星が煌くなかで

 
 満天の星のもと。
 煌く夜の花の宴。
 淡い光に包まれて。
 
「夜光宴?」
 紫苑はきょとんとして訊いた。
 邪馬台国から少し離れたところにある草原で寝ていた紫苑は、そこにやって来た壱与に起こされ、今夜出かけるので護衛として付いて来て欲しいという旨を伝えられた。
 出かけ先は邪馬台連合加盟国の一つである「夜清(やしょう)国」。
 そこで今晩行われる「夜光宴」に邪馬台国代表として出席しなければならないということだった。
「邪馬台連合のほとんどの国の国王とかが呼ばれててね、他にも、ヤマジ隊長とレンザ君も護衛に来てくれる事になってるの」
 壱与は楽しそうに言った。
「毎年行われてるお祭りで、去年も出席したんだけど本当に楽しいのよ」
 だから是非紫苑にも来て欲しいのだと。
 そう言う壱与に、紫苑は了解の意を示した。
 祭りが楽しいかどうかは別にして、自分は壱与の護衛なのだから頼まれなくても付いていく。
 そう、笑ってみせた。
 
「壱与さま。ようこそおいでに」
 そう言って迎えに来たのは、がっしりとした体格の男だった。
「埜雅(やが)殿。この度はお招きありがとうございます」
 壱与が言った。
 埜雅とは壱与たちを出迎えた男の名だ。現夜清国王である。
「いえいえ。それはこちらの台詞です。お忙しい中、わざわざ…」
「そんな事ありませんよ、埜雅殿。毎年楽しみにしているんですから」
「そう言っていただけると光栄です。ところで、そちらの方々は?ヤマジ殿は見知っておりますが…」
 埜雅は壱与の後方に控えていた紫苑とレンザの事を訊ねた。
 壱与が二人を紹介する。
「こちらの二人は、私の護衛を勤めてくれている者です。彼がレンザ君で、こっちが――」
「――紫苑さま?!」
「えっ?」
 紫苑を紹介しようとした壱与の言葉を遮って、驚愕の声をあげた埜雅の台詞に、壱与たちは訳が分からず言葉を無くし目を丸くした。
 何故紫苑の事を知っている?
 埜雅はそんな壱与たちの表情にはお構いなしに、嬉しそうな、懐かしそうな…なんとも言えない表情で紫苑に詰め寄る。
「紫苑さま、お忘れですか?昔――月代国が滅ぼされる前――に、よくそちらの宴に呼んで頂いた埜雅です――」
 埜雅は躊躇いながらも言った。
 その埜雅の言葉に、紫苑はうずめてしまっていた古い記憶を呼び起こす。
 それは懐かしい記憶。
 あたたかな思い出。
「埜雅…殿…?」
「そうです。思い出していただけましたか!」
 驚いたように言う紫苑に、埜雅は心底嬉しそうに顔を綻ばせた。
「月代国が陰陽連に滅ばされたと聞き、ずっと心を痛めていたのです。まさかこのような形で紫苑さまにお会いできるとは…」
「俺もだ、埜雅殿。すぐには気がつけずに申し訳無かった」
 紫苑の謝罪に、埜雅は慌てたように手を振った。
「とんでもございません。さぞかしご苦労されたのでしょう…あのような目に会われたのですから、気になさる事はありません。このようにしてお会いできたのも何かの縁。今宵は、どうぞお楽しみになっていってください」
「ああ。すまない」
「え…っと。説明してもらってもいいかしら…?」
 紫苑と埜雅。
 二人だけで勝手に進められていた話が一区切りついたらしい所を見計らって、壱与が遠慮がちに声をかけた。
「ああ。これは申し訳ありませんでした、壱与さま」
 壱与の問いかけに答えたのは埜雅だった。
「実は、この夜清国と月代国は共に月を奉る国でしてね。遥か古から付き合いがあったのですよ」
「えっ!そうだったの?!」
 壱与は今度は紫苑に向けて訊ねた。
