微笑む君が

 
「お姉ちゃん達…誰?」
 それが、目覚めた彼の第一声だった。
 
 それは先日の事だった。
 邪馬台国の女王壱与を狙って、陰陽連の刺客が来たのだ。
 刺客の人数は五人。どれも大して強くはないが、決して弱いということもなかった。
 それでも、大して苦戦もせずに片付けることができ。紫苑はいぶかしんだが、壱与達(特にレンザなど)は自分達が強いのだ。ということで納得して、あまり気にしようとはしなかった。
 が。紫苑の不安は当たった。
 姿を現した五人の刺客は罠で、もう一人の刺客がいたのだ。
 壱与達が刺客を倒したと油断した所で、壱与を狙ってある方術を仕掛けてきた。
「壱与!危ない!!」
 逸早くその気配に気が付いた紫苑が壱与をかばい、壱与の代わりにその身に術を受けた。
 倒れた紫苑を、慌てて壱与が支えようとする。
「くそっ!失敗か」
 壱与へ術を仕掛けるのを失敗したあげく、その姿を見つけられては逃げるしかない。
 刺客は一目散にその身をひるがえし、この場から離れようと駆け出した。
「逃がすか!!」
 倒れた紫苑に代わり、ヤマジ達がその跡を追う。
 術に失敗し逃げようとした刺客は、難なく捕らえる事に成功。
 しかし…。
 術の為だろう。紫苑は意識を失い、呼びかけても一向に目覚めぬまま眠り続けてしまったのだった。
 捕まえた刺客から聞き出した術の名前は「記覆霞(きおうがすみ)」。
 術者の気によって、相手の記憶を覆い隠し、記憶喪失にするというものだった。
 いかに捕らえられたといえど、さすがは陰陽連の刺客。
 それ以上の情報は聞き出す事が出来ず逃げられ…壱与達はただ、無事に紫苑が目覚めるのを信じて待つ事しか出来ないでいたのだった。
 紫苑が目覚めたのは、術にかけられ意識を失ってから半日経った頃のことだった。もう日付は変わってしまっている。
 ゆっくりと目を開けていく彼に、寝ずに付き添っていた人々(主に壱与、レンザ、ヤマジ、ナシメなど)は、思わず紫苑の顔を覗きこんで、その完全な覚醒を待った。
「紫苑くん!大丈夫?!」
 壱与が声を上げ、その身を乗り出す。
 紫苑はまだ意識がはっきりしていないのだろう…ぼんやりとした目で声の方向――壱与へと視線をずらすと。
「お姉ちゃん達…誰?」
 言ったのだった。
 
 目覚めた紫苑からの話を聞くところによると、どうやら彼の記憶は五、六年前――まだ彼は七、八歳で月代国も健在である頃――にまで遡ってしまっているらしかった。
 壱与達は、何故自分が見知らぬ地にいるのかを訊ねる紫苑に、ここは邪馬台国であり、森で倒れていた紫苑を見つけた自分達が保護してここに連れてきたのだと伝えた。
 どうやら紫苑はよく森に行くことがあったらしく、すんなりそれを受け入れた。
 もしかしたら、以前にもそういう事があったのかもしれない。
 しかしそんなことよりも何よりも、父である蒼志から聞かされていた邪馬台国の旗印とその地形が符合したためというのが、壱与達の言い訳を受け入れた最大の要因であるらしかった。
「それは大変ご迷惑をおかけしました。後のことは自分でどうにか出来ますので、国に戻ってから、改めてお礼に伺います」
 紫苑が言うと、壱与達はとてつもなく慌てた。
 何せ、月代国はもうどこにもないのである。今の彼の記憶に在る月代国の地には、焼き滅ぼされたその名残が未だ風化せず残っているだけだ。たださえ記憶喪失などという事態に陥っている彼がその惨状を目の当たりにしたら…。
 壱与達が必死で紫苑を止めようと思案していると、ナシメが助け舟を出した。
「紫苑殿。あなた様の事は、先ほど月代国王の方に使者をお出ししてお伝え致しました。今からでは、使者の届けた知らせを受けて対処する月代国側の行動と入れ違いになってしまいます。もう暫く、こちらに止(とど)まれてはいかがでしょうか」
「そ、そうよ。それがいいわ。ぜひ、そうして!」
 ナシメの提案に、ここぞとばかりに壱与達も紫苑を説得する。
「しかし、こちらのご迷惑になるのでは…」
 紫苑が言うと、壱与達は揃って「そんなことはない!」と言い、そのあまりに揃った様子に些か気圧され気味になりながらも、紫苑は。
「そ、それでは、お世話になります。あの、よろしくお願いしますね」
 そう言ってにっこりと微笑んだ。
 紫苑の100パーセント純粋笑顔炸裂。
(うわッ…めちゃくちゃ可愛い!!)
 その場にいた誰もがその笑顔にノックアウト(笑)されたのだった。
 
