告白



 私は、彼のことをどう思っていたのだろう。


 それは、常世の森から帰って数日目のある日のことだった。
 紫苑くんが、見たことのない、ある少年を連れて私たちの元へ来た。
 常世の森から数日。
 彼は、いつもずっと何かに迷っているふうで…。いつも、一人黙ってどこかへ行っていた。
「紫苑くん?その人――」
 誰?
 そう訊こうとした私の声は、途中でかき消された。
「ああーー!!紫苑!そいつは、常世の森でお前を殺そうとした――!!」
(えっ?!)
 レンザくん。それ…どういうこと?
 私は驚きのあまり、呆然と紫苑くんを見つめることしか出来なかった。
 他の面々も似たような感じで。おそらく、私の今の顔もあんななのだろう。
 目をまん丸にして、口をぽかーんと開けて。…間抜け顔…っていうのかしら。
 そんな中、はじめに口を開いたのはヤマジ隊長だった。
 私たちを庇うように。紫苑くんと、見知らぬ男の子を威圧するように、彼は前へ一歩出て訊ねたのだった。
「おい、紫苑。いったいどういうことだ。まさかお前――」
 その先は言わなくても分かる。
 おそらくは、レンザ君が言おうとして…でも言えずに言葉を詰まらせた台詞と同じもの。
 紫苑くん。あなたは――。
「違ぇよ」
 それに答えたのは、紫苑くんの連れてきた男の子だった。
 黒髪に赤い瞳の男の子。おそらく、紫苑くんと同じ位の歳だろう。鋭く睨みつけるような…生意気そうな印象の子。
 彼は続けた。
「紫苑はお前らを裏切ったんじゃねェ。裏切ったのは俺だ」
「…お前は?」
 ヤマジ隊長が再度尋ねた。
「俺?俺は紅真。元陰陽連心武衆の一人」
 彼――紅真…くん?――は言った。
 陰陽連の――しかも、一度は裏切り者の紫苑くんを殺そうとした人が、何故ここに?
 紫苑くんをまた殺しに来たの?
 それとも私を狙って?
 でも、そんな雰囲気ではないし…。
 それに、彼は、「元」ってはじめに付けた。そして、自分は裏切り者であると…。それって、つまり…。
「壱与…」
 控えめな紫苑くんの声に、私の意識は思考の中より引き戻された。
 はっとして彼に顔を向ける。
「何?紫苑くん」
「壱与…。実は、紅真を…邪馬台国に迎えて欲しいんだ…。俺がこんなこと言える立場じゃないのは分かってる。けど…」
「紫苑くん」
 私は紫苑くんに最後まで言葉を紡がせなかった。
 これ以上先の言葉は、きっと私の望んでいない物だから。
 紫苑くん。あなたは、私たちの仲間なのよ?
「紫苑くん。その人…紅真くん…だよね?その人を邪馬台国で迎え入れて欲しいってどういうこと?まずはそれを聞かないと、何とも言えないわ」
 私が「紅真くん」という言葉を、躊躇いがちに紡ぐと、その人――紅真くん――は、なんだかものすごい目つきでこちらを睨んできた。「くん」付けで呼ばれるのが気に触ったのかしら?無言でこちらを睨みつけている。
 紫苑くんは、私の言葉に少し迷っているようだった。
 いつもの彼らしくなく、その視線をさまよわせている。
「紫苑が居るからだ」
 口を開いたのは紅真くんだった。
 私たちの誰もが、彼に注意を向ける。
「俺が陰陽連にいたのも、それを裏切って邪馬台国に来たのも。全ては紫苑がここにいるからだ」
 彼は言った。
 胸の前で腕を組み、まるで何かを宣言する王のような強気な態度。
「…どういうことだ?お前、この間は紫苑のことめちゃくちゃ嫌ってて、殺そうとしたじゃねェかよ」
 訊いたのはレンザくんだった。
 確かに私もそう聞いていた。
 そんな人が、何故紫苑くんがいるこの国に?