 他の二人もそうだが、その表情は驚きを隠せずにいる。
「ああ…忘れてたけど、この夜光宴にも来た事がある」
「へぇ〜、全然知らなかった」
「我が国が邪馬台連合に加盟したのは、月代国が滅ぼされた後でしたから…」
 埜雅のその言葉に場が沈黙する。
 宴の始まる華やかな音が、やけに遠くに感じられた。
 誰もが、どうすればこの沈黙を破れるのかと考えあぐね――。
「し、紫苑さま」
 行動を起こしたのは埜雅だった。
 なんだ?
 と、言葉には出さないが表情で話の続きを促がす。
 皆が埜雅に注目する。
「今回は私の娘の鈴李(れいり)が神崇(しんそう)の舞を、舞うのですが…どうでしょうか。紫苑さまにもぜひ――」
「えっ?」
 思いもかけない埜雅の言葉に、紫苑は一瞬何を言われたのかが分からなかった。
 神崇の舞というのは、夜光宴の最も重要なものだった。
 月を崇め、月に感謝と、これからも変わらぬ畏敬の意を伝えるために舞われるものだ。
 紫苑も幼い頃に何度か舞った事がある。
「紫苑くん。それいいよ!!私、紫苑くんが踊るの見てみたい!ねぇ、皆も思うでしょ?!」
 壱与は勢いよく振り返り、レンザとヤマジに同意を求める。
 二人も笑いながらその言葉に同意した。
「そうだなぁ…。まぁ、見てみたいっちゃぁ見てみてぇよな」
「でもこいつがそんなの踊るなんて想像できないよなぁ」
「ね?紫苑くん。せっかくだからさ、気ばらしにやってみたらどうかな?」
「…」
 紫苑が答えずにいると、
「父上〜」
 鈴のように透るかわいらしい声が聞こえてきた。
「鈴李」
 埜雅が呼ぶ。
 紫苑たちの元にやって来たのは、埜雅の娘――夜清国皇女――鈴李だった。
 長く美しい髪に、愛くるしい瞳。歳は紫苑と同じくらいだろう。
 パタパタと、小さく華奢そうに見える身体を必死で動かすようにして、こちらに走り寄ってくる。
「どうした?鈴李」
 埜雅が訊くと、鈴李は走ってきたために乱れた息を整え言った。
「どうしたのか?では、ありませんよ、父上。もう皆さんお揃いなのに、いつまで経ってもお席に来ないから、探しに来たんです」
「あっ!いっけな〜い。すっかりここで話しこんじゃって、忘れてたわ」
 鈴李の言葉に、壱与が声をあげた。
 埜雅も慌てたようにして、壱与たちを宴の席に案内しようとする。
 と。
「紫苑さま…?」
 鈴李が紫苑に気が付いて呟いた。
「ああ。久しぶりだな、鈴李」
 紫苑も懐かしそうに軽く挨拶をかわす。
「あれ?紫苑くん、鈴李さんとも顔馴染だったの?」
「壱与さま…紫苑さまをお知りで?」
「ええ、紫苑くんには今私の護衛をやってもらっているの」
 鈴李の疑問に、壱与は簡潔に答えた。
「ねぇ、紫苑くん。知り合いなんだったら尚更いいじゃない。ね?」
「でもなぁ…」
「あの…何がですか?」
 嬉々として進める壱与と、尚渋る紫苑。
 二人の会話の意味がわからず、鈴李は控えめに尋ねた。
「あのね、埜雅殿からの提案なんだけど――」
 壱与は先ほどの埜雅の台詞を鈴李に話してみせた。
 すると、
「本当ですか?紫苑さま、ぜひ私からもお願いします。紫苑さまが一緒に舞ってくださるのなら、私も心強いですし」
「紫苑くん。鈴李さんもこう言ってるんだから。ね?」
「そうだぜ紫苑。壱与さんがここまで進めるんだから、やってやれよ」
「私からもお願いします…紫苑さま」
「いいじゃねぇか、紫苑」
「いや…でも…」
「なんで?何か理由でもあるの?」
「いや…特にないけど…」
「じゃぁいいじゃない!ね!」
「――分かったよ…」
 皆(特に壱与)の進めに押し切られ、紫苑は溜息と共に了解したのだった。
 