 それから数日が経ち…紫苑は未だ邪馬台国にいた。
 壱与達は協議の結果、邪馬台国と月代国の友好関係を築く為に、月代国が紫苑を使者(親善大使のようなもの)として暫く邪馬台国に滞在させるという旨の手紙をよこしたことにしたのだった。
 紫苑はそれを受け入れ、今に至っているというわけだ。
 記憶を失った紫苑は、邪馬台国において絶大な人気を獲得した。
 元々並外れた美しい顔立ちをしている紫苑は、老若男女問わず密かな人気があったのだ。
 だが、何時もどこか物憂げな彼は近寄りがたく…。それが表立つ事はなかった。
 幼い頃に戻った紫苑。
 それは今の彼からは想像も出来ぬほどに素直で純粋な少年であった。
 いったい陰陽連時代の彼に何があったのか。
 それまで多少なりとも想像できたであろう苦難の数々では、どうしようとも納得できないほどの素直さぶりだった。
 はっきり言って、ものすごく可愛いのだ。
 呼べばにっこりスマイルで返事を返し、話をしてやれば、真っ直ぐと真剣な様子で素直に聞き入ってくる。
 にっこりと照れたように微笑する紫苑など、今では転地がひっくり返っても見られないであろう。
 誰もが、彼に微笑んで欲しくて声をかけては、その微笑に魂を抜かれ、骨抜き(?)にされるのだった。
 しかし何時までもこのままという訳にはいかない。何とかして紫苑に記憶を取り戻してもらわなければならない(実際はこのままでいて欲しいのだが)壱与達は、紫苑に「記覆霞」に付いて聞くことにした。
 紫苑曰く。
 「記覆霞」の術は、方術としては未完成なものであるということだった。方術を扱う者同士の対立の場合では、相手は簡単に自分の気でそれを防御できてしまえる為に、その成功率は極めて低い。そのため、方術を扱える者に対しては相当に油断し、気を抜いているような場合にでも、その術を完全にかけることはまず出来ない。方術士は、常に自分の気でその精神をガードしているのだ。そのガードは、奥底に在る物であればあるほど強固なものになっている。
「たいていは方術士でない者にしか使いません。国の王などを油断させて使えば――それでも油断させなければいけませんが――ほぼ確実に成功します。最も完成された形で成功した場合、その人物は文字通り抜け殻になってしまうので、もしそれが王だった場合、その国は大変な混乱に陥る事になると思います」
 陰陽連が狙ったのはまさにこれなのだと、壱与達は確信した。
 邪馬台国――邪馬台連合――は、壱与という女王のカリスマ性によって統一されている。その壱与が抜け殻になってしまえば、おそらくは何もせずとも、内乱が起こり、勝手に滅び去ることだろう。
「でも、紫苑くん。完成された形じゃない場合は、どうなるの?」
 壱与の問いに、紫苑は素直に答える。
「記憶の一部が消えたり…そんな感じです。方術によるガードが出来なくても、相当気を許していない場合はたいていの場合はそうなります。方術士であれば、常にガードしているのが普通だし、とっさにガードをはる事も出来るので、まず間違いなくこの程度で澄みます。完全に記憶を失い抜け殻になることなど、ほとんどありません」
「もし記憶が消された場合…その記憶は戻るの?」
 壱与は不安そうに訊ねた。
 紫苑は少し考えるようにしてから…。
「わかりません。…戻ることもあれば、一生そのままの可能性もあります。記憶の一部だけが損なわれた場合は、たいていの場合は暫く経てば元に戻るそうですが…完全に記憶が失われた場合は、まず戻らないといわれています」
 言った。
 壱与達はその言葉を聞き、少し安心した。
 どうやら記憶を戻す術のようなものはないらしいが、記憶が絶対に戻らないというわけではないらしい。しかし完全に安心は出来ない。記憶が何時戻るのかは結局わからない事になるのだし、「たいていの場合…」と言う事は、戻らない可能性もなくはないのだ。
「お力になれなっかたみたいで…すみません」
 壱与たちの気まずそうな雰囲気を感じ取り、紫苑が謝ると。
「あ、そんなことないわよ。紫苑くんが気にする事なんて全然ないもの!ね、みんな?」
「お、おう!そうだぜ!!お前は何も悪くねえぞ」
「それだったら良いんですが…」
 しゅん。
 項垂れてしまった紫苑。
(か、可愛い!!)
 それを見た壱与達は、揃って顔を赤くし心の中で絶叫していた。
 端たから見ればはっきり言って怪しい人以外の何者でもない。
(うう…なんか、本当にこのままでもいいかも…)
 方術は使える。
 性格は可愛らしく素直。
 姿は何も変わっていない。
 はっきり言って、護衛として何の支障もないのである。
 壱与達の脳裏によからぬ思いが駆け巡り、彼らがかなり真剣に葛藤したことは言うまでもなかった。
 