「…ああ。お前、あの時紫苑と一緒にいた弱い奴か。あまりにも弱かったんで忘れてた」
 レンザくんの問いには答えずに、一瞬の間(ま)を置いて紅真くんは言った。
 一瞬の間。本当に、彼はレンザくんのことを今の今まで忘れていたのだろうか。なんか…間違いないような気がする。
「なっ?!俺が弱いだと!?」
「弱いだろ。あの時、俺さまに手も足も出なかったじゃねぇか」
「あ、あれは油断してだけだ!!俺の実力はあんなモンじゃねぇ!」
 レンザくんが向きになって紅真くんに突っかかるが、紅真くんはそれを余裕で流していた。
 本当に自信に満ちた、余裕の態度。
 レンザくんが今にも紅真くんに攻撃を仕掛けそうなそんな雰囲気を変えたのは、紫苑くんの、良く通るきれいな声だった。
「おい…紅真。お前、少しは下手に出られないのか?仲間に加えて欲しいという頼み事をしてるのは、俺たちなんだぞ?常世の森でのことを謝るくらいのことはしろよな」
 紫苑くんは額に手を当てて、心底呆れたような。困ったような声で言った。
 すると。
「…悪かったな。――レンザとかいったか?あの時のことは謝る。本当にすまなかったな」
 紅真くんが言った。
 なんと言うか…。感情のまったくこもっていない棒読み状態で。しかもものすごい早口。なんで聴き取れたのか不思議なくらいだった。棒読みが良かったのかしら?
「「お前…」」
 何人の人が同時に呟いたのだろうか。
 邪馬台国のみんなとレンザくんは半眼で。紫苑くんは呆れたように。
 みんなの気持ち分かるわ。
 多分、私も同じ気持ちよ。
 紅真くん。あなた――。
「もっと他に言いようがあるだろう…」
 言ったのは紫苑くんだった。
 なんかもうすっかり疲れているよう。ご苦労様(苦笑)。
「あんだよ、紫苑。お前が謝れって言ったんだろ?」
 紅真くんが言った。
 確かに紫苑くんはそう言ってたけど…あれなら言わない方がマシだと思うわ。
「ああっと。そのね。結局、紅真くんはどういう経緯で陰陽連を裏切るわけ?やっぱり、それが分からないと、どうしようも」
 これ以上は話がややこしくなるだけのような気がした私は、話を元に戻すために口を開いた。
 紅真くんは私の方に顔向けると、きょとんとした顔で。いともあっさりと言った。
「だから、紫苑がこの国を守るって言ってるからだよ」
 さっきも言っただろ?
 彼はそう続けた。
 ええ。聞いたわ。そこから、れんざくんと言い争いになって、話しがずれたんですもの。ちゃんと覚えてるわよ。
 私は些かイライラし始めながら、それでもしぶとく訊ねた。
「それはわかってるわ。私が聞きたいのは、なんでそれが、あなたがこの国に来たいという理由になるのかってかとよ。だってあなた、ほんの数日前までは、紫苑くんの事を殺したいほど憎んでたっていうじゃない」
「…あの時は勘違いしてたんだよ」
 紅真くんは、顔を朱くして言った。
 どうやらそれを話すのはかなり恥ずかしいらしい。
 まぁ…早とちりとか、勘違いってけっこう恥ずかしいから…その気持ちも分からなくはないけどね。
「勘違いって…何をだよ?」
 訊いたのはレンザくんだった。
 当然の疑問よね。
 殺したいほど人を憎む。それってただ事じゃないもの。もしかしたら、その勘違いでレンザくん、殺されてたかもしれないわけだし・・・。
「…いや…なんつーか。その…紫苑に捨てられたかと思って…逆上したというか……」
「「……は?」」
 わけがわからず、私たちは目を点にした。
 紫苑くんに捨てられた…ってどういうこと?紫苑くんが、あなたとの勝負を忘れて陰陽連を裏切ったってこと?
 でも…そういう捨てたとは、なんか微妙にニュアンスが違うような気が…。
 紫苑くんを見ると、彼は黙ったまま俯いている。その表情は窺がえない。
「だからつまり…紫苑は女なんだよ。で、俺と紫苑は婚約者同士なわけなんだ。これで大体の理由はわかったろ?」
 ……。
 分かったわ。
 分かったけど…え?紫苑くんが女…の子?
 それってつまりそういうことで…紅真くんと婚約者同士で……。
「……ええ!!?」
 私たちは頭を抱えて大仰に驚きの声を上げた。
 紫苑くんが女の子?
 紅真くんと婚約者?
 っていうか、紫苑くん…じゃなくて紫苑ちゃん??っていうか、紫苑さん?!ああ、もうわけわかんないっていうか、そんな呼び方なんてどうでも良くって――。
 私の頭の中は、ぱにくっていた。
 他にみんなも似たようなものだろう。
 ヤマジ隊長は――。
「それじゃぁ何か?!俺はガキ――しかも女の子に負けたってことになるのか?!」
 いつの間に負けてたのかしら?