 紫苑が神崇の舞を舞うことを承諾してから小一時間が経った。
 壱与、レンザ、ヤマジ、埜雅らは、他の国王達と共に一段上げられた物見台の上から、祭りを楽しんでいた。
 レンザなどは護衛の任をすっかり忘れて酒を飲み、もはや出来上がってしまっている。実に楽しそうに騒ぐその姿は、端から見たら恥ずかしいかぎりだが、廻りもほろ酔い気分に浸っているので、気にする者も咎める者もいない。むしろ共に騒ぎ出す者さえいた。
 壱与は自分の前に並べられた彩取り取りの食材と、ほんの少しお酒も摘まみながら、楽しそうにその様子を眺めていた。
 と、そこへ。
「お楽しみいただけておりますかな…壱与さま」
 埜雅がやってきた。
 壱与が楽しんでいる事と、宴に招待してくれた事に例を言うと、埜雅は「それは良かった」と言って微笑った。
「一つ…訊いてもよろしいかな?」
 暫く共に祭りを楽しんで。ふと埜雅が訊ねてきた。
「なんですか?埜雅殿」
「…紫苑さまは、いつから邪馬台国に…?」
「…」
 壱与は黙した。
 埜雅は邪馬台国に紫苑がいなかったことを知っている。
 彼が本当に訊ねているのは、紫苑が邪馬台国に来る前、どこで何をしていたかだ。
「最近です。1年も経っていません」
 壱与は、言外に隠された疑問には振れずに答えた。
 埜雅もその壱与の答えで大体の事を察した。
 ただ、「そうですか…」とだけ言うと、空になった壱与の碗に酒をそそぐ。
「今度は、私が訊いてもいいですか?」
 埜雅にそそいでもらった酒を一口付け、今度は壱与が訊ねた。
「なんですかな?」
「…何故、紫苑くんに舞を?」
 滅んだ月代国を思い出させるその行為は、紫苑にとって辛いだけなのではないのか?
 もはや帰らぬ時の面影をみせることは、彼を苦しめる事にはならないのか。
「…」
 暫く黙って己の碗にそそがれた酒を見つめ。
「そう言う壱与さまは…何故ですかな?」
 埜雅が口を開いた。
「私は…」
 壱与は少し視線をさまよわせてから。
「…彼に、元気になって欲しかったから…――」
「私も似たようなものです」
 壱与の答えに、埜雅も静かに言った。
 
 これは紫苑は気づいていない事。
 寂しそうな瞳。
 力のない声。
 悲しそうな表情。
 
「きっと、紫苑くんはいつも通りでいたと思ってるんですどね」
 壱与は、軽く苦笑しながら肩をすくめてみせた。
「ハハ。昔から、彼はそういう所がありましたからね」
 埜雅も軽く笑う。
 
 いつも一人で背負い込んで。
 誰にも弱みを見せないように…。
 小さな手を握り締めて。
 唇を噛んで涙をこらえる。
 けれど。
 絶対に瞳は逸らさなくて。
 
「たまには、力になりたいんです」
「分かります」
 
 いつも一人で背負い込んで。
 誰にも弱みを見せないで。
 苦しいのに。
 辛いのに。
 他人の事ばかり気にするあなた。
 たまには。
 守られる側から、守る側に――。
 
「ところで…」
 壱与が口を開きかけた時、周囲から歓声が上がった。
 見ると、そこにはきれいに着飾った二人の少女。
 一人は黒髪の鈴李。
 そしてもう一人は――
「…紫苑…くん?!」
 ――銀髪の紫苑。
 壱与は思わず声を上げ見を乗り出した。
 そこにいる紫苑は、髪を下ろし、うっすらと化粧が施されている。
 流れ出した演奏に合わせて、二人の舞が始まる。
 強く。しなやかに。
 流れる流水ように舞う二人の姿に、誰もが見とれた。
 普段、紫苑は黒い服に赤いマントを羽織っている。
 だが、今の紫苑が着ているのは月明かりに淡く発光する乳白色のドレス。
 裾の長いそれは、紫苑が舞う度に、風に揺れるようになびいた。
 淡く優しい月の光。
 紫苑の銀の髪が、まるで光を発しているように光の帯を残して揺れる。
 ガラスのような紫の瞳が、いつもより美しく見えた。
「紫苑様方の瞳は、月の光に最も良く映えます」
 埜雅が言った。
「そうですね…」
 壱与も呟く。
 
 淡い白。
 最も、夜に映える色。
 その中に見え隠れする蒼紫(そうし)の光。
 それは、まるで蛍の光のよう。
 闇夜に浮かぶ月の上を横切る蒼紫色の蛍。
 例えるなら、それはそんな感じ。
 
