態度なのだ。
 もちろん、カズマはそのことを自覚していた。
 もしかしたらかなみにまで被害が及ぶかもしれない。こんなことをするくらいなら、何もしないで容認している方がいいのかもしれない。流れに任せた方が、かなみにと。って幸せなのかもしれない。
 けれど、そんな幸せは認められない!!

「しらばっくれてんじゃねぇ!!てめぇがかなみに手ぇ出そうとしてるのはバレバレなんだよ!!いくらてめぇが領主の息子だからってな、かなみに妙な気おこしたらただじゃすまさねぇからな!!いっつもいっつもかなみのこと変な目で見にきやがって…」
「なにを云っている?―――違う…俺は、俺が見ていたのは、好きなのは……」

 カズマの言葉をさえぎり、劉鳳は言葉をつむいだ。
 カズマは顔を顰めてそんな劉鳳の様子を窺う。明り取りの窓から差し込む月明かりに、その瞳が琥珀にきらめいた。

「俺は、お前が…カズマ、お前を、見ていたんだ」

 劉鳳は顔をあげ、まっすぐにカズマに向き直って告げた。










----+ こめんと +-------------------------------------------------------

 あのね、社会で習ってね、ちょっと大げさにして書きたかったの。随分前から暖めててね、記憶もだんだんあやふやになってくるし、資料は見つからないしね…でもって、こうなったの。イメージとしては、中世から近世のヨーロッパ?
 書いてて恥ずかしい台詞とか多くてにやけるにやける。怖い。私自身が。
 一番書きたいのはこの後。劉鳳にはぜひとも、暗闇の中、藁葺きの上にカズマを押し倒していただきたいのです…が、私に書ききれるかは不明。続くかもしれない、でも多分続かない。
 ご意見ご感想お待ちしております---2003/06/21

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