 それから暫く経った頃。
 紫苑。壱与。レンザ。ヤマジの4人は、川に向かって歩いていた。
 重くなった雰囲気を一転しようと、壱与が提案したのだった。
 ふと。
 紫苑は立ち止まって振り返ると、とある一本の木を仰ぎ見た。
 なんの変哲もない、極普通の木である。
「紫苑くん?どうしたの?」
 壱与が訊くと、紫苑は「なんでもないです」と首を横に振って答え、再び前に向き直り歩き出した。
 前に向き直る前に。
 紫苑は青々と繁る木の葉の上方に向かって、にっこりと微笑んだ。
 端から見ればそれは。青々と広がる空を見て微笑んだようであった。
 
 …ボトッ。
 紫苑が微笑みかけた、木の上。
 そこから何かが落ちてきた。
「…」
 落ちてきたのは人――紅真――だった。
 彼は、紫苑が「記覆霞」の術を壱与を庇って受けたと訊き、すぐさま邪馬台国に訪れ、今居たような木の上などからその様子を伺い見ていたのであった。はっきり言ってストーカー以外の何者でもない。変態そのものである。
 その紅真。木から落ちた後は、一向に起き上がる気配なく、仰向けに倒れたままただボーッと空を見上げていた。
「…可愛かった――」
 放心したような状態のまま…ポツリと呟く。
 彼は勢いよく起き上がると、人とは思えぬ速さで紫苑たちの消えた方向へと走り去って行ったのだった。
 
「紫苑くん。釣りでもす――」
 びゅん!
 紫苑に話しかける壱与の台詞を遮って、風の吹きぬける音と共に何かが通りぬけた。
「――紫苑ーー!!」
 聞き覚えのある声。
「ッ?!紅真!!」
 そこには、紫苑に抱きつく紅真の姿があった。
「何してるのよおぉぉぉ!?」
 壱与の叫び声に合わせるように、レンザの蹴りと、ヤマジの鉄拳が紅真の顔面に炸裂する。まったく器用な事に紫苑から見事に外されていた。
 ばしゃぁん!!
 紅真は勢いよく川の中に倒れこんだ。
 紫苑は壱与によって抱きすくめられ、保護されている。
 何が起こったのかよくわかっていないのだろう。紫苑はきょとんとし様子で、事の成り行きをただ呆然と見つめていた。
「何してんよ!この変態!!」
「うるせぇ!!てめぇらみたいに、夜中に寝顔覗くような奴らに言われたくないわい!!」
「なッ…!あんただって、覗いてたんじゃない!!」
 壱与が紅真を指差すために腕を解くことで、紫苑は漸くその腕から逃れる。
 さっぱり意味がわからない。
 だが、彼らが言い争っている原因は、何やら自分にあるようで――。
「あ、あの…」
 ――おろおろしながらも、紫苑が二人の仲裁に入ろうと声を上げたその時だった。
 ガンッ!
「「アッ!」」
 紅真の攻撃を壱与が避け…紫苑にヒットした。
 紫苑は派手な音を立てて、川の中に倒れこむ。
「「「「紫苑(くん)!」」」」
 一同の声がはもる。
「このアホ!どうして避(よ)けんだよ!!紫苑に当たっちまったじゃねぇか!!」
「避けるに決まってるでしょ!?あんたこそ、どうしてきちんと確認しなかったのよ!!」
 紅真と壱与が罪の擦り付け合いの言い争いをしていると。
 ザバッ。
 紫苑が起き上がった。
 川は踝までの深さもなく、溺れるということもなかったらしい。全身水浸しのまま両手両膝を地面(川底)に付き、俯いたまま黙りこくっている。
「「「「紫苑(くん)?!大丈夫(か)?!!」」」」
 全員が一気に駆け寄る。
「ちょっと、なんであんたまで来るのよ!」
 壱与が紅真に怒鳴り上げるが、紫苑は相変わらず黙ったままだ。
「…紫苑くん?」
 さすがに不安になり、壱与と紅真が紫苑の顔を覗きこむと…。
((!!可愛いいvv))
 目を見開き、恥ずかしさのあまり真っ赤になっている紫苑。
 思わずにやけそうになり、紅真と壱与は片手で顔を隠した。
「!」
 それに気づき、紫苑はものすごい勢いで立ち上がると。
 さらにものすごい勢いでその場から離れてどこかへ走り去って行ってしまった。
 
 どうやら紫苑は川に倒れこんだ拍子に、記憶のすべてを取り戻したらしかった。
 が…良いのか悪いのか。
 どうやら記憶を失っている間の事柄をはっきりと記憶しているようで…。
 
 その後。
 暫くの間、天の岩屋戸の如く閉じこもって一歩も外に出てこない紫苑を説得したのは…いったい誰なのか。
 それはまた、別のお話。
 
終わり。



 真闇様への300HITリク小説でした。
 リク内容は「紫苑が記憶喪失になってみんなをメロメロにさせてしまう!」でした。
 なんか…毎度の事ながら、あまりお答えできていませんね…(汗)
 申し訳ない限りです。
 本当はもっと、メロメロにされた方々をたくさん書きたかったのですが…。
 またもや言い訳がましくなりそうなのでこのへんで。
 とりあえず。
 今回は紫苑に抱きつく紅真が書けたから一人満足(殴)です(←所詮ゆうひは紅真×紫苑
)

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