 皆寝ていた。
 騒ぎ疲れて寝ていた。
 夜はどこまでも静かに過ぎていく。
 紫苑は夜清国の近くにある高い木の上で夜空を見つめていた。
 今宵は満月。
 星が満天に輝いている。
「紫苑くーん?」
「?」
 自分を呼ぶ声に、紫苑は下を覗いた。
 そこにいたのは――。
「壱与…?」
 紫苑は驚きを隠せないまま、慌てて木から飛び降りる。
「いったいどうしたんだ?」
 てっきり、他の皆と同じように寝ていると思っていた。
「うん…あのね。紫苑くんに、謝ろうと思って…」
「謝る?」
 紫苑はわけが分からず問い返した。
 いったい何を謝るというのか。
 紫苑の言わんとしている事を理解したのだろう。
 壱与が口を開いた。
「舞いのこと…。なんか、無理やりやらせちゃったかなって…思って」
 本当は嫌だったのではないのか。とは言外に。
 いつもの元気さとは裏腹なその様子に、紫苑は心の中で反省した。
(みんなに気を使わせてるな…)
 いつだって、彼らは自分の事を気にかけてくれているのに、自分はそれに気づけない。
 今回もそう。
 別に舞を舞うことが嫌だったわけじゃない。
 ただ――
「別に無理をしたわけじゃない。気にするな」
 紫苑はいつもの、どこか素っ気のない物の言い方で言った。
「紫苑くん。はっきり言ってくれていいんだよ。言わないと、分からない事だってあるんだから…」
 仲間なんだから。
 分かり合いたいから。
 言って欲しい。
「本当に嫌なわけじゃなかったんだ。ただ…」
「ただ?」
「……化粧が嫌だっただけだ」
「…」
 照れたように顔を逸らして小声で言った紫苑に、壱与は思わず言葉を無くしてしまう。
「―――…プッ」
「?」
「アハハハ…ハハ――」
 暫くの沈黙の後に、突然壱与が笑い出した。
 お腹を抱えて、目に涙まで浮かべている。
「なっ…!」
「アハハ、おかし〜い。それで躊躇ってたの?」
「だって、仕方ないだろ?あれ、はっきり言ってすげー苦しいんだからな」
 頬を赤く染めながら、ぶっきらぼうに反論する紫苑が何か歳相応に――もしかすると実年齢よりも幼く――見え、それが普段とのギャップをうみ。
 笑が止まらない。
 暫く二人で笑い合って。
「ねェ、紫苑くん」
「なんだ?」
「あのさ、月って、真っ暗な夜の世界に、たくさんの星にかこまれて存在してるじゃない?」
「おい、壱与…?」
 いきなり訳の分からない事を話し出した壱与に、紫苑は疑問符を浮かべる。
 だが、壱与はそんな紫苑の疑問を無視して、そのまま話を進めた。
「月って、どんな姿になっても…たとえ新月になって見えなくなっても、廻りにはかならず誰かがいるのよ。だから…」
「壱与」
「…」
「ありがとう…」
 紫苑は微笑って一言。
 ただそれだけを言った。
 
 一人じゃない。
 廻りには誰かがいるから。
 一人にならないで。
 一人にしないから。
 
「紫苑さま…」
「なんだ。鈴李殿?」
「どうして、舞ってくれるんですか?」
 舞を踊る前。
 鈴李は紫苑に訊ねた。
 月代国のことを思い出す事は、辛い事のはずなのに…。
「じゃぁ…なんで頼んだんだ?」
 そう言った紫苑の表情は、優しく笑っていた。
 
 思い出した過去は、切ないほどに優しかった。
 過去からつながる今は、優しいほどに切ない。
 
「…」
「…分かったからな」
 何も言わずに黙り込んだ鈴李に、紫苑は唐突に言った。
「え…?」
「お前たちの気遣い」
 いつだって気にかけてくれる人。
 いつも側にいてくれる。
 それだけが、何よりも優しい。
 
 未来につながる今は、どこまでも暖かいから。
 
「壱与…」
「何?紫苑くん」
「ありがとう――…」
 
 何度でも。
 何度でも。
 どれだけ言っても、言いたりないんだ。
 
 夜空には。
 星が、煌いていた。
 満月の夜。
 昔と変わらず。
 月の回りには星々が輝いているから。
 
 ありがとう。
 
 何度でも、言わせて――。
 
END
 
真闇さまへの100HITリク小説
リクエストは「邪馬台幻想記小説/自分の国を思い出して切なくなる紫苑を慰めようとイロイロする邪馬台国の皆さん(壱与達)」でした。
読んだ方ならすぐに分かります。
リクエストにちっとも応えられていないことに。
無駄に長い文になってしまいました。
うう。
せっかく初リクしていただいたのに申し訳ありませんでした。
もっと精進します。

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