□ 自慢の息子のその嫁と □
ある日突然、息子が嫁を連れてきました。
彼女の名前は桂華。劉桂華。 彼女には息子が一人いる。その名を劉鳳。気持ちの優しい、いい子だ。根は。 そんな彼がある日突然「嫁」を連れて帰ってきた。「恋人」ではない。「嫁」である。 決定事項として連れてきたその少女を羽交い絞めにし―――なぜか少女は息子の腕から逃れようとがむしゃらに暴れ、さらには桂華夫人はそれまで聞いたこともないような罵詈雑言を絶え間なく口にしていた―――母親である彼女でさえ、かつて見たことがないほどの嬉しそうな満面の笑顔で告げたのだ。 少女の名は「カズマ」というらしい。 呆(ほう)けかけた頭を多少なりとも復活させることもできないまま、彼女がまず思ったのは、「男の子のような名前ね…」という、ものだった。 後に息子から聞いた話では、彼女は壁の向こう―――荒野の生まれであり、一人で生きるために、女性であることを隠していたという。男性の名を名乗っていたのはそのためであり、長くその名を使うことで、彼女の名はそれ以外ではなくなったとのことだった。 たいそう驚いた。 それは桂華夫人のみならず、彼女の夫もまた同じだった。そのことで、彼女はむしろ冷静になれたようだった。 息子の嫁の少女は、何を云っても無駄だと思ったのか、ただ唇を尖らせて不貞腐れたようにしている。なんだか笑みを誘われた。 カズマは16歳で、彼女の息子より一つ年下だということだった。両親は覚えておらず、彼女はそれをカズマに聞いたことを酷く後悔したが、カズマはまったく気にした様子もない。 彼女が謝ると、カズマは何を誤るのかと首をかしげた。本気でそう思っているだろうことが、その表情で伺えた。 カズマはよく食べる。それはもう気持ち良いくらいの食べっぷりだ。食べ方の方はお世辞にも気持ちがいいとはいえないものであるが、それでもカズマは周囲の目など気にしない。少しは気にしてもいいのではないかと思うほど、まったく気にしない。そして、彼女の息子はそんなカズマの様子を嬉しそうに見つめ、時々自分の妻となった少女の口についた食べカスを取ってやる…という、なんとも恥ずかしいことを素面で、親の前でやってくれる。 どちらかといえば人見知りであった…はずである。少なくとも子供の頃は。―――彼女の息子は、いつも幸せそうだった。 ともすれば一人で二人分は軽く食べているかもしれない――しかも肉が一番の好物らしい。幼児期にきちんとした食事を取らなかったためか、その味覚は味の濃いものを好む――カズマは、しかしまったく太らない。 医者からは栄養失調を指摘されたが、それにしても食べすぎだとも指摘された。 そんなカズマはやはりそれを気にしない。そして運動もしない。だが細すぎるくらい痩せていた。 カズマは一日を一人で過ごしている。 初めのうちは息子の部屋(今は息子とその嫁二人の夫婦の部屋)から出てくることがなかった――それでも食事の時間には必ず顔を見せた――が、しばらく日数が過ぎるとこの邸にも慣れたのか、とことこと一人で出歩く姿をよく目撃されるようになった。 そんなある日のことだ。 桂華は趣味でガーデニングを楽しんでいる。その日はよく晴れていて、彼女はいつもと同じように庭園に出た。 そこには彼女の手によって植えられ、育てられた色彩よく豊かな花々が咲き誇っている。その影――花垣を越えた先にある木陰だった――に、銅(あか)茶けた、ふわふわと風に揺れるものをみつけた。 それがなんであるかなど考えなくてもわかる。 彼女の息子の嫁、カズマの髪だった。 彼女はなぜだか自分でも分からなかったが、足音を忍ばせてそろそろと近づいた。あるいは、少女が寝ていると思ったからなのかもしれない。 カズマの姿が見えるようになり、そっとその様子を伺おうとしたときだった。おもむろに、カズマの瞳が開かれる。 それはまるで敵を射ぬくような瞳で、その強い琥珀の瞳に、桂華は思わず歩みを止めた。びくりと体が振るえて硬直したのは、あるいは本能的な恐怖だったのかもしれない。しかし、今までそんなものとであったことのない彼女には、けっきょく最後まで、その正体は分からなかった。 「あれ?ぇっと、劉鳳のお母さん…?」 「あなたの母でもありたいと、私は思っているけれど…」 目をぱちくりと瞬くカズマに、桂華は思わず先ほどカズマに見たあの鋭い視線が幻だったのかと思ってしまう。あまりのギャップに小さな笑みが洩れ、桂華は微笑とともに返した。 彼女の言葉に、カズマは一瞬きょとんとしてから、ほんのりと頬を染めて俯く。照れ隠しのように髪を梳く仕草が、歳よりも幼く見えてかわいらしかった。 優しい笑みが自然と浮かぶのを、桂華は温かな気持ちの中で自覚していた。 「カズマさんもお花は好きなのかしら?」 「あー…いや、花よりも木陰の方が好きかな?つい寝ちまって…」 端的にいえば、カズマは「花」になど興味はない。今まで生きるだけで精一杯であったから、同じ植物なら食べられない花よりも食べられるものの方がずっとありがたいし、目の前に存在していて嬉しい。 そもそも「鑑賞」して楽しむものにはまったく興味がないのだ。価値が分からない。価値を見出せない。 それでも、それをそのまま伝えなかったのは、それはあまりにも恥ずかしいという気がしたからだ。自分が花より食べ物が好きだということを知られるのが恥ずかしいのではない。恥ずかしいのは、照れているからだ。こんなにも温かい好意を寄せられるのは、とても久しぶりだった(劉鳳の好意はもっと強引で、温かいというよりは暑苦しかった)。 