 そんな疑問が一瞬私の頭をよぎったが、ともかく、彼はそう言ってどこか――遥か彼方へ走り去ってしまった。尾を引く涙が痛々しい…。
 レンザくんなんかは。
「俺は…男と女の区別も出来なかったのか…?俺は…」
 と、虚ろな焦点の定まらない瞳で虚空を見上げたまま、呆然と立ち尽くして何やら呟いていた。
 大丈夫よ。誰も紫苑くんが女の子だ何て気づかなかったんだから…。レンザくんだけじゃないわ。
 ああ。なんか、人が慌てているのを見ると、逆に落ち着きが戻ってきたみたい。
 不思議だわ…。
 っていうか、なんかもう何もかもどうでも良い気分?
 そんな気分から抜け出たのは、大して驚いてもいないようなナシメの声によってだった。
「紫苑殿は女性だったのですか」
 彼は訊いた。
 純粋に、そうである事実を。
「ああ。…その…隠してわけじゃないんだ。ただ、話すタイミングがなくて――」
 紫苑くんは答えた。
 言いにくそうなのが一目で分かる。
 少し俯きがげんなその顔。上目遣いなその瞳。…女の子だわ。
 今まで気づかなかったのが不思議なくらいに。っていうか、絶対私よりも可愛いわよね…。
 私は心の中で思わず頷いていた。
 ……一人納得?
「構いませんよ、紫苑殿。月代国の後継ぎは男子が一人だけであるという情報は間違いなくありましたし。王の子が性別をすれ違えて世間に公表されるという事はよくあることですから。しかし…そちらの――紅真殿が紫苑殿の婚約者というのは…。もしや、紅真殿もどこかの国の?」
 !
 ナシメの言葉に、私は、はっとして気が付いた。
 そうよ。紫苑くんは性別が違っていたとはいっても、月読の剣を継承する正当なる月代王家の人間。その紫苑くんの婚約者って言うんだから、当然紅真くんもそそれなりの立場の人ってことになるんだわ。
 ああ。私ったら、紫苑くんが女の子だってことにばっかり気を取られてて、思考回路が止まっちゃってたなんて。女王として失格ね。そのくらいの事で心乱されちゃうなんて…。
 私が一人、自己嫌悪に反省していると。
「俺の国ももう滅びた」
 紅真くんが口を開いた。
 話しによると、紅真くんは「華麟国」という、月代国と同じ古の戦術「方術」を伝える国の第一皇子で、この国もすでに陰陽連に滅ぼされたとのことだった。月代国と華麟国は、共に古の戦術「方術」を伝える国同士として古くからの交流があり、二人が生まれてすぐに親同士が二人の婚約を決めたらしい。
 月代国は王制。月読の剣を受けて生まれた人間が王となる。月読の剣は月代王家の人間に代々受け継がれるもので、それを受け継ぐ者の性別は決まっていない。だが、長い歴史の中で月読の剣は男児のみに受け継がれ、月代国王家の女は皆巫女となることと、男児が王を継ぐということが暗黙の掟になってしまっていたらしい。けれど、今回月読の剣を受け継いだのは、女子の紫苑くん…ちゃん?だった。
 月代国に使える巫女は、生涯をのその身を神に捧げ独身を通す。しかし、それをそのまま通せば月読の剣は継承されず、月代王家の月読の剣を受け継ぐ最も重要血筋は途絶え、月代国も滅んでしまう。そこで、生まれた紫苑くん(もういいかな?)を男として発表し、古くからの友好国である華麟国にのみ紫苑くんの本当の性別を知らせ、紅真くんとの婚約を約束したということらしい。
「で、紫苑と初めて会ったのが五歳になった時だな」
「そうだったんだ…」
 私は呟いた。
 全然知らなかった。
 少し悲しいけど…私は、それを悲しんじゃいけないのかもしれない。
 私も…紫苑くんには何も言ってない。
「壱与…」
 紫苑くんが口を開いた。
 その声に――その声の調子に、私は慌てて笑顔を作った。
 なんだか…紫苑くんが謝りそうだったから。紫苑くんは何も悪くないのに、なんだかとても申し訳なさそうに言うから。そんな様子で声を掛けてくるから。
 私は慌てて笑顔を作った。
「何、紫苑くん?」
「その…悪かったな――」
 やっぱり。
 紫苑くんは何も悪くないよ。謝る理由なんて何もないのよ。そんな必要ないの。特に…私に対しては。
「…何が?」
 私は訊いた。分かりきっているのに。
 その理由が違えばいい。
 そんことを思っていたのかもしれない。
「…その…黙ってたこと」
 …。
「い、壱与?!」
 暫くの沈黙の後、私は紫苑くんにいきなり抱きついた。って言うか、紫苑くんを抱きしめた。
 周囲の皆。驚いた様子で私を見てる。
 紫苑くん女の子でした発言よりも、インパクト、あったかな?
