おかあさんのひ
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「紫苑くん! 紅真くん!!」 紫苑くんと紅真くんが二人で仲良くボール遊びをしているときでした。いつもに増して元気いっぱいな女の子の声が響き、二人にとってはあまりにも聞き覚えのあるそれに、二者二様の表情で振り返ります。 紫苑君はきょとんと、その大きくてくりくりとした藤色の瞳を見開いた表情で小首を傾げて。 紅真君は眉根を寄せて口を山形にした渋面を作って。 「壱与…」 紅真君の苦々しげな声は、紫苑君と壱与ちゃんには聞こえなかったようでした。 三人は幼馴染で、壱与ちゃんは紫苑君と紅真君よりも一つ年上のお姉さんです。ちょっとおませで行動的な彼女は、いつも元気いっぱいに紫苑君と紅真君を自分の考えた素敵なプランに誘い出します。 紫苑君は小首を傾げながら。紅真君は苦虫を噛み潰しながら――紫苑君が紅真君よりも壱与ちゃんの行動につくことを優先させる傾向があるため――それに付き従うのが常でした。 「二人とも、こんなところで遊んでる暇なんてないんだからね!!」 びしっと人差し指で二人を指して、胸を反らして声も高らかに言いました。 晴天の公園に、こうして今日もまた、新しい思い出が刻まれていくのでした。 「今日は母の日なのよ」 「『ははのひ』?」 得意そうに解説する壱与ちゃんは、一つ年下の二人に先駆けて今年から幼稚園に通っていました。 壱与ちゃんが幼稚園に通うようになったことで、紫苑君と二人きり、静かに穏やかに過ごせることになったことがうれしいと思う反面、壱与ちゃんの物知り講座度が増したことに、紅真君はいつもいつも苦虫を噛み潰しています。 それでも紫苑君の隣から離れないあたり、彼の並々ならぬ集中力と辛抱強さが伺えます。 そんな紅真君にいっさい気づかない壱与ちゃんと紫苑君の鈍感振りに、この二人の未来はいかがなものかと多少の不安は残るものの、それはまだ先のお話です。 さて、今日の壱与ちゃんは『母の日』という素敵な行事を仕入れてきたようです。そして、根はとても心の優しい壱与ちゃんは、『素敵なこと』を独り占めにするようなことは決してできません。 大好きな幼馴染の弟分二人にもお裾分けです。 「そうよ。お母さんにかんしゃする日なのよ」 「かんしゃする?」 「そう! いつもありがとうって、カーネーションを贈るの!!」 嬉しそうに語る壱与ちゃんに、紅真君が反論しました。 「かーねーしょんってなんだよ! そんなの知らないぞ!!」 「もうっ。紅真くんはどうしてそうやってすぐに大きな声を出すの?! ちゃんとせつめいするんだから待っててよね!」 「大きなこえ出してるのはおまえのほうだろ!!」 「なんですってぇ〜!」 ぎゃんぎゃんと言い合う二人はどんどんと話を脱線させていきます。 紫苑君はぼんやりとそんな二人のやり取りを見ていましたが、いい加減飽きたようです。とりあえず仲裁に入ることにしました。 「それで、壱与ちゃん。そのかーねーしょんってなんなんだ?」 「あ、そうそう。カーネーションっていうのはね、お花のことなのよ」 「花ぁ〜?」 「なあに、紅真くん。そのいやそうな声。――まあ、二人とも男の子だから、あんまりお花には詳しくないかもしれないけどね」 「どうしてははのひにはかーねーしょんなんだ? うちの母上は、庭でたくさんお花をそだててるけど、かーねーしょんはないから、ほかの方がすきだと思うけど」 「うっ…。そ、それはよくわかんないけど……」 「なんだ、壱与。知ったかぶりかよ!」 「う、うるさいわね! いいの!! 母の日にはカーネーションを贈るって、昔から決まってるんだから!!」 紅真君が言い、壱与ちゃんは勢いでそれをねじ伏せます。そして紫苑君はあるときはぼんやりと疑問を浮かべ。あるときは何も考えずに眺め。あるときはいつもの二人の様子に内心でため息をつくのでした。 「と、ともかく! 今日は母の日で、お母さんにカーネーションを贈る日なんだからね!」 「でも壱与ちゃん。かーねーしょんなんて、この辺には咲いてないんでしょ? 見たこともないもん。どうやってつむの?」 「そうだぞ、壱与! どうすんだよ!!」 当然まだ幼い三人ではお花屋さんで手に入れることなどできるはずもありません。とはいえ、さすがにお母さんにおねだりして買ってもらうものではないことくらいは、なんとなくではありますが理解してるのでした。 「そう! それよ!!」 どれだよ。 紅真君と紫苑君の二人は内心で揃って突っ込みを入れましたが、壱与ちゃんにはもちろん聞こえませんでした。 そんな壱与ちゃんは漸く本題に入れたとばかり。嬉しそうに話を続けます。 「えへへ〜。今日はようちえんでおりがみをならったの。カーネーションの作り方よ。