□ 自慢の息子のその嫁と 2 □
〜暮れ行く年と明ける年〜
嫁と姑二人。
愛しい旦那さま方を、からかいましょうか。
ロスト・グラウンドに雪が降りました。地表が隆起したそこは、本土よりもずっと寒くて。けれど、本土よりもずっと寒々しい姿の人々が、肩を寄せ合って凍えています。 雪の寒さから逃れる家も、冬の厳しさを耐え抜くにたる衣服も持たないたくさんの人々がいて、けれど、それと同じ場所にいながら、暖かく優しいところにいる人々もいるのです。ロスト・グラウンドの開発地帯――市街に暮らす人々が、そうでした。 息子さんが前触れもなく連れて来たお嫁様の名前はカズマ。名字はありません。故に、彼女に家族はいません。一人でした。 一人でした。過去形です。今は、彼女のお婿様と、彼のお父様とお母様が彼女の家族です。 ―――彼女が、それを実感しているかどうかはともかくとして。彼らは、彼女の家族だと、自分達のことを認識しています。 その日は、彼女のお義母様の桂華さんが、息子から嫁を奪い取っての張り切りようでした。 ロスト・グラウンドに雪が降りました。淡々と降り続けるその雪は、ものも言わずに積もります。淋しく、静かに、世界を灰銀色に染め上げていきます。 外では白い息を吐き、手を擦り合わせている老若男女。カズマは暖かな空気に包まれた部屋の内側から、外の景色を眺めていました。 大きなガラス張りの窓は磨き上げられていて、市街の壁の外ではとうていお目にかかれない代物です。カズマはぼんやりと、空を眺めていました。 数歩後ろにはふかふかのクッションと、体を痛めることのないソファー。おっとりとした女性が心配そうな表情でカズマの後姿を眺めています。 「カズマさん。床に座っていては疲れてしまうでしょう?こちらからでも充分外の景色は見られますよ」 控えめな呼びかけは、すでに幾度目でしょうか。カズマはなんの反応も示しません。胡坐をかいて床に直接座り込み、ぼんやりと空を眺めているばかりです。 桂華さんはため息をつきました。彼女の夫と息子は仕事仕事で、まだ帰ってきていません。 明日は新年。今夜中には帰ってこられるとは云っていましたが、あのバカどもではいたところであてになどできません。桂華さんはまたため息をつきました。ここはやはり自分が何とかしないとと、心中静かに炎を燃やすのです。 「ねぇ、カズマさん。またお買い物に付き合ってくれないかしら?」 桂華さんの声に、カズマはようやく振り返りました。 「こんなに寒ィのに、外に行くのか?」 せっかく、こんなに暖かい家があるのに、どうしてわざわざ寒いところへ行くのか。こんなところ、外の世界には一(ひと)箇所だってありはしないのに。 首だけを廻らせて上目遣い。琥珀の瞳が桂華を見つめた。 「明日はお正月でしょう。大晦日だっていうのに仕事に明け暮れている男二人を驚かせるために、ちょっと準備しようかと思って」 桂華夫人はゆるやかに微笑います。カズマは目を瞬(しばたた)きました。 「正月?大晦日?」 「お正月は新年の一番最初の日よ。大晦日は一年の一番最後の日」 桂華夫人はカズマにもわかりやすい言葉を選んで説明します。知らないことがあることは恥ずかしいことではありません。誰だって、何もかもを知っているわけではないのですから。 知らないことを訊ねることのできる純粋さは、尊いものです。知ることに対して、常に前向きなのですから。 「だからなんだってんだ?」 「そうね。だからなんだという程度のことよ。でも、お祭りみたいなものね、きっと。記念日だから、みんなでお祝いするの」 新年と旧年の節目を祝うなどというのは、直線の時間の中で生きている人間だけだろう。常に循環する時間の中にあった時代から、人はその年の一番初めに昇る陽の光を眺めていた。 過ぎた年の穢れを浄化するかのように、それはどうしてだろうか。ひどく神々しく写る。ただ、空気が澄んでいるだけだからかもしれないのに、人はそれに涙を流して感動するのだ。 「遠い昔は、新年がみんなの誕生日だったのですって」 一年に一度の誕生の日。すべてが新しく生まれ変わる日。一年で一番おめでたい日は、一年の一番初めにやってくる。 「みんなで、みんなの幸せを祈って、みんなで、みんなの幸福をお祝いする日なのよ」 祝福の日。 「こんなに寒ィのに…」 カズマは再び窓の外に目をやります。空からは深々と、雪が降り続けていました。 部屋の中にいるような薄着で外に出ては、凍えて、明日の朝には白い吐息さえ吐けなくなるかもしれません。