「今日はお天気がいいものね。せっかくゆっくりしていたのに、邪魔をしてしまったかしら?」 「いやー…ちょうど良かった。もうそろそろ雨が降ってくるし、どうせ目が覚めただろうから」 カズマが照れているのだということなど、桂華には分かっていた。きっと、このような状況になれていなくて、どうしていいのか分からないのだろう。その様子があまりにもかわいらしくて、だから、彼女は小さな笑みとともに謝罪を口にした。 しかしカズマが返したのは、彼女にしてみればあまりにも意外なものだった。 思わず空を見上げてみる。どこまでも青く透き通った空には太陽が顔を覗かせ、雲の欠片も見えない。 からかわれているのだろうか?気を使ってくれての冗談だろうか。 なんと返していいか分からずに桂華が言葉をつむげずにいると、おもむろにカズマは立ち上がる。 「家ん中に戻ろうぜ」 桂華に顔を向けてそう云った。 メイドたちは口々に云う。それは決して表立ったものではないが、隠せるほどささやかなものでもなかった。 「なんで劉鳳様はあんな子を選んだのかしら。劉鳳様にはぜんぜん合わないわよねぇ」 カズマは普段働かない。動かない。粗野で乱暴で口は悪くて、女性らしいところが何一つない。酷く不器用で、掃除も洗濯もできない(ここではする必要もないのだが)。着るものにも気を使わないし(ちなみに、実はカズマのその日の衣装は劉鳳が決めているのだが、カズマはもっと動きやすいものがいいと、ラフな格好ばかりを選んでしまうのだ)、食べ方も汚い(利き腕である右手が怪我で使えず、左手で食べるからなおさららしい)。 それでも、劉鳳はカズマしか見ないのだ。メイドの中でも、特に歳若い少女たちのものは嫉妬にまみれていた。 その声はカズマ本人にも聞こえているはずだろう。だが、カズマはまったく気にしない。 桂華とカズマが室内に戻り、しばらくしてから空が曇り始めた。次第に雨粒が落ち、それは惑うことなき雨天となった。 桂華は全面がガラス張りになった壁際からそれを見つめ、おもわず口を開けてしまった。雨が降っていることに驚いたのではない。あれほどの晴天から雨天に変わったことに驚愕しているのでもない。 あれほどの晴天で、どうしてこの雨天を予測することができたのか。カズマの言葉が現実になったことに、彼女は呆然としていた。 「カズマさんは…気象を予測することができるの?」 「きしょう?」 「お天気のことよ」 カズマは聞き慣れない単語に眉根を寄せた。 桂華はカズマがその意味を解さなかったのだと気づき、すぐに訂正する。その無学を笑おうなどとは思わない。それは彼女の責任ではないのだ。彼女らに等しく「学」を与えなければならぬのは桂華たちの側であり、それが十分になされていない結果が、カズマだ。 「ああ、天気のことか。―――天気の予測なんて常識だろ。天気がどうなるか前もって分からなけりゃ、遠出にも困るじゃねぇか。服だって乾かないと、着るものがすぐになくなっちまうし。洗うのが二度手間になったら、石鹸とかももったいねぇし…。風が冷たくなったらすぐに対応しねぇと、畑のもん全部枯れちまう」 カズマはなんということはないという様子で答えた。それは至極あたりまえのことで、訊ねるようなことではないのだと、その口調が語っていた。 ああ、そうか。 桂華は思う。 カズマは純粋なのだと。まっすぐなのだと。息子には、それが必要なのだと。 カズマを愛しく思う。娘として、愛しく思う。 「カズマさん…。もしよければ、今度、一緒にお買い物につき合ってくれないかしら」 「買い物?」 「ええ、カズマさんに似合いそうな服があるのよ」 「う〜…劉鳳が着せるみたいなのは嫌だぜ」 「あらあら、あの子はいったいどんな服を選んでいるのかしらね」 カズマは誰に気兼ねすることもない。どこにいても、どれほど自分を取り巻く環境が変わったとしても、カズマ自身は何も変わらない。 誰にも臆さない。流されない。 それが、息子の救いになっているのだと。 桂華の誘いに思わず顔を顰めたカズマに、桂華はくすくすと声を立てて笑った。 カズマはソファに深く体を預けて、唇を尖らせていた。 その日の夕食で。 妙に意気投合している母と妻の様子に、微妙な嫉妬心を抱くこととなった狭量な心の美形は、彼女らの間に何があったかを知る術を持たない。 そして、カズマが平穏無事に夜を過ごせたかどうかを知る術を、彼女は持たなかった。 |
なんだか、仲良くなれそうな予感です。
----+ こめんと +-------------------------------------------------------
勝手に作ったお話です。突然思いついたです。いつものことです。どうも造語が多い気がします。ごめんなさい。家を書くのって苦手です。タイトルにセンスの欠片もないっすしね。 私は書きながら、登場人物を「彼」とか「彼女」とかを使用して、名前で書かないことが多いのですが、それをする度に、これでは誰のことを指しているのか分からない!!(読み返すとほんとに…)と、慌てて名前に書き直すんです。今回は特にそれが激しいです。読みにくいですよね〜。ごめんなさい〜(泣) カズマが初めの内は部屋か出てこなかったのは、(劉鳳のせいで)足腰立たなくて部屋から出てこれなかったからです。なんかまだまだカズマと桂華のお話は書けそうです(^^) ご意見ご感想お待ちしております---2003/10/12 |
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