絵でもいいけど、おりがみといっしょのほうがずっときれいなんだから」 「じゃあ、壱与ちゃんはもうお母さんにそれをあげたの?」 「ううん。まだよ。絵もかいて、カーネーションもようちえんで作ったけど、二人にもおしえてあげようと思ってたから、まっすぐこっちにきたの」 にこにこ笑顔の壱与ちゃんから逃れるすべはありません。 こうして、紫苑君と紅真君は壱与ちゃんの折り紙講座に強制的に参加することになったのでした。 「へたくそ〜」 「な、なによ!! ちょっとずれちゃっただけだもん!」 壱与ちゃんの作った折り紙のカーネーションの出来栄えに、自分の方がきれいにできてると紅真君がからかいます。 それに一生懸命反論する壱与ちゃんですが、たしかに紅真君の作ったカーネーションに比べて、壱与ちゃんの作ったものの方がところどころずれて、色のない裏側が覗いてしまっていたり、余計な皺が目立ちました。 それに目をつけた紅真君。得意満面になって紫苑君にも同意を求めようと顔を向けました。 「な、紫苑。壱与のやつが作ったの、すっげぇ、へただよなぁ!」 「……」 しかし紫苑君は答えません。いつもならすぐに紅真君に向ける顔をあげることもせず、じっと俯いたまま微動だにしないのです。 さすがにいぶかしく思い、紅真君は眉間を寄せて紫苑君を覗き込みました。 そこには折り紙のカーネーション。もちろん紫苑君が作ったものです。 壱与ちゃんのよりもずっとくしゃくしゃになった赤い折り紙で折られたカーネーションをぎゅっと握り締め、紫苑君は俯いていました。 「……うまくできない」 「し、紫苑?」 「ぐちゃぐちゃで…、これじゃ、ははうえ、よろこんで、くれない…っ」 「し、紫苑?!」 胸がいっぱいになって涙になって溢れてしまったのでしょう。紫苑君は喉を詰まらせながら、どうしてもきれいに折ることのできない折り紙をぎゅっと握り締めます。 一生懸命にやっているのにどうしても上手くいかなくて。せっかくお母さんに喜んでもらおうとがんばっているのに結果が伴ってくれなくて。 もうどうすればいいのかわからなくて、悲しくて。 ただもう涙があふれるのを止められませんでした。 そんな様子の紫苑君を前に、紅真君はどうしていいのかわからずにおろおろするばかりです。 その窮地を救ったのは、しばらく黙っていた壱与ちゃんでした。 「泣かないの! 紫苑くん!!」 「壱与ちゃん…」 「だいじょうぶよ!! わたしもあんまり上手くできないけど、ようちえんのせんせいがいってたもの! いっしょうけんめい作れば、お母さんはかならずよろこんでくれるって!!」 「……ほんとうに?」 「もちろんよ! ね、紅真君?」 「お、おう!!」 突然壱与ちゃんに同意を求められた紅真君は、あわてながらも力強く紫苑君に言いました。 二人の言葉に後押しされて漸く安心できたのでしょうか。 励まされて、紫苑君の涙が漸く止まります。 それからふわりと花のような愛らしい微笑を浮かべて言いました。 「…ありがとう」 こうして、三人はそれぞれのおうちに戻っていきました。 その日の夜。 それぞれが手作りのカーネーションをお母さんにプレゼントして、たくさんのありがとうと、とびきりの笑顔をそれぞれが受け取ったことは、語らなくてもわかることです。 ふんわりとあたたくなった心は、まだ小さな三人のこれからの人生にとって、きっと、たいせつな何かをもたらすのでしょう。 |
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こめんと |
母の日に赤いカーネーションを贈りました。随分と喜んでくれてよかったよかったと思いつつ。 壱与や紫苑はさりげなく手先が不器用そうな気がします。逆に紅真はこういう手先の細かい作業が地味〜に得意そう。そもそもこの現代版は『行事もの』を扱いたくてはじめたものでした。学園版も同様。うちのサイトの扱っている作品て行事ものが難しいので。 ちなみに最近、学園版が少ないのは管理人が学生から遠ざかって久しく、書くのが難しいと感じているからです(笑)。 今回は子供版の中でも特に低年齢時のお話なので、三人ともそれぞれのことを「ちゃん」付けで呼ばせようかと散々迷いました。結局いつも通りになりましたが。小さい頃って男の子も女の子もみんな「〜ちゃん」って呼び合ってませんか?(^o^) 疲れがたまっていて書き始めるまでにかなりの時間を要しましたが、書き上げるのはさらさらっといけた作品です。きちんと話を考えてから書き始めると、迷うことなくさらさらと書けるから気持ちがいいですね。完成も早いですし。 ご意見ご感想お待ちしております_(c)ゆうひ_2006/05/08・13 |
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