体には血が通わなくなり、熱さえ消えてしまうのです。 そうなるぎりぎりの、綿の薄い擦り切れた服と、ぼろぼろの毛布を体に巻きつけて、じっと、一人で膝を抱えて耐えるのです。夜は眠れません。あんなにも暗くて寒い中で眠ってしまえば、朝の目覚めなど、永遠に訪れないのですから。 「だから、今夜は寝ないんだと思ってた」 短い一時(ひととき)を過ごした集落の大人達が浮かれて話していたのを覚えていた。この日だけは、夜更かしが許されると、子供達が喜んでいた。 「本当は…そうだったのかもしれないわね」 急に冷え込むこの季節。この年も、つい昨日までは冬にしてはまだ暖かくて、過ぎ去りし旧年の記憶の寒さがこないような安心感に綻びながら。この日、突然雪が降り、気温は零度を下回る。 寒くて寝てしまうことが不安だから、危険だから、みんなで朝まで起きていて、誰もが朝を迎えられるように。そして、みんなで無事に寒風を耐えた喜びを、日の出を臨んで涙と共に祝ったのかもしれない。 「カズマさんは…」 桂華夫人は言葉を飲み込みました。もしその問いに肯定の返事を貰ってしまえば、彼女はそれに対する答えを導き出すことがとうていできなかったから。 彼女は、彼女の息子が、どのようにしてこの愛しくも鋭い獣のような姫をこの壁の内側に連れてきたのかを知らないから。 だから、それ以上は聞けない。 本当は、ここではなく、外の世界へいたい? まったく別世界で育ち、まったく異なる価値観を持っていて、それでも桂華にはわかることがある。 だって、あなたは安全な檻の中にいることを幸福だとは思えない、野生の獣。 どんなに辛くとも、自分の足で自由に思うがままに、どこへでも、どこまでも走ることを好む獣。 どんなに固い岩壁も、その爪と牙を研ぎ澄ませて挑む獣。 だから、これ以上の言葉は紡げない。 「かいもの」 桂華夫人が言葉を詰まらせて、それ以降の台詞を紡げずにいて、このまま母子の会話も終了してしまうかと思われたときでした。ぽつりと呟かれたのはカズマの口から。 「え?」 桂華夫人は思わず聞き返します。僅かに腰を浮かせてカズマの後姿を凝視していると、また首だけを廻らせてカズマは夫人を見上げてきました。 琥珀色の瞳が、裏表のない子供のような無垢さで見つめてきます。期待も何もなく、ただ、ぼんやりと。まっすぐに。 「かいもの、行くんだろ?」 そして、同じ台詞を繰り返し。 また、窓の外へと視線を向けました。 「ええ。すぐに用意をするから、待っていてね」 桂華夫人は微笑みました。カズマは今度は振り向かず、ただ「ん」と一言の返事。 けれど、桂華夫人にはそれで充分でしたので、彼女は嫁との買い物へいざ繰り出す準備のために、その場を後にしました。 あまり待たせては、気まぐれな子供そのままのかわいいお嫁さまは、すぐに飽きてしまうでしょうから。 「「あけましておめでとうございます、旦那さま」」 夜も更けた頃。 仕事から帰り着いた父と息子。 暖かな居間への扉を開けたそこ。 嫁と姑。 振袖姿が艶(あで)やかで。 三つ指つけてご挨拶。 二人のバカが目を剥いて。 麗しき美女二人。 成功した悪戯にころころと鈴音(すずね)の微笑の姑と。 抱きつこうと突進してくる旦那さまを殴り倒す嫁と。 こうして劉家の新年は家族揃って迎えられたのでした。 |
家族が揃って笑いがあれば、
それ以上の祝福の理由が必要でしょうか。
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タイトル浮かばなかったので…2。続きものでもないのに「2」って何さ(呆れ)。本当に突然思いついたんです。これぞ突発。31日の夜に思いついて一気に書き上げてます。つーか間に合うのかな?思い浮かんだ時点で31日あと3時間じゃん…。 本当はただのギャグだったのに。思いついたのはただのギャグだったのに…。どうして書き出しが微妙シリアス?ねぇ、なんで?ああ、もういいや。約半年ぶりのスクライド小説〜。新年一発目は裏!(泣)。 本当に書きたかったのは最後の振袖姿のカズマと、それに眼の色変えて突っ込んでいく劉鳳さんです。それだけのために書き始めたお話です(にもかかわらずそこが尻切れ…←最低ですな)。 桂華さんはこれだけのために新しい最高級の着物をぽんっと購入。スゲッ! ご意見ご感想お待ちしております---(c)ゆうひ_2004/12/31〜2005/01/01 |
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