 そんな事を考えて、小さな笑が洩れてしまう。
 驚く紫苑くんから少し身体を離し、私は紫苑くんと真っ直ぐに向き合うような形になった。
「紫苑くん。って、呼び方変えた方がいいのかな?」
 紫苑くんは、首を横に軽く振り、「今まで通りでいい」と言った。
「そう?じゃぁ、このままでいくね。そのね――謝る必要なんてないのよ。人って誰だって秘密の一つや二つ持ってるものじゃない?だから私は、紫苑くんが本当の事を話してくれたことがとっても嬉しいの。むしろこっちがお礼を言いたいくらい。私たちを信じてくれて…信頼してくれて、ありがとう」
 私は真っ直ぐに言った。とびっきりの笑顔を作って言った。
「紫苑くん。私、紫苑くんのこと大好きよ」
「なっ!?」
 紅真くんの声が聞こえたけれど、今は無視。
 だって、紫苑くんは真っ直ぐに私の言葉の続きを待っていてくれているから。
「だって、私が今一番信頼してる、仲間だもの!」
「壱与…」
 私が言うと、紫苑くんは微かに微笑んだ。
 ほっとしたような顔で微笑んでくれた。
 私の言葉で紫苑くんが微笑んでくれたことが、なんだかとっても嬉しくて…安心した。きっと、紫苑くん以上にほっとした気分になっているんじゃないかな。そんな気がした。
 私はまた紫苑くんを抱きしめた。
 ギュウっと抱きしめた。
 なんだかとっても苦しくて、嬉しくて。自分がどんな気持ちでいるのかがよく分からない。
 私は、紫苑くんに対してどんな気持ちを持っていたんだろう?
 さっきの言葉は全部本当。それは間違いないと言える。嘘なんかじゃない本当の気持ち。だって、とても自然と出てきた言葉だから。
 でも、なんだかそれとは違う思いもあるような気がする。何となく。それがどんな思いか分かってしまっているのだけれど…確認はしたくない。この気持ちは、そのうち消えてしまうと思うから。
 さっき紫苑くんに言った思いの方が、きっとどんどん強くなるって、凄い確信があるの。
 でも…今はまだ――。
「おい!てめぇ、紫苑からさっさと離れろ!!」
 突然。もう耐えきれないといったふうな紅真くんの叫びが響いた。
 なんだか楽しいと思ってしまうのって変かしら?
「あら。いいじゃない。私たちはこうして、女同士の友情の絆を深めてるんだから。ね?紫苑くん。それに、紅真くん。そんなにしつこくて嫉妬深いと、女の子に嫌われるわよ」
 私は紫苑くんに抱きついたまま、顔だけを紅真くんに向けて言った。
「あなたも今日から私たちの仲間なんだから、こんな事で嫉妬しないの。紫苑くん一人占めしようなんて、私が許さないんだからね」
「…だ、そうだ。紅真。よかったな。邪馬台国に迎えてくれるそうだぞ」
 茶化して言う私の後に続いて、紫苑くんが淡々と言った。
 とっても近くにいるから、他に人には絶対に聞こえない彼――彼女の声が聞こえた。
――ありがとう、壱与――
 私だけに向けられた…紫苑くんの言葉。
 変なの。これだけがとっても嬉しい。
「お礼なんていいよ、紫苑くん。彼、頼りになりそうだしね」
 私が片目をつぶって言うと、紫苑くんは笑って「どうかな」と肩をすくめて見せた。
 楽しい。
 そんな私たちを遠巻きに身ながら、いかにも悔しそうな紅真くん。
 目が合って、私が意地悪く笑って見せると。
「!…いいか!俺は邪馬台連合の味方なんじゃなくて、紫苑の味方なんだからな!」
 紫苑を裏切ったら許さない。
 ビシッと、私を指差してそう言いきる彼に、私は一言言った。
「当然」
 紫苑くんを裏切る?
 そんなの、私だって許さないんだから。
「その台詞、そっくりそのまま返すわよ」
 私にとっての紫苑くん。
 誰より大切な人。
 誰より頼りにしてる人。
 今の所は――そんな感じかな☆


おわり



 「記憶」の続き。壱与さん視点です。
 紫苑くんが女の子だった場合で話しを続けていくのなら、紫苑くんに多少なりとも異性として引かれている感のある壱与さんの気持ちをきちんと書いておかないといけないと思って書きました。
 もっときちんと丁寧に書きたかったです。なんか言葉足らずな感じになってしまいました(泣)。
 ちっともうまく書けないです。ああ。文章力が